DVD『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2004-2005 A』を見る。2004年12月31日、代々木体育館で行われたカウントダウンライヴの映像。このライヴ、そりゃ行きたかったけど、年明けたらツアーあるし、年越ライヴを一人で行くのも淋しそうだし(30日にもライヴはあったけど、その日はこれだったんでね)、時期も近いしツアーとそんなには違わないだろうから、良いや~と思っていたら、セットリストを見てビックリ! ツアーとぜんぜん違うやんけ! はぁ、やっぱり、あゆちゃんを舐めちゃダメだった。
「WHATEVER」~「immature」ではじまりますかぁ。つうか、「Duty」に「TO BE」ってどういうことですか? 「Key ~eternal tie ver.~」って。超聴きたいっつうの! こんな懐かしい曲もやってくれるんだぁ。あゆにとってカウントダウンライヴは、2000年からやっていて今回で5回目になるんだけど、エレカシで言うところの野音みたいな感じなのかなぁ。うう~、行きたかったぜ! しっかし、『MY STORY TOUR』でも1曲目「HAPPY ENDING」、予想つかなかったしなぁ。だって、エンディングではじめるんだよ?(笑) やっぱ、あゆってひねくれ者だよ~。それでいて、まっすぐなんだから。まっすぐなひねくれ者!
セットリストだけじゃない。『MY STORY TOUR』の方は、大掛かりなステージ、大きなスケールでアルバム『MY STORY』の世界を表現していたけど、こっちの方はアットホームっつうかシンプルっつうか。同じ会場なのに、感じがぜんぜん違う。和太鼓チームと競演したり、「INSPIRE」でホーンをばりばりに導入したりしてるけど(これは打ち込みかな?)、根っこにある部分が非常にシンプルなんだよね。だからこそ、こういうアレンジが映えるのか。足元がしっかりしてなきゃ、こういうことはできないんだね。
ま~でも、何と言っても、アコースティックですよ! 何だよこれー。こんなのやるんだったら行ったよー。しかも、「TO BE」に「Key ~eternal tie ver.~」ですか。特に「TO BE」なんて、聴きたいに決まってるじゃないか!(「言葉のおもさ」参照) まぁでも、こうしてDVDになってくれて良かった。あゆの歌声が好きな私にとって、アコースティックが良くないわけがありません。あゆ自身もガツンときたみたいね。「懐かしかったね~今の! どう? 良い感じだった?」って興奮&照れ隠し気味に客席に聞いてるもん。そのままサラ~ッとキメておけば良いものを。でも、そんなあゆちゃんが好き☆
「TO BE」は、歌詞に<君>って出てくるけど、これは、自分自身との対話(君=自分)とも取れるんだよなぁ。もちろん聴いた人それぞれが自由に解釈すれば良いんだけど、私はそうとも取れるなって思ったわけ。そう思うと、ますます染み入ってくるわけ。でさ~、そしたら、CDジャケットも、あゆが二人いるやつなんだね。やっぱりそうだよね!あゆちん!って勝手に盛り上がっちゃいます。
ライヴ全体の流れを見ながら、これは後に続く『MY STORY TOUR』の裏バージョンかもって思った。「WHATEVER」~「immature」の初期の曲にはじまって(「WHATEVER」はあゆの最初のツアーの1曲目)、象徴的な「Duty」、そして初めてあゆが作曲した「M」。全体を通して、あゆのこれまでの歩みを一緒にたどるような。それは、『MY STORY TOUR』にも同じことが言えて。だから、このライヴは『裏 MY STORY TOUR』なんだなって思った。
