中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京北東部-576」 雷門(風雷神門)

2021-09-29 05:52:57 | 東京 北東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

雷門(風雷神門)
 天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたといわれる。
 当初は、伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的としてこの二神がまつられたもので、一種の護法善神(ごほうぜんしん)と見るべきものであったが、さらには、風雨順時の天下泰平、五穀豊穣の祈願もこめられるようになったものと推測される。
 現在の門は、慶応元年(1865)12月12日の田原町大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により、復興再建され、浅草寺の総門として威容を誇っている。また、浅草の顔としても全国的に有名。

浅草寺
浅草寺(せんそうじ)とは、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。

浅草寺縁起(由来)
 時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。

 

 

 

201070711 東京北東 仁王像
東京都台東区浅草
            雷門近辺
 「雷門」と書かれた赤い大提灯。浅草のシンボル・雷門の前は、記念写真におさまる国内外の人びとでいつも賑わっている。
 雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。慶安2年(1649)に徳川家光が諸堂を再建したときの雷門。御遷座の行列が本堂に向かって進む(「慶安縁起」)。
 風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。風神と雷神は名のとおり風雨を司る神であり、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られた。同時に、風雨順時と五穀豊穣の祈りも込められている。 風雷神門がなぜ「雷門」と呼ばれるようになったかは不明であるが、文化年間(1804~18)の川柳に、「風の神雷門に 居候」という句が見え、この頃には雷門という名称が一般化していたようである。hpより    

 

 

 

 

 

 

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散策 「東京北東部-575」 両国界隈

2021-09-28 05:24:31 | 東京 北東部

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両国界隈 

歴史と文化に触れる 両国界隈 part2 駅北側

日本の文化が息づいてるまち。https://taito.mypl.net/mp/sansaku/?sid=645

part2では、JR両国駅の線路を挟んだ北側を紹介しよう。
北側は、いわゆる”名所”と呼ばれる場所がたくさんある。
各スポットをくまなく見るには、一日がかりになりそうだ。 ゆっくり時間をかけて回りたいまちだ。

歴史と文化に触れる 「江戸東京博物館」

両国駅のすぐ隣、白い大きな建物が「江戸東京博物館」。
斬新で未来的なデザインの外観とは打って変わって、この博物館の特徴としては、江戸東京の歴史、生活、文化、都市構造などがテーマとなっている。
また、色々な催し物が開催されている。ホームページや広報などでの事前チェックがオススメ。
所在地 墨田区横綱1-4-1
開館時間 9:30~17:30(土曜日は19:30まで) ※入館は閉館の30分前まで
HP http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

緑豊かで静かな 「遊歩道」

江戸東京博物館のすぐ真横。両国高校との間に、整備された緑豊かな遊歩道がある。
都心の雑踏から離れて、ここでは静かな時が流れている。
亀に乗っている徳川家康の像がある。

震災・戦災の爪あと 「横綱町公園」

復興記念館
復興記念館
横綱町公園内の一角に、東京都復興記念館がある。
その昔、ここ一帯は、関東大震災そして東京大空襲の最も悲惨な被害地であったと言われている。
慰霊堂
慰霊堂
慰霊堂には死者の遺体が納められ、復興記念館では、戦災に関する展示をしている。
所在地 墨田区横綱2-3-25
開館時間 9:00~17:00 ※入館は16:30まで
休館日 月曜日(月曜が休日の場合はその翌日) 年末年始

ニホンの庭です 「旧安田庭園」

江戸時代の大名下屋敷だったものを、明治時代に安田善次郎が改築したもの。
隅田川の水を引いて潮入り配した、回遊式の庭園。
所在地 墨田区横綱1-12-10
開館時間 9:00~16:30
休園日 年末年始

ゆらりゆらりと・・・ 「東京水上ライン」

隅田川沿いの遊歩道。
目の前には、東京水辺ラインの発着所がある。
たまには、ゆらりゆらりと川を進むのもいい。
所在地 墨田区横綱1丁目

両国といえば 「国技館」

1985年に150億円という巨額な資金を投じ完成した「国技館」。
設備、装置、最新の技術を集結したと言われてるこの建物で、約11,000人の観客を相撲の世界へと導いている。
所在地 墨田区横綱1-3-28
 
