中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)92 「東京中心部南 576」 SOU SOU 青山店

2021-04-12 05:02:38 | 東京中心 南

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

SOU SOU 青山店

店舗でお会計時に、以下に掲載している「今日の合言葉」を
言って頂くと、1ポイント差し上げます。(1日に1ポイントのみの進呈です)
毎日変わりますので、ご注意ください。
尚、これは店舗のみのサービスとさせて頂きます。
あしからず御了承願います。

今日の合言葉は 「ラ・メゾン・デュ・ショコラ×SOU・SOU」

 

 

第49回 東京駅界隈で久々のランチ、コロナを飛ばしてみましょう  老舗・有名店を巡るランチ散歩 part10 ネットでカルチャー齋藤

第2回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 令和2年2月27日(木)「43」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 記録

イルピノーロ 青山 第2回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 令和2年2月27日(木)「43」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 記録

 

20200227 東京南 
東京都新宿区霞ヶ丘町
        SOU・SOU KYOTO 青山店
カルチャーセンター「建築散策と東京散策」第4木曜日実施
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑮」
第2回オリンピック施設と外苑、
                      南青山を楽しむたび「43」
10時30分信濃町駅改札出口 15時表参道・渋谷
イルピノーロ 青山  
信濃町駅-民音音楽博物館- 聖徳記念絵画館-国立競技場-東京体育館-明治神宮外苑-伊藤忠青山アートスクエア-[昼]-長青山 寶樹寺 梅窓院-サニーヒルズ南青山-齋藤茂吉歌碑-根津美術館
SOU・SOU KYOTO 青山店    
洋服が日本に入ってくるまでは着物は「着るモノ」としての意味しかありませんでした。又、明治以降、着物に「着付け」が登場してからは着物が日常から遠のいていきました。SOU・SOU着衣では自由で楽しい新ジャンルの和装をご提案します。
「傾く(かぶく)」為の紳士和服。室町時代、他と違った身なりの人や、自由奔放にふるまう人のことを「傾いた人」、又は「傾き者」と呼んだそうです。(後に「歌舞伎」という言葉が京都で生まれる)SOU・SOU傾衣(けいい)は現代の傾き者のための衣装を提案します。店のhpより   

 

 

 

 

日本オリンピックミュージアム 第2回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 令和2年2月27日(木)「43」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 記録

新国立競技場 第2回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 令和2年2月27日(木)「43」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 記録

建国記念文庫 第2回 オリンピック施設と外苑、南青山を楽しむたび 令和2年2月27日(木)「43」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 記録

 

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑱」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑰」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑯」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」

新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑮」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑭」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑬」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 修正

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑫」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 修正

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑪」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑩」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑨」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 第4木曜日実施 

「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑧」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 第4木曜日実施 

カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑦⑧修正20171201」

カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑥修正20171105」

カルチャーセンター「建築散策と東京散策」⑤ 第4木曜日実施 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑤」

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散策(案内)91 「東京中心部南 575」 麹町近辺マップ

2021-04-11 05:44:55 | 東京中心 北

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秋葉原駅周辺

Cool Japanの最先端を行く街・アキハバラ。オタクもメイドもアニメも、そしてAKB48ファンにも、ここが“聖地”だ。街を歩いてみると、平日の日中から人の多さに圧倒される。オタク風の青年やコスプレ女子、外国人観光客に、バリバリのサラリーマンも結構いる。最近では御徒町寄りにアートスポットができ、アーティストが闊歩している。
戦後バラックから始まったといわれる国内最大の電気街、ゲームやフィギュア、アニメの専門店群など、世界に誇るマニアックな街の表情は、今なお抜群の吸引力を誇っている。マニアのニーズに応えるラインナップはまさに「神」。これからも、世界の熱いまなざしを浴び続けることだろう。
さて、そんな秋葉原を少し離れると、落ち着いた街並みが続き、やがて神田明神や湯島聖堂など文化財・史跡名所に辿り着く。なかでも神田明神は、江戸っ子のシンボルかつ総鎮守。
秋葉原と神田明神。実はとても近いので、「神」つながりで一緒に歩いてみよう。

JR秋葉原駅電気街口スタート → 駅前にドーンとそびえる「秋葉原クロスフィールド」でアニメセンターなど見学 → 「3331 Arts Chiyoda」で中学生時代を懐かしみながらアートの最前線に触れる → 明神男坂の急坂を上って江戸っ子の神様「神田明神」にお参り → 江戸の老舗「天野屋」で甘酒を飲んでひと休みしつつ、土産の江戸味噌や芝崎納豆を購入 → 「湯島聖堂」を見学 → 神田明神下交差点を経て、電気街 → 部品屋さんが多い「秋葉原ラジオセンター」などのビルを覗く → JR秋葉原駅中央口ゴール

