前回に引き続き横浜の急峻な地形を体感するコースです。明確な裏付けは見つけられませんでしたが、この急峻な地形が海まで続き鎌倉時代から天然の良港と言われた所以でしょう。歩き始めはみなとみらい線元町・中華街駅です。
機械製氷発祥の地
開港から明治初期に至る時期、横浜にはボストンや函館から 切り出された天然氷を扱う会社がいくつも作られました。ホテルのレストランやアイスクリームサロンで氷が供されたという記録が 残っています。1879(明治12)年には、日本で最初の機械製氷会社「ジャパン・アイス・カンパニー」がこの地に設立され、その後 オランダ人ストルネプリンクらによって永く経営されました。設立当時の建物は関東大震災で倒壊したものの翌年には再建し、 1999(平成11)年12月31日まで、株式会社ニチレイの子会社である神奈川日冷株式会社山手工場として再建当時のままで稼動 していました。
フランス橋の入り口
港の見える丘公園案内図
フランス橋の入り口は昨年同様工事中で入れません。どのような工事をしているのか、長いですねぇ。案内図の方角を示すサインが錨になっています。さりげなくおしゃれ。
港の見える丘公園の現在展望台になっている高台の周りには、幕末から明治の始めにかけてイギリス軍兵舎がおかれ、山のすそにはフランス軍が駐屯していた記録があります。
その後高台にはイギリス総領事公邸が、山側にはフランス領事館が建てられ、現在はイギリス総領事公邸がそのまま横浜市イギリス館として市民に利用されています。フランス領事館は、既になくなっていますが、フランス領事館邸遺構、フランス橋、フランスより寄付されたバルタールパビリオン等が今でもフランスのなごりを残しています。
本公園は昭和37年(1962年)に開園しました。噴水と緑の芝生の沈床花壇、バラや季節の花が咲くローズガーデンは多くの人々を楽しませてくれています。
海を臨む展望台や霧笛橋からは横浜港、ベイブリッジが見え、晴れた日には房総の山々を眺めることができます。
また、大佛次郎記念館、神奈川県近代文学館も公園内にあり、市内外より多くの観光客が訪れています。
クリーニング業発祥の地
横浜ボーリング発祥の地
ボーリングは長崎に次いでということのようです。元治元年というと龍馬が活躍していたころですね。
旧フランス領事館邸遺構
フランス山の歴史
フランス山の花壇
愛の母子像
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定した。
1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設された。1875年(明治8年)3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けた。こらがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡した。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしたが、なかなか実現しないでいたところ、1885年(明治18年)になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出した。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894年(明治27年)にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まった。1896年(明治29年)3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成する。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られた。
1923年(大正12年)、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊する。震災後、領事館は仮設の建物を使用していたが、官邸は、1930年(昭和5年)、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建された。その官邸も、戦後まもない1947年(昭和22年)には火災で焼失してしまう。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。
ベイブリッジ
マリンタワーと大桟橋
先日このベイブリッジの下を通ることのできない巨大な客船の仕事があって、大黒ふ頭へお客様を迎えに行きました。鶴見駅集合でタクシーに乗りましたが、大黒ふ頭は行くのが大変でした。
みなとガーデンの記念花壇
ローズガーデンの光沢のあるバラ
ジャーマンアイリス
マーガレット
スイートピー?
イングリッシュローズの庭
イギリス館
噴水広場
山手111番館
バラの季節には早いのですが、ローズガーデンは花であふれていました。この時期ソメイヨシノが終わっても、いろいろな花を楽しめます。
旧ルドルフ・ポール邸跡
ヤエザクラ
サンモール・インターナショナル・スクール
The Saint Maur International Food Fair has become one of the most eagerly awaited Yokohama social calendar events of the year. Organized and supported by the school and local community, it attracts a wide range of visitors, some of whom fly in from abroad to meet up with friends and enjoy the array of international ethnic foods, live entertainment, children’s games, and vendor items on sale.