というか、「Duty」にビックリした。「Duty」をこんなに優しく歌えるようになったんだ!って。CDと聴き比べてみれば分かると思うけど、この曲はタイトルからして“義務”だし、ヘヴィな感じで、覚悟を決めて腹を括りだした、自分や色んなものと向き合いだしたことを象徴するような曲だと思うんだけど、だから、歌い方からサウンドから何から何まで、クドいくらいにヘヴィかつディープな曲なのよ。そんな曲をこんなに優しく歌えるようになったんだ~!って、嬉しくなっちゃったよ。やっぱ、変化していくんだね。
「Trauma」で事故発生!(笑) あゆが2番の歌詞を忘れて、2番ほとんど歌えてません(笑)。これは貴重かも。あゆが歌詞を忘れて、しかもこんなに崩れるとこ、滅多に見ないからなぁ。結局思い出せず「歌詞を忘れたよ♪」と歌いながら(笑)、「ぜんぜん分からないよー!」って叫び、間奏部分で崩れ落ち、両手を合わせて謝ってました。よっちゃんに笑われてました。いやぁ、これは貴重。でも、よくよく聴いたら、「evolution」でも歌詞が1番と2番ごちゃ混ぜになってました(笑)。
これは、このライヴに限った話じゃないんだけど、あゆって本当、ファンに向かう気持ちの強さみたいなものが物凄いんだよね。私は、もっと違う印象だった。良い意味でも悪い意味でもなく、もっとこう、私は私、ファンはファンみたいなクールな印象だった。でも、ぜんぜん違った。むしろ、熱い。もしかしたら、テレビとかでちらっと見る感じでは意外かも知れない。私があゆを好きになるずっと前、電器屋でたまたまあゆのライヴ映像を見かけたとき、「何か」を感じたのはこれだったのかもなぁ。懸命にお客さんに向かって投げかけてて、「随分と印象と違うんだな」と思ったのを覚えてるよ。なんだ、そのときから気になってたんじゃん自分!(笑) 大体、クールな人だったら、「evolution」で、ハッピ着て股開いて、「は~、せいや~!」なんてやりませんよね(笑)。
なんかね、これだけ人気があるのは、ファンがあゆを求めているからに他ならないんだろうけど、あゆもファンを求めてるんだなっていうか、なんかそういうのを凄く感じるんだよなぁ。伝わってくる。だからファンも、そんなに求められちゃーこっちも!みたいになるのかな?(笑) ファンじゃない人からしたら、クドくてウザいかも知れない(笑)。
誤解を恐れず言わせてもらうと、“計算された表現”なんて何も分かってないね! そんな人はあゆの何も見てないよ! あの、ファンに向かう気持ちの強さを見てみろよ! まぁ、ちょっと落ち着いて話をしますと(笑)、計算の部分は計算、演技の部分は演技ですよ。“計算された表現”もあながち間違いではないでしょう。しかし、演技だから嘘ということではないし、計算だから心がないということではない。「『自分自身』と『自分の意見』がなければ、うまく演じることはできない」と誰かも言っておりました。演技や計算は、強い意志のもとに成り立つのであって、逆に言えば、それがなければ、演じることなどできなければ、何をどう計算したら良いのかなんて分かりはしないはず。「やりたいこと」がなければ、あるいは、「何をやりたいか/何をやるべきか」を自分自身で把握し理解することができなければ、演じることも計算することも、何一つできないはず。演技や計算と言っても、それは表現の上に成り立つのであって、演じると言っても、結局は「自分自身を演じる」ことに他ならない。そのためには、優れた客観性とかが必要なんだろうな。“計算されたものだからリアルじゃない”とか“演技だから嘘”とか言う人は、自分にその能力がないからひがんでるんだ!(笑) もっと言えば、演技や計算のない表現なんてないんだと思う。
