このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。 コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。
現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。
参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ
牛天神北野神社
願いが叶う「撫で岩(ねがい牛)」発祥の神社
鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩(境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。
ご祭神
学問の神様として有名な天神様「菅原道真」公をお祀りしています。
牛天神北野神社「黒牛」の由来
当社は一一八四年(元暦元年)源頼朝により創建されました。
牛に乗った菅原道真公の御神託により牛を守護神として讃え牛天神社として八百三十二年の間、此の地をお護りしてまいりました。以来、様々な時代の様々な人々に護られて今日に至っております。
黒牛は道真公の守護神として多くの天神社に祀られています。
御朱印に押印する黒牛は当神社のシンボルであります願い牛をモチーフにしたものです。
北野神社(きたのじんじゃ)牛天神
縁起によると、源頼朝が1184年東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待つ間、夢に菅神(道真)が牛に乗って現れ二つの吉事があると告げた。
武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。
その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができ、ここに社殿を造営した。
また、境内の太田神社は、かつて貧乏神といわれる黒闇天女を祀っていた。
小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、
「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。
赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける。」
とあり、その通りにすると万事よいことづくめで豊かになった。
旗本は神像を彫り牛天神に納めたと伝わる。
【所在地】文京区春日1‐5‐2[地図]
【お問い合わせ先】03‐3812‐1862
【交通のご案内】
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東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園」駅より徒歩10分
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都営地下鉄三田線・大江戸線「春日」駅より徒歩10分
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JR中央線・東京メトロ東西線・有楽町線・都営地下鉄大江戸線「飯田橋」駅より徒歩10分
※文京区コミュニティバス「Bーぐる(目白台・小日向ルート)」をご利用の場合、「3番:後楽二丁目」が便利です。
20181113 東京北 紅葉・菊・像
東京都文京区春日 黒牛
牛天神北野神社
鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩(境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。 牛天神北野神社「黒牛」の由来 当社は一一八四年(元暦げんりゃく元年)源頼朝により創建されました。 牛に乗った菅原道真公の御神託により牛を守護神として讃え牛天神社として八百三十二年の間、此の地をお護りしてまいりました。以来、様々な時代の様々な人々に護られて今日に至っております。 黒牛は道真公の守護神として多くの天神社に祀られています。 御朱印に押印する黒牛は当神社のシンボルであります願い牛をモチーフにしたものです。
第27回(59)水道橋から後楽園界隈・江戸川橋(神楽坂界隈)を楽しむ旅 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART10 熊谷カルチャー
和らく 季節のランチ 第50回水道橋から後楽園界隈・江戸川橋(神楽坂界隈)を楽しむ旅 古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り⑰」
20161213 東京北 紅葉
東京都文京区小日向
水道 印刷博物館
印刷博物館(いんさつはくぶつかん)は、東京都文京区水道トッパン小石川ビルにある印刷に関する博物館である。2000年に凸版印刷が100周年記念事業の一環で設立し、印刷文化に関わる資料の蒐集や研究活動、活版印刷などの印刷を実体験するなどの実践・啓蒙活動を行っている。館長は樺山紘一。
ミュージアムショップ、印刷関連図書専門のライブラリー、P&Pギャラリー、研修室(グーテンベルク・ルーム)、VRシアター(土日・土日に続く休日のみ)を併設している。
2002年に日本展示学会(会長:端信行)学会賞の作品賞を受賞している。
20161213 東京北 紅葉・ツワブキ
東京都文京区小日向
小石川後楽園③
小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じである。
7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。