所謂「裏天皇」について、現段階では落合莞爾さんが伝えるところの「裏天皇」を私なりに咀嚼した内容に限られますが、これから以下に記述してみたいと思います。
註:私自身は、飛鳥昭雄さんの伝える「裏天皇」をベースに落合莞爾さんの所謂「裏天皇」とは全く異なる「裏天皇」の存在をも想定しています。が、ここではそれに触れないことにしておきます。
落合莞爾さんによると、裏天皇の仕事は、総括すれば、日本国の國體の保護であり、そこから敷衍した意味での世界秩序の維持解体と再編成なのだそうです。
註:国家の持つ二つの大きな側面の内、表、静的、顕在的、地位などの特性でもって描写できる部分を表す「政体」の対義語として設定された用語が「國體」で、国家の持つ二つの大きな側面の内、裏、動的、潜在的、機能などの特性でもって描写できる部分を表しているようです。天皇の機能が大きくふたつに分割されているという洞察が前提された用語です。
落合莞爾さんによれば、先を的確に見通す目と、見通された未来へと至る迄の日本国と世界のあらまし、ビジョンを、まるで囲碁の碁盤上に展開する囲碁名人の想像のように精確に描く能力が裏天皇組織にはあるのだそうです。その流れを裏天皇が何百年単位のスパンで実際に逐一管理していこうとする際、その手足となって動き、着実に実現してくれる、世界最古で最大規模の、他を遥かに凌駕するほどの内実を持った、極めて優秀な諜報秘密組織をも所有し、そのネットワークを、日本のみならず世界中に隈なく、予想を遥かに超える太古から一貫して、張り巡らせてきたし、張り巡らせているのだそうです。
註:落合莞爾さんは、それが始まったのは南北朝からであり、その淵源は奈良時代の道基や役小角にまで遡れると考えているようです。それに対して私は、それは飽く迄も文献学的に確認できる範囲内においてであるに違いないと考え、そのような類のものは人類そのものの起源と同じくらい古いものであるに違いないと考える訳です。だから、道基や役小角以前の「天武天皇」や「聖徳太子」、更には「卑弥呼」のことも、その流れの中に加えて考えるのです。
落合莞爾さんの所謂「裏天皇」の実力を示す例を、以下にひとつ挙げましょう。
近代のヨーロッパ列強が東南アジアに進出してきた際、タイ国以外の国は、日本国の裏天皇の所有するような能力や組織が存在していなかったために、あっという間に植民地化され、國體を失ってしまいました。植民地化とは、要するに、ある国の國體を密かに乗っ取ることなのです。日本ではその時代、信長や秀吉、家康が出て、近代のヨーロッパ列強による日本侵入を強烈に跳ね返します。彼等は全員が、裏天皇のエージェントとしてその活動を展開した、所謂山窩出身の人達でした。あの本能寺の変も、そのような意図の元で裏天皇によって引き起こされたものだったそうです。その際、裏天皇の元でそれを直接主導したのがあの天海でした。天海は光秀とは飽く迄も別人なのだそうです。明智光秀も勿論、裏天皇のエージェントであり、ある意味、その典型的な存在であると言えます。
時代は大きく下って、ペリーが日本にやってきた際、その事件は、当時の庶民平民の目から見たら、周知のごとく、晴天の霹靂以外の何物でもありませんでした。しかし裏天皇はこの時も、ペリーの出港から実際の旅程迄、逐一全部、リアルタイムに把握していたそうです。更には、その500年も前にそれをちゃんと予見していて、相応の人材を当時のヨーロッパに密かに配置し、備えてすらいました。従って、ペリーの船に乗り込んでいた重要なクルーのうち若干の者が、日本の裏天皇にヨーロッパにおけるその配下を通して繋がるものだった可能性があるし、ひょっとしたら、ペリー自身がそうだった可能性も高いのだそうです。彼等にとってペリーの来航は、晴天の霹靂でも何でもなく、ありとあらゆる意味で、飽く迄も想定内の出来事に過ぎませんでした。もっと言うと、裏天皇が既定路線に沿って、ペリーを自ら日本国に招いたのだとすら言って良いくらいの話でした。
こんな裏天皇の存在する日本が植民地化などされるはずがありません。ヨーロッパと不平等な商取引を始めても日本国の金の保有量が減らないように経済政策上の極めて高度な予防措置迄既に、江戸時代の内に取られていたと言います。それを幕閣として密かに企画主導したのが小栗忠順(おぐりただまさ)という、裏天皇が何百年も前に幕府内に密かに配置していた家系の人物だったそうです。そもそも、日本の江戸時代にこの日本で早くも発明され、高度に発展していた金融の仕組みを、その後世界全体に広げたヨーロッパ勢力の背後には、裏天皇が存在し、その動きすら完璧にコントロールしていたと言います。小栗忠順は、表の歴史ではある時ある人物に殺されたことになっているのだそうですが、それは偽装死であり、その直後にアメリカに渡ってあのフィラデルフィアを建設し、当地でクエーカー教団に侵入した後、それを密かに乗っ取り、それを活動母体としてアメリカ政界をも完全に、そのコントロール下に入れたと言います。そもそも、アメリカ合衆国の建国そのものすら、もう既に、裏天皇の計画の中で遂行されたことだったと言います。
何とも驚愕すべき、とは言え、如何にも信憑性の高い話ではありませんか?
