魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

最終講義

2008-02-06 20:29:55 | Weblog
今日、respectする先生の最終講義があった。




先生が退官すると聞いたとき、本当に寂しく思った。



思えば、僕が基礎に興味をもったのは先生の影響が大きかった。


2年生のとき、初めて先生の講義を聴いたときは、全く理解できなかった。



この先生は何をしゃべっているのだろう?と思った。



でもそれは、自分自身が何を分かっていないのかを知らなかったからだと、今なら振り返ることができる。



高校で習う生物学においては、絶対の自信があった。
教科書に書いてあることで分からないことは存在しなかった。


先生の講義はそんな自分の思い上がった陳腐な自信を
木っ端微塵に吹っ飛ばしてくれた。



先生は、僕を生命科学の最先端の世界へと導いてくれた。


先生の講義の内容を理解したいと思い、薬理学・生理学の教科書を夜中のファミレスで夢中で勉強したことを今でも鮮明に覚えている。





僕は薬理学を通じて、細胞内シグナル経路、セカンドメッセンジャー、受容体、
アゴニスト、アンタゴニストといった概念を学んだ。



そしてこの経験は、今の自分自身で能動的に学ぶということにもつながっている。





薬理学実習では、学んだ知識がマウスやラットを通じて、実際に現象として現れることに感動したことも鮮明に覚えている。



実習の口頭試問では、先生の鋭い問いに対して、満足のいく回答をすることが出来ずに悔しかった。



あのときの先生の問いかけは、実際に実験をするようになってからは、常に自分自身に対しての問いかけとなっている。




どうしてなんですか?

何故そうなるのですか?






今日の最終講義の中に自分に関するエピソードがあり、思わず泣きそうになった。




尊敬する先生の講義の中で褒めてもらえること、認めてもらえること。


講義で示されるデータは、そのまま先生の人生を表しているようだった。






僕を理解して、大きな優しさで見守ってくれる先生がいなくなることは
とても寂しい。

いつの日にか先生に、自分の書いた論文が読んでもらえるように、
常に前を向いて進みたい。