前々回で、私は、人に「音楽好き」と言えるくらいになったのは遅い方かも知れないが、昨日今日音楽を聴き始めたわけではない、と書いた。では、私は今まで、どんな風に音楽と付き合ってきたのかを考えてみた。私なりの「肥えた耳」や「成長過程」を探すのだ!
中学生の頃から、B'z、ユニコーン、ブーム、東京少年(懐かしー! つい最近も聴いたけど良かったよ! ニューウェーヴの匂いプンプン! 当時はそんなことお構いなしだったけどね)とか、音楽は結構聴いていたけど、熱心に聴くようになった最初のアーティストとなると、「L⇔R」だろうなぁ。それまでは、メンバーの名前とか顔とか人物像なんかどーでも良かったし(名前くらいはチェックしてたかもだけど)、インタビューなんて読まないし、ルーツなんて「はい? 何のことですか?」状態だったと思うし、コンサートなんて「行く」という発想すら抱かなかったもん。それでも、音楽に何やら神ががり的なものというか魔法的なものは感じていたと思う。だから、わけも分からず「何だかよく分からないけど、これから目(耳)を離さない方が良いみたいだぞ!」みたいな妙な思い込みはあったかも知れない。怪しいものだったんだよ音楽って。もちろん今もだけど。
L⇔Rにハマったおかげで、インタビューや音楽雑誌を読んだり、ラジオを聞いたり、彼らが影響を受けたと言う音楽を聴いてみたり、そして、初めてコンサートに行ったり、色々した。いつしか興味の対象は「L⇔R」よりも「音楽」になっていって、まぁ、そっからだなぁ。色々な音楽を聴くようになった。
「L⇔R時代」(と名付けてみる)は、もちろん彼らが大好きだったけれど、あんまり歌詞とか気にしてなかった気がする。インタビューとかも読むんだけど、彼らの人間性が云々とか、音楽性が云々とかあんまり考えてなかったと思う。でも、色々な音楽を聴いていくうちに徐々に変化してきて。歌詞も気にするようになったし、考えるようになった。その人の物の考え方とか、表現に対する姿勢とかも考えるようになった。そういう音だけじゃない部分も含めて楽しむようになったし、また、そういう部分が音に直結しているんだなと感じるようになった。音以外の要素も「音楽」として楽しむようになったというか、「音楽」の中に音以外の要素も見つけたというか。
だから、ただ単に音を楽しむだけじゃなくて、そこに内包されている物の考え方であるとか、大げさであんまり使いたくはないけど人生観とかにも影響されるようになっていったんだと思う。例えば、どうしてこの人は音楽を鳴らすのかとか、どうしてこのような音楽になっているのかとか、自分は何故その音楽が好きなのかとか、自分はその音楽のどんな部分に惹かれたのかとか、そういうことをイチイチ考えるようになったというわけだ。音楽とより深いところで繋がろうとしたのかな。結局そういうのって、自分はどういう人間なのか?とか、生きるとは?ってところまでいっちゃうから、なんか、クサくて嫌なんだけど。(それが前回言った「聴き方」が幼稚な気がするってことかも)
考えてみれば、私の「音楽好き」のスタートとも言えるL⇔Rにハマるキッカケとなったアルバムのタイトルからして『ラック・オヴ・リーズン』なんだもん。『理由が欠けている』んだよ? だからこんな、理由を探す旅みたいなもんが始まっちゃったんだよ。L⇔Rめ…。
しかし、その一方で、これはもはや「音楽」と言えるんだろうかって思ったりもする。例えば、歌詞のことばっか書かれたレヴューとか精神論めいたことばっか述べられた評論に対して、「これはもはや音楽じゃないじゃん」とか言う人いるでしょう。でも、だったら、「音楽って何だろう」って思うわけです。私はそうやって「音楽じゃない」って切り捨てることはできない。何故なら、歌詞に感動したり精神論めいたことに共感してしまったりするときもあるから。でも、かと言って、歌詞カードだけを読んで満足したりはしない。だったら、詩集を読んでりゃ良いわけだから。やっぱり、そこには音がなくちゃ絶対にダメで。でも、音だけじゃないことも確かで。
さっき、理由を探す旅だなんて言ったけど、そうやって色々考えるようになった分、今では何とな~く自分が好きになる音楽に対して、「ああ、私が好きになるの分かる気がする」って自分で思ったりする。でも、そんな色んなことに対して理由を考えたりするよりも、ただただ音を楽しんでいた「L⇔R時代」の方が、自分は純粋に音楽を楽しめていたのではないだろうかとも思ったりする。でも、やっぱり、それは違う。だって、人は色々な人や出来事と出会ったり別れたりして、色々なことを経験したり考えたりして、生きているんだもの。だから、音楽に対してだって、色々考えるようになるのは自然なことで、当然なことで、健康的なことだと私は思う。だからといって、最初に好きになったときの純粋な気持ちを失うわけじゃない。それがあるから、今も音楽を聴いているんだし、考えているんだと思う。それにね、「L⇔R時代」だって(おそらくその前だって)、自分では気付いてなかったかも知れないけど、音以外の何かも聴いていたんだよ、確実にね。
それに、今だってあるんだよね。自分が予想もしていなかった音楽を好きになっちゃうことって。さっき言ったみたいに「私が好きになるの分かる気がする」ってのもあるんだけど、「私こんなのも好きなんか!?」ってのもあるんだよ。考えたって考えたって、「理由」だけでは好きにはなれないってことなんだよ。何せ、『ラック・オヴ・リーズン』で始まってますから。
