人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人間界の現実?

2022-11-13 09:26:15 | 独語
何?、寝て起きてみたら、例の耳鳴りや何かが臨む感じが無くなってしまったので、又寝て起きたら回復してるだろうって?...
どうだった?...どうともならんだろう!
自ずからそうなるんだって?...ならんだろう!
“このもの無しでは、すべての良きことは何も始まらない“、だと?...このものが無かったら、感じられなかったらどうするんだ?
今のお前には、これまで神がかったような、超然としたもののように言って来たことが、ブーメランのように跳ね返って来てるようだな?
“現実を受け入れなければならない!“、とか?...そうだ、これが今のお前の現実だ!
別世界の、超然とした世界に居るつもりのお前には分からないだろう?...これが人間界の現実というものなんだ!、とくと味わうがいい!
“私は何も出来ない!“...ほう、無為の境地とやらか?...無為のままでは、この世界じゃ生きて行かれないんだ!
何にもしないなんて!...何か肝心のものが無い、何をしていいか分からない、何のためかも、どこに向かうのかも分からない!...でも、人間てヤツは、何かをしなければならないんだ!
何かが無い!...何にも無い、掴むものが無い!...でも何かを掴まずにおれないんだ!
“掴むので無しに、捉えられることから開かれる“、だあ?...捉えられるものが無い!、でも捉えないとならない、だから囚われてしまうんだ!
捉えたものは、確かなものかどうかは分からない!...“りありてぃ“ぽいものでも感じられるでもないし...不確かでも確かなものと信じてこの手に握らなければならない、握ったつもりでも...
お前も分かっているだろうが、これはことの善し悪しじゃない!
そういうものなんだ、人間界てところはな!
善いか悪いかは分からないが、そうやって生きているうちに、幸福に感じるか、不幸に感じるかというのは出て来る...“幸福な方に自ずと意識が向けられる!“...だから、そういう夢みたいなことはここではまず無いんだよ!
寝て起きてみたら、“何という恵まれた夢!“かということが分かったはずだろう...
“頭の記憶でなく、身体的に覚えられている“?...覚えているのか?
“えーっと、えーっと、“って、何思い出そうとしてんだ、バカ!
“つい、一昨日までのことなのに“、って、前世のことなんじゃないのか?
“ウン、ウン“、唸ってたって、来ないものは来ないし、無いものは無い!
たとえ、何も来なくても、明日を信じて生きてゆかねばならない!
何も無くても、あると信じて生きてゆかねばならない!
来てない!、ここに無い!...いや、感じられない!...
来てても、あっても感じられない!...どうする?...信じなきゃしょうがないだろう?
何かをやらなきゃしょうがないだろう?
たとえ、信じられないような恩恵を受けたのが、夢だったとしても...
彼方の方で何かの響きが感じられたような気がしても...

しょうがないよなあ、人間界てとこは?
“このものの前には、もはやどこにも逃げようが無い!“...そう、もうお前は逃げられない!...この現実からは!...
コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祈るしかない... | トップ | このもの無しでは... »

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mirfak)
2022-11-13 20:46:40
シタテルヒコさんの話を伺って私が試している方法はこんな感じです。
一つは手のひらの泡立つような感じに気をつける方法。
やり方は二つあって手のひらを下にして膝の辺りに置いて、しばらくしてから手のひらを上に向ける。すると手のひらが敏感になってシュワシュワっと泡立つような感じがするのに意識を向けます。これは山下良道さんから学んだやり方。
もう一つは手のひらを少し広げると皮膚感覚が敏感になるので、その感覚に注意して繋がっていると感じる。これはエリック・パールさんのリコネクティブ・ヒーリングの方法。
もう一つ頭頂のモゾモゾした感覚に注意する方法。これは頭頂に軽く意識を置く(炁楽仙女さんの方法)、または頭の上の空間に意識を置いてみるなどしてみます。
いずれにしても意識とは関係なく生じている感覚に気付かされてそこに引き込まれていくとシタテルヒコさんの現臨感覚になるのかなと試してみたりしています。

