人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

生まれぬ前の我

2014-10-21 19:55:11 | 日本的霊性
「恋しやと思ふ姿を悟りなば生まれぬ前(さき)のわが身なりけり  (二宮尊徳道歌)」

十数年前、お盆の頃だったでしょうか、大阪の下町のとある神社でこの歌に接した時、私はジーンと胸にこみ上げてくるものを感じたのでした。
この歌とよく似たもので

「闇の夜に鳴かぬ鴉の声聞けば生まれぬ前の父ぞ恋しき (一休?)  

という歌も有りますが、鴉にはどうも思い入れが湧かないのと、禅問答みたいで意味がよく分からないということも有って、前の方がずっと印象に残っています。
この歌に触れて「ああ、日本人に生まれてよかったなあ…」としばし感慨に浸ることが出来ました。
我が国の神道では古来、産土(うぶすな)信仰と言うのが有ります。
人間に限らず,生きとし生けるものは土から産まれるということですね。
これは生まれた土地にある神社を崇敬するのですが、その祭神がその人の親神、守護神(先祖というのは、その裔でしょう)にあたるとされています。
生まれ故郷というのは誰もが懐かしく感じますよね。
この望郷の思いの深い部分には、実は生まれる以前からの魂の回帰へのいざないが隠されているのです。
本当の意味での魂の故郷がそこにあるという訳ですが、一体何人の日本人がこのような事に思いをはせているのやら…
これは何かの宗教的ドグマの様に、それを信じ込むことでなく、どういう事がそこに象徴されているのかを悟る、というのが神道の学び方かと思います。
こんな話を人に話しても、まるで外国人と話してるみたいで通じないんだから、A新聞に見るような国民をバカにしたでっち上げもまかり通る訳なのでしょうかね…。
ところでこの我々の悠久にわたる歴史的連なりですが、私に見えざる導師が働きかけてきた時、普通言われる先祖累々といった血縁的系統とは別の系統が存在するのを感じました。
それは必ずしも血の繋がりという訳でなく、より精神的、霊的なつながりが強く、
血統に対し、霊統とも言うべきものでしょう。
前に永遠なるものと連なった個的顕現という事を書きましたが、その事を強く感じさせるのがこの縦軸のつながりです。
(これに対し横軸は普遍性)
そして導師がより私と一体的になると、これらの私のルーツ(特に霊統)に自分自身が重なるようになってしまったのです!
新約聖書でイエスの言葉で「我は真の葡萄の樹、汝らは枝なり」とありますが、葉ッパは落ち、枝ももろく折れてしまうかも知れませんが、大丈夫!
ブッ太い樹もあるし、見えないけど根っこもある。そのすべてが自分なのですから…






コメント
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