中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南東部-120」  浅草橋近辺

2015-10-31 06:25:39 | 東京 南東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150414  東京南東・史跡(碑)
東京都 台東区 柳橋            
        浅草橋近辺
        神田川源流付近⑤
 神田川(かんだがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。フォークグループかぐや姫の楽曲(神田川)になっていることでも有名である。
 東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km²と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。
  神田川の元の名前は「平川」といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し、現在の丸の内・日比谷に入り込んでいた日比谷入江に注ぎ込む川であった。当時はこの平川が豊嶋郡と荏原郡の境界となっていた。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散策 「東京南東部-119」  新道問屋街(問屋道) 

2015-10-30 02:56:23 | 東京 南東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150414  東京南東
東京都中央区横山町・馬喰町
新道問屋街(問屋道)
   新道通りは、横山町と馬喰町の境にある通りで、溝に板が張られて、その上を通行したので、「板新道」と呼ばれていました。その後、明治40年頃、馬喰町の田島屋玩具店から出火して、板が燃え移ったこともあり、溝板に代えて、石や鉄で溝を蓋うことにし、「石新道」や「鉄新道」と呼ばれるようになりました。
東京大震災後は、区画整理の中で道幅も広がり舗装道路ができて、呼称も今の「新道通り」となり、の問屋街としての発展に合わせて賑やかになりました。
昭和の大不況時には、掛け売り代金を期日に支払えない小売店の増加を受けて、「現金安売り問屋」を看板に掲げる問屋が多くなり、町の性格が大きく変化しました。  

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散策 「東京南東部-118」   初音森神社 

2015-10-29 06:38:48 | 東京 南東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150414  東京南東
東京都中央区東日本橋
        初音森神社
  初音森神社摂社は、墨田区千歳にある初音森神社の摂社です。初音森神社は、元弘年間(1330年頃)に創建、文明年間(1469-1487)には太田道灌により社殿が建立されたと伝えられ、当地周辺の産土神として崇敬を集めたといいます。天文20年(1551)社前に馬場が出来、初午祭には馬追いの催し等が行わていましたが、江戸の拡張・明暦の大火に伴い、別当寺の西光寺と共に墨田区千歳に遷座しました。昭和23年に、旧蹟地である当地へ初音森神社摂社を創建しています。「猫のあしあと」より引用
 かつて当地付近には『初音の森』と呼ばれた森があり、うぐいすの鳴く里だったらしい。
祭神:豊受比売命(宇迦之御魂神うがのみたまのかみ) 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 散策 「東京中心部南 176」  出雲大社東京別祠 

2015-10-28 03:56:31 | 東京中心 南

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150414 東京南
東京都港区六本木
出雲大社東京別祠
  ここ六本木の出雲大社東京分祠は出雲大社の御祭神大国主大神の御分霊を奉斎する都内唯一の分祠であり、東部の要として、第八十代国造、出雲大社教初代管長の千家尊福公によって明治の初期に創設されました。出雲大社の御祭神、大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ) は縁結びの神として、広く知られておりますが、縁結びとは単に男女の縁を結ぶということだけではありません。私どもが立派に成長しますように、社会が明るく楽しいものであるようにとお互いの幸福のためのすばらしい縁がむすばれるということなのです。
 ダイコクさま、福の神として親しまれている大国主大神さまが、多くの方々から広く深い信仰を受けておられるのもこの「むすび」という愛情を私どもに限りなくそそいでくださるからです。
 当分祠では皆様方が、ダイコクさまの幸せのご縁をいただかれて、明るく安らかに過ごすことが出来ますよう、日々お祈りいたしております。hpより

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散策 「東京南東部-117」  十思公園  

2015-10-27 05:58:46 | 東京 南東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150414  東京南東・碑・史跡
東京都中央区日本橋小伝馬町
          十思公園 
  伝馬町牢屋敷跡につくられた公園。園内には、銅鐘石町時の鐘(どうしょうこくちょうときのかね)・伝馬町牢屋敷跡・杵屋勝三郎歴代記念碑・吉田松陰終焉の地碑など、歴史を物語る史跡が豊富に残されている。石町時の鐘
 江戸市民に親しまれた時報鐘のひとつ。現在の日本橋室町4丁目付近にあった。近くにオランダ人の定宿、長崎屋があったため、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」とうたいはやされた。高さ1.7m、口径93cmの和鐘である。
吉田松陰終焉の地
 兵学、洋学に通じた幕末の長州藩士・吉田松陰は、幕府の条約調印に関して閣老間部詮勝の襲撃を謀ったとして捕らえられ、安政6年(1859)伝馬町牢屋敷で処刑された。松陰直筆の辞世の歌が刻まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする