中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南西部-552」 用賀プロムナード

2022-04-02 05:48:50 | 東京 南西部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

用賀プロムナード①    東京都世田谷区用賀4-4~上用賀5-5

 用賀駅北口から砧公園、世田谷美術館まで続いている遊歩道です。敷き詰められた様々なデザインの淡路瓦には、百人一首の和歌が刻まれており「いらか道」の愛称もあります。木々のざわめきを聴きながら傍らのベンチでくつろげば、街の異なる一面が味わえるかもしれません。

 

「用賀プロムナード(いらかみち)」 ー 駅から美術館へと続く道の可能性 ー

古川 秀子  http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/2705/

1. はじめに
東急田園都市線用賀駅から世田谷美術館までのアプローチとして用賀プロムナードがある。いらか(瓦)を取り入れた造形が並ぶ道であり、地域住民からは「いらかみち」と呼ばれている。この道は四季折々の花や木が美しく彩どり、楽しく歩いているうちに美術館へ到着するものである。筆者にとっては、子どもと水遊びし、幼稚園の送迎する際には、子どもと路面の百人一首の和歌を読み上げた思い出の道でもある。この道を調査し、今後の展望と共に報告する。

2. 用賀プロムナードとは
2-1 基本データ
用賀プロムナードは、東京都世田谷区用賀四丁目、上用賀五丁目に位置する。距離は約1.6kmである。1979年に世田谷基本計画「生活と文化の軸」をつくるプロムナードの一つとして提案が起こり、設計は象設計集団(註1)が手掛け、1986年3月に完成となった。その後、2002年には第1回地域風景資産に選定にされた(註2)。
2-2 特徴
用賀駅から世田谷美術館までの道を「歩く・感じる・楽しむ・憩う」といった、歩く人の快適さを重視した道である。自由で五感に訴える空間にあえて歩道はつくらず、車と人が程良い距離を保ち、行き交うこととなっている。道の舗装材には淡路島産の「瓦」が使用されている。ベンチや街灯、オブジェ、樹銘板、縁石など様々な構造物にも使用され、“いらかみち”の名前の由来となっている。瓦 の持つ柔らかい質感、味わい豊かな表情、銀色の光沢を放つさまざまな造形を楽しむことができるのである(註3)。
さらに路面に「百人一首の和歌」を彫った瓦を敷きつめられている(写真参照)。完成当初は同じ字体で整備したが、劣化等による文字の部分補修の際に、近隣の小学生 に和歌の文字を書く協力を得て、路面の瓦に彫られた。それらが、いろいろな字体となってい るため、面白みとあたたかさを演出している。歩道のデザインには流れを取り入れているが、これは以前からあった水路、谷沢川上のイメージを表現している、そして、夏には道路に水を流し、涼感を演出しており、これは区内でも初めての試みとなっている。
用賀プロムナードが完成後の1993年に、用賀駅周辺が再開発され「世田谷ビジネススクエ ア」が建設された。この建物にも、瓦のような燻した素材がベースとして大量に使われている 。そして、用賀駅一体を統一化したデザインと色でまとめられることとなった。つまり用賀という地域にとって「瓦」が一つのアイコンとして認められたと考えられる(註4)。

3. 地域との関わり方
「地域の財産」として、用賀プロムナードを活用したイベントを行っている。イベントには子供に参加してもらうプログラムが見られる。7月には「用賀サマーステージ」が行われ、この道沿いにさりげなく大山灯篭が灯る。大山灯篭はかつて夜通し歩 いて大山詣をする人たちのために灯されていた。その歴史を伝えるために、大山道沿道の地域の小学校の生徒たちが、ダン ボールなどを利用し大山灯篭をつくり、イベントの際に灯している。8月のお盆過ぎには、用賀町会主催で「納涼夕べ」が開催しれ、灯篭流しやどじょうすくいなどが行われれている。用賀プロムナードをベースに「子供と水と地域の歴史」をつなげる取り組みが行われていると言えよう。

4. 同様の事例 「サザエさん通りについて」
田園都市線桜新町駅から長谷川町子美術館へと続く「サザエさん通り」(400m)である。 1985年11月3日 長谷川町子美術館として開館。開館後、美術館への道をサザエさん通りと名付けるために、長谷川町子美術館に承認要請をする。そして、1987年7月25日に要請が承認 され、美術館への道をサザエさん通りと命名されたのである(註5)。それから、商店街のいたるとこ ろに、サザエさん一家の看板が飾られた。世田谷区のショッピングプロムナード整備事業のモデル商店街として、地元の要望(桜新町の象徴である八重桜並木を生かし、都会的な住宅地の 商店街に相応した落ち着いた街並み)を取り入れた基本構想、基本計画に基づき、道路修景事業を実施し、2004年に完成した。車止め、地上器、装飾灯に、絵タイルやシートとして「サザエさん」 一家のキャラクターを使用している(註6.7)。
用賀プロムナードとサザエさん通り、この二つの道の違いは、「テーマのストレートさ」ではないだろうか。サザエさんというテーマ は親しみやすく、「サザエさん一家」と言われると、キャラクターの顔をすぐに思い浮かべる方も多いだろう。一 方、用賀プロムナードは、地域の住民には親しみやすさはあるものの、全国的に認知度は低いのでないだろうか。

