もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】離散家族再会編

2011-08-06 09:41:51 | 日記
《人質外交を美化した「インチキ人道ショー」。北朝鮮、南北離散家族再会行事に備えて「リハーサル」》

北朝鮮が最近、南北の離散家族再会行事に備えて対象者200人余りを各道ごとに集めて教育を行なったことが8月1日までにわかった。北朝鮮は通常、韓国側に離散家族の再会を正式に提案する2、3ヶ月前にこうした準備に取りかかる。
北朝鮮側の離散家族と連絡を取り合っている拉北者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表によると、北朝鮮各地の離散家族は6月末、居住地を管轄する人民保安院(警察に相当)等から「近く北南に離れ離れになった家族・親戚の再会行事があるため、道庁所在地に集まり講習を受けるように」との通知を受けたという。
崔代表は

「咸鏡北道清津市、黄海北道沙里院市、平安北道新義州市等各地の複数の消息筋が同様の情報を伝えて来た。7月初めから各道庁所在地で離散家族への思想教育が実施されている」

と語った。
家族たちは「金正日(キム・ジョンイル)総書記と共和国の偉大性」や再会場所での行動要領等について繰り返し教育を受けるという。
過去の例を見ると、北朝鮮は200人余りの家族のうち100人を最終的な再会対象者に選定し、再会行事の2、3週間前にビタミンを集中的に与えるという。
韓国統一部(省に相当)当局者は

「北朝鮮は李明博(イ・ミョンバク)大統領による光復節の演説内容等を念頭に置き、離散家族再会行事の時期を選んでいるだろう」

とした上で、

「北朝鮮が(離散家族再会の)カードを出して来れば韓国としては拒絶し難いのが事実だ」

と語った。

【拉北者】
北朝鮮による韓国人拉致被害者のこと。
【光復節】
8月15日の解放記念日(日本の終戦記念日)のことを韓国では光復節と呼ぶ。



※この記事については
【みんな生きている】
離散家族再会編
(2010年11月1日掲載)
も合わせてご覧下さい。

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【みんな生きている】6・25拉致被害者編

2011-08-06 09:27:05 | 日記
《韓国政府、民間人55人を拉致被害者として認定》

韓国政府は8月2日、6・25戦争中に北朝鮮によって拉致された民間人55人を「6・25戦争拉致被害者」として正式に認定した。1950年代~1960年代にかけて韓国広報処や内務部(省に相当)、国防部等は6・25戦争拉致被害者リスト5冊を作成し、政府はそれらに基づいてこれまで拉致被害者の数を8万人と推定して来たが、個人レベルで拉致被害者を正式に認めたのは今回が初めてだ。
金滉植(キム・ファンシク)首相が委員長を務める6・25戦争拉致真相究明委員会が拉致被害者として認定した55人は、金尚徳(キム・サンドク)元制憲国会議員たち当時の政治家8人、公務員3人、法曹界関係者と警察官がそれぞれ2人、学生5人、マスコミ関係者1人等で、男性54人・女性1人だ。
8月2日に行われた同委員会の会合で金首相は

「今回の活動により、6・25戦争での拉致被害の真相解明に向けた基盤を構築するに至った」

と発言した。
委員会は昨年3月に国会で制定された「6・25戦争における拉致被害の真相究明及び拉致被害者の名誉回復に関する法律」に基づき同年12月13日に発足した。
今後も分期ごとに6・25戦争拉致被害者を引き続き審査する予定だ。


■拉致被害者家族の事情

今回、委員会が拉致被害者として正式に認めたハ・ギョクホンさん(90歳)の娘・ヨンナムさん(61歳)は

「今になって拉致被害者として認められたとしても、父に会うことは出来ない。いつの日か北朝鮮の政権が責任を認めて真相を解明することを願いながら、今回被害届を出した」

と述べた。
ハさんはヨンナムさんが生まれた直後の1950年8月、朝鮮人民軍によって連れ去られた。当時暮らしていたソウル市中区南倉洞の自宅に北朝鮮の政治保衛部担当者が訪れ、「聞きたいことがある」と言ってハさんを連れ出し、それから行方がわからなくなったという。
家族によると、ハさんは製粉工場を経営し、右翼的な傾向の強い「大韓青年会」の活動に従事していた。これが共産勢力に目を付けられて拉致された理由と見られる。
ハさんが拉致された当時、妻のソン・ガプスンさん(87歳)はまだ26歳と若く、その後ヨンナムさんを含む3人の娘を育てながら夫の帰りを待った。
ソンさんの1959年1月の日記には

「夢を見るたびに懐かしく感じるのは娘たちの父親、あなただけです。涙とため息ばかりの10年の歳月が流れました」

と書かれている。心の傷を癒すため1975年にカナダへ移住したが、つらい思いは今に至るまで続いている。
イム・ウンギさん(76歳)の兄・スッキさん(79歳)も今回、拉致被害者として認定された。
北朝鮮がソウルを占領していた1950年7月、朝鮮人民軍兵士がイムさんの自宅を訪れて兄弟を一列に並ばせると、最も体格が良かったスッキさんを「ちょっと来い」と呼んで連れ出したという。
スッキさんは「すぐ帰って来るから心配しないで寝ていろ」と言い残して出ていったあと、戻らなかったという。
生きていれば今年で102歳になるイ・ジョンリョンさんも、今回拉致被害者として正式に認定された。
娘のソンウィさんは

「父親は6・25戦争前まで検事だったため、朝鮮人民軍に目を付けられて拉致された」

と証言している。


■拉致被害者の中には中高生も

韓国政府が正式に認めた拉致被害者の中には当時の中学生1人、高校生2人も含まれている。忠清南道保寧市に住んでいたある高校生は、兄が警察官という理由で連れ去られた。
韓国民主党の立ち上げに参加したイ・サンギュさん(当時61歳)と大韓婦人会長で雑誌『婦人』社の副社長だったファン・ギソンさん(当時51歳)は、ソウル市鍾路区新橋洞の自宅から連れ去られた。

【6・25戦争】
朝鮮戦争のこと。
【制憲国会】
大韓民国憲法を制定した初代国会。



※この記事については
【みんな生きている】
ベトナム戦争韓国人拉致被害者編
(6月7日掲載)
も合わせてご覧下さい。

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【みんな生きている】北朝鮮核開発編

2011-08-06 09:20:32 | 日記
7月に就任したアメリカのパネッタ新国防長官が初の会見に臨み、「北朝鮮の核開発をアルカイダ等とともに『脅威』と位置づけ、監視を強めていく」と話しました。

「アメリカはイランと北朝鮮の脅威にさらされている。(この2ヶ国の核開発を)注意深く監視していく必要がある」
(パネッタ国防長官)

パネッタ国防長官は
「アルカイダはオサマ・ビンラディン容疑者の殺害等で大きな打撃を受けている」
としながらも、
「イエメンやソマリア等にネットワークはまだ残っている」
と警戒感を示しました。



※この記事については
【みんな生きている】
アブドル・カディル・カーン編
(7月13日掲載)
も合わせてご覧下さい。

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