むかし高周波の耳鳴りに意識を向けるのをやっていたこともありましたが、友人に「そんなことしているとノイローゼになるぞ」と言われて辞めてしまいましたが、先日の記事を読んでまたやってみようと思いました。
返信する
Unknown (シタテルヒコ)
2022-11-13 22:18:51
mirfakさん、コメント有難うございます。
それで思い出したのですが、初めてああいう感覚が芽生えたのは、手の辺り(全体的)からで、道院の坐法実修中が多かったのですが、正に手の平を下にして膝に置いていました。他の方法の例を見ても、どうも手の辺りが感応し易いようですね。
なお、記事ではあのようなことを書いていますが、あまり、如何にあの感覚を取り戻そうかとかに囚われている訳でもなく、悲観的にはなっていません。
ただ、(人間界?の)当たり前の感覚というものを疎かにしていたことなど、実地に気付かされたように感じています。
返信する
一つだけ言えること (のしてんてん)
2022-11-14 11:13:44
耳鳴りカラ、現実に目を向けられた感じがしますが、記事と内面の間にある隔壁みたいなものは私にも分かります。
結局何もわからないのですが、たった一つだけ言えることはこの文面、この感覚と思い。この一切合切の全てが人間界であるということ。その中でも方法論は生臭いほど人間臭にまみれています。
その何十億もの人間一人ひとりが空の中で別々の地番を持って存在しているのですから、誰かがイイということを鵜呑みにしてはいけないということでしょうね。自分の地番でそれは同じように育つのかどうか。だから頼りはただ自分の中にあるエネルギーの変化や感じを体感するだけですかね。

その体感に至福感が伴い、自分を越えて行く高揚感があれば、それが私の言う空体のエネルギーと同調している証しと考えている。ただそれだけのことなのですね。知らんけど(大阪人的落ち)

どうあがいても人間を越えられないからこそ人間なのですから、ならば人間をどこまで成長させることが出来るかと言う視点が大事なのだと思います。
返信する
Unknown (シタテルヒコ)
2022-11-14 14:19:16
多くの人には何のことやらサッパリ分からないだろうけど、私には一大事だったこの度の体験、切っ掛けはのしてんてんさんとのやり取りからだったと思います。
ああいう超越的?感覚というのは、失ってみて如何に驚愕的なものか、有難いものかということがわかりました。そして、それに与るといっても所詮は、ただの人間だということは忘れてはならないこと、肝に応えました。貴重な学びだったと思います。
それにしても、秘伝を洩らすと、テキメンに報い?が来ること、驚きました。
あれは、本質的でないものには囚われるな!、ということかもしれません。
返信する
少し戸惑っています (のしてんてん)
2022-11-14 20:13:13
後に続く記事の連鎖に戸惑いながら、現臨は決してなくなってはいないし、遠ざかることもないということだけは言わせてください。
もし消えたものがあるとしたら、それは現臨ではない何か、そう、本質的でない何かなのでしょう。
私も覚えのある体験ですが、これはチャンスでもありますね。
消えたものを取り戻そうとしないでありのままを無批判に見つめていたら、そこに見えてくるものが、さらに濃縮された現臨体験だと思います。
返信する
Unknown (シタテルヒコ)
2022-11-14 20:53:29
<もし、消えたものがあるとしたら、それは現臨でない何かでしょう!
全く私の本心を代弁されている言葉です。
消えたと思うのは、過去にも何度かありましたが、正にそう思っている私なのです。
そうなっているのに、不思議と落胆することも無いし、自覚されない私の奥では何も変わっていないようにも仄かに感じられたのです。
ただ、表層の自覚意識とのギャップは大きすぎました。
あの感覚が完全に無くなることなどあり得ないことです。実は昨夜寝る前、感覚は後退したままでしたが、じわじわと歓喜が押し寄せる感じがあって、安らぎの内に眠りに入ったのでした。
そうですね、この件が何かの符節のようにも感じています。
返信する
よかったで^す^ (のしてんてん)
2022-11-15 11:39:10
「じわじわと歓喜が押し寄せる感じ」
わたし的に言えば、この感じこそ、空体に同化していく感覚なのです。エネルギーの内側を体感すると
きっとこんな感じなんだろうと思っています。

これは勝手に思っているので、真に受けないで欲しいのですが、何かの符節と言われるのは羽化のようなもので消えたのはその殻だったのかもしれません。
現臨から人に向かう流れが生まれるのではないでしょうか。
返信する
Unknown (シタテルヒコ)
2022-11-15 14:25:24
今思えば、消えたように感じる直前、耳鳴りがとても激しかったのです。
膨張して破れて萎んだか...外に広がったらいいのですがね。
どっちにしても、あまり囚われないで静観してみます。
返信する
おめでとうと言うべきかもしれません (のしてんてん)
2022-11-15 17:44:55
大きな囚われが消えたのかもしれませんね。
静観しながら
何もない、そのこと(空)に意識を向けると、空の内側の感じがあって、空をつかむ契機になるかもしれません。(知らんけど)

返信は御無用になさってください。
返信する

コメントを投稿

独語」カテゴリの最新記事