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羽花山人日記

徒然なるままに

ブックカバー

2024-02-12 19:20:43 | 日記

ブックカバー

病院の待合室や列車の中で,本を読んでいる人を見かけると,大部分の人が本にカバーをかけている。この習慣は,日本独特だと聞いたことがある。

そこで,二つの生成AIに訊いてみた。

ChatGTP

わたし:本にカバーをかけて読むのは,日本人独特の風習でしょうか。

ChatGTP:本にカバーをかけて読むという習慣は、日本において比較的一般的ですが、他の国や文化でも同様の習慣が見られる場合があります。ただし、日本では特に「ブックカバー」と呼ばれる専用のカバーを使って本を保護し、美しく保つことが一般的です。

(中略)

他の国や文化でも、本を大切にするためにカバーを使う習慣が見られることがありますが、具体的な形態や使用方法は異なる場合があります。

わたし:本のカバーは,自分が読んでいる本を他人に知られたくないという意識からも来ているでしょうか。

ChatGPT:はい、そのような意識も一部に影響している可能性があります。特に、学校や職場などで本を持ち歩く際に、他人に自分が何を読んでいるかを知られたくない場合があります。カバーをかけることで、他人の目に触れずに本を持ち運ぶことができ、プライバシーを保護できるという面もあります。

また、日本の文化では個人のプライバシーや内面的な世界を尊重する傾向が強く、他人に自分の読書趣味を知られることを避けたいと考える人もいるでしょう。そのため、本のカバーを使って他人に見られないようにすることが、一部の人々にとって重要な要素となる可能性があります。

わたし:本の表紙のデザインが恥ずかしい場合もありますよね。

ChatGPT:はい、その通りです。本の表紙のデザインが個人の好みや価値観と合わない場合や、内容が恥ずかしいと感じる場合があります。(中略)たとえば、恋愛小説やセルフヘルプ本など、他人に知られることを避けたいと思うようなジャンルの本を読んでいる場合、その表紙が派手だったり目立つデザインであると、恥ずかしさを感じることがあります。

ヨーロッパの文化や個々の人々の考え方には多様性がありますので、一概には言えませんが、一般的には日本のようなプライバシーを重視する文化とは異なる傾向が見られることがあります。

ヨーロッパの一部の国々では、プライバシーの考え方が異なる場合があり、本を読んでいる内容や持ち主の好みに関して、あまり気にしない場合もあります。そのため、本のカバーをかける習慣や、他人に知られたくないという意識が日本ほど強くない可能性があります。

(後略)

 

 Bing

わたし:日本人は本にカバーをかけて読む習慣があり,この習慣は他国に比べて強いと言われますが,どう思いますか。

Bingはい、日本人には本にカバーをかけて読む習慣があります。この習慣はいくつかの理由によるものです。

  1. 本を大切にする文化:日本では物を大切にする文化が根付いています。本もその一部であり、カバーをかけることで汚れや傷を防ぎ、長く使えるようにします。
  2. 美意識と装飾性:カバーは美しさを引き立てる要素としても重要です。日本人は美しいものを好む傾向があり、本のカバーはその一環として選ばれます。
  3. プライバシーと配慮:カバーをかけることで、他人に読んでいる本の内容を知られないようにすることができます。また、公共の場で本を読む際にも、カバーをかけることで周囲の人々に配慮を示すことができます。

わたし:他の国ではどうでしょうか。

Bing外国と比べて、日本人の本にカバーをかけて読む習慣は、他の国々と比較しても特有です。以下にいくつかの違いを示します。

  1. 欧米諸国:欧米諸国では、本のカバーをかける習慣は一般的ではありません。多くの人々が裸本(カバーなしの本)を読みます。ただし、図書館や書店で販売される新しい本には、一時的なカバーが付いていることがあります。
  2. 中国:中国でも、本にカバーをかける習慣はあまり一般的ではありません。ただし、古典的な文化や美意識を重視する人々は、カバーを使うことがあります。
  3. 韓国:韓国でも、本にカバーをかける習慣は日本ほど一般的ではありませんが、一部の人々が採用しています。特に美しいカバーデザインを重視する傾向があります。