 
 

歴史人物に思いをはせる 両国界隈part1 駅南側

日本の文化が息づいてるまち。https://taito.mypl.net/mp/sansaku/?sid=645

両国といえば、誰しも思い浮かぶのが”相撲” ”国技館”。
part1では、駅の南側、国技館とは反対に位置するまちを紹介しよう。

おひざ元です 「力士の像」

両国といえば”相撲”。まちでも力士の姿をたびたび見かける。
また、駅近くの道路では、こんなユニークな像も・・・

静かなたたずまい 「回向院(えこういん)」

明暦3年(1657年)、有名な明暦の大災(振袖火事)のため命を落とした無縁仏のために建立された寺で、以降、安政大地震、関東大震災、海難の被害にあった人々を供養する墓や塔などがある。
また、猫や犬などの諸動物の供養でも有名。
所在地 墨田区両国2-8-10

歴史の大舞台 「吉良邸跡」

本所松坂町公園という形で、今に残る旧吉良邸。
元禄15年(1702)12月14日に決行された赤穂浪士たちによる吉良邸討ち入り 「忠臣蔵」でのクライマックスシーンとしても有名。
園内には赤穂浪士が吉良上野介の首を洗ったと言われる首洗い井戸もあり、当時の壮絶な討ち入りの様子が思い浮かぶ。
所在地 墨田区両国3-13-9

日本文学の巨匠 「芥川龍之介生育の地」

明治25年3月に京橋区入船(現中央区明石町)に生まれた龍之介は、生後7ヶ月で母が病気になり、この両国の地に住む、伯父の元に引き取られ育てられた。
隅田川をこよなく愛した彼は「大川の水」、「本所両国」などで、その風景を書いた。
所在地 墨田区両国3-22-11

江戸のかおり 「両国公園」

区民の憩いの場であるこの公園の一角にも、隠れた碑がある。
勝海舟誕生の地
勝海舟誕生の地
幕末の混乱期、幕臣として江戸を戦火から救うという、大任を果たした勝海舟の碑だ。
勝海舟は、本所亀沢町(現両国公園付近)の 父小吉の実家である男谷邸内で生まれた。
所在地 墨田区両国4-25-3
 
 
 
 
 
 
 
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散策 「東京北東部-574」 両国国技館

2021-09-27 06:13:15 | 東京 北東部

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両国国技館

 両国駅から徒歩1分のところに大相撲のメッカ、両国国技館があります。周辺には元力士が経営するちゃんこ屋さんも多く、町全体が大相撲の雰囲気で満ちあふれています。今回は、その大相撲の醍醐味をさらに深く味つけしてくれる相撲博物館をご案内します。
貴重な収集資料を展示・解説
  国技館の入口から進んで右手横に相撲博物館があります。入口では「不知火型土俵入り」像(山口伊之助作)が入館者を迎えます。
 館内を案内してくれたのは、展示企画にも携わっている職員の土屋喜敬さん。
 「博物館は昭和29年9月の開館で、民間の博物館としては早いほうです」。展示品の多くは初代館長の酒井忠正氏が長年にわたって収集した資料が中心。錦絵や番付、化粧廻しなど収集は多岐にわたっています。
 現在の館長は、「巨人・大鵬・卵焼き」でおなじみ、一世を風靡した名横綱「大鵬」の納谷幸喜さん。
 「ワンフロアのため、収集した資料をすべて展示することはできません。できるだけ相撲を楽しんでもらえるように、2ヵ月に1回のペースで展示替えをしています」。
 今、開催中の「相撲の基礎知識展」(6月20日~8月18日)は、夏休み期間と重なることもあり、お子さんや相撲初心者の方にも親しんでもらおうと企画したもの。
 「おっつける」「かいなを返す」という相撲界独特の用語や、ふだん使われる「剣が峰でこらえる」といった言葉の由来をはじめ、ためになる内容が盛りだくさん。 

 

 

 

 

散策 「東京北東部-573」 廣田硝子株式会社

散策 「東京北東部-572」 「鍵屋」

 

