人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

持続的な幸福と意識の流れ

2024-05-12 09:45:22 | 意識、照明
昨夜は、思いがけずに“持続的な幸福“が顕わになるということに与ったのでした。
一寸、楽屋話みたいで分かりにくいかもしれませんが、発端は、いつもコメントを下さる「のしてんてん」さんのブログで、至福感が消えてしまう、持続的な幸福というものはあるのか、という話で共感するものがあり、私は“人間存在は、表層の思いと内奥的な意識の間を生きているもので、そこに意識を向けることにヒントがあるのではないか?“、というコメントをしたのでした。
ところが、それから私のブログのコメント欄を交えて、何度かやり取りを重ねているうちに、次第にその私が提起した問題から逸れて、何だか抽象的な言葉のキャッチボールをやっているような様相を呈して来たので、“幸福が逃げてゆく...”というような感じたままの詩文を書いたりして、見解の相異もあるようで仕方ないな、と感じていたのでした。
ところがNさんも、実は先の共感点を持ち続けておられ、いつの間にかそこから逸れてしまったことに気付かれ、再び互いの接点を持ち合えたこと、そのことを確認することが出来た、というところからそういうことに与ったという次第なのです。
私は否応なしに、表層の思いと内奥的な意識の間に立たされたという感じになりました。
すると忽然と泉から水がコンコンと流れ出て来るようにも、持続的な幸福の意識の流れのようなものを感知したのでした。
これは、米国の哲学者ウィリアム.ジェイムスが説いていた、“意識の流れ“ということと関わるものと言えるでしょう。
それは、一時の有頂天のような歓喜の爆発のようなものでなく、それは確かに例えば泉からの水の表れが、その地下では絶えない水流を感じさせるような、持続的なものだったのです。
私は正にこうしたことに触れようとしていたのです。そして、ここから意識が逸れると、その幸福感から遠のいてしまうということも!
先の発端となった私のコメントは、覚醒体験のようなものに伴う、至福感というものとの関連で述べたものだったのですが、ここではそれと切り離しても理解出来るでしょうが、ちなみにそういうものは先の爆発的なものなので、消えてしまうように感じるものだ、ということを言い添えておきましょう。
そして留意して欲しいことは、ここでは、“如何にして幸福を持続させることが出来るか“、という話をしている訳ではないということです。
それに従うなら、そうやって持続させようという思いに囚われるから、その幸福の意識の流れが途絶えてしまうのだ、ということも又言い添えておきます。
事実は、表層の私がそのことを忘れていようと、消えたように感じていようと内奥の意識下では絶えずそうした意識の流れが続いているということであり、大事なことは、そのことに気付いているかどうかということでしょう。
それを捉えようとするのではなく、気付き、感じていたらいいのです。
又、Nさんは、幸福を感じているのは、表層の私か内奥の意識的な実在(?)か、ということを問題にされていたようなのですが、勿論意識下の、その別なる私のようなもののことは分からないのです。
それが顕わになることにより、表層のみに囚われている私では知覚出来ない、その思いを超えたものの消息を感じることが出来るということです。
これから得ようとするのでなく、すでに流れているものがあるから意識が向かうのです。
そして、そこには幸福が持続されているのです。
(以上のような貴重な経験に与る機会も、のしてんてんさんとのやり取り無しには出来得ませんでした。この場を借りて感謝申し上げます)
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