総じて、日本人の本にカバーをかけて読む習慣は、日本の文化や美意識に深く根ざしています。

 

わたしがブックカバーについて感じていることに沿った回答が両者から得られた。

外国人は日本人ほどプライバシーを重視していないというコメントについては,その真偽が分からないが,なんとなくそんな気がする。言葉の問題もあるだろうが,パーティーなどで,日本人同士がかたまっていて,異国の参加者の中に入っていかない傾向をしばしば見かけた。自分をさらけ出すことについての羞恥心が日本人は強いのだろうか。

ちなみに,わたし自身は基本的に本にカバーをかけていない。いつも,3~5冊ほどを同時並行的に読むので,表紙が見えている方が都合がいい。カバーをかけるのは,他人から借りた本(図書館はカバーをかけた本を貸し出している)と,いわゆるライトノベルに多く見られる若者向けにデザインされた表紙の本である。後者の場合,他人が見たら「あのヒヒジジイ」と思われそうで隠してしまう。

これは地味な方

なお,ブックカバーは大正時代に古本屋さんが始めたそうで,それが好評だったので新刊書店でも真似をするようになったそうだ。次のWEBサイトに,詳しい情報が出ている。

日本の文化ブックカバー |研究レポート|本づくり研究所 (p-press.jp)

 

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道明寺

2024-02-10 19:52:29 | 日記

道  明  寺

スーパーで見かけ,カミさんの好物だったのを思い出して,買ってきた。

ついでに,ネット知識で知ったかぶりを。

桜餅には関東風と関西風の2種類がある。生地に小麦粉を使ったのが関東風で,関西風は道明寺粉を使う。

関東の桜餅は,1717年に江戸向島にある長命寺の門番が考案したとされ,塩漬けにした桜の葉で包んだところ,評判を呼んで名物になったとか。関東では桜餅のことを「長命寺」と呼ぶところもあるらしい。

道明寺の生地に使う道明寺粉は,大阪藤井寺市にある道明寺の尼さんが考案したものに発しているらしい。もち米を蒸して干した「道明寺糒(ほしい)」が作られ。水やお湯を注いで,保存食として利用されたとのこと,その糒を砕いたものが道明寺粉である。

砕き方で粉粒の大きさは違ってくるが,菓子に使われるのは六つ割りで,つぶつぶ感が残っている。

桜餅に使われる桜の葉は,主としてオオシマザクラのもので,静岡県の松崎町で,7割が生産されている。木は切り詰められていて,葉を収穫しやすいように仕立てられている。

桜餅にそえられている桜の葉は,食べないのが本来らしいが,わたしは食べるのが好きだ。

理屈はともかく,迫りくる春らしい香りとともに,濃いお茶で道明寺を味わった。

 

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母本

2024-02-08 16:50:00 | 日記

母      本

隔週水曜日に朝日新聞に掲載される,校正者,牟田都子さんの「落ち穂拾い」。今週は『辞書にない言葉 胸におさめ』と題するエッセイだった。

辞書に載っていない言葉には2種類あり,一つは新語・流行語の類,もう一つは専門用語と牟田さんは指摘する。そして,後者の例として,『種をあやす 在来種野菜と暮らした40年』(岩崎政利著 亜紀書房)にある「母本」という言葉をあげている。

