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羽花山人日記

徒然なるままに

ふざけるな!

2021-12-17 20:18:03 | 日記

ふざけるな!

「認諾」という法律用語があるのは知らなかった。ワープロで,「にんだく」をまとめて漢字に変換しようとしたが,出来なかった。

学校法人森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で,自殺した近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻雅子さんが国などに損害賠償を求めた訴訟で,国は原告の請求を認める「認諾」を行い,裁判は終結した。

「原告の言う通りです。悪うございました。お金を払います。」

表向きはそうかもしれないが,これはどう見ても,「いつまでもうるさいから,金を払って黙らせよう。」が本音であろう。

赤城雅子さんんと一緒に,「ふざけるな!」と言いたい。

 

小さな花

マンションの裏に,10坪ほどの小さな公園があり,自治会の有志の方々が管理しておられる。季節季節にいろいろな花が咲き,散歩の行き帰りに見るのを楽しみにしている。今は,寒さに耐えて,可愛い花が咲いている。(12月16日撮影)

アリッサム

カレンデュラ(キンセンカ)

ネメシア

「寒空に花が小さく咲き誇り」羽花山人

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木漏れ日

2021-12-16 20:04:56 | 日記

今朝の『カムカムエブリバディ』で,ロバート・ローズウッドが安子に,「木漏れ日」というのは,英語にはない日本語独特の美しい表現だと話していた。

和英辞典で「木漏れ日」を引いてみると,”sunbeams streaming through the leaves of trees”とあり,即物的な説明で,「木漏れ日」にこめられた美しさは表現されていない。

その意味やニュアンスが外国語では表現できない日本語をネットで調べたところ,「木枯らし」,「いただきます」,「お疲れさま」,「切ない」,「初心」,「懐かしい」,「わびさび」,「(ものの)哀れ」,「粋な」などが挙げられていた。「棚引く」,「薄墨」を和英辞典で調べたら,ぴったりした表現はなかった。

「萌え」,「ヤバイ」,「マジ」,「推し」のような若者の言葉も,日本語独特と言えるかもしれないが,わたしには馴染めない。

日本の歴史,伝統,文化の中で育まれた,日本人独特の心遣い,感性,風物を愛でる心,それらを表現する言葉を誇りに思い,大切にしたい。

木漏れ日

筑波山万葉の小径で,1月撮影。

「木漏れ日に妻のおくれ毛かがやきて」30年前,井之頭公園にて吟ず。羽花山人

棚引く

自宅ベランダから11月撮影。

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遺産

2021-12-15 20:47:36 | 日記

今日は,父の27回目の命日である。

父は1900年に生まれ,ひたすら20世紀を生きて,94歳で亡くなった。

わたしの実家の居間には,大きな鉄製の金庫が置いてあった。恐らく製糸工場を営んでいた時の遺物であろう。

父の葬儀が終わって,わたしと姉妹の4人の子供が居間に集まった時,だれともなしに金庫を開けてみようということになった。鍵はわたしが持っていた。「金塊が出てくるかもしれないよ。」などと冗談を交わしながら開けてみると,出てきたのは,子供たち全員の成績表,卒業証書,学位記であった。

しばし全員声がなく,それぞれのものを分かち合った。

だれも口には出さなかったが,これが父の残してくれた,大切な遺産であるという思いは,皆同じだったろう。

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表情

2021-12-14 20:26:50 | 日記

ビデオに録っておいた,12月2日放映のヒューマニエンス『顔 ヒトをつなぐ心の窓』を観た。

ご夫婦の,日本女子大学教授の金沢創さんと中央大学教授の山口眞美さん,そして漫画家のヤマザキキマリさんをゲストに,例によって織田裕二さんの司会で話が進められた。

先ず改めて認識したのは「表情」という言葉は,「情」を「表」すということで,感情の表現を意味しているということだ。

眉,目,唇,眉間などの動きによって人は感情を表現する。そのために,顔には表情筋と呼ばれる30種類の筋肉が分布していて,顔の部分を担当して動かしている。このように,筋肉を発達させ,分化させてきたのは,ヒトだけであり,こうした進化の結果として,ヒトは言語に加えて表情によるコミュニケーションが豊かになり,集団の絆を強めてきたという。

一皮むけば

AIに喜怒哀楽の表情を学習させ,ヒトの表情から感情を判定させる実験が紹介されていた。同じ表情であっても,状況によって表現される感情は異なり,AIはその状況までは判断できないということであった。なんとなくホッとした。

顔の基本線は二つの目と口からなる逆三角形で,トップヘビーと呼ばれる。だから,三つ穴のコンセントや自動車の正面を見ると,われわれは顔を連想する。このトップヘビーを逆さにすると,表情はどこかに消えてしまう。