最後は、「winding road」。さっき、あゆのこれまでの歩みが伝わってくるって書いたけど、この曲で締めるなんて、まさに!だね。この曲、『MY STORY TOUR』ではやらなかったんだよなぁ。この曲で泣いてしまってるあゆを見ながら、そりゃー泣くよなって思った。それほど、あゆの想いまんまの曲だから。それほど、あゆの歌唱に説得力があるから。一見すると、ごくごくフツーのことを歌っているようなんだけど、やっぱり、あゆの想いまんまの曲になってるんだよね。だから、どこが計算じゃー!って言いたくなるね、本当。ま、そういう人は、“ごくごくフツーのことを歌っているよう”ってところで止まってるんだな、きっと。
つまり、演技や計算には、自分自身を把握する強い客観性が必要と言ったけど、あゆの“自分を見つめるもう一人の自分の目”という客観性が優れていれば優れているほど、“まんま”になっていくわけだよ。客観的になればなるほど、自分自身(主観)に近づいていくわけ。客観的でありながら、それは主観に向かってる。あゆを聴いてると、自分の中の余計なものが削ぎ落とされていって、シンプルになっていく気がするのはそのせいか。だから、ごくごくフツーの一般的なことを歌っているようでいて、自分の想いまんまの個人的なことを歌っていて、それがまた普遍的なことにも繋がっているんだよ。客観の中に主観を、主観の中に客観を感じ取り、それは演技でも計算でも予定調和でも何でもなくて、それに心を動かされるのであって、それを前にしたら演技とか計算とかどーでも良くなってしまうんだけどなぁ。ま、方法なんていくらでもあるんだろうし、こういう方法もあるってことだよ。
だからこそ、その歌は、“あゆの歌”でありながら、“私(誰か)の歌”にもなり得て、“遠くて近い”なんていう不思議な距離感が生まれたりするのだろう。「あなたと私は違うし同じ」で書いたようなことかな。そう、私にとってあゆは“遠くて近い存在”なんだ。
“時代を読んでる”とか言う人もいるかも知れない。でもそれは、自分自身を探していった結果、そうなっただけなんだ。受け取る側は、何もそこまで考えなくても良いのかも知れない。でも、そうじゃなきゃ、ここまで人気にはなってないだろうしね。売り上げとか数字的な意味じゃなくて、思い入れ度とかそういう意味でね。人は、表層的なものだけじゃ、決して満足できないだろうから。
何年か前、あゆは、「ライヴは最高だけど、その反面、孤独で」と言っていた。そういや、そういうこと、UAも言ってたな。でも、UAは、「前は、ライヴに対して、どうして私ばっかり裸にされて、孤独でって思っていたけど、今は、それは丸っきり私の間違えだったと言える」というように言っていた。今、あゆがどう感じているか分からないけど、あゆもUAみたいに思えてると良いな~。ま、私の単なる身勝手な願いだけどね。
「WHATEVER」~「immature」ではじまりますかぁ。つうか、「Duty」に「TO BE」ってどういうことですか? 「Key ~eternal tie ver.~」って。超聴きたいっつうの! こんな懐かしい曲もやってくれるんだぁ。あゆにとってカウントダウンライヴは、2000年からやっていて今回で5回目になるんだけど、エレカシで言うところの野音みたいな感じなのかなぁ。うう~、行きたかったぜ! しっかし、『MY STORY TOUR』でも1曲目「HAPPY ENDING」、予想つかなかったしなぁ。だって、エンディングではじめるんだよ?(笑) やっぱ、あゆってひねくれ者だよ~。それでいて、まっすぐなんだから。まっすぐなひねくれ者!
