勝手にしあわせになってるかも 〜旧、明日はもっとしあわせにするぞ〜!〜

今日はマヤ暦的にはどんなエネルギー?
日々の暮らしの気づきとともに綴るマリマヤ便り

《マヤ暦k103》執着を手放し、変容するための3年間を振り返る

2019-10-22 22:25:00 | 思い出話
2017年の春は、私にとって
激動の3年間の始まりだった。
私にとってというか、
家族にとってというか、
とにかく人生を大きく変える出来事が
次から次へと起きた。
アフリカのガボンで暮らすということも
娘がいなくなるということも
私にとっては、その半年前まで、
想像もできないことだった。






“変容して生まれ変わるために
「執着」を手放す”時だと
言われている。

昨日は、誕生日を迎え、
今日は「即位礼正殿の儀」が行われた。
自分も世の中も変わっていく。
テレビを見ながら、
涙している自分にびっくり。

平成から令和に変わっていき、
天皇陛下や皇后陛下が
同じ世代に変わる。

これから、この方達が
日本を背負っていくのかと思うと、
私たちも一緒に何かしなくては……
という気持ちになった。

2年前の誕生日は、
どんなことを考えていたんだろう。
Facebookの過去の投稿を見ると




ガボンで過ごす初めての誕生日。
神様からは、滅多に見られない
ガボンの朝日のプレゼント。
あっという間に雲に覆われたけど、
ちゃんと見てるよって
言ってくれているようで、嬉しかった。

一人で生きているようで、
本当はみんな見えない何かに
支えられたり、守られたり……。
そんな風に感じられるのも、
ここに来たからかもしれない。

今朝、母に電話をしたら、
「あら〜、27日じゃなかったっけ?」
って、言うから年をとったんだな……
と改めて感じた。
今まで、私の誕生日を忘れた事なかったのに……。




大人になってからわかった事だけど、
私は二人が結婚する前にできた子だったらしい。
今なら、よくある話だけど、
50年前、それも田舎だから、
もともと真面目だった母は、
さぞかし辛い思いをした事だろう。
もし、母が
私を産まないという選択をしていたら、
私はここにいなかった。
「産んでくれて、ありがとう。」
やっと素直に言えた51の誕生日。
「産んでよかったって思ってる。」
そんな事、初めて言われた。

マヤ暦を勉強するまで、
けんかばかりしていた私たち。
背中あわせの「反対キン」と知ってから、
相手に分からせようとするのをやめて、
お互いの考えを認め合えるようになった。

私たちの魂は、どこに生まれて、
どんな風な人生を送るか、
自分で決めてくるという。
でも、生まれた時に、
その計画を全て忘れてしまう。
それを思い出す鍵を握っているのが、
誕生日や名前だという話を聞いた。
マヤ暦も占星術も数秘も
そのためのツールの一つだ。

マヤ暦では52歳からが
「人生の本道」だと言われる。
私にはあと一年準備期間が残されている。
ここガボンで、自分の本道を見つけよう。






日本とアフリカの距離があって、
初めてお互いに素直になれた。
でも、本当に心のつながりができたのは、
娘がいなくなってからだと思う。

そして、今、娘がシングルマザーになって
孫を中心に新たな家族の形ができてきた。

昨日も娘が母に向かって、
「おばあちゃん、
 お母さんを産んでくれてありがとう。」
と言って抱きついていた。
そんな姿を見ていると、
何かを手放して、新しいものを掴んだ気がする。

それは、世間体だったり、
人の目だったり、
正しさへのこだわりだったり、
はっきりこれだということはできないが、
枠を取り外すことができてきた。
2年前の自分とはまったく違うと感じる。

もちろん、相変わらず「3歩進んで2歩下がる」
という感じではあるが、
過去の自分には戻りたくないと思う。

久しぶりに椅子に座って、
これを書きながら、
座れる体ってありがたいって感じている。

体も変容しなくてはいけないようだ。





☘️ 10月23日(水)☘️
K103青い夜・黄色い人・音12

夢や希望を持つことで輝く「青い夜」
自分流に生きることを大切にする「黄色い人」
人当たりがよく、問題解決役を担う「音12」

人の話に真剣に耳を傾ける日。
相手の内なる想いを聞き取ろう。
感じたことに従って行動すれば、
新たな解決策を見出すことができる。

K101〜K104
過分な欲望を持たずに、
節度を持って程よく生きよう。
自分の限界を決めずに、
礼節を持って歩めば、
正しく評価される。