上と下は同じ写真です。

人間は顔の平均値を作り,そこからのずれで顔のちがいを判断し,記憶するという。外国人が同じ顔に見えるのは,この平均値ができていないからだと,聞いたことがある。こうして記憶した顔は,何千人にも及ぶ。わたしは,何人の顔を記憶しているだろう。アルバムを見ると,覚えている顔は名前よりはるかに多い。

まさに,顔は心の窓であり,重要なコミュニケーションの手段である。それを邪魔している,マスクを早く外せるようになりたい。

(写真はいずれもテレビ画面を撮影)

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納会

2021-12-13 20:18:04 | 日記

納      会

今日は,コカリナサークル「ラブピース」今年最後の例会で,取手まで出かけた。

例会には,何年振りかで,N・C子さんが復帰され,一段と盛り上がった。

今年のおさらいとして,リーダーの真木ひろしさん編曲の13曲を合奏し,最後は少し早めのクリスマスソング,「聖夜」,「ジングルベル」で吹き納めた。

風は冷たかったが,心を温めて帰ってきた。

写真の楽譜にある「サマースノー」は,スコットランド民謡で,「広い河の岸辺(The water is wide)」としても知られる。かなわぬ恋を歌っていて,メロディー,歌詞とも素敵である。真木さんがコカリナ3重奏に編曲し,わたしはボンゴとマラカスで伴奏ししていたが,今日はコカリナで和した。ラブピースのテーマソングである。

The water is wide, I cannot get o'er. And neither have I the wings to fly.

Build me a boat that can carry two, And both shall row, my love and I.

A ship there is and she sails the seas. She's loaded deep, as deep can be;

But not as deep as the love I'm in, And I know not if I sink or swim.

 

幸福の鐘

12月12日,土浦水郷公園にて,カミさん撮影。

 

 

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冬の散歩道で

2021-12-12 19:58:41 | 日記

冬の散歩道で

(写真はいずれも阿見町にて12月12日撮影)

山茶花

椿

残菊

冬枯れ。来春の再起を待つ。

ヒマワリ。こぼれた種から芽が出て花を着けた。霜が来るまで頑張れ。

ガソリンは依然として高い。

 

自己批判

日本大学の加藤直人新理事長が,記者会見で,田中前理事長との関係を記者から質問されているらしい。執行部の一員として,田中体制を支えてきた責任は逃れようがない。しっかりした自己批判が必要だろう。体制刷新はそこからだ。

 

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異彩を放て

2021-12-11 20:03:00 | 日記

異彩を放て

一昨日,「90分限りの美術館 アールブリュットの世界」という標題で,フィランソロピー(社会貢献活動)をテーマとした,オンラインのZoomセミナーに参加した。なお,「アールブリュット」とは,専門的な美術教育を受けていない人のアートのことを指す。

セミナーの内容は,知的障害者の芸術活動の紹介で,「異彩を放て」をスローガンに運営している(株)ヘラルボニーの副社長,松田文登さんの講演から始まった。

松田さんは,4歳上のお兄さんが知的障害者で,いじめられ差別されることに対し,小学生のころから,「お兄ちゃんだって同じ人間だ」と作文に書いてきた。そして,双子の兄と共同して,障害者がかわいそうだから支援するというのではなく,パートナーとしてその能力を社会的にアウトプットし,正当な報酬を受けることを目的に,会社を立ち上げた。

障害者の絵画を販売するだけでなく,そのアートをアパレルウェアー,生活雑貨,ファッション小物,トートバッグなどに適用して商品化している。そして,東京の銀座に画廊を開き,世界的なブランドと並んでデパートのショーウィンドウの一画を占めるまでになっている。障害者の作品だからではなく,素敵だから買うを目指している。

セミナーの後半は,村林さんという画家の方が主催する障害者施設,「希望の園」での創作活動が紹介された。いくつかの作品が紹介されたが,例えばアイドルと列車が好きな方は,先ずアイドルの顔を描き,その上に列車で輪郭をとって鮮やかな色彩で表現しておられた。彼にしかできない表現である。

数名の方が定刻過ぎも施設に残り,制作に励まれていた。アーティストとしての自立を目指しておられるという。

「障害者には無限の個性があり,普通ではないからこそ無限の可能性を持っている。」ということが語られていた。その通りだと思う。障害者の方々が「異彩」を放って社会から正当に評価され,自立していくことを目指すこうした活動に,わたしは深い感動を覚えた。

 

ハンドフルート

今週の『おんがく交差点』のゲストは,ハンドフルート奏者の森光弘さんだった。

ハンドフルートは,日本語で言えば手笛である。口笛と指笛は知っているが,ハンドフルートは初めて聴いた。森さんはその創始者である。

お父さんが風呂で,手を組み合わせて作った掌に包まれる空間に息を吹き込んで,梟の鳴きまねをするのを見て興味を持ち,自分もやってみたら,音が出て曲が吹けるので楽しむようになり,認められて演奏活動をするようになったという。ちなみに,お父さんは依然として梟の鳴き声しか出せないそうだ。(わたしもやってみたが,かすれた音しか出なかった。)