おそらく,牟田さんはこの本の校正を担当して,この言葉に気付かれたのであろう。

あらためて,「母本」を辞書で探してみると,牟田さんご指摘の通り,広辞苑その他数種類の辞書には見当たらなかった。

「母本」は育種で使われる用語である。わたしはいつこの言葉を覚えたのか記憶にないが,これが専門用語として特殊なものだとは思わず,当たり前の言葉として対処してきた。

日本育種学会編の『新編育種学用語辞典』,同じく『植物育種学辞典』には学術用語として収録されている。

「母本」とは,繁殖用の種子を採る植物のことをいう。英語では”mother plant”と訳される。

育種(品種改良)では,優れた形質を示す個体を母本として選ぶ。母本に放任受粉で得た種子を使うのが母本選抜育種で,手数はかからないが,選抜の強度は比較的低い。牟田さんが紹介していた,岩崎さんの種採り,人参を抜いてみて立派なのは植え返して母本としているのがこの方法である。集団を劣化させない効果がある。

母本に花粉を提供する個体を選んで掛け合わせるのが交雑育種で。その後代から優秀な個体や系統を選んで品種にする。育種の主流はこれである。花粉を提供する親のことを父本(ふほん)という。

雌親あるいは種子親,雄親あるいは花粉親という言い方もあるが,母本,父本の方が育種家には馴染みやすい。

なぜ単に母,父といわず,「本」がくっついているのかは,古書でも読めば出てくるかもしれないが,わたしは知らない。これは独断による想像だが,「本」には後代に良い子孫を残す優れた親たれ,という願いが篭められているのではないだろうか。パプアニューギニアの農民は,ヤムイモの種いもを植え付ける時,「良い芋を作れよ」と,言い聞かせていたそうである。

わたしは講義で,「母本」という言葉の説明をせずに使っていたと思う。やはり説明すべきだったか。ただし,上に述べた独断を喋って間違っていたら大変だが。

牟田さんは,岩崎さんの著書から,「種をあやす」という表現を紹介している。《さやから種をふるい落とす際、「左の手でさやを抱くようにもち、右の手でやさしく摩(さす)る」所作が「抱いた赤ん坊をあやしているみたい」》からできた表現だという。しかし,これは育種学用語ではない。岩崎さん独特の表現であろう。有機農業を営み,自家採種を行っている岩崎さんの,作物に対する愛情を込めたものではないだろうか。

筑波山冠雪

自宅ベランダより,2月7日撮影

 

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天馬

2024-02-06 19:59:44 | 日記

天        馬

母校陸上競技部OB・OGと現役で作る「天馬会」の機関誌『天馬』が送られてきた。

数えて61号。わたしが27歳の時から続いていることになる。当時母校の教諭で陸上競技部の監督だった上島忠志さんのご尽力で発行が開始されたものと記憶している。

わたしが在学中,陸上競技部の備品は貧弱なもので,スターティングブロックがなく,短距離のスタート練習は移植ごてで穴を掘ってやっていた。ジャンプ競技のピットは砂が少ないので,一晩経つと固くなり,マネージャーのわたしは練習に先立ってスコップで掘り返すのが仕事だった。足りない部費を補うために,オフシーズンにはストーブ用の薪を作るアルバイトをした。

何とか財政的な改善が得られないかと,当時の主将I・A君と相談して,市議会重鎮のOBを訪ね,先輩からの寄付を募ることをお願いした。そのご尽力で,OB会の発会式を浅間温泉の小柳旅館で行うことができた。

しかし,それをより組織化し,「天馬会」と名付けたのは,ご自身もOBの上島忠志さんだった。陸上競技を愛し,情熱をもって指導にあたられた上島さんは,今でも教え子たちが墓参りに訪れるほど慕われている。

機関誌『天馬』の内容は充実している。現役部員の活躍の記録,卒業を前にしての部活動3年間の思い出など,若者の息吹に触れることができる。歴代20傑の記録は,ほとんどが平成時代のもので,昭和の記録は塗り替えられている。しかし,現在の高校競技では採用されていない「旧競技」の記録も残してくれているので,同期前後の懐かしい名前を見ることができる。

一番楽しみにしているのが「はがき便り」の欄で,旧知の方々の消息を知ることができる。ところが先輩からの投稿がだんだん少なくなり,とうとう今号では上から4番目になり,しかもその一つが訃報のお知らせだった。また,いつもの同期からの6名の投稿が4名になっている。どうか元気でいてくれるとよいが。

いずれにせよ,『天馬』がこれだけ継続しているのは,ひとえに事務局のご努力による。感謝とともにこれからもよろしくお願いする。

今年も去年に続いて「東京天馬会」が開かれる模様,楽しみにしている。

 

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読書備忘(33)『ルイズ―父に貰いし名は』

2024-02-04 16:49:48 | 日記

松下竜一

『ルイズ ― 父に貰いし名は』講談社 1982年

新聞で伊藤野枝の名前を見かけて,昔読んだこの本を読み返したくなった。

関東大震災の時に,憲兵大尉甘粕正彦によって惨殺されたアナーキスト,大杉栄と伊藤野江の遺児,伊藤ルイの小説仕立ての半生記である。

著者の松下竜一は,一年半にわたるルイへの聞き取りを行い,この本を書いた。この本を通じてルイは世の中に紹介され,その後講演と執筆活動を行うようになった。(ルイ自身が執筆した自伝やエッセイがその後出版されている。時間があれば読んでみたいと思っている。)

大杉栄と伊藤野枝の間には,4人の女児がいる。二女は養子としてよそに出たので,実質的には3人の姉妹が残された。

大杉栄はこの3人に,魔子,エマ,ルイズと,それぞれ命名している。ルイズはフランスの女性アナーキスト,ルイズ・ミッシェルから取った名前である。その後ルイは,留意子,留意,ルイと3回名前を変えている。

両親が惨殺されたのは,彼女が2歳の時であるので,ルイは両親の記憶は全くなく,名前のいわれも知らずに育った。

三姉妹は,福岡県今宿村にある伊藤野枝の実家に引き取られ,それぞれ真子,笑子,留意子と改名されて,伊藤家の戸籍に入れられた。大杉家では栄の遺体引き取りを拒んだため,両親は今宿村に葬られ,墓名なしの石が置かれた。

ルイと姉たちは地元の小学校,高等女学校へと進学する。女学校卒業後,ルイはタイピストの資格を取って,自立する。在学中も,就職先でも,天皇に弓を引いたアナーキストの娘として好奇の目を向けられ,つらい思いをする。

慰問を頼まれて訪ねた14歳年上の傷痍軍人,王丸和吉に求婚されて,1939年に結婚する。ルイの両親を理由に,王丸家からは挙式も入籍も許されなかった。

結婚後単身で満州に渡った夫を追って,1940年ルイは渡満する。

満州でルイはタイピストとして働き,長女を出産するが,日常目にする中国人や朝鮮人への日本人の蔑視に,たまらない気持ちにさせられる。

夫が病気の療養で福岡に戻り,その後を追ってルイも帰国する。2児の出産,そして夫のギャンブル好きに苦労するが,楽天的な性格から,ルイは内職で家計を助けながら終戦を迎える。

終戦とともに,アナーキストの運動は復権し,ルイは大杉栄・伊藤野枝の名前を目にするが,あえてその運動からは一線を画すようにする。しかし,自分ももっと勉強をしなければと,古書店で見かけたルソーの『エミール』を読み始める。また,大杉栄全集を古書店で目にし,夫にねだって購入する。拾い読みする大杉の文に,それまで避けていた父の姿にユーモアとやさしさを感じるようになる。そして。自分の名前の由来を知る。

1953年になって,留意子ではなくルイを積極的に名乗るようになり,PTAや公民館の活動に参加するようになる。公民館では講座の運営を依頼され,「くらしの学級」という集いを主催する。また,週2回の勉強会にも参加し,その講師の「自分を突き抜けよ」という励ましもあって,大杉栄・伊藤野枝の娘であることを秘匿しないようにする。

1964年にギャンブルから借金まみれになっている夫と離婚し,その前から従事していた博多人形の彩色の仕事で自立する。1971年からは朝鮮人被爆者の救援活動に加わり,その中心的役割を果たすようになる。

