人はどのように死ぬのか。
人の死をみとったのは、3度しかない。
初めてのことは、今も忘れることができない。
私に話をしていた人物が、目の前で突然「ウッ」と低い声を上げ、頭を両手で押さえて椅子に倒れ込んだ。意識不明のまま病院に運ばれ、18時間後、その方は他界した。
以来、人はあっけなく死んでしまうと信じていた。
それから20数年後、父と母が相次いで亡くなった。医師から父は余命半年、母は余命3ヶ月と告げられた。ともにガンだった。
余命半年の父、余命3ヶ月の母は医師の宣告通りだったが、二人ともその前半は意識があり、会話もでき、自分で決断できた。だが、父は3ヶ月後くらいから、母1ヶ月半後くらいから、意識がなくなり始め、会話もできず、目も開けなかった。
生きていると確認できたのは、ガンの痛みで「痛い」とうめくときだけ。以後、死期が近づくにつれ、痛みにも反応しなくなっていった。
死はゆっくりと、じわじわと来ることを知った。
それだけに、作家・吉村昭氏が、自ら点滴の管引き抜き亡くなったという記事は衝撃だった。だが、吉村氏がこれまで書き表してきた作品に通底する、吉村氏自身の意志を見せられた感じだ。
声が大きいだけ、押しが強いだけ、態度がでかいだけ、権力にすり寄るのがうまいだけ、名声やカネだけが目当てだけ、そんな無数の作家連中がはびこる中、文字だけで強靱な意志を表していた吉村氏の作品は、読むたびにズシリと重みを感じる。
残念なのは、これから吉村氏の新しい作品が読めないこと。さらには、氏の奥深い考えに接することができないことだ。
人の死をみとったのは、3度しかない。
初めてのことは、今も忘れることができない。
私に話をしていた人物が、目の前で突然「ウッ」と低い声を上げ、頭を両手で押さえて椅子に倒れ込んだ。意識不明のまま病院に運ばれ、18時間後、その方は他界した。
以来、人はあっけなく死んでしまうと信じていた。
それから20数年後、父と母が相次いで亡くなった。医師から父は余命半年、母は余命3ヶ月と告げられた。ともにガンだった。
余命半年の父、余命3ヶ月の母は医師の宣告通りだったが、二人ともその前半は意識があり、会話もでき、自分で決断できた。だが、父は3ヶ月後くらいから、母1ヶ月半後くらいから、意識がなくなり始め、会話もできず、目も開けなかった。
生きていると確認できたのは、ガンの痛みで「痛い」とうめくときだけ。以後、死期が近づくにつれ、痛みにも反応しなくなっていった。
死はゆっくりと、じわじわと来ることを知った。
それだけに、作家・吉村昭氏が、自ら点滴の管引き抜き亡くなったという記事は衝撃だった。だが、吉村氏がこれまで書き表してきた作品に通底する、吉村氏自身の意志を見せられた感じだ。
声が大きいだけ、押しが強いだけ、態度がでかいだけ、権力にすり寄るのがうまいだけ、名声やカネだけが目当てだけ、そんな無数の作家連中がはびこる中、文字だけで強靱な意志を表していた吉村氏の作品は、読むたびにズシリと重みを感じる。
残念なのは、これから吉村氏の新しい作品が読めないこと。さらには、氏の奥深い考えに接することができないことだ。
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