このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です
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大鳥神社① hpより
景行天皇の御代、当所に国常立尊を祀った社やしろがありました。日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定されました。この東夷平定の折、当社(大鳥神社)に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らん事をお願いされたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治って、再び剣を持って働く事ができるようになったので、当社を盲神めくらがみと称え、手近に持って居られた十握剣とつかのつるぎを当社に献って神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣と申し、当社の神宝となっております。
当社の社伝によると、「尊の霊みたまが当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神とりみょうじんとして祀る」とあり、大同元年には、社殿が造営されました。当社の社紋が鳳凰ほうおうの紋を用いているのはこのためです。
また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つにかぞえられております。
目黒大鳥神社の酉の市
酉の市は毎年11月のとりの日に行われる市のことであり、とりの日とは暦の中で十二支のとりの日のことです。「酉の市とは、現在は稲荷神社などでも行われている例もありますが、本来は、大鳥神社で行われる特殊行事です。」是非、ご参拝いただき、大神様の御神徳をお受けください。
当社の酉の市の起源はとても古く、浅草の酉の市と並ぶ、江戸時代に始まります。神事では、御神前に「八つ頭の芋」と「熊手」をたてまつります。「八つ頭」は日本武尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したものです。「熊手」は尊が焼津で焼討ちの御難に遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器でもあった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火むかえびをもって賊を平らげ、九死に一生を得た事を偲び奉るためのものです。ここから、古来より、「頭の芋」とも呼ばれる「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき、「熊手」は家の内に宝を掃き込むとか掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めました。
また、「熊手」をもって火を防いだという御由緒から、火難除けの神様と伝えられ、現在も江戸消防記念会が酉の市に参拝祈願をされております。
更に、大鳥神社の社名「おおとり」は、「大取」に通ずる為、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人達の信仰を集めております。
20191009 東京南西 塚・碑
東京都目黒区下目黒
大鳥神社 櫛塚
大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の鎮守。11月に行われる酉の市でも知られる。 言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に当社に立ち寄って祈願した。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古である。 江戸図における最古のものとされている室町時代の長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれていないため、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。また江戸名所図会では「大鳥大明神社」として描かれている。
20160923 東京南西 像・碑
東京都目黒区下目黒
大鳥神社
大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の鎮守。11月に行われる酉の市でも知られる。
言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に当社に立ち寄って祈願した。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古である。
江戸図における最古のものとされている室町時代の長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれていないため、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。また江戸名所図会では「大鳥大明神社」として描かれている。
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