「エピローグ」に記されていることが,深い印象をわたしに刻んだ。

1976年,大杉栄・伊藤野枝の死因鑑定書が新聞に報道される。二人は絞殺される前に,激しい暴行を受けたという。ルイはその記事から衝撃を受け,骨身を砕くような疼痛を覚える。しかし同時に,その疼痛こそが血のつながりだと,両親の存在を身近に感じる。そして安堵を覚える。

ルイは人前では両親のことを「パパ,ママ」とは呼ばず,大杉と呼び,野枝と呼んできた。そのことをとても恥ずかしく思う。そして,「わたしはパパの子よ。わたしはママの子よ。」と何度も呟く。

 

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50年間

2024-02-02 20:31:29 | 日記

50  年  間

1970年代に起きた企業爆破事件の犯人の一人と目される,桐島聡を名乗る男が亡くなった。DNAの鑑定でも,桐島本人であることは間違いなさそうだ。

このニュースに誘われて,アメリカ映画の『いちご白書』を観た。

ベトナム反戦を掲げて,幾重にも輪になって講堂に座り込んだ学生たちが,警官隊の突入を前に,床を叩きながら,「平和をわれらに」と歌うラストシーンは,フィクションと分かっていても,胸に迫るものがある。

ノンポリが多くを占めた学生たちが,やむにやまれぬ思いで行動に立ち上がっていった当時の雰囲気を,1970年に公開されたこの映画は,きれいに描いている。

この時代が過ぎ,運動に参加した若者たちは,それぞれの思いで新たな道に進んでいった。

その中で,未消化で観念的な「革命」に出口/総括を求め,手段を過激化したグループがくつか派生した。彼らの意図とは裏腹に,当然のこととしてそれらは雲散霧消した。桐島はその中の一人であったろう。

彼は死ぬときは本名で死にたいと,病院先で名乗り出たという。「桐島」で過ごした20年間に比べて,「内田」で過ごした50年間は圧倒的に長い。しかし,彼は「内田」になり切れなかった。

本名を名乗り,自分のしたことを公安に「懺悔」し,彼は一体何を得ようとしたのであろうか。己がなしたことを背負って生きようとせず,ひたすら逃げ続けることだけに価値を見出そうとしたのだろうか。

知る術もないが,彼の行動からは,やりきれない思いが胸に広がってくる。

 

カタカナ言葉

今日の朝日新聞の「輪の芽」欄に,『分かりづらいカタカナ語 なぜつかうの』と題して,慶応大学教授で社会言語学者の井上逸平さんのコメントが出ていた。

言葉には情報伝達のほかに,「自分が何者か」を示す示す機能があるという。ビジネスの世界で,自分が「イマ風」の仕事をわかっていることが,カタカナ語を使うことで示される。

また,言葉には連帯意識を生む効果がある。共通のカタカナ語を使って,仲間意識が生まれる。

さらに,定義が確定されたとげとげしさを軽くする効果も,カタカナ語にはある,と井上さんは指摘する。「証拠」と「エビデンス」をその例として挙げている。確かに,政治家が使う「エビデンス」には。悪しき意味でそんな効果があるような気がする。

カタカナ語を使うのは悪いことではないが,行政が安易に使うことは慎むべきだと,井上さんは警告する。分からない言葉で情報が伝達されず,自分が排除されていると思わせることがある。例として,コロナ禍で使われた「ステイホーム」をあげている。注目を集める効果はあったかもしれないが,老若男女すべてに理解されたかは疑問があるという。

インタビューをした記者は,「分かりやすい言葉を誰に向けて」を意識することが大切と結語している。

ひるがえって自分のことを考えてみる。今日書いた二つの記事の中で,いくつかカタカナ語を使っている。この記事を読んでも,変更する気にはならない。ちょっと問題なのは「ノンポリ」である。純粋日本語に置き換えようとするとかなりめんどうで,わかる人は分かってくれるだろうと,腹をくくることにする。

いずれにせよ,カタカナ語を気障に使うことは,慎むように自戒しよう。

 

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