セットリストだけじゃない。『MY STORY TOUR』の方は、大掛かりなステージ、大きなスケールでアルバム『MY STORY』の世界を表現していたけど、こっちの方はアットホームっつうかシンプルっつうか。同じ会場なのに、感じがぜんぜん違う。和太鼓チームと競演したり、「INSPIRE」でホーンをばりばりに導入したりしてるけど(これは打ち込みかな?)、根っこにある部分が非常にシンプルなんだよね。だからこそ、こういうアレンジが映えるのか。足元がしっかりしてなきゃ、こういうことはできないんだね。
ま~でも、何と言っても、アコースティックですよ! 何だよこれー。こんなのやるんだったら行ったよー。しかも、「TO BE」に「Key ~eternal tie ver.~」ですか。特に「TO BE」なんて、聴きたいに決まってるじゃないか!(「言葉のおもさ」参照) まぁでも、こうしてDVDになってくれて良かった。あゆの歌声が好きな私にとって、アコースティックが良くないわけがありません。あゆ自身もガツンときたみたいね。「懐かしかったね~今の! どう? 良い感じだった?」って興奮&照れ隠し気味に客席に聞いてるもん。そのままサラ~ッとキメておけば良いものを。でも、そんなあゆちゃんが好き☆
「TO BE」は、歌詞に<君>って出てくるけど、これは、自分自身との対話(君=自分)とも取れるんだよなぁ。もちろん聴いた人それぞれが自由に解釈すれば良いんだけど、私はそうとも取れるなって思ったわけ。そう思うと、ますます染み入ってくるわけ。でさ~、そしたら、CDジャケットも、あゆが二人いるやつなんだね。やっぱりそうだよね!あゆちん!って勝手に盛り上がっちゃいます。
ライヴ全体の流れを見ながら、これは後に続く『MY STORY TOUR』の裏バージョンかもって思った。「WHATEVER」~「immature」の初期の曲にはじまって(「WHATEVER」はあゆの最初のツアーの1曲目)、象徴的な「Duty」、そして初めてあゆが作曲した「M」。全体を通して、あゆのこれまでの歩みを一緒にたどるような。それは、『MY STORY TOUR』にも同じことが言えて。だから、このライヴは『裏 MY STORY TOUR』なんだなって思った。
というか、「Duty」にビックリした。「Duty」をこんなに優しく歌えるようになったんだ!って。CDと聴き比べてみれば分かると思うけど、この曲はタイトルからして“義務”だし、ヘヴィな感じで、覚悟を決めて腹を括りだした、自分や色んなものと向き合いだしたことを象徴するような曲だと思うんだけど、だから、歌い方からサウンドから何から何まで、クドいくらいにヘヴィかつディープな曲なのよ。そんな曲をこんなに優しく歌えるようになったんだ~!って、嬉しくなっちゃったよ。やっぱ、変化していくんだね。
「Trauma」で事故発生!(笑) あゆが2番の歌詞を忘れて、2番ほとんど歌えてません(笑)。これは貴重かも。あゆが歌詞を忘れて、しかもこんなに崩れるとこ、滅多に見ないからなぁ。結局思い出せず「歌詞を忘れたよ♪」と歌いながら(笑)、「ぜんぜん分からないよー!」って叫び、間奏部分で崩れ落ち、両手を合わせて謝ってました。よっちゃんに笑われてました。いやぁ、これは貴重。でも、よくよく聴いたら、「evolution」でも歌詞が1番と2番ごちゃ混ぜになってました(笑)。
これは、このライヴに限った話じゃないんだけど、あゆって本当、ファンに向かう気持ちの強さみたいなものが物凄いんだよね。私は、もっと違う印象だった。良い意味でも悪い意味でもなく、もっとこう、私は私、ファンはファンみたいなクールな印象だった。でも、ぜんぜん違った。むしろ、熱い。もしかしたら、テレビとかでちらっと見る感じでは意外かも知れない。私があゆを好きになるずっと前、電器屋でたまたまあゆのライヴ映像を見かけたとき、「何か」を感じたのはこれだったのかもなぁ。懸命にお客さんに向かって投げかけてて、「随分と印象と違うんだな」と思ったのを覚えてるよ。なんだ、そのときから気になってたんじゃん自分!(笑) 大体、クールな人だったら、「evolution」で、ハッピ着て股開いて、「は~、せいや~!」なんてやりませんよね(笑)。