 

神田駅周辺

「江戸っ子だってねぇ」「神田の生れよ」……とは浪花節、『森の石松三十石舟』に出てくる有名な台詞。神田は昔から職人や町人の街として、行きでいなせな江戸っ子たちが暮らしてきた場所。戦災を免れて今なお残る、戦前の風格ある建築物もポツポツと見える。さて、どこから歩き始めるか?須田町・淡路町一帯は有名老舗が集まる地帯。軽めの食事から鍋もの、デザートまで、何を食べるかでルートを決めるのもいい。一日で全店制覇は難しいが、時代を感じさせる老舗の店構えを見てまわるだけでも、少し江戸っ子気分に。
食後は、そのまま昌平橋に向かって神田川を眺めるのも一興。汚くて臭いといわれた川も随分とキレイになって、癒されるひととき。腹ごなしに、神田の隠れた(?)名物、ビルのアート探しはどうだろう。街の遊び心に、少しにんまり。夢中で歩いていると、いつの間にか日本橋川に出る。橋を渡れば大手町。高層ビルが林立するオフィス街も、実は結構近いのに気づく。終盤は再び神田駅へ。ガード下や西口商店街には味のある名居酒屋が居並ぶ。赤ちょうちんに誘われて「ちょいと一杯」で散歩の締めを。

JR神田駅東口スタート → JRのガード下に居酒屋などが立ち並ぶ「神田ふれあい通り」 → 昔、お玉が池という池があった辺りにある「繁盛お玉稲荷神社」 → 岩本町交差点 → 剣豪・千葉周作の道場「玄武館跡」 → 東京を代表する老舗が軒を連ねる神田須田町界隈で江戸風情を堪能 → 神田川沿いに出れば、昌平橋のたもとにテラス席のあるレストランが → 「近江屋洋菓子店」でひと休み → 「松本家住宅主屋」など古い家屋も残る多町大通りを歩く → 飲食店が多い神田駅西口商店街でちょっと一杯 → JR神田駅西口ゴール

 

 

お茶の水・神保町周辺

江戸時代からの由緒正しき文教地区、御茶ノ水駅一体と駿河台周辺は人呼んで「日本のカルチェ・ラタン」。カルチェ・ラタンとはパリ市内の学生街地区の名称だ。エリアの散策は御茶ノ水駅から。駅ホームからは神田川に架かる聖橋を、駅を出れば美しいニコライ堂を眺めて緩やかに坂を下る。
東京のカルチェ・ラタンは趣味多き街。まずは明大通り沿いの楽器店街へ。冷やかしのはずが誘惑に負けて、何十万円もするビンテージギターを買う……なんてことも。寄り道も大いに結構。途中、明大校舎の間の道を上っていくと山の上のホテルに辿り着く。ロビーで優雅にひと休みも悪くないが、ホテルを右に折れた先のマロニエ通りもなかなか。まるでパリの裏町のよう。
そのまま駿河台下まで出れば、小川町のスポーツ用品店街となる。特に、年間を通じて扱うスノボやスキー用品の品揃えは都内でも随一。靖国通りを神保町駅方向に向かえば、そこは古書店街。明治時代、学生たちが使い終わった教科書を売っていたことから発展したとか。古書店と新書店を含めれば、世界最大規模の本の街になる。良質な喫茶店も多いので、あとは気の向くまま趣味の街を堪能しよう。
JR御茶ノ水駅聖橋口スタート → 美しいアーチ橋の聖橋を後に、「ニコライ堂(東京復活大聖堂)」 → 靖国通り沿いの小川町から駿河台下のスポーツ用品店街で買い物 → 靖国通り沿いの駿河台下から神保町交差点、1本裏手のすずらん通り辺りは神田古書店街。歩き方は「本と街の案内所」で情報収集 → 古書店街から錦華通り付近の「新世界菜館」「avocafe」など食事処でひと休み → 錦華公園横の急坂を上り、文人に愛された「山の上ホテル」 → 男坂を下り錦華通り。カトリック神田教会の美しい佇まいを眺める → JR水道橋駅東口ゴール

 

 

 

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散策(案内)90 「東京中心部南 574」 麹町近辺マップ

