人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私の神

2023-12-13 08:15:54 | 
「私はキリストをほかにして神を知りません。多くの神があります。人それぞれに神というものをもっているでしょう。けれども私は自分の贖い主キリスト以外に神を知りません。知らんのだから、しかたがない」(手島郁郎「ロマ書講話上巻」/手島郁郎文庫刊)

手島郁郎先生は、キリスト教はその母体となったユダヤ教と切り離されない、その接続性というものをいつも強調されていました。
ユダヤ教は、一般にはユダヤ民族固有の神観を持っていて、律法の遵守を重んじていたことが知られています。
そこから派生したキリスト教は、人種、民族を超えたもので、律法よりも神の愛が重要とされていることが又知られています。
教会で「さあ、皆さん、ご一緒に愛なるキリストの神を信じましょう」と教え、説かれているとおりです。
しかし、手島先生の語り口から伝わるものは、全く違うトーンのものではありませんか?
そこには、ユダヤ教やキリスト教の一般的理解なんてものは何も伝わってきません。
先生にとって神とは、キリストとして示されたものであり、言うまでもなく、それは先生に直接臨在されたものに違いないでしょう。
そこで私が感じるに、ユダヤ教、キリスト教を貫くものがあるとしたら、”シェキナー”と呼ばれる、その神的な臨在感というものだろうと思います。
いや、それは特に両教にあって特に強調されてきたものではあるけれど、すべての宗教を貫いている、生命の根幹となるものなのではないか?
だから、もはや何教、何の神など関係ないではないか!
全くもって神は、あなたや私に直に臨み、本当の意味で主となるものをおいてはあり得ないのです!
神は一人一人の実存に臨在する...それは、如何なる人種、民族、宗教(キリスト教会はこの三つめのことは言わないが!)をも超えているのです。
これは、けだし神にあることは、我々の思いを超えているということに尽きるのです。
私は私の神しか知らない!...あなたがあなたの神しか知らないように!
だから、いくら私が神の愛に与っていようと、それを他人に及ぼそうなどとはかることは出来ないことだし、余計な越権というものでしょう。
個的な、私的なことは何と普遍的なことなのだろうか!
しかし、神は普遍的なものと多くの宗教では説かれていますが、その実は数多の相克の種となっているのです。
抽象的な普遍的真理らしきものほどウソっぽいものはありません。
しかし又、全く別の感じ方で、神は普遍的なものであることを私は疑うことが出来ません。
どうしても、そう頷かざるを得ないものがあるのです。
それはどこまでも私やあなたの神に聞かなければ分からないものなのでしょう!...






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