なんかね、これだけ人気があるのは、ファンがあゆを求めているからに他ならないんだろうけど、あゆもファンを求めてるんだなっていうか、なんかそういうのを凄く感じるんだよなぁ。伝わってくる。だからファンも、そんなに求められちゃーこっちも!みたいになるのかな?(笑) ファンじゃない人からしたら、クドくてウザいかも知れない(笑)。
誤解を恐れず言わせてもらうと、“計算された表現”なんて何も分かってないね! そんな人はあゆの何も見てないよ! あの、ファンに向かう気持ちの強さを見てみろよ! まぁ、ちょっと落ち着いて話をしますと(笑)、計算の部分は計算、演技の部分は演技ですよ。“計算された表現”もあながち間違いではないでしょう。しかし、演技だから嘘ということではないし、計算だから心がないということではない。「『自分自身』と『自分の意見』がなければ、うまく演じることはできない」と誰かも言っておりました。演技や計算は、強い意志のもとに成り立つのであって、逆に言えば、それがなければ、演じることなどできなければ、何をどう計算したら良いのかなんて分かりはしないはず。「やりたいこと」がなければ、あるいは、「何をやりたいか/何をやるべきか」を自分自身で把握し理解することができなければ、演じることも計算することも、何一つできないはず。演技や計算と言っても、それは表現の上に成り立つのであって、演じると言っても、結局は「自分自身を演じる」ことに他ならない。そのためには、優れた客観性とかが必要なんだろうな。“計算されたものだからリアルじゃない”とか“演技だから嘘”とか言う人は、自分にその能力がないからひがんでるんだ!(笑) もっと言えば、演技や計算のない表現なんてないんだと思う。
最後は、「winding road」。さっき、あゆのこれまでの歩みが伝わってくるって書いたけど、この曲で締めるなんて、まさに!だね。この曲、『MY STORY TOUR』ではやらなかったんだよなぁ。この曲で泣いてしまってるあゆを見ながら、そりゃー泣くよなって思った。それほど、あゆの想いまんまの曲だから。それほど、あゆの歌唱に説得力があるから。一見すると、ごくごくフツーのことを歌っているようなんだけど、やっぱり、あゆの想いまんまの曲になってるんだよね。だから、どこが計算じゃー!って言いたくなるね、本当。ま、そういう人は、“ごくごくフツーのことを歌っているよう”ってところで止まってるんだな、きっと。
つまり、演技や計算には、自分自身を把握する強い客観性が必要と言ったけど、あゆの“自分を見つめるもう一人の自分の目”という客観性が優れていれば優れているほど、“まんま”になっていくわけだよ。客観的になればなるほど、自分自身(主観)に近づいていくわけ。客観的でありながら、それは主観に向かってる。あゆを聴いてると、自分の中の余計なものが削ぎ落とされていって、シンプルになっていく気がするのはそのせいか。だから、ごくごくフツーの一般的なことを歌っているようでいて、自分の想いまんまの個人的なことを歌っていて、それがまた普遍的なことにも繋がっているんだよ。客観の中に主観を、主観の中に客観を感じ取り、それは演技でも計算でも予定調和でも何でもなくて、それに心を動かされるのであって、それを前にしたら演技とか計算とかどーでも良くなってしまうんだけどなぁ。ま、方法なんていくらでもあるんだろうし、こういう方法もあるってことだよ。
だからこそ、その歌は、“あゆの歌”でありながら、“私(誰か)の歌”にもなり得て、“遠くて近い”なんていう不思議な距離感が生まれたりするのだろう。「あなたと私は違うし同じ」で書いたようなことかな。そう、私にとってあゆは“遠くて近い存在”なんだ。
“時代を読んでる”とか言う人もいるかも知れない。でもそれは、自分自身を探していった結果、そうなっただけなんだ。受け取る側は、何もそこまで考えなくても良いのかも知れない。でも、そうじゃなきゃ、ここまで人気にはなってないだろうしね。売り上げとか数字的な意味じゃなくて、思い入れ度とかそういう意味でね。人は、表層的なものだけじゃ、決して満足できないだろうから。
何年か前、あゆは、「ライヴは最高だけど、その反面、孤独で」と言っていた。そういや、そういうこと、UAも言ってたな。でも、UAは、「前は、ライヴに対して、どうして私ばっかり裸にされて、孤独でって思っていたけど、今は、それは丸っきり私の間違えだったと言える」というように言っていた。今、あゆがどう感じているか分からないけど、あゆもUAみたいに思えてると良いな~。ま、私の単なる身勝手な願いだけどね。