The Saint Maur International Food Fair, which is open to the general public, takes place annually on April 29, from 10:00 a.m. to 4:00 p.m. on campus regardless of the day of the week. With an abundance of international food and beverages, a variety of live entertainment, and the many other attractions offered throughout the day, there is something for everyone, regardless of age or culinary tastes.
キリン園公園
オオデマリ?
本牧通り
モッコウバラ
本牧町の邸宅
横浜特有の斜面
沙羅双樹
本当にいろいろな色、種類の花が目を楽しませてくれます。
本牧山頂公園大鳥口
本牧山頂公園
ヤマブキ
八重のヤマブキ
東京湾を望む
シャクナゲ
ハナミズキ
シイの巨木
この時期なので少し霞がかかっているのですが、房総半島はしっかり見えていました。
本牧神社
梛の木のいわれ
お馬の茅場
縁の神 熊野速玉社
サクラ
本牧神社
信号旗
本牧神社本殿遷座に際し
本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天一番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨木騒然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
その様子は江戸名所図会にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に八百年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
しかし、先の大戦の終戦直後の昭和二一年、この本牧地区は二十三万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い、以来、平成五年までの四十七年間、神社は本牧町二丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過しておりました。
伝記には、建久二年(西暦1192年)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方角)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納した、とございます。
また、鎌倉将軍維康(これやす)親王より社領の寄進、中頃、両管領よりも同様に社領寄進。天正年間には徳川家康公の関東御入国に際し、高十二石免御朱印の下置、以来、徳川十五代将軍より御代々頂戴──とあり、方除け、厄除にご神徳が顕然(あらたか)として、武家や庶民からあつい信仰を受けてきたのです。
また、室町時代の永禄九年(西暦1566年)から四百年以上も地元住民に受継がれてきた当神社の「お馬流(うまなが)し」神事は、「ハマの奇祭」として神奈川県指定無形民俗文化財、県民俗芸能五十選であり、毎年八月上旬に現在も斎行され続け、郷土の祭りとして保持されております。
米軍の接収解除とともに、変換地域一帯は横浜市による区画整理事業が施行されました。産業道路の直線整形、消防署の建設などの公共事業計画に伴い、当神社の社有地は従前地の「本牧十二天一番地」ではなく、この「本牧和田」の新天地に換地されました。
この新社地は、表通りに続く前面も、後背地の丘も公園であり、境内地全面が南向きのひな壇形状という、鎮守様をお祀りするには絶好の境内地であります。
四十七年間、仮遷座を忍ばれておられた大神様に、氏子崇敬者の総意による赤誠を捧げ、浄財を募って建立されたのがこの神社殿でございます。
権現造りの神殿は、総銅板葺きで、唐破風(からはふう)と千鳥破風の二重破風、屋根坪は百坪を超して横浜最大を誇ります。本牧地区住民の敬神の念のあつさ、郷土愛の深さを如実に現すとともに、広く慕われるご神威、ご神徳の賜物でございます。
本牧地区の目覚ましい再開発とともに、大神様に新しいご社殿、すがすがしい聖域の境内にご鎮座いただくことは、更なる御神徳の発揚をたまわり、私達が祖先から連綿として受け継いで来た「郷土・本牧」の住民一同の「心の寄りどころ」として、また、明日を担う子供達には幼き日の懐かしいふるさとの思い出となる、と強く確信致しております。
氏子崇敬者の皆様の、弥栄(いやさか)を弥増(いやま)しに増すために、今後も展開される神社の諸行事に、更なる強いお力添えを賜りますよう、衷心より重ねてお願い申し上げる次第です。
再拝
平成五年十月吉日
本牧神社復興奉賛会
本牧神社氏子総代会
本牧神社々務所
新本牧公園
この公園を抜けると広い通りに出るのですが、こちらもさっき横断したのと同じ本牧通りでした。本牧山頂公園が岬のように突き出していて、それに沿うように⊃字型の道になっていました。
三渓園
三渓園に入園し一通り写真を撮って、団子をつまみにビールを飲んでいるとみんな集まってきました。ひと休みして出口へ向かい、ストレッチの後タクシーに乗り込み根岸駅へ。横浜駅ジョイナス地下のライオンで、美味しいビールをいただきました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
機械製氷発祥の地
開港から明治初期に至る時期、横浜にはボストンや函館から 切り出された天然氷を扱う会社がいくつも作られました。ホテルのレストランやアイスクリームサロンで氷が供されたという記録が 残っています。1879(明治12)年には、日本で最初の機械製氷会社「ジャパン・アイス・カンパニー」がこの地に設立され、その後 オランダ人ストルネプリンクらによって永く経営されました。設立当時の建物は関東大震災で倒壊したものの翌年には再建し、 1999(平成11)年12月31日まで、株式会社ニチレイの子会社である神奈川日冷株式会社山手工場として再建当時のままで稼動 していました。
フランス橋の入り口
港の見える丘公園案内図
フランス橋の入り口は昨年同様工事中で入れません。どのような工事をしているのか、長いですねぇ。案内図の方角を示すサインが錨になっています。さりげなくおしゃれ。
港の見える丘公園の現在展望台になっている高台の周りには、幕末から明治の始めにかけてイギリス軍兵舎がおかれ、山のすそにはフランス軍が駐屯していた記録があります。
その後高台にはイギリス総領事公邸が、山側にはフランス領事館が建てられ、現在はイギリス総領事公邸がそのまま横浜市イギリス館として市民に利用されています。フランス領事館は、既になくなっていますが、フランス領事館邸遺構、フランス橋、フランスより寄付されたバルタールパビリオン等が今でもフランスのなごりを残しています。
本公園は昭和37年(1962年)に開園しました。噴水と緑の芝生の沈床花壇、バラや季節の花が咲くローズガーデンは多くの人々を楽しませてくれています。
海を臨む展望台や霧笛橋からは横浜港、ベイブリッジが見え、晴れた日には房総の山々を眺めることができます。
また、大佛次郎記念館、神奈川県近代文学館も公園内にあり、市内外より多くの観光客が訪れています。
クリーニング業発祥の地
横浜ボーリング発祥の地
ボーリングは長崎に次いでということのようです。元治元年というと龍馬が活躍していたころですね。
旧フランス領事館邸遺構
フランス山の歴史
フランス山の花壇
愛の母子像
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定した。
1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設された。1875年(明治8年)3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けた。こらがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡した。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしたが、なかなか実現しないでいたところ、1885年(明治18年)になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出した。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894年(明治27年)にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まった。1896年(明治29年)3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成する。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られた。
1923年(大正12年)、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊する。震災後、領事館は仮設の建物を使用していたが、官邸は、1930年(昭和5年)、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建された。その官邸も、戦後まもない1947年(昭和22年)には火災で焼失してしまう。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。
ベイブリッジ
マリンタワーと大桟橋
先日このベイブリッジの下を通ることのできない巨大な客船の仕事があって、大黒ふ頭へお客様を迎えに行きました。鶴見駅集合でタクシーに乗りましたが、大黒ふ頭は行くのが大変でした。
みなとガーデンの記念花壇
ローズガーデンの光沢のあるバラ
ジャーマンアイリス
マーガレット
スイートピー?
イングリッシュローズの庭
イギリス館
噴水広場
山手111番館
バラの季節には早いのですが、ローズガーデンは花であふれていました。この時期ソメイヨシノが終わっても、いろいろな花を楽しめます。
旧ルドルフ・ポール邸跡
ヤエザクラ
サンモール・インターナショナル・スクール
The Saint Maur International Food Fair has become one of the most eagerly awaited Yokohama social calendar events of the year. Organized and supported by the school and local community, it attracts a wide range of visitors, some of whom fly in from abroad to meet up with friends and enjoy the array of international ethnic foods, live entertainment, children’s games, and vendor items on sale.
The Saint Maur International Food Fair, which is open to the general public, takes place annually on April 29, from 10:00 a.m. to 4:00 p.m. on campus regardless of the day of the week. With an abundance of international food and beverages, a variety of live entertainment, and the many other attractions offered throughout the day, there is something for everyone, regardless of age or culinary tastes.