2021-04-09 06:20:18 | 東京中心 南

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「紀尾井町」の名の由来をご存じだろうか。江戸時代、この地に紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根藩井伊家が屋敷を構えていたため、その一文字ずつをとって付けられたという。そんなことからわかるように、この界隈は旧大名屋敷街。屋敷の跡地を訪ねつつ、江戸の面影に触れる散歩に出てみよう。
四ツ谷駅にほど近い上智大学。インターナショナルなイメージの大学だが、実は尾張徳川家の中屋敷があった場所。紀尾井坂の向こうは、ホテルニューオータニ。加藤清正の下屋敷から彦根藩井伊家の中屋敷へと引き継がれ、見応えのある日本庭園には清正時代の石灯籠や樹木も残る。向かいのグランドプリンスホテル赤坂は、紀伊徳川家の中屋敷跡。江戸とは関係ないが、敷地内に昭和5年築の旧李王家の屋敷があり、現在ホテルの旧館として使われている。
また、このエリアはアップダウンが激しく坂も多い。その名称にも屋敷の名残りが垣間見られる。諏訪坂は、諏訪氏の屋敷が名の由来。東京でも代表的な坂のひとつで景勝地と知られる三宅坂は、近くにあった田原藩三宅家の上屋敷から。坂と出合ったら、その由来を想像してみるのも楽しいだろう。

JR・地下鉄四ツ谷駅麹町口スタート → 麹町六丁目交差点で55ステーションの角を曲がる → 清水谷公園で大久保利通の哀悼碑を見学 → 弁慶橋を渡り赤坂見附交差点を右手に見ながらグランドプリンスホテル赤坂方面へ → オフィスビルやマンションなどに隠れるように立つ平河天満宮を参拝 → 半蔵門周辺から桜田濠と半蔵濠の眺望を楽しむ → イギリス大使館を回りこみ日本カメラ博物館見学 → ダイヤモンドホテルの金剛飯店でランチを → 地下鉄半蔵門線半蔵門駅3番出口ゴール

 

 

霞が関・永田町の一帯は、国会議事堂が鎮座する国の政治の中心地。官公庁ばかりの街を歩いても楽しめるの?と思われるかもしれないが、心配することなかれ。これがなかなか散歩しがいのある街なのだ。
官庁街のメインストリートとも言うべきは桜田通り。警視庁に総務省、外務省に農林水産省などと官庁舎のオンパレードで、「おお、これがあの○○省か!」とミーハー心もちょっぴりうずく。建物はドカン、ドカンとひとつひとつが大きく通りも広い。おまけに、ビル密集地帯ではないので、意外に空が大きい。ところどころで警備の目が光る物々しさもあったりする。東京の中心で、非日常感とスケール感が味わえるのが面白い。
ただ外から眺めるだけじゃなく見学や体験ができる庁舎・施設も多々ある。国会議事堂や警視庁は事前の申し込みで館内を見学できるし、文部科学省情報ひろばは気軽に入れる展示室やラウンジが、農林水産省では食にこだわった食堂が入館証なしで一般利用できる。緑豊かな憩いの国会前庭には、国会の組織や仕組みを学べる憲政記念館だってある。大人の社会科見学気分で巡ってみたい。

地下鉄永田町駅・赤坂見附駅ベルビー赤坂口スタート → 赤い鳥居がびっしりと並ぶ階段を上って日枝神社へ参拝 → 国会議事堂の裏側に出て参議院側に回り国会議事堂見学。見学後は正門から出るので、そのまま信号を渡り国会前庭へ。見学しない場合は回りこんで国会前庭へ → 桜田濠の絶景を満喫 → レンガ造りの法務省旧本館見学 → 中央官庁街を通り抜け霞が関ビルと霞が関コモンゲートエリアへ → 外堀通りを陸橋で渡ってフリーカフェ播磨屋ステーションで休憩 → 地下鉄銀座線虎ノ門駅3番出口ゴール

 

 

番町・九段

東京に文人が多く暮らした街は数あれど、このエリアほど密集した場所は他にはないかもしれない。かつて明治、大正、昭和の作家や芸術家たちが住み、文化の発信地となっていたという。
その中心というのが、四ツ谷駅から新宿通りを少し行った左手にある、通称、番町文人通り。大妻通りに突き当たるまでの1kmほどの道には、島崎藤村をはじめ、名だたる文人たちの旧居跡がズラリ。藤田嗣治や川喜多半泥子(はんでいし)など芸術家も暮らしたという。主な住民はざっと14人。日本テレビ通りとの交差点には各場所を示す案内プレートも設置されるので、チェックしてみればその豪華なラインナップに驚くはず。それぞれの人物が暮らした年代は違うが、ここで寝起きをし、語り、歩いていたかと思うと、文学ファンならずとも感慨深いものがある。
文学散歩のあとは、外濠のほうへ出てみよう。JRの車窓からも目にできる大きな釣り堀で魚釣りに興じたり、堤の上の外濠公園では視界の開けたのどかな景色を眺めて、の~んびり。靖国神社では緑深く広々とした境内と美しい庭園に心癒される。思わず都心であることを忘れてしまいそうだ。

