中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南西部-571」 富岡八幡宮(深川七福神)

2022-04-22 07:05:39 | 東京 南西部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

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富岡八幡宮(深川七福神)
  深川と言えば,どうしても「不動尊」。影は薄いが,地元に愛され御利益があるとされているのが子の神社である。不動の参拝路から少し外れた場所に位置している。簡素で気持ちの良い下町の信者である。 
富岡八幡宮  伊能忠敬像 鳥居近くに
 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

 

深川不動尊(成田山)
  「門前仲町」という駅名でも解るように,このあたりは深川不動尊の門前町として栄えてきた。当然地元の人々が生活と共に築いてきた待ちである。その中心に不動尊はある。規模もなかなかの物であり,現在でも施設の充実を図っている。
深川めし  江戸の「めし」と言えば,『目黒のサンマ』『深川めし』が思い出される。当然うまい飯があることが条件であるが,庶民が愛したアサリ飯は,江戸時代地元でとれた素材をどの家庭でも味割っていた事には代わりはない。

江東区にある深川不動尊は、江戸時代中期の町人文化の繁栄とともに誕生しました。成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まるなか、元禄16年(1703)、ついにご本尊の出張開帳が実現しました。この開帳の場所が現在の深川不動堂付近(当時は深川永代寺)だったのです。明治時代になり、神仏分離令によって永代寺は廃寺となり明治2年、深川不動堂の名称が認められ明治14年に本堂が完成しました。その本堂は関東大震災と太平洋戦争によって二度、焼失。明治26年、当時千葉県印旛郡のほとりに建っていた龍腹寺を深川に移築して本堂が復興。「宝蔵大日堂」や「四国八十八ヶ所巡拝所」のある「内仏殿」も無料で参拝できますので、ぜひ建物の内部にも入ってみましょう。また、深川不動尊では節分や花祭り、龍神例大祭など年間を通じてさまざまな行事が行われています。

 

 

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