先 入 観
昨日の朝日新聞「公論」に,『そこにある先入観』と題して,二人の方のコメントがのっていた。
そのうちの一人,東京大学准教授の内田麻理香さんは,自分が正しいと思う理念があって,それに都合のいい情報しか見ない「確証バイアス」という言葉を紹介し,それを正すには,ツイッターのようなネット上の対話で違う意見をきくのが有効と示唆している。
それでわたしも思い出すことがある。
インターネットのYahooに無料で囲碁が打てるページがあり,よく利用していた。持ち時間が決まっていて,それが切れると自動的に敗戦となる。
ある時,わたしがどう見ても負けはないという圧倒的な局面で, 当然相手は投げてくれるだろうと思っていたところ,延々と打ち続けられたことがある。仕方なく,こちらも相手をしながら,ふと気がつくと持ち時間の残りがわたしの方が短くなっていた。時すでに遅しで,結局時間切れでわたしの負けになった。
憤懣やるかたなく,併設されているチャットのページに,囲碁対局にあるまじき卑怯な打ち手と投稿したところ,別な方から「それはルールのうちだから,時間攻めは悪くない」という反論が返ってきた。
囲碁とはそんなゲームではないだろうとやり返し,数回問答を繰り返したが,馬鹿々々しくなって,囲碁についての価値観の相違と宣言して,議論を打ち切った。
考えてみると,わたしには「Yahooの囲碁」についての先入観があったということになる。わたしは囲碁のルールに則ってゲームをするつもりで,時間が切れるのは考慮時間が不足する自分の責任と考えていた。ところが,このゲームは時間で相手を攻めるという,本来的な囲碁以外の戦術がルール上含まれていたのである。。
わたしはYahooの囲碁ページで遊ぶのを止め,時間攻めなどという手段が講じられない,有料のページの会員になって,現在まで続けている。
世の中には,いろいろな考え方をする人がいるものだ。
塩野七生さん
塩野七生さんが文化勲章をもらうことになった。わたしは彼女のファンである。めでたい。
一番先に彼女の作品で読んだのは,『緋色のベネツィア 聖マルコ殺人事件』だったと思う。内容が日本人離れしていて,著者はイタリア人かとすら思えた。
そのほかに何冊か読んだが,何と言っても『ローマ人の物語』が最高に面白かった。毎年一巻ずつ町の図書館に入るのを待ちかねて,全巻読み継いだ。
塩野さんは,この中でユリウス・カエサルだけに二巻を割いている。
いつだったか,小説を書く人が,「著者は登場人物に恋をする」と言っていたのを読んだことがある。塩野さんのカエサルの描き方には,他の人物とは違った入れ込み方があった。彼女はカエサルが好きだったのではないか。
そのせいか,わたしもユリウス・カエサルがローマの歴史の中では一番好きな人物である。
ローマのフォロ・ロマーノで,カエサルの墓は?とガイドさんに訊いたら,そこにありますよと足元を指さされてびっくりした。
ユリウス・カエサルの墓(2003年,フォロ・ロマーノにて撮影)
借金を踏み倒しても,他人の奥さんに手を出しても,文句を言われず人気者であるという,塩野さんが描いたカエサルの人物像を思い出していた。
STOP WAR!