キリン園公園
オオデマリ?
本牧通り
モッコウバラ
本牧町の邸宅
横浜特有の斜面
沙羅双樹
本当にいろいろな色、種類の花が目を楽しませてくれます。
本牧山頂公園大鳥口
本牧山頂公園
ヤマブキ
八重のヤマブキ
東京湾を望む
シャクナゲ
ハナミズキ
シイの巨木
この時期なので少し霞がかかっているのですが、房総半島はしっかり見えていました。
本牧神社
梛の木のいわれ
お馬の茅場
縁の神 熊野速玉社
サクラ
本牧神社
信号旗
本牧神社本殿遷座に際し
本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天一番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨木騒然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
その様子は江戸名所図会にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に八百年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
しかし、先の大戦の終戦直後の昭和二一年、この本牧地区は二十三万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い、以来、平成五年までの四十七年間、神社は本牧町二丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過しておりました。
伝記には、建久二年(西暦1192年)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門(北東の方角)守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納した、とございます。
また、鎌倉将軍維康(これやす)親王より社領の寄進、中頃、両管領よりも同様に社領寄進。天正年間には徳川家康公の関東御入国に際し、高十二石免御朱印の下置、以来、徳川十五代将軍より御代々頂戴──とあり、方除け、厄除にご神徳が顕然(あらたか)として、武家や庶民からあつい信仰を受けてきたのです。
また、室町時代の永禄九年(西暦1566年)から四百年以上も地元住民に受継がれてきた当神社の「お馬流(うまなが)し」神事は、「ハマの奇祭」として神奈川県指定無形民俗文化財、県民俗芸能五十選であり、毎年八月上旬に現在も斎行され続け、郷土の祭りとして保持されております。
米軍の接収解除とともに、変換地域一帯は横浜市による区画整理事業が施行されました。産業道路の直線整形、消防署の建設などの公共事業計画に伴い、当神社の社有地は従前地の「本牧十二天一番地」ではなく、この「本牧和田」の新天地に換地されました。
この新社地は、表通りに続く前面も、後背地の丘も公園であり、境内地全面が南向きのひな壇形状という、鎮守様をお祀りするには絶好の境内地であります。
四十七年間、仮遷座を忍ばれておられた大神様に、氏子崇敬者の総意による赤誠を捧げ、浄財を募って建立されたのがこの神社殿でございます。
権現造りの神殿は、総銅板葺きで、唐破風(からはふう)と千鳥破風の二重破風、屋根坪は百坪を超して横浜最大を誇ります。本牧地区住民の敬神の念のあつさ、郷土愛の深さを如実に現すとともに、広く慕われるご神威、ご神徳の賜物でございます。
本牧地区の目覚ましい再開発とともに、大神様に新しいご社殿、すがすがしい聖域の境内にご鎮座いただくことは、更なる御神徳の発揚をたまわり、私達が祖先から連綿として受け継いで来た「郷土・本牧」の住民一同の「心の寄りどころ」として、また、明日を担う子供達には幼き日の懐かしいふるさとの思い出となる、と強く確信致しております。
氏子崇敬者の皆様の、弥栄(いやさか)を弥増(いやま)しに増すために、今後も展開される神社の諸行事に、更なる強いお力添えを賜りますよう、衷心より重ねてお願い申し上げる次第です。
再拝
平成五年十月吉日
本牧神社復興奉賛会
本牧神社氏子総代会
本牧神社々務所
新本牧公園
この公園を抜けると広い通りに出るのですが、こちらもさっき横断したのと同じ本牧通りでした。本牧山頂公園が岬のように突き出していて、それに沿うように⊃字型の道になっていました。
三渓園
三渓園に入園し一通り写真を撮って、団子をつまみにビールを飲んでいるとみんな集まってきました。ひと休みして出口へ向かい、ストレッチの後タクシーに乗り込み根岸駅へ。横浜駅ジョイナス地下のライオンで、美味しいビールをいただきました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール