『HEAVEN』に続き、やっとここまで来ました、2005年最後のシングル。
●Bold & Delicious / Pride
あゆの2005年を代表する曲は?と聞かれたら、迷わず「Bold & Delicious」と答えます。ほんと、今までのはなんだったんだ?っつうくらいの気合の入りよう。衝撃だったなぁ。ほんの数秒試聴しただけで、「え? これがあゆ? あゆがこんな曲やっちゃうの?」ってドキマギしちゃいました。ソウルフルでファンキーで、何やらコーラスがやたらと入ってて。「Pride」にしても、やたら荘厳な雰囲気で。今までにもこういったターニング・ポイントとなる曲はあったんだろうけど、好きになってからリアルタイムでそれを体験するのは初めてだったものですから、ドキドキしましたよ。進化(深化)しようとするあゆの意志を嬉しく思うと同時に、どうなってしまうんだろうという不安が交錯して。明らかにハードルが上がってるし、超えられるのか?って感じで。音楽自体は特別新しいといったものではないかも知れませんが、あゆにとっては“新しい”わけで、それを如何にして、その音楽が持つ“新しさ”に繋げられるかだと思うのです。
今回は両曲とも、スウィートボックスのGEOが作曲しています。スウィートボックスといえば、バッハの「G線上のアリア」を取り入れた「エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト」が有名で、作曲&プロデュースのGEOと女性ヴォーカルによるユニットです。ティナ・ハリスという黒人女性が初代ヴォーカルで、現在はジェイドという白人女性がヴォーカルです。といっても、私は詳しくなく、今回のあゆの曲によって認識した次第です。「エヴリシング~」はよくかかってたので知ってましたが。
で、スウィートボックスを良いなと思っていたあゆが、「こういうの歌ってみたいな。スウィートボックスみたいな曲、というより、本人が書いてくれるといいよね」と現実味もなくポロッと話していたら、スタッフが知らない間にGEOに話を通していて、あゆが忘れた頃になって、「好きなのがあったら歌って」と突然12曲入りのデモが送られてきたらしいです。しかし、その時には、既に次のシングルは録り終えてて、アルバムもほぼ内容が決まっていたそうです。が、デモを聴いたあゆは、「歌いたくてしょうがなくなっちゃった(笑)」ってことで、急遽、シングルを変更。それどころか、アルバムも、一旦ゼロに戻して、一から構築し直すことを決定。そういや、今回のシングルはオリコンか何かの記録がかかってたんだよね。それでこの決断。録り終えてたのに。今までとガラリと変わる挑戦曲なのに。男前!
「Bold & Delicious」は、デモの中で特に印象的だったとあゆは言う。で、デモでは、ジェイドが一人で声を重ねていて、もっと静かでキレイな感じだったそうです。そこから「パワフルでソウルフルでファンキー」なものを感じ取ったあゆは、そこを増幅させて、「これはもっと大袈裟にして、みんなでクラップしながら歌えるようなもっとハッピーなものにしたい」と思ったそう。NYの教会でパイプオルガンの音を聴いた時、「あ、ゴスペル」と思い、「私以外の声でコーラスを分厚くしたい」と。でもって、デモは当然ながら英語詞なわけで、「日本語だとハマらない譜割とかもあるんで、けっこうイジッてる」とのこと。日本語をハメる作業には結構苦労したらしく、後に「テンションが全然違った」と本人が語っているように、洋楽のテンションの違いを肌で感じたんだろうな。「Pride」の方は、「個人の主張というより、みんなが同じ気持ちで何かに対して叫び続けてるみたいな感じにしたかった」~「キレイに歌う合唱団みたいな声のイメージだったから、小学生から50代くらいまでの人を大勢集めて、みんなでガーッと歌ってもらった」とのこと。「『オペラ座の怪人』にしよう」って思ったらしいね。
ここまで書いてみて思うのは、もうあゆのやってることって、アレンジでありプロデュースじゃん。じゃなきゃ、ここまで語れないでしょ。実際には、CMJK(ex.電気グルーヴ。あゆの作品ではお馴染み)にアレンジを依頼したりしてるわけだけど、全体を司ってるのは、まぎれもなく「あゆ」。今回の大胆な変貌ぶりにしたって、「GEOのおかげじゃん」と言う人もいるかも知れないけど、それを決断したのは「あゆ」なんだよ。
そういったわけで、この『Bold & Delicious / Pride』には、今までのあゆの作品にはない“新鮮味”があり、それがこの音楽に宿る“新鮮味”にも繋がっていて、それでいながら、しっかり“あゆ”であるという。GEOとの出会い(洋楽との直接的な接触)などに、正面からぶつかっていった賜物であると思います。言ってみれば、“洋楽の洗礼”を受けたって感じかなぁ。と同時に、あゆの直感力のすごさに脱帽というか、恐ろしささえ感じました。“洋楽の洗礼”を受けたとき、あゆは“ゴスペル”を選択してるんだからね。「Bold & Delicious」は、近田春夫も『考えるヒット』で誉めてくれてます。「浜崎あゆみの冒険的な新曲にマドンナに近いセンスを見た」! 「Jポップのメインストリームから音がはみだしていた」! 「去勢されていない」、これすごく分かるなぁ。あゆの音楽って「飼い馴らされてない感じ」がするんだよね。引用だってあるだろうに、ほんと、なんでなんだろ? ひょっとしたら、これが音楽の不思議ってやつ? 「パクリ」とか言って切り捨てる人は、この「飼い馴らされてない感じ」を出してみてくださいよ。
今回の、誰の目(耳)にも明らかな変化について、あゆはこんな発言をしている。「(『MY STORY』やそれに伴うツアーで)ここはみんなもOKなんだよねっていうのが築けてることが嬉しかった。でも一方で、そのOKのことばかりやってても仕方ないなと思った」~「こうやれば喜んでくれる、こういう曲はみんなが好きだよねってわかってしまって。でも、ここにきて、こんな球を投げたら、みんなどうする?ってことをやりたくなった。そこに正直に向かった」~「みんながどう受け取るかなとは思ったんだけど、そこに不安は別になかった。必ず伝わると信じていたからね」。ああもういちいちバカみたいにカッコ良い! モー娘。だっけ? いや、Def.Divaか。「好きすぎてバカみたい」!!
忘れちゃならないプロモですが、「Bold & Delicious」が、ビョークの「ビッグ・タイム・センシュアリティ」のプロモにそっくりだそうで。またかよあゆー!とも思いましたが(笑)、あゆ、ビョーク好きなのかな。ま、あゆの嗜好からすると、好きでも全然不思議じゃないよな。しかし、プロモは、どこまであゆが考えてるんだろう。プロモでは「素材に徹する」と言っていたあゆだけど、ある程度監督に任せてるとは言え、何も意見を言わないわけじゃないだろうし。昔、プロデューサー並みに動くことに対して、「どうしてそこまでやるの?」と聞かれ、「あゆがやらなかったら他に誰がやるの?」と言ってのけたあゆなだけにね(かっくいい!)。最終的な責任は「あゆ」にあるんだもんね。そんでもって、かなりのMTVフリークなあゆのことだから、ビョークのこのプロモのことだって、知らないわけがない! というか、これは私でも分かるわい! せっかくだから調べてみると、「ビッグ・タイム・センシュアリティ」の監督をしたステファン・セドナウィーは、レッチリやアラニスやU2のプロモも手がけているらしく、マドンナにミルウェイズ・アマッザイを紹介した人物だとか。なるほど~。あゆ、色々教えてくれてありがとね! そういや、これ、映画『バニラ・スカイ』でもチラッと流れるのよね。ま、そんな色々も、あゆちゃんのこんな一言で吹き飛んでしまいました。それはこのプロモについて語っていたわけではないのですけど、「よしとされても、そうじゃなくても。だって、私が今やりたいことはコレなんだもんっていう、それだけなの」。ま、まいりました~。でも、うん、がんばっていこうね☆
ただ、もちろん、それだけではありません。このプロモは、ゴージャスで大胆なあゆの姿に混じって、普段のあゆの姿も映し出されるのですが、それについてあゆは、「そこに私は、どの笑顔が本当だと思いますか?っていうディレクションしてる人の問いかけを感じた」って言ってて、「そういうのがすごく感じられるから、なんて悲しいPVなんでしょうと思って見ていました」だってさ。ちきしょー! そこまで気付けなかった…。「悲しいPV」かぁ。続けて、「『Bold & Delicious』は、超アゲアゲでノリノリで、すごく言い切っていてカッコイイんだけど、その裏にある悲しさとかを感じてもらえると嬉しい。だからビデオもそう」だってさ。やはりちゃんと繋がってるのね。「ハッピーなものにしたい」って言って作った曲なのに、そこにちゃんと「悲しみ」も込める。バランス感覚の優れているあゆちゃんのことだから、考えてみれば当然のことなんだけどね。言い切ることによって、そこに至るまでの迷いや葛藤も含めて表現できると思ったのかな。この曲聴いて“悲しさ”を感じ取った人がどれくらいいるんだろか。精進します!
ちなみに余談ですが、面白い発見をしたので。今回、ビョークのプロモに似てるっつうことで、ビョークのプロモを色々見直してみたんです。あ、私、ビョーク好きです。で、「alterna」のプロモのことを書いたとき、ビョークの「バチェラレット」を彷彿とさせるって書いたじゃないですか。で、「バチェラレット」も見直してみたんですけど、そしたら、思いっきり『MY STORY』って出てくるじゃないですかぁ! 『MY STORY』っつうのはもちろん、あゆの6thアルバムのタイトルでありまして、「alterna」って曲は、『MY STORY』の延長上にあってプロモもそのダイジェストのようだって書いたと思うんですけど、いやはや、面白いっすね~。
そうそう、これに収録されている「Will」のHeigo Tani(Co-Fusion)によるリミックスが結構イイ感じでした。
そんなこんなで、非常に長~く、事細かに書いてしまって、お恥ずかしい限りです。別にこんなに細かく書かなくても良いんだけどね。でも、その有名さに反して、こういうことが知られてない気がして。もっと言えば、あゆは、それに見合う評価をされてない気がして。「正当な評価」ってもんが、この世の中に存在するのかどうかは疑問としてもね。あゆが、まったく売れていない無名のミュージシャンだったら別に構わないんだけど、今や、あゆを知らない人を見つけることの方が困難じゃん? まぁ、それこそが「評価されてる」って証なのかも知れないけど、それでいながら、こういうことがあまり知られてない気がするのは、それは私の被害妄想かも知れないという疑いはありつつも(笑)、なんとも歯がゆいじゃん? だから書いてみました。
最近、あゆは、「クラシックやオペラも聴いてみたいし、歴史も学びたい」と思っているらしい。意外かも知れないけど、あゆの温故知新ぶりは、音楽に限らず、そこかしこに垣間見られるんだよねぇ。私が彼女をすごいと思うのは、「変化は常にしていたい」とか「新しいことを取り入れるのは良いこと」と彼女自身が語っているように、そういう姿勢を見せながらも、「けど、それだけじゃ何も残らない気がして」なんてことも言ってたりするとこなんですよね。貪欲に学び、積極的に変わろうとする一方で、変わらない芯の部分を常に見つめてるっていうか探してるっていうか。芯があるから変われるんだし、変化によって芯の部分が更に磨かれていくんだもんね。変化のための変化ではない。知識のための知識ではない。絶対失くしたくないものは?と聞かれて、「愛かな。それは全てにおいて」と彼女が答えていたことをフッと思い出した。
●Bold & Delicious / Pride
あゆの2005年を代表する曲は?と聞かれたら、迷わず「Bold & Delicious」と答えます。ほんと、今までのはなんだったんだ?っつうくらいの気合の入りよう。衝撃だったなぁ。ほんの数秒試聴しただけで、「え? これがあゆ? あゆがこんな曲やっちゃうの?」ってドキマギしちゃいました。ソウルフルでファンキーで、何やらコーラスがやたらと入ってて。「Pride」にしても、やたら荘厳な雰囲気で。今までにもこういったターニング・ポイントとなる曲はあったんだろうけど、好きになってからリアルタイムでそれを体験するのは初めてだったものですから、ドキドキしましたよ。進化(深化)しようとするあゆの意志を嬉しく思うと同時に、どうなってしまうんだろうという不安が交錯して。明らかにハードルが上がってるし、超えられるのか?って感じで。音楽自体は特別新しいといったものではないかも知れませんが、あゆにとっては“新しい”わけで、それを如何にして、その音楽が持つ“新しさ”に繋げられるかだと思うのです。
今回は両曲とも、スウィートボックスのGEOが作曲しています。スウィートボックスといえば、バッハの「G線上のアリア」を取り入れた「エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト」が有名で、作曲&プロデュースのGEOと女性ヴォーカルによるユニットです。ティナ・ハリスという黒人女性が初代ヴォーカルで、現在はジェイドという白人女性がヴォーカルです。といっても、私は詳しくなく、今回のあゆの曲によって認識した次第です。「エヴリシング~」はよくかかってたので知ってましたが。
で、スウィートボックスを良いなと思っていたあゆが、「こういうの歌ってみたいな。スウィートボックスみたいな曲、というより、本人が書いてくれるといいよね」と現実味もなくポロッと話していたら、スタッフが知らない間にGEOに話を通していて、あゆが忘れた頃になって、「好きなのがあったら歌って」と突然12曲入りのデモが送られてきたらしいです。しかし、その時には、既に次のシングルは録り終えてて、アルバムもほぼ内容が決まっていたそうです。が、デモを聴いたあゆは、「歌いたくてしょうがなくなっちゃった(笑)」ってことで、急遽、シングルを変更。それどころか、アルバムも、一旦ゼロに戻して、一から構築し直すことを決定。そういや、今回のシングルはオリコンか何かの記録がかかってたんだよね。それでこの決断。録り終えてたのに。今までとガラリと変わる挑戦曲なのに。男前!
「Bold & Delicious」は、デモの中で特に印象的だったとあゆは言う。で、デモでは、ジェイドが一人で声を重ねていて、もっと静かでキレイな感じだったそうです。そこから「パワフルでソウルフルでファンキー」なものを感じ取ったあゆは、そこを増幅させて、「これはもっと大袈裟にして、みんなでクラップしながら歌えるようなもっとハッピーなものにしたい」と思ったそう。NYの教会でパイプオルガンの音を聴いた時、「あ、ゴスペル」と思い、「私以外の声でコーラスを分厚くしたい」と。でもって、デモは当然ながら英語詞なわけで、「日本語だとハマらない譜割とかもあるんで、けっこうイジッてる」とのこと。日本語をハメる作業には結構苦労したらしく、後に「テンションが全然違った」と本人が語っているように、洋楽のテンションの違いを肌で感じたんだろうな。「Pride」の方は、「個人の主張というより、みんなが同じ気持ちで何かに対して叫び続けてるみたいな感じにしたかった」~「キレイに歌う合唱団みたいな声のイメージだったから、小学生から50代くらいまでの人を大勢集めて、みんなでガーッと歌ってもらった」とのこと。「『オペラ座の怪人』にしよう」って思ったらしいね。
ここまで書いてみて思うのは、もうあゆのやってることって、アレンジでありプロデュースじゃん。じゃなきゃ、ここまで語れないでしょ。実際には、CMJK(ex.電気グルーヴ。あゆの作品ではお馴染み)にアレンジを依頼したりしてるわけだけど、全体を司ってるのは、まぎれもなく「あゆ」。今回の大胆な変貌ぶりにしたって、「GEOのおかげじゃん」と言う人もいるかも知れないけど、それを決断したのは「あゆ」なんだよ。
そういったわけで、この『Bold & Delicious / Pride』には、今までのあゆの作品にはない“新鮮味”があり、それがこの音楽に宿る“新鮮味”にも繋がっていて、それでいながら、しっかり“あゆ”であるという。GEOとの出会い(洋楽との直接的な接触)などに、正面からぶつかっていった賜物であると思います。言ってみれば、“洋楽の洗礼”を受けたって感じかなぁ。と同時に、あゆの直感力のすごさに脱帽というか、恐ろしささえ感じました。“洋楽の洗礼”を受けたとき、あゆは“ゴスペル”を選択してるんだからね。「Bold & Delicious」は、近田春夫も『考えるヒット』で誉めてくれてます。「浜崎あゆみの冒険的な新曲にマドンナに近いセンスを見た」! 「Jポップのメインストリームから音がはみだしていた」! 「去勢されていない」、これすごく分かるなぁ。あゆの音楽って「飼い馴らされてない感じ」がするんだよね。引用だってあるだろうに、ほんと、なんでなんだろ? ひょっとしたら、これが音楽の不思議ってやつ? 「パクリ」とか言って切り捨てる人は、この「飼い馴らされてない感じ」を出してみてくださいよ。
今回の、誰の目(耳)にも明らかな変化について、あゆはこんな発言をしている。「(『MY STORY』やそれに伴うツアーで)ここはみんなもOKなんだよねっていうのが築けてることが嬉しかった。でも一方で、そのOKのことばかりやってても仕方ないなと思った」~「こうやれば喜んでくれる、こういう曲はみんなが好きだよねってわかってしまって。でも、ここにきて、こんな球を投げたら、みんなどうする?ってことをやりたくなった。そこに正直に向かった」~「みんながどう受け取るかなとは思ったんだけど、そこに不安は別になかった。必ず伝わると信じていたからね」。ああもういちいちバカみたいにカッコ良い! モー娘。だっけ? いや、Def.Divaか。「好きすぎてバカみたい」!!
忘れちゃならないプロモですが、「Bold & Delicious」が、ビョークの「ビッグ・タイム・センシュアリティ」のプロモにそっくりだそうで。またかよあゆー!とも思いましたが(笑)、あゆ、ビョーク好きなのかな。ま、あゆの嗜好からすると、好きでも全然不思議じゃないよな。しかし、プロモは、どこまであゆが考えてるんだろう。プロモでは「素材に徹する」と言っていたあゆだけど、ある程度監督に任せてるとは言え、何も意見を言わないわけじゃないだろうし。昔、プロデューサー並みに動くことに対して、「どうしてそこまでやるの?」と聞かれ、「あゆがやらなかったら他に誰がやるの?」と言ってのけたあゆなだけにね(かっくいい!)。最終的な責任は「あゆ」にあるんだもんね。そんでもって、かなりのMTVフリークなあゆのことだから、ビョークのこのプロモのことだって、知らないわけがない! というか、これは私でも分かるわい! せっかくだから調べてみると、「ビッグ・タイム・センシュアリティ」の監督をしたステファン・セドナウィーは、レッチリやアラニスやU2のプロモも手がけているらしく、マドンナにミルウェイズ・アマッザイを紹介した人物だとか。なるほど~。あゆ、色々教えてくれてありがとね! そういや、これ、映画『バニラ・スカイ』でもチラッと流れるのよね。ま、そんな色々も、あゆちゃんのこんな一言で吹き飛んでしまいました。それはこのプロモについて語っていたわけではないのですけど、「よしとされても、そうじゃなくても。だって、私が今やりたいことはコレなんだもんっていう、それだけなの」。ま、まいりました~。でも、うん、がんばっていこうね☆
ただ、もちろん、それだけではありません。このプロモは、ゴージャスで大胆なあゆの姿に混じって、普段のあゆの姿も映し出されるのですが、それについてあゆは、「そこに私は、どの笑顔が本当だと思いますか?っていうディレクションしてる人の問いかけを感じた」って言ってて、「そういうのがすごく感じられるから、なんて悲しいPVなんでしょうと思って見ていました」だってさ。ちきしょー! そこまで気付けなかった…。「悲しいPV」かぁ。続けて、「『Bold & Delicious』は、超アゲアゲでノリノリで、すごく言い切っていてカッコイイんだけど、その裏にある悲しさとかを感じてもらえると嬉しい。だからビデオもそう」だってさ。やはりちゃんと繋がってるのね。「ハッピーなものにしたい」って言って作った曲なのに、そこにちゃんと「悲しみ」も込める。バランス感覚の優れているあゆちゃんのことだから、考えてみれば当然のことなんだけどね。言い切ることによって、そこに至るまでの迷いや葛藤も含めて表現できると思ったのかな。この曲聴いて“悲しさ”を感じ取った人がどれくらいいるんだろか。精進します!
ちなみに余談ですが、面白い発見をしたので。今回、ビョークのプロモに似てるっつうことで、ビョークのプロモを色々見直してみたんです。あ、私、ビョーク好きです。で、「alterna」のプロモのことを書いたとき、ビョークの「バチェラレット」を彷彿とさせるって書いたじゃないですか。で、「バチェラレット」も見直してみたんですけど、そしたら、思いっきり『MY STORY』って出てくるじゃないですかぁ! 『MY STORY』っつうのはもちろん、あゆの6thアルバムのタイトルでありまして、「alterna」って曲は、『MY STORY』の延長上にあってプロモもそのダイジェストのようだって書いたと思うんですけど、いやはや、面白いっすね~。
そうそう、これに収録されている「Will」のHeigo Tani(Co-Fusion)によるリミックスが結構イイ感じでした。
そんなこんなで、非常に長~く、事細かに書いてしまって、お恥ずかしい限りです。別にこんなに細かく書かなくても良いんだけどね。でも、その有名さに反して、こういうことが知られてない気がして。もっと言えば、あゆは、それに見合う評価をされてない気がして。「正当な評価」ってもんが、この世の中に存在するのかどうかは疑問としてもね。あゆが、まったく売れていない無名のミュージシャンだったら別に構わないんだけど、今や、あゆを知らない人を見つけることの方が困難じゃん? まぁ、それこそが「評価されてる」って証なのかも知れないけど、それでいながら、こういうことがあまり知られてない気がするのは、それは私の被害妄想かも知れないという疑いはありつつも(笑)、なんとも歯がゆいじゃん? だから書いてみました。
最近、あゆは、「クラシックやオペラも聴いてみたいし、歴史も学びたい」と思っているらしい。意外かも知れないけど、あゆの温故知新ぶりは、音楽に限らず、そこかしこに垣間見られるんだよねぇ。私が彼女をすごいと思うのは、「変化は常にしていたい」とか「新しいことを取り入れるのは良いこと」と彼女自身が語っているように、そういう姿勢を見せながらも、「けど、それだけじゃ何も残らない気がして」なんてことも言ってたりするとこなんですよね。貪欲に学び、積極的に変わろうとする一方で、変わらない芯の部分を常に見つめてるっていうか探してるっていうか。芯があるから変われるんだし、変化によって芯の部分が更に磨かれていくんだもんね。変化のための変化ではない。知識のための知識ではない。絶対失くしたくないものは?と聞かれて、「愛かな。それは全てにおいて」と彼女が答えていたことをフッと思い出した。