中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京中心部・北」  その200  金勝寺

2015-12-31 06:41:08 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20150503 東京北・史跡・ツツジ
東京都新宿区船町
              金勝寺
山県大貮(やまがただいに)の墓
新宿区指定史跡
  所在地 新宿区舟町11番地(全勝寺)
  指定年月日 昭和59年11月2日
  山形大貮(1725~1767)は、江戸時代中期の兵学者・尊王論者として著名な人物である。甲斐国(現在の山梨県)竜王の篠原で生まれ、名を昌貞、字を公勝、号を柳荘、洞斎と称した。初めは医者となったが、漢学を学び。宝暦6年(1756)江戸へ出て家塾を開き、国学・兵学を教え、多くの門下生がいた。宝暦8年(1758)「柳子新論」を著し、尊王論と幕政批判を説き、明和3年(1766)捕えられ、翌年没した。門下生に吉田松陰などが出て。後に尊王論者の師と仰がれ、高く評価されるようになった。墓は、初め全徳寺にあったが廃寺となり、全勝寺に移された。

 

 

 

 

五反田で平日仕事、おいしいい寿司屋「大漁」で久々のランチにぎりを食べてみた。

...新宿でおもしろい寿司屋を発見。sushi bar「にぎりて」でランチ。なかなかおいしい。...五反田ではしご酒③ かね将でのんびり飲むが混雑。道路(歩道・敷地内)にテーブルを出してくれた。...西新宿でも、できたての(20140122)一軒...
中年夫婦の外食 2015/12/29 05:32:00

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散策 「東京中心部・北」  その199  金丸稲荷神社

2015-12-30 05:57:44 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20150503 東京北
東京都新宿区荒木町
      金丸稲荷神社
  商売繁盛の神様。石の囲いには寄進の証として、かつてこの地にあった料亭の名が刻まれています。角のひと際大きな石には、荒木町一ともいわれた割烹「奈る駒」の文字も。かつての花街の名残が、そっと息づいています。
 この屋敷には滝を伴った大きな池があった。この池で徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策(ムチ)を洗ったことから「策の池」と呼ばれた。明治時代には屋敷が退き池や庭園が一般にも知られるようになり、荒木町一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う風情ある花街となった。町域内には今でも車力門通りや杉大門通りの通り沿いや路地裏などに各種飲食店が散見でされ、かつての花街の風情を残した部分を見ることができる。また「策の池」も規模はかなり縮小したが、現在でも津の守弁財天のところに残っている。昭和30年代の雰囲気を色濃く残した町として訪れる人は多い。

 

 

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散策 「東京中心部・北」  その198 安養寺 

2015-12-29 05:59:16 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

 

20150503 東京北・ツツジ
東京都新宿区住吉町
住吉町商工会
              安養寺
安養寺坂あんようじざか
『新撰東京名所図会』に「安養寺坂は念仏坂の少しく北の方を西に大久保余丁町に上る坂路をいふ。傍に安養寺あるに因れる。」とある。安養寺は浄土宗知恩院末の寺院で、もと市谷左内町富士見坂のあたりにあった。そこが明暦2年(1656)、尾張藩上屋敷 となるため現在地に移ったという。 平成17年(2005)2月 新宿区教育委員会  (「東京都新宿区の歴史 安養寺坂」より)] 
  高齢者が気軽に立ち寄れる近所のお店としても、地域のコミュニティの核として必要とされています。
これからも、地元に必要とされ、愛される商店街として、皆様とともに活動していきたいと願っています

 

 

 

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散策 「東京南西部-216」  

2015-12-28 04:47:34 | 東京 南西部

このブログは 「私の花散策」の続編です。

 

20150426  東京南西・像
東京都目黒区下目黒
            松雲羅漢
 天恩山五百羅漢寺の開基松雲禅師は、元禄年中、5代将軍綱吉公の生母桂昌院をはじめ江戸中の人びとから寄せられた浄財をもとに536体の羅漢像を彫刻し、本所五ッ目に五百羅漢寺を築いた傑僧である。明治42年、下目黒に移転してきたのち寺は荒廃の一途を辿っていたが、多くのかたがたのご協力により、昭和56年、由緒もある五百羅漢寺を再建することができた。この再興を記念し、彫刻家佐山道知氏に制作依頼して松雲禅師像を建立し、これを松雲羅漢と名づけて禅師の徳を讃えるものである。
  五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)は東京都目黒区下目黒にある寺院。宗派はかつて黄檗宗だったが現在は浄土宗系の単立。山号は天恩山。開基は松雲元慶、開山は鉄眼道光、本尊は釈迦如来。
300体以上の羅漢像を祀っている(当初は536体あった)。当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)に在り、徳川綱吉や吉宗が支援したが、埋め立て地にあったためか度々洪水に見舞われて衰退し、明治時代に目黒の現在地に移転した。なお、法人としての名称は「宗教法人羅漢寺」であるが、境内の寺名表示、公式サイトやパンフレット等での表記は「五百羅漢寺」となっているので本項では「五百羅漢寺」の表記を用いる。

 

 

 

五反田でやっと入れた鮨屋 「芳寿司」。平日しかやっていない今日は水曜日、あいていた。

...目黒川沿いにある老舗寿司屋。雰囲気もなかなか良い。店頭にもランチメニューの看板煮も900円と1100円のにぎりが紹介されていた。やはり平日は、ランチをして居るらしい。入ってみれば店内は入り口がカウンター、親方がどんと構えていた。期待通りの雰...
中年夫婦の外食 2015/12/02 07:31:00

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散策 「東京中心部・北」  その197  新宿御苑③

2015-12-27 04:59:18 | 東京中心 北

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20150919  東京北
東京都新宿区内藤町
        新宿御苑③
  江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年のことです(詳しい歴史についてはこちら)。皇室の庭園として造られましたが、戦後、国民公園となり、多くの方に親しまれてきました。広さ58.3ha、周囲3.5kmの庭園には、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園などがあります。また、数少ないわが国の風景式庭園の名作とされています。.
  もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。 1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。2006年(平成18年)に、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。開園100周年事業の一環として、絶滅が危惧されている植物の保護センターを設置することが計画されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

その他 ヤブラン その1  新宿御苑②

須々木 その1  新宿御苑

 
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