5.今後の展望 「用賀新楽懐道十景を考える」
先に述べた用賀プロムナード親しみやすさについて、以下のような提案をしたい。用賀プロムナード内の素晴らしい景色を「用賀新楽懐道十景」と選定し、訪れた人が美術館への道を歩みながら、十の景色を眺める仕組みを作ってみたい。❶用賀駅ステーションアリーナ→❷無量寺→❸タヌキの水のみ→❹植木の鉢の石に百人一首の和歌→❺王さまと女王さまのイス(❶から❺用賀新楽懐道十景NO.1 写真参照に解説)→❻鬼瓦ベンチ→❼マンドリンを弾く少女→⑧砧パークブリッジ→⑨風景の門→⑩世田谷美術館と清掃工場の煙突(❻から⑩用賀新楽懐道十景NO.2 写真参照に解説)
用賀プロムナード、いからみちと言う言葉だけではイメージの伝わらりづらさがある。十景といったタイトルをつけることで、「素晴らしいもの、価値あるものが集合している場所」と認知してもらうことが出来るのではないだろうか。
また、用賀プロムナードは、地域からも愛される地元の道としても定着し、美術館 への道と謳いながら、環状八号線を出たところで用賀プロムナードは終わっている。(用賀新楽懐道十景では、❸から❼までが用賀プロムナード内の景色)直接、世田谷美術館までいらか道でつながる形での整備はできなかった。したがって、用賀プロムナードの世界観をそのまま、世田谷美術館への道として、つなげられなかったのである。可能ならば、「用賀新楽懐道十景」のサインを充実させ、美術館までの道のりに新たな楽しみ方を提示したい。
この十景の中で筆者が印象的だと考える「マンドリンを弾く少女」(用賀新楽懐道十景❼)について述べる。用賀プロムナードのほとんどのオブジェが瓦か玉砂利でできているが、この像だけは石の素材でできており、ほかには美術品の像がないため、違和感を感じていた。世田谷区に問い合わせると、整備時期に行われていた、世田谷美術館の屋外彫刻展で展示されていた作品からの寄贈であるとのことである。作者を調べるため、世田谷美術館へ確認すると屋外彫刻展で展示されていた作品ではないという回答であった。砧公園は、以前(1955年)東京都砧ゴルフ場であった。その時のクラブハウス付近にこの像が設置してあったのではないかということであった。1966年に砧公園として一般に公開され、1986年に世田谷美術館が開館した。世田谷美術館のレストラン付近にこの像があり、整備の際に用賀プロムナードに移設された可能性が高いことが明らかとなった(註8)。
また、像の周辺では、春には梅や桜が咲き、夏には青紅葉、秋には紅葉となり、冬には雪景色と四季折々の風景を楽しませてくれる。効果的な配置を考えて植栽された樹々も、長い年月を通して立派な樹木となっている。路地を曲がると、隣の畑で収穫した梅や野菜が売っていることもあり、何回通っても新たな発見をし、楽しく歩くことができるのである(註9)
今回の十景を考える調査は、 未来に残していくための手段であったが、結果的には時代の変化と共に埋もれてしまう価値や経緯を整理していくことが、未来に繋げる近道であるのではないかという考えに至った。

6.おわりに
筆者は外国の方に、用賀プロムナードの百人一首の和歌や四季折々の草木を説明し、砧公園で 竹林を観察して、墨で竹の絵を描くことを教える活動をしている(註10)。世田谷美術館の先にある世田谷区立大蔵第二運動場は、2020年東京オリンピック・パラ リンピックのアメリカビレッジとして、選手のトレーニング施設の誘致が決定している(註11)。
用賀 プロムナード(いらかみち)は、デザイン性に優れ、懐かしさに溢れ、日本らしさを感じさせてくれる道であることを、 外国の方たちにもっとアピールしたいと考え、これからもこの活動を続けていきたい。

 

 

 

20180416 東京南西 東京都世田谷区用賀 用賀プロムナード(いらかみち)   地名の由来として、この地にある眞福寺の山号瑜伽山(ゆがさん)の「瑜伽」が「用賀」に転じたとする都市伝説がある。  江戸時代以前は、大山街道の宿場町、眞福寺の門前町として、規模の大きなものではなかったが、栄えていた。新編武蔵国風土記によれば、永禄・元亀年間に後北条氏の家臣飯田帯刀とその息子飯田図書によって開発された。   用賀駅と砧公園・世田谷美術館を繋ぐ遊歩道である、用賀プロムナードがある。道に敷き詰められている瓦に百人一首が刻まれている。いらか道との愛称でも呼ばれ、遊歩道の多くは木々で覆われている。その環境の良さからドラマ撮影などに使われる。石畳に川の模様が彫ってある。  

 

 

 

 

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20180416 東京南西 藤・シャガ

東京都世田谷区用賀

用賀プロムナード いらか道市民緑地

   もとは樹木畑であった上用賀五丁目いらか道市民緑地には、モクレンやサルスベリ、ツツジなどの花木やミカン、キンカン、カキといった果樹などさまざまな庭木が植えられています。その特徴を活かし、花や果実、紅葉など四季を楽しむことのできる緑地を目指して活動しています。   環状八号線を挟んで砧公園の対面に位置します。 用賀駅から砧公園、世田谷美術館まで続く用賀プロムナード(愛称:いらか道)沿いでもあることから、「いらか道市民緑地」と名付けられました。 現在はカエデ、マキ、ツバキ、サルスベリ、ツツジなど庭木として馴染みの深い樹木が数多く育てられています。これら暮らしに身近な樹木を生かし、花や緑陰、紅葉や木漏れ日など、四季を感じられる緑地です。

 

 

 

 

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