『斬(ざん)』

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前記事の打ち上げ花火の花火について

2006年02月23日 | ブログの話
ネットのバーチャルは打ち上げ花火の切なさ』に言及頂いた、『明日は明日の風が吹く - ネットのバーチャルは打ち上げ花火の切なさ [『斬(ざん)』]』について、コメントだと少し長くなりそうなので、も少し補足というか考えを記事にしました。

 ネットがバーチャルな立場の場合ってのは、ある意味卑怯な部分はあるんですよ。リアルと切り離してるからリセットがきくという部分では。しかしね、オレはリセットがきくからこそ、リアルよりも自由度にもっと縛りを入れる必要があるとも思ってます。つまり、信用度でいえばリアル実名の方が一般的には高いのですよ。だからこそ、信用を得るためには、リアルの方々よりもより努力が必要なんです。この辺りは、オレ個人のスタンスですが。だから、相手を特定できるがゆえに信用されやすいリアルよりもバーチャルの方が、その辺りをいいかげんに考えられないんです。もともとの信用なんて何も無いのですから。
 花火じゃなくても、地道なのんびりとした付き合いもきっとあると思う。ネットだけだと、いつ突然に切れてしまうか分からないという事はあるのだけれど。その寂しさと儚さを持ちつつも、それでも細く長く繋がっていけるという特性もネットにはきっとある筈だ。
 花火という表現がかなり誤解を招いたようです。件の記事を読んで花火をどう捉えるかは、あえて曖昧にした部分は確かにあります。オレの考える花火と違っても、思考の広がりを考えてるので、こーゆーふーに取られたかと感心しました。

 オレの考える花火をどう考えてるかを書くのは、ちとナンセンスだけれど、書いた立場として表明しておきますね。

 該当記事に書いた花火ってのは、ネットでの全てのアクションです。仮名ハンドルネームで、記事を書く、コメントする、トラックバックする、タグを付ける、ブックマークする等々ネット上でのコミュニケーションを含んだ全ての特定個人の表現行為を、花火と考えています。

 そして、儚きゆえに、リアルよりもある種濃いコミュニケーションがはかれるんだと思うんです。これは以前から言ってるので、常連読者にはうんざりかもしれませんが、世間体やシガラミ(柵)が無いからこそ、本音を存分に書けるんですよ。それがネットの貴重な部分であり最大の魅力だと思ってますから。


[TB:明日は明日の風が吹く - ネットのバーチャルは打ち上げ花火の切なさ [『斬(ざん)』]]