最後にある疑問をここで提示しておきます。それは、例えば戦争の企画遂行の背後にも、即ち、悪名高きイルミナティやフリーメーソンの背後にも、日本の裏天皇が存在しているのか?という疑問です。
私としては、残念ながら、間違いなく存在している。現段階ではそう答えておかなければならない。このように考えています。落合莞爾さんが云うところの裏天皇は、庶民平民の為ではなく、飽く迄も國體の為に存在しています。そして庶民平民は、裏天皇の頭の中で、善悪を超えたところで、國體よりも優先順位がかなり低くなっているのだと考えられます。庶民平民の所謂「間引き」は、これ迄の色んな時代においても、そして現在も、必要になった時に必ず、庶民平民には窺い知れない様々な手練手管によって、まさに裏天皇が行ってきたのだし、行っているのだと思います。
落合莞爾さんが伝えるところの裏天皇に私は、要するに、悪魔崇拝の邪悪な匂いも嗅ぎ始めつつあるのだと言っておかなければなりません。とは言え、その認識が最終的にどうなるかすらも今は、全く分かっていませんが。
何れにせよ全ては、今後の研究課題といったところです。
註:私自身は、飛鳥昭雄さんの伝える「裏天皇」をベースに落合莞爾さんの所謂「裏天皇」とは全く異なる「裏天皇」の存在をも想定しています。が、ここではそれに触れないことにしておきます。
落合莞爾さんによると、裏天皇の仕事は、総括すれば、日本国の國體の保護であり、そこから敷衍した意味での世界秩序の維持解体と再編成なのだそうです。
註:国家の持つ二つの大きな側面の内、表、静的、顕在的、地位などの特性でもって描写できる部分を表す「政体」の対義語として設定された用語が「國體」で、国家の持つ二つの大きな側面の内、裏、動的、潜在的、機能などの特性でもって描写できる部分を表しているようです。天皇の機能が大きくふたつに分割されているという洞察が前提された用語です。
落合莞爾さんによれば、先を的確に見通す目と、見通された未来へと至る迄の日本国と世界のあらまし、ビジョンを、まるで囲碁の碁盤上に展開する囲碁名人の想像のように精確に描く能力が裏天皇組織にはあるのだそうです。その流れを裏天皇が何百年単位のスパンで実際に逐一管理していこうとする際、その手足となって動き、着実に実現してくれる、世界最古で最大規模の、他を遥かに凌駕するほどの内実を持った、極めて優秀な諜報秘密組織をも所有し、そのネットワークを、日本のみならず世界中に隈なく、予想を遥かに超える太古から一貫して、張り巡らせてきたし、張り巡らせているのだそうです。
註:落合莞爾さんは、それが始まったのは南北朝からであり、その淵源は奈良時代の道基や役小角にまで遡れると考えているようです。それに対して私は、それは飽く迄も文献学的に確認できる範囲内においてであるに違いないと考え、そのような類のものは人類そのものの起源と同じくらい古いものであるに違いないと考える訳です。だから、道基や役小角以前の「天武天皇」や「聖徳太子」、更には「卑弥呼」のことも、その流れの中に加えて考えるのです。
落合莞爾さんの所謂「裏天皇」の実力を示す例を、以下にひとつ挙げましょう。
近代のヨーロッパ列強が東南アジアに進出してきた際、タイ国以外の国は、日本国の裏天皇の所有するような能力や組織が存在していなかったために、あっという間に植民地化され、國體を失ってしまいました。植民地化とは、要するに、ある国の國體を密かに乗っ取ることなのです。日本ではその時代、信長や秀吉、家康が出て、近代のヨーロッパ列強による日本侵入を強烈に跳ね返します。彼等は全員が、裏天皇のエージェントとしてその活動を展開した、所謂山窩出身の人達でした。あの本能寺の変も、そのような意図の元で裏天皇によって引き起こされたものだったそうです。その際、裏天皇の元でそれを直接主導したのがあの天海でした。天海は光秀とは飽く迄も別人なのだそうです。明智光秀も勿論、裏天皇のエージェントであり、ある意味、その典型的な存在であると言えます。
