ららみ先生のピアノのおけいこ

自閉症でも、発達障がいでも、
両手でピアノが弾けるんです♪
ピアノが弾けるって、素晴らしい!

東大五月祭~安田講堂の名前の由来に感銘

2019-05-22 | 日記

大学で工学を専攻した友人が、

「ららみさん、東大の五月祭に一緒に行かない?
私、行ってみたい催し物があるのよ。」

と誘ってくださいましたので、
先週末は、東京大学に行って来ました

 

さすがに五月祭は想像以上の混みようで、
すっかり気後れしてしまったのですが。。。

私達は「本郷の名建築と歴史ツァー」という企画に参加しました。

現役の東大生が、構内の建物を歩きながら説明してくださるのです。

その時、「安田講堂」にまつわる話を聞き、とても感銘を受けましたので、
かいつまんで御紹介したいと思います。

 

東大のシンボルとも言える「安田講堂」は、
安田善治郎さん(1838年~1921年)の寄付により建設されました。

安田善治郎は、安田生命(今は明治安田生命)の創始者で、
「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」
の言葉でも有名な 実業家です。

また、東京市に慈善事業費として300万円を寄附したり
東京帝国大学に講堂建築費として100万円を寄附した篤志家でもありました。

しかし善治郎は

「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」

として匿名で寄付を行っていた為、
生前、これらの寄付が行われたことは世間に知られていなかったのです。

この陰徳思想は、善治郎の父親から譲り受けたもので、
人知れず黙々と善行を積めば、自然と人格が磨かれる~と云う教えでした。

 

そんな篤志家の善治郎が、大磯の別荘に滞在している時、
国粋主義者の朝日吾平が訪れます。

朝日吾平は、貧富の格差に矛盾を感じ、資産家に強い反感を持っていました。

そして、当時82歳だった善治郎に襲いかかり、殺してしまいます。

善治郎が「陰徳」として匿名で寄付を続けていたことが、
仇(あだ)となってしまったのです。 

 

善治郎の寄付により既に大講堂を建設していた東京大学は、
その後、善次郎を偲び、大講堂を【安田講堂】と呼ぶようになったそうです。 

1925年(大正15年)に建てられた【安田講堂】は、
およそ100年経った今でも、東京大学のシンボルとして健在です。

(安田講堂での音楽会の話に続きます~


コメント    この記事についてブログを書く
« 専門家 経験者の方々 助言を... | トップ | 安田講堂で聴いたベートーヴ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事