写真はいずれもテレビ画面を撮影。

今回は,森さんが音大で知り合ったピアノ奏者で,一緒に”Childhood”として活動している臼田圭介さんも一緒に登場した。Childhoodはメジャーとして国際的にも活躍されているという。

独特の澄んだ音色で,大谷康子さんとのコラボも素敵で,たっぷり癒してもらった。

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「印象派・光の系譜」展

2021-12-10 19:58:05 | 日記

「印象派・光の系譜」展

三菱一号館美術館で開催されている『イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」』展に行ってきた。

コロナ下火の合間を縫って,と思って出かけたが,予想以上の人出にいささか驚いた。印象派および後期印象派の作品が展示され,大作はなかったが,落ち着いた雰囲気の良い展覧会だった。ゴッホ,ゴーガンの作品にはこれまでお目にかかれなかったような,珍しいものがあり,堪能した。

展示室の一つは,撮影可能だった。日本の美術館も撮影可能のところが増えているようだが,早く,すべての美術館で,展示物の写真撮影が可能になって欲しいものだ。

カミーユ・ピサロ:豊作

ポール・セザンヌ:湾曲した道にある樹

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー:モルトフォンテーヌ,小さな柵へと続く道

フィンセント・ファン・ゴッホ:プロヴァンスの収穫期

フィンセント・ファン・ゴッホ:麦畑とポピー

クロード・モネ:ジヴェルニーの娘たち,陽光を浴びて

クロード・モネ:睡蓮の池

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名前

2021-12-09 19:46:47 | 日記

名     前

今日の朝日新聞の「耕論」に,『読みにくい名前は』というテーマで,3人の方の意見が紹介されていた。

文筆家の伊藤ひとみさんは,読みにくい名前は以前からあったが,「キラキラネーム」と呼ばれる難読名は,団塊ジュニアの世代によって1990年代半ばから目立ち始め,名前における漢字の「感字化」が進んできたと指摘している。そして,日本人が培ってきた漢字の奥深い世界に目を向けずに,「感字化」が進むのを残念に思っているという。

オリ/パラ組織委員会会長の橋本聖子さんは,1964年の東京オリンピックの年に生まれ,親がオリンピックの選手になることを期待して,名前は聖火にちなんで「聖子」とつけられたものだという。そして,この名前に励まされて今日があり,どんな名前をつけようとも,親が名前に込めた思いを子供にしっかりと伝えることが大切だと述べている。

社会言語学者のウンサーシュッツ・ジャンカーラさんは,読みにくい名前でも,よく聞いてみると腑に落ちて,漢字の元々の意味や読みと何らかの関係を持っていることが多いといい,「茶奈」の茶をチャとかサとか読まず,お茶からティーを連想して,「てぃな」と読ませる例を挙げている。英語圏に比べて,日本では漢字の使用制限はあっても読みは自由であり,多様な名前が可能であることを指摘する。名前には家族しか知ることのできない由来があり,聞きなれない名前でもポジティブに受け止めて,その意味を尋ねて欲しいと提言している。

私の感覚は伊藤さんに近いが,ジャンカーラさんの言われることは大いにうなずける。先日「麻衣」さんという女性にお会いし,「素敵なお名前ですね。」とお聞きしたら,お母様が名前に込められた意図を説明してくださった。

ちなみに,私の父は和綴じの古い命名用のあんちょこを持っていて,そこから子供に命名していた。わたしは,長男に「瑞樹」と書いて「みずき」と読ませる名前をつけようとしたら,姑から「そんな字画の多い名前をつけたら,試験の時に,ほかの子が問題を解き始めているのに,まだ名前を書いていることになりますよ。」と忠告され,父のあんちょこから好ましい漢字を探して命名した。子供たちの名前に込めた意味はときかれると,「四次元空間の広がりの中に,仁愛を持った人間がいる。」と答えることにしている。後付けの理屈であるが。

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12月8日

2021-12-07 20:02:27 | 日記

12月8日

80年前のこの日の朝,居間に入って行くと,父が「大変なことになった。日本はアメリカと戦争を始めた。」と,緊張した面持ちでわたしに告げた。わたしには,それがどう大変なことなのかは理解できなかったが,身の引き締まる思いをしたことを記憶している。

80年前のこの日,当時の中国国民党政府の蒋介石主席は,日本の真珠湾攻撃を聞いて,快哉を叫んだという。これで中国は,米英の同盟国となって,日本と戦える,と。

歴史の結果は必然である。あの時どうすればよかったなどと云々するのは,無意味である。しかし未来は語ることができる。その時,歴史はその指針となる。

1941年12月8日の日本軍の攻撃で爆沈した戦艦「アリゾナ」からは,いまだに油が海面に浮上してくる。死者の涙か。(2009年,ハワイオアフ島真珠湾のアリゾナ記念館より撮影)

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