ああ、この一連の「理由を探す旅」(?)、次の回で終わらせることができるのかなぁ。…たぶん。
中学生の頃から、B'z、ユニコーン、ブーム、東京少年(懐かしー! つい最近も聴いたけど良かったよ! ニューウェーヴの匂いプンプン! 当時はそんなことお構いなしだったけどね)とか、音楽は結構聴いていたけど、熱心に聴くようになった最初のアーティストとなると、「L⇔R」だろうなぁ。それまでは、メンバーの名前とか顔とか人物像なんかどーでも良かったし(名前くらいはチェックしてたかもだけど)、インタビューなんて読まないし、ルーツなんて「はい? 何のことですか?」状態だったと思うし、コンサートなんて「行く」という発想すら抱かなかったもん。それでも、音楽に何やら神ががり的なものというか魔法的なものは感じていたと思う。だから、わけも分からず「何だかよく分からないけど、これから目(耳)を離さない方が良いみたいだぞ!」みたいな妙な思い込みはあったかも知れない。怪しいものだったんだよ音楽って。もちろん今もだけど。
L⇔Rにハマったおかげで、インタビューや音楽雑誌を読んだり、ラジオを聞いたり、彼らが影響を受けたと言う音楽を聴いてみたり、そして、初めてコンサートに行ったり、色々した。いつしか興味の対象は「L⇔R」よりも「音楽」になっていって、まぁ、そっからだなぁ。色々な音楽を聴くようになった。
「L⇔R時代」(と名付けてみる)は、もちろん彼らが大好きだったけれど、あんまり歌詞とか気にしてなかった気がする。インタビューとかも読むんだけど、彼らの人間性が云々とか、音楽性が云々とかあんまり考えてなかったと思う。でも、色々な音楽を聴いていくうちに徐々に変化してきて。歌詞も気にするようになったし、考えるようになった。その人の物の考え方とか、表現に対する姿勢とかも考えるようになった。そういう音だけじゃない部分も含めて楽しむようになったし、また、そういう部分が音に直結しているんだなと感じるようになった。音以外の要素も「音楽」として楽しむようになったというか、「音楽」の中に音以外の要素も見つけたというか。
だから、ただ単に音を楽しむだけじゃなくて、そこに内包されている物の考え方であるとか、大げさであんまり使いたくはないけど人生観とかにも影響されるようになっていったんだと思う。例えば、どうしてこの人は音楽を鳴らすのかとか、どうしてこのような音楽になっているのかとか、自分は何故その音楽が好きなのかとか、自分はその音楽のどんな部分に惹かれたのかとか、そういうことをイチイチ考えるようになったというわけだ。音楽とより深いところで繋がろうとしたのかな。結局そういうのって、自分はどういう人間なのか?とか、生きるとは?ってところまでいっちゃうから、なんか、クサくて嫌なんだけど。(それが前回言った「聴き方」が幼稚な気がするってことかも)
考えてみれば、私の「音楽好き」のスタートとも言えるL⇔Rにハマるキッカケとなったアルバムのタイトルからして『ラック・オヴ・リーズン』なんだもん。『理由が欠けている』んだよ? だからこんな、理由を探す旅みたいなもんが始まっちゃったんだよ。L⇔Rめ…。
しかし、その一方で、これはもはや「音楽」と言えるんだろうかって思ったりもする。例えば、歌詞のことばっか書かれたレヴューとか精神論めいたことばっか述べられた評論に対して、「これはもはや音楽じゃないじゃん」とか言う人いるでしょう。でも、だったら、「音楽って何だろう」って思うわけです。私はそうやって「音楽じゃない」って切り捨てることはできない。何故なら、歌詞に感動したり精神論めいたことに共感してしまったりするときもあるから。でも、かと言って、歌詞カードだけを読んで満足したりはしない。だったら、詩集を読んでりゃ良いわけだから。やっぱり、そこには音がなくちゃ絶対にダメで。でも、音だけじゃないことも確かで。
さっき、理由を探す旅だなんて言ったけど、そうやって色々考えるようになった分、今では何とな~く自分が好きになる音楽に対して、「ああ、私が好きになるの分かる気がする」って自分で思ったりする。でも、そんな色んなことに対して理由を考えたりするよりも、ただただ音を楽しんでいた「L⇔R時代」の方が、自分は純粋に音楽を楽しめていたのではないだろうかとも思ったりする。でも、やっぱり、それは違う。だって、人は色々な人や出来事と出会ったり別れたりして、色々なことを経験したり考えたりして、生きているんだもの。だから、音楽に対してだって、色々考えるようになるのは自然なことで、当然なことで、健康的なことだと私は思う。だからといって、最初に好きになったときの純粋な気持ちを失うわけじゃない。それがあるから、今も音楽を聴いているんだし、考えているんだと思う。それにね、「L⇔R時代」だって(おそらくその前だって)、自分では気付いてなかったかも知れないけど、音以外の何かも聴いていたんだよ、確実にね。
それに、今だってあるんだよね。自分が予想もしていなかった音楽を好きになっちゃうことって。さっき言ったみたいに「私が好きになるの分かる気がする」ってのもあるんだけど、「私こんなのも好きなんか!?」ってのもあるんだよ。考えたって考えたって、「理由」だけでは好きにはなれないってことなんだよ。何せ、『ラック・オヴ・リーズン』で始まってますから。
ああ、この一連の「理由を探す旅」(?)、次の回で終わらせることができるのかなぁ。…たぶん。