ほりでぃ・キッチン

たわいもない日常を暮らす中で感じた
たわいもない事を綴ります。
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教職免許状を必死で探す…

2009-06-12 23:10:26 | 徒然なるハナシ
ちょっと事情があって、
教職免許状が必要になった。
(中学校家庭科教職二級免許を取得しているのであります)

「どこにやったっけ??」

と、自宅を捜索すること半日。
しかし、どこにも見当たらない…
(そもそも、狭いマンションなので…)

で、実家に電話して「どこにあった?」
すると「わからん」

うーん…それは困った…

ということで、実家に出向いて捜索開始。
ところが、ところが!

物で溢れかえっている実家

捜索も、難航に難航を極め、
半日探して、とうとう断念。

しかし、なんで、こんなにガラクタが多いんだ!!

今は、父と母の二人で暮らす実家。
そんなに広くはない家だが、
二人で暮らすにはちょうど良い広さ…のはずなんだけども、
物(ほとんどガラクタ)に埋まっていて、
居住スペースが極端に狭い。

思い切って、全部捨てようよ。

と、私と妹たちで説得すれば

「じゃあ、あんたたちに任せるから、全部やってくれ」

ではでは…と捨て始めたら、

「あー!まてまて!それは捨てたらいかーん!!」

…作業は中断に中断を重ね、結局、娘たちが根をあげた…

そして、今回も、ガラクタに阻まれて、
遅々として進まない捜索活動。

近年、ワイドショーを賑わしている
「ゴミ屋敷」が、人ごとではなくなる恐怖…

両親を見ていて思ったのは
「戦中、戦後の物の無い時代」を過ごし、
高度経済成長を経験し、
「消費は美徳」などという時代を経験し、
そのような経験を積むうちに、
物への執着が強くなってきたのではなかろうか、ということ。

壊れたテレビも、
時代遅れの洋服も、
黄ばんできた着物も、
真空管の巨大ラジオも、
とっくに独立した娘たちの制服も、

私たちにとって「どうでも良いもの」が、
両親には「思い出いっぱい、胸いっぱい」。

ただのガラクタも、
「苦労して買った品物だから」捨てられない。


今秋、ゴミが有料化になる前に、
このモロモロのガラクタをどうにかしなければ…

と考えつつ、
しかし、このガラクタの山から
教職免許状を探す出すことは、もう永遠に無理だと諦めて。

いったん、自宅に帰宅して、
ネットで
「教職免許状の再発行」などを検索していたら、
実家の母から電話。

「あったよ~!!」

いったい、あの中のどこにあったのかと問えば、
「私には、どこに何があるか、ちゃんとわかるんだ」と
なぜか、威張る母。

多分、
「散らかしまくった勉強部屋としか見えないのに、
自分では、どこに何があるんかを把握している」という、
なつかしき学生時代の、あの感じなんだろうな…

しかし、何にせよ、見つかってよかった!!

さっそく、実家に取りにいったが、
免許状に記載された旧姓と、卒業大学名に、
ちょっと、甘酸っぱい気分がこみ上げてきて、
しばし、ノスタルジィに浸っていたが…

免許状が発掘された部屋を見て、
私は気を失いそうになった。

発掘作業でひっかきまわされ、
世界一の阿蘇のカルデラ一杯になりそうなくらいの、ガラクタの山!!


…妹たちと結託して、この山をすべて捨て去るぞ…と、
私の心のように、どんよりと曇った梅雨空に誓ったのでありました…