人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

オリジナリティって何だ?

2018-04-12 17:06:11 | 雑感
私は、スピ的なものを広く知っている訳では無いのですが、私が書いていること、例えば自分が何かを観照するのでなしに、何かに観照されているような感覚ー"照明"というようなことに触れている記事は、不勉強かもしれませんが、他にほとんどお目にかかったことがありません。これは実に、ジッつに重要なことなハズですよi そうでしょ?
そういうこと無しに、精神的な道での導きに預かれないのですよi 暗夜の灯火みたいなものなんです。
又、"現臨"というような表現にしても...それは抽象的でない、霊なるハタラキ、又真我的なものとつながることを一言で言い表しているものです。"このもの無くして一体何がスピリチュアリティかi "てなものですi
これはコペルニクスのような大発見かもしれない...ナアーンちゃって...
んな訳ないでしょーがi
私がいくらウヌボレの強い人間でも、本気でそんなこと考えているとしたらホントにお目出度いことです。
照明みたいなことは、古代からずっと所謂神秘主義(スーフィーには照明学派なんてのもある)などで言われ続けていることだし、第一に哲学の源泉であり、道標となるものなのです。
現臨と私が呼んでいる霊妙なハタラキの無いところに、すべての宗教もスピも生まれるハズが無いのですi そうでなければ、それはイミテーションでしかないでしょう。
私はいつもヘンテコリンな、目新しいそうな?ことを書いているようで、それはそういう言葉をデッチあげてるだけで、ホントはオリジナルなものなど何一つ無いのです。
色んな本を読んでいるのは、確かなことで、頭のどっかにあるようなことが勝手に表に出てきたり、そう、たまに借用することもある...かもしれない?(なるべく、誰の引用かというのは明記するようにはしてます)
あからさまなパクりはやらないようにしてますが、以前ほとんど時期を同じくして、似かよった内容の他の記事がアップされたこともあったり(数日私の方が早かった)、意図的でなしにそのように見られることもしてしまうこともあるでしょう。
そんな訳でこのブログに、オリジナルなものは求められないのです。
ことにオリジナルな教説、メソッド...全く無縁です。誰しもが頷ける(現実にはともかく?)ような普遍性に根差したものを...というような促しはどっかから受けていますが...
重要なことは偉大な先人たちが既に切り開き、述べ伝えられているのです。
このように、オリジナリティは欠如しているかも分かりませんし、遠慮なく先人の言葉も(それに敬意を表して)引用させてもらいますが、ただ私は言葉をこっちからあっちへ運ぶだけのことはしたくありません。
それは読み手にとっても、自分自身にとっても不誠実な態度と言わねばなりません。
誰しもがそうであるように、私の内には、コンコンと尽きて止まない、霊なる命のプールのようなものが認められます。
これがあるからこそ、他者のメッセージに触れて共感することが出来るのです。
おそらくは、そのプールは普遍的にあらゆる者と共有しているのでしょう。
だからこそ、私はそこで意識を高揚させ、理屈抜きにワクワクさせられる、その感じに預かったことを、その回廊を通過したことを伝えなければならないのです。私は普遍的なものを共有し合いたいのです。
ここにこそ我々の共同の源泉、真のオリジナリティというものがあるのです。
誰それの固有のオリジナリティらしきものがあったところで、"オレ、オレ"といった思念にまみれてしまったら、たちまち中古品になるだけでしょう。
どんなに使い古されたフレーズだろうと、内から涌き出るような言葉を越えたものが伝わるならば、その人らしさ、オリジナリティというものを感じないでしょうか?
始源的なものは思念を超えたものなのです。内なる生命に根差したものは常に新しい...
ま、新しいつもりでも、そう感じないとしたら、トシのせいでしょう。悪しからず...。












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