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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



北京オリンピック・アジア最終予選
U-22カタール代表 2対1 U-22日本代表
(2007/10/18 NHK-BS1)

中東ドーハの地で、北京オリンピックをめざすU-22日本代表が、直接のライバルであるカタールに前進を阻まれた。試合終了直前のロスタイムでの失点は、14年前の「ドーハの悲劇」とダブって見えた。

しかし、ダブって見えたのは失点のシーンだけではなかった。その失点にいたるまでの数分間の日本のプレー振りも14年前と重なった。

1対1の引き分けでも、日本にとっては十分な価値のあるアウェーでの試合である。前半から優勢に試合を進め、先制したものの、追加点のチャンスをものにできない日本。後半30分過ぎには、足が止まり、同点にされ、なおも守勢にまわっていた。いよいよ残り時間も数分となり、このまま引き分けてくれればと思っていたが……。

カタールからボールを奪った日本がカウンターをしかけ、そして不正確なクロスを上げる。まさに試合終盤、こんなシーンが2、3度あったのではないか。チームとしては引き分け狙いのような動きのなかで、あるいはスタミナ切れで走れなくなっただけかもしれないが、ボールを運ぶ選手だけが追加点をとろうとしていたように見えた。このちぐはぐさこそが、デジャビュ(既視感)だった。

以前、アナウンサーの金子勝彦さんが、14年前の日本対イラク戦について、「私は『ドーハの悲劇』という言い方は嫌いです。『ドーハの伝説』と呼びたい」とおっしゃっていた。オフト・ジャパンの健闘が「悲劇」という言葉に集約されてしまうのを嫌い、美しく語り継ごうとしたのではなかったか。

「悲劇」には、その要因が伴うが、「伝説」になったときに、すべてが美化されてしまう。

この試合に出場していた若い選手たちにとって、あの「ドーハの悲劇」は、まさに「伝説」だろう。だから、その「悲劇」を招いた要因など知るよしもない。

そして、リアルタイムで体験していたはずの監督らスタッフにとっても、14年間という時間によって、「悲劇」が遠い想い出になっていたのかもしれない。だから、その「悲劇」を招いた要因など忘れ去られてしまったのではないか。

14年後の「ドーハの悲劇」は、起こるべくして、起きたのかもしれない。これが、この試合で得た「ドーハの教訓」である。


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