JR・地下鉄四ツ谷駅赤坂口スタート → 四谷見附橋アトレ側歩道を、聖イグナチオ教会を眺めながら歩く。空も道も広々としている → カフェ・ド・クリエの角を曲がり番町文人通りへ → 日本テレビ麹町分館を回りこむように歩き、食事処でランチを → 東郷元帥記念公園から関東大震災後に建てられたモダンな九段小学校校舎を外から見学 → 市ケ谷橋を渡り市ヶ谷フィッシュセンターで釣り三昧 → 外濠公園の堤の上を歩く。春は桜が美しい → 靖国神社南門 → 靖国神社の神池庭園でひと休み → 地下鉄九段下駅1番出口ゴール

 

 

 

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散策(案内)89 「東京中心部北 627」 六義園

2021-04-08 07:01:51 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

六義園
概要
 元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水(かいゆうしきつきやませんすい)庭園」を造りました。ここは平坦な武蔵野の一隅だったので、庭を造るにあたり池を掘り、山を築き、千川上水の水を引いて大泉水にしました。
 六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっています。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来します。
 庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、万葉集や古今和歌集に詠まれた紀州(現在の和歌山県)の和歌の浦の景色を始め、その周辺の景勝地や中国の故事にちなんだ景観が映し出されています。
 庭園は明治時代に入って三菱の創業者である岩崎家の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されました。なお、昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。
特徴
六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられ た駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。

 

 

 

20161027  東京北 見学
東京都文京区本駒込
              六義園
  造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられ た駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊谷カルチャーセンター
                          熊谷から行く東京散策①
                                    東京(江戸)の街を違った角度から散策してみませんか

第2回 巣鴨駅から上野駅まで,ツツジ・庭園を巡るたび

 「とげ抜き地蔵で厄払い、ツツジを堪能し下町(谷中)を堪能する旅」 

平成25年5月10日集合 集合:巣鴨駅10時  解散:上野15時
巣鴨駅-巣鴨「とげぬき地蔵・巣鴨銀座散策」-巣鴨駅-六義園・庭園-「巣鴨」-(地下鉄移動)-「東大前」-東大構内歴史的建造物でランチ「フレンチ」-東大散策(三四郎池等)-根津神社「ツツジ」-千谷界隈「下町情緒の散策」-(日暮里)-上野公園(忍蓮の池・上野の森公園)-上野駅解散
○東大校舎内のおしゃれな建物で昼食とします「カメリア(フランス料理)1500円」
○希望者は解散後「アメ横(裏路地)散策」を企画いたします。

 

 

 

 

 

 

20140513  東京中心北・ツツジ
東京都文京区駒込
              六義園
 元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水(かいゆうしきつきやませんすい)庭園」を造った。平坦な武蔵野の一隅だったので、庭を造るにあたり池を掘り、山を築き、千川上水の水を引いて大泉水にしている。
 六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっている。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来しているらしい。
 明治時代に入って三菱の創業者である岩崎家の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開された。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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散策(案内)88 「東京中心部北 626」 龍閑橋親柱

2021-04-07 06:32:15 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

龍閑橋親柱

JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照)  交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている。

竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。

 

 

20170527 東京南東 見学 ツツジ
東京都千代田区神田             
日本橋・神田界隈
 1947年に神田区が麹町区と合併し千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更がなされた(例、神保町を神田神保町に、岩本町を神田岩本町に変更。ただし、既に「神田」の名称が付いていた東神田と西神田は町名変更されなかった。一方、麹町区内の町名については変更はなかった)。神田区の名前が消滅することを惜しむ住民の声に行政が応えたとも、麹町区と神田区に同じ町名(平河町)が存在するための便宜上の措置だったとも言われる(ただし、過去には「神田」を冠称する町名と冠称しない町名が混在しており、「神田」を冠称するものについては1911年にすべて省く町名変更が行われた。したがって、神田を冠称する町名が千代田区発足時にはじめて誕生したわけではない)。

 

 

 

 

20170429  ツツジ
東京都中央区日本橋本石町
        龍閑橋親柱
 JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照)  交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている
 竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。

 

 

 

 

 

 

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