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散策 「東京北東部-573」 廣田硝子株式会社

2021-09-26 04:19:29 | 東京 北東部

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廣田硝子株式会社   03-3623-4145

廣田硝子は1899年に東京で創業。東京で最も歴史のある硝子メーカーの一つです。 近代にヨーロッパから伝わったガラス製造は、日本の美意識と融合し、日本独自のデザインを開花させました。 廣田硝子は、創業より社に伝わる貴重なデザイン資料を元に、江戸切子や吹き硝子など脈々と受け継がれる手仕事による伝統的製造を継承し、 現代のインテリアに調和するプロダクトを作り続けています。

〒130-0013 東京都墨田区錦糸2-6-5
TEL 03-3623-414 E-mail waglasskan@hirota-glass.co.jp
開館時間
月曜ー金曜(土曜特別営業日あり) 11:00ー17:00
休館日
土日・祭日及び夏季・年末年始休館

 

1899

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1899年 廣田金太氏(1代目)が硝子食器販売を創業。

1915

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1915年 東京市本所区横川にて硝子コップを製造開始。

1920-2002

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1920-2002年 廣田榮次郎氏(2代目)は事業を拡大。東京の硝子産業の発展に尽力。

1950

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1950年 廣田硝子株式会社設立。

1985

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1985年 新潟県燕市に商品センターを新設。

2002

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2002-2007年 廣田達夫氏(3代目)は手作業にこだわり新商品開発を手がけた。大正時代に流行したクラシックグラスの復興に貢献。

2004

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2004年 江戸切子の製作工程が学べる体験型施設「すみだ江戸切子館」開設。

2007

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2007年 廣田達朗氏(4代目)がディレクター就任。

2017

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2017年 江戸ガラスの装飾が学べる体験型施設「すみだ和ガラス館」開館。

 

 

 

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散策 「東京北東部-572」 「鍵屋」

2021-09-25 06:05:20 | 東京 北東部

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鶯谷にもレトロな名店「鍵屋」がある。「以前のイメージ」
 
駅をおり横断道を越えて街道を渡り路地に入れば「鍵屋」がある。 
『自己セット』①ビール②味噌おでん(3本)③うなぎのくりから焼き(2本)+お通し(無料)1800円  
 この店は2000円以内で帰るのはもったいない店である。私はいつでもオーバーする。最低限味わっておきたいつまみとビールを組み合わせたものが「自己セット」である。「とりもつ」と「ウナギ」は外せない。今日は10数分前に付いてみた。木製の門はまだ閉まっている。周囲を歩いたことがなかったので回ってみれば,周遊できない。方角を頼りに路地を歩いてみる。どうにか10分程度で戻ってこれた。 

 開店2分前,近くの駐車場に酒が好きそうなおじさん2人。たぶん目当ては鍵屋であろう。いつものように17時ぴったりに開店する。看板を出された後に,暖簾をくぐればそこは昭和の世界。年季の入ったカウンターが待っている。今日はご主人がカウンターにいない。奥さん?(この店を仕切っているような女将)が手際よく動いている。焼き方前のカウンターを陣取る。カウンター上部には,焼き物のたれでできた層のような物がある。 

 まずはビール。「キリン」と「アサヒ」を確認してくれる。当然キリン。大瓶がだされる。コップもどの家にもあるようなもの。違うのは冷やし方。木製の氷で冷やす装置。その中にビール・冷や酒がほどよい温度で冷やされている。飲めばわかる飲み具合。差し出される突き出し(煮豆)と実に合う。大豆を煮ただけの物だがなぜかおいしい。ウナギの生が串刺しにされた物が「くりから」。ゆっくり時間をかけて焼き上げる。その間の香りも楽しめる。 

 ここでは土産にも準備されているのが「味噌おでん」。しかし出てくるのは味噌田楽のような物(鍵屋のメニューは創業当時から変わらぬ物,モツ焼きも通常内臓を想像するが,砂肝「内臓には違いない」焼き。煮奴は砂肝・レバーを主体する肉豆腐)。勝手に客が判断してはいけないらしい。さて味噌おでんだが,①こんにゃく②豆腐③ちくわぶに味噌がのせられたもの。自家製の味噌が実においしい。日本酒に切り替えるべきである。 

