歳をとるにつれて時が経つのが早く感じる。今年は、3月の震災の影響で、いつも以上にせわしない1年となったような気がする。その結果、Part of Lifeのスポーツ観戦も、ここ数年の傾向以上に激減した。テレビではあまり見ないため、スポーツを観る目は明らかに衰えている。このブログを書くことも、ずいぶん減ってしまった。ただただ反省。来年は、再びスポーツ観戦数を上向きにし、ブログももう少し書くようにする年にしたいと思う。
とはいえ、年の最後に、備忘録として、今年のスポーツ界に対する感想を書きなぐっておく。
やはり最大の出来事は、なでしこジャパンの女子W杯優勝である。1970年代に「ダイヤモンドサッカー」を見て、サッカーW杯に目覚め、魅了された者にとって、まったく想像すらできなかったことが起きた。あの当時、女子サッカーのW杯ができること、(女子とはいえ)日本の代表がW杯本大会に出場し、優勝すること、そして、その場に自分自身がいることなんて、まったく夢にも思えなかった。それが、今年の7月に現実になった。
今年は、なでしこジャパンW杯優勝というドラマに負けず劣らずの出来事が、日本のサッカー界に立て続けに起こった。
1月には、サッカー日本代表がアジアカップに優勝。李忠成の決勝戦の決勝ゴールは、その時点で早くも2011年のベストゴールと確信するほどの美しいものだった。
その李のベストゴールとは違う意味で日本中に感動を呼んだゴールがあった。東日本大震災後のチャリティマッチでのカズのゴールである。海外組、J1の選手のなかにひとりJ2から選抜されたカズ。どうみても人気取りのための選抜としか思えなかったが、やはりカズはキングだった。その存在感の大きさを再認識させられたシーンだった。
このチャリティマッチに代表される、東日本大震災に対する内外のサッカー界の動きはすばらしかった。震災の直後から、世界中のスタジアムで黙とうが行われ、メッセージが掲げられ、義援金が集められた。Jリーグは、直ちに日程の変更を決定し、試合が延期された選手たちはさまざまな支援活動に参加した。また、いちはやく復興支援のスローガンやマークを作って、サッカー界の団結力を示し、社会に訴え、協力を求めたこともよかった。協会、リーグ、チームだけでなく、サポーターたちが支援活動をしたのもサッカー特有のものだった。プロ野球が日程調整でごたついたのとは対照的だった。
日程が変更になったJリーグを盛り上げたのは、被災地のベガルタ仙台と優勝した柏レイソルだった。また、天皇杯では、例年以上にJ2のチームが活躍した。そして、2012年元旦の決勝戦は、史上初のJ2対決、京都サンガ対FC東京である。この2011年シーズンの結果をどうみるべきか。J1のレベルダウンか、J2のレベルアップか。天皇杯に対するJ1チームのモチベーションのあやうさも大きな要因だろう。若い有望な選手はどんどん海外のクラブに移籍してしまう。国内の話題性では、なでしこリーグに分がある。もうすぐ20年を迎えるJリーグのふんばりどころが来ているようだ。
今年6月初旬、松本のアルウィンに行って、キリンカップとJFLの試合を2日連続で見た。キリンカップのカードは、ペルー対チェコ(0対0)。関東はじめ長野県周辺の都市から、観光バスでペルーの応援団が集結していてスタジアムは楽しい雰囲気だった。その晩は、映画「クラシコ」にも登場する居酒屋「まるちゃん」へ。地元の松本山雅サポーターに、翌日の試合を見るため東京や神奈川からやってきた熱心なサポーターが加わり、狭い店がいつのまにかいっぱいになっていた。楽しいクラブ・ライフを垣間見た。翌日のJFL松本山雅対カマタマーレ讃岐の試合は2対2の引き分け。この試合後、山雅の監督が更迭された。そして、2対1から同点に追いついたヘディングのゴールが松田直樹の最後のゴールとなった。まさかこの2か月後に急逝してしまうとは。本当に残念でならない。合掌。
12月には、恒例のFIFAクラブワールドカップを横浜国際総合競技場で観た。日本では、3年ぶりの大会だが、ぼく自身は、2年前にアブダビで3位決定戦と決勝戦を観ているので2年ぶりのクラブワールドカップである。今年の大会では、2年前にも優勝したFCバルセロナが、さらに精度を高めたパフォーマンスを存分に披露した。決勝戦では、南米代表のサントスを圧倒し、横浜国際総合競技場を埋め尽くした観客を魅了し、再びカップを手にした。トヨタカップ以来約30年間、クラブ世界一決定戦を観続けてきたが、これほど完ぺきなサッカーを観たのは初めてだと思う。その分、勝負への興味は試合開始早々に失せてしまったが…。
こう振り返ってみると、ぼくにとっての2011年のサッカーは、なでしこジャパンのW杯優勝、FCバルセロナの完ぺきなサッカー、そして松田直樹の勇姿、の3つの記憶として残ることだろう。
サッカーのほかにも書き残すべきことはたくさんあるはずだが、このぐらいにしておき、2011年の終わりを迎えるとする。
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