時代は大きく下って、ペリーが日本にやってきた際、その事件は、当時の庶民平民の目から見たら、周知のごとく、晴天の霹靂以外の何物でもありませんでした。しかし裏天皇はこの時も、ペリーの出港から実際の旅程迄、逐一全部、リアルタイムに把握していたそうです。更には、その500年も前にそれをちゃんと予見していて、相応の人材を当時のヨーロッパに密かに配置し、備えてすらいました。従って、ペリーの船に乗り込んでいた重要なクルーのうち若干の者が、日本の裏天皇にヨーロッパにおけるその配下を通して繋がるものだった可能性があるし、ひょっとしたら、ペリー自身がそうだった可能性も高いのだそうです。彼等にとってペリーの来航は、晴天の霹靂でも何でもなく、ありとあらゆる意味で、飽く迄も想定内の出来事に過ぎませんでした。もっと言うと、裏天皇が既定路線に沿って、ペリーを自ら日本国に招いたのだとすら言って良いくらいの話でした。
こんな裏天皇の存在する日本が植民地化などされるはずがありません。ヨーロッパと不平等な商取引を始めても日本国の金の保有量が減らないように経済政策上の極めて高度な予防措置迄既に、江戸時代の内に取られていたと言います。それを幕閣として密かに企画主導したのが小栗忠順(おぐりただまさ)という、裏天皇が何百年も前に幕府内に密かに配置していた家系の人物だったそうです。そもそも、日本の江戸時代にこの日本で早くも発明され、高度に発展していた金融の仕組みを、その後世界全体に広げたヨーロッパ勢力の背後には、裏天皇が存在し、その動きすら完璧にコントロールしていたと言います。小栗忠順は、表の歴史ではある時ある人物に殺されたことになっているのだそうですが、それは偽装死であり、その直後にアメリカに渡ってあのフィラデルフィアを建設し、当地でクエーカー教団に侵入した後、それを密かに乗っ取り、それを活動母体としてアメリカ政界をも完全に、そのコントロール下に入れたと言います。そもそも、アメリカ合衆国の建国そのものすら、もう既に、裏天皇の計画の中で遂行されたことだったと言います。
何とも驚愕すべき、とは言え、如何にも信憑性の高い話ではありませんか?
最後にある疑問をここで提示しておきます。それは、例えば戦争の企画遂行の背後にも、即ち、悪名高きイルミナティやフリーメーソンの背後にも、日本の裏天皇が存在しているのか?という疑問です。
私としては、残念ながら、間違いなく存在している。現段階ではそう答えておかなければならない。このように考えています。落合莞爾さんが云うところの裏天皇は、庶民平民の為ではなく、飽く迄も國體の為に存在しています。そして庶民平民は、裏天皇の頭の中で、善悪を超えたところで、國體よりも優先順位がかなり低くなっているのだと考えられます。庶民平民の所謂「間引き」は、これ迄の色んな時代においても、そして現在も、必要になった時に必ず、庶民平民には窺い知れない様々な手練手管によって、まさに裏天皇が行ってきたのだし、行っているのだと思います。
落合莞爾さんが伝えるところの裏天皇に私は、要するに、悪魔崇拝の邪悪な匂いも嗅ぎ始めつつあるのだと言っておかなければなりません。とは言え、その認識が最終的にどうなるかすらも今は、全く分かっていませんが。
何れにせよ全ては、今後の研究課題といったところです。