 のんびり飲んでいれば,15分ほどで「うなぎのくりから焼き」ができてくる。やや濃いめに味付けされているのがつまみとしては,非常に美味。生から焼いているので歯ごたえがある。そのほかにも20種程度のつまみがある。2人来てすべてのメニューを踏破して,十分酔っても一人5000円程度である。 

 ちなみに,「親の遺言」ということで女性客だけの入店は許さないらしい。おじさんを捜して訪れてほしい。 
住所:東京都台東区根岸3-6-23-18 
営業:17時~22時(ラストオーダー21時30分) 
休日:日・祝日  

 

 

株式会社カルチャーセンター
夕刻の東京散策 Prat2
第4木曜日実施
東京散策(路地歩き)夕刻からのお誘い②
第2回 日暮里から根岸、入谷の旅 鍵屋(日本文化居酒屋)
平成28年8月25日(木) 16時集合(19時解散予定) 3000円程度
集合 日暮里駅(改札外北口)
日暮里-谷中・千駄木散策-根津神社-路地歩き(ネズミ道等)-谷中散策-(歴史的建築物)鍵屋
日暮里から根津神社までの寺町散策。草木・花を確認しながら庭園歩き、谷中まで寺町を歩き、根津神社へうまくすればツツジと巡り会えるかもしれません。その後は、路地散策で下町情緒にしたりたいと思います。最後は文化的居酒屋ともなっている建物で昔ながらのつまみと日本酒を堪能。   食事記録 



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東京散策(路地歩き)夕刻からのお誘い②_b0142232_04491421.jpg

 

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株式会社カルチャーセンターで実施しています。

営業推進課 講座開発担当 佐々木 弘子

TEL042-746-9212  FAX042-748-9881


 半年の内で鍵屋に3回お邪魔した。昼の訪問も加えれば4回目となるが、今回はよくお世話になった物です。カルチャーセンターの居酒屋が始まったことにもよるが、やはり居酒屋の文化遺産。大切にしたいものである。こういう雰囲気を楽しんでほしいと思い。30人ほど延べ人数でお連れしたが、やはり感想は様々。好き嫌いは生じる物である。

 今回は、7名とやや少なめ。でもテーブルは上がりがまち2席で丁度収まったので、宴席としては分散せず良かったかもしれない。まずはお通し、いつものように「煮豆」のお通しが出される。その後の注文は、参加者はどうも勝手がわからないという事で一任された。

 とは言っても普通の居酒屋とは異なり、メニューは非常に限られている。食べる野はやはり定番(私がこの店で好む物)となる。①鰻くりから焼き、これはやや高いが外せない一品。くりから焼きを初めて食べる方もいたので、満足していたようである。

 続いて、②煮豆腐。名前からすると、「肉豆腐」のような物を想定するが、ここでは、シンプルなまさしく豆腐を似たものが提供される。小さな器に半丁ほど入っている。タマネギも多少は言っているので、甘みもででいる。こういう料理が実にこの店にあっている。これがなかなか日本酒にも合う。当然薬味の入った物は、レトロな檜の木製。感心していた。

 ③冷や奴を食べたいというので、こうなれば豆腐づくし。水切りを兼ねた、ゲタにのせられた豆腐がとんと出される。半丁がきれいに2つ並んでいる。ついでに④おでん。こちらも出されてみれば「田楽(豆腐・こんにゃく・ちくわぶ」がそれに当たる。これも鍵屋独特。

 そのうちに宴も盛り上がり、お酒なども頼み始めた。こうなると、ストップもなかなかかからない。次は、どうも肉系がほしくなったらしく。⑤ねぎまを注文(鴨肉)。丁度良い焼き具合で提供された。その後数種類頼んだと思うが、3000円/人で無事終了。ほっとしました。



(株)カルチャーセンターの夕暮れ散策、宴会は「鍵屋」でレトロにしたる。やはりすばらしい居酒屋。_b0142232_04371977.jpg

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