親和会だより令和2年11月号
晩秋にもかかわらず秋晴れの暖い日が続き、年老いたものにとっては過ごしやすい日々でした。しかし相変わらず新型コロナの猛威は衰えず、日々脅威を感じながら生活する状態がいつまで続くやら気になります。会員の皆様如何お過ごしですか。コロナの感染を恐れて家の中に閉じこもってばかりいず、気晴らしに親和会にお出かけください。少しは気分転換が出来ますよ。
報告事項
1. サロン報告
11月7日午後1時より、 参加者8名。 身体を保護す解きほどすためにラジオ体操を行い、スケジュールに沿って嵐山光三郎氏の【下り坂こそ気分爽快】を聴く予定であったがCDの故障により中止、少人数のためやむなく、NHKテレビより録画した新日本紀行より『天草』を鑑賞。
天草地方は江戸時代、キリスト信徒は迫害を逃れさ、隠れキリスタンとなって、多くのの人々が住んでるでいる地域で知られていますが、今なお信者が大勢住んでおり、墓も仏教信者と共同の墓地となってお互いに助け合う生活をしている状態が映し出され,,ハイヤ節で生き生きと踊り合う女性たち等、見ていて楽しい地方だなーと感じられた。
次に自治会館の建て替えの関して、親和会が管理している文庫について、建て替えの間の保管について関口さん(旗が丘自治会の総務担当)が、今のところ来年5月ごろに着工となるのでは?。従って4月中に纏めて保管場所を含めて考えなくては説明された。次回の会において,どのくらいの量となるか検討する事となった。
- 例会報告11月21日午前10時より開始、サロンに引き続き新型コロナを回避するためか出席者8名、初めにラジオ体操、前回聴くことが出来なかった嵐山光三郎氏の「下り坂こそ気分爽快」を聴く。嵐山光三郎 昭和17年、静岡県生まれ 国学院大学文学部卒、平凡社入社、雑誌『太陽』編集長などを経て,青人社を設立、その後作家活動に専念、『悪党芭蕉』で泉鏡花文学賞、読売文学賞を受賞、他に『追悼の達人』『文人悪食 など』下り坂繁盛記 45才の時、突如自宅にて血を吐いた。急性胃潰瘍による吐血で、急遽病院に運ばれ、命が助かった。見舞いの来てくれた友人の主治医が『人間の細胞は、脳神経の細胞を除くと、すべて七年で死んで入れ替わる』という説について話してくれた。すると7年たった52歳のぐらいの時、また血を吐くのかなと漠然とした不安に駆られ、医者に次に血を吐いたら死にますと言われた。学生時代から西行や芭蕉、そして鴨長明のような隠遁生活にあこがれていたこともあって、病気から回復したらゆっくり過ごそう「俗世間から足を洗って、人生の下り坂をゆっくり下りていこう」と決意する。退院後は、ローカル線に乗って、山の湯を回り、すすけた宿に泊まるという日々を過ごした。ところが私の世代というのは、ワーカホリックと呼ばれるように、何か仕事をしなけば気が済まない。自分は何もしないで下降しているつもりなのに、いつのまにか、また何かをしてやろうという野心が膨れ上がっているのです。50才の時、ふと思い出したのが、学生時代に将来やりたいことを百項目書いたノートを思い出し、振り返ってみたら全部実現していた。友達を誘い山の湯に行き、ワイワイと賑やかに過ごしていると元気を取り戻すことが出来ました。とは言っても山奥や田園に暮らすのは年寄りでは無理です。やはり町に住むべきです。下り坂を生きる極意死は意識の彼方に、蜃気楼のようにぼんやりとあるもので、生きているときは、忘れています。大切なのは死に至る過程です。それこそが下り坂を生きる極意だと思う。私が下り坂の極意を身をもって感じたのは、55歳の時の自転車旅行でした。自転車で芭蕉の『奥の細道』の全ルートを走ったのですが、自転車で山道を走ることになります。すると上り坂が実にキツイ。若い頃ならグイグイ行けただろうけど、そういう体力はありません。たいした坂でもないのに、自転車から降りて引いて行く始末です。苦しいだけで、周囲を見る余裕もない。どうにか坂を登り切ると、次は下り坂です。風が顔に当たり、木や草や土の香りがふんわりと飛んできて気持ちがいい。ペタルをこぐ必要がないので、気分爽快です。その時、「そうか、楽しみは下り坂にある!」ということを、心の底から感じました。私はそれまで、若い者には負けないという気でいました。でも、その発想そのものが老化現象だったことに気がつきました。下り坂を否定すのではなく、下り坂をそのまま受け入れて楽しんでいけばいい。ただし『人間の野生』を殺してしまってはいけません。気迫を込めて下り坂を行くのだと考えました。カナダのスキー場でのこと、夏場、頂上よりマウンテンバイクで走り下りたのですが、曲がりくねったコースに、ところどころ崖のような急斜面があって、ブレーキをかけながら、命からがら下りてきました。一つ間違えば、崖から真っ逆さまに落ちて転落死というようなところです。下り坂というのは、命がけです。人生もそれと同じで、どうやって人生の下り坂を下りて行くか、それはそう簡単なことではなく、細心の注意と野生というものが求められると思います。人の一生は、下り坂をどう楽しんで生きていくかにかかっているのです。字余りにも味がある父が72歳の時に、俺は75歳で死ぬと言い始めたためです。なぜ75歳かと聞くと、俺の友達はみんな75歳で死んでいると言う。けれど父は80歳になっても、85歳になっても元気でした。85才の正月に酒を飲みながら『親父は75歳で死ぬんじゃなかったっけ?』と嫌味で聞いてみると、「馬鹿野郎、俳句にも字余りがある」と言いました。なるほど上手いことを言うな。それから急にボケてしまい、86歳で没しました。父が75歳で死ぬといったのは、人が現役でいられるのは75歳と考えたからではないかと思い、「あとは字余り」と言ったのは、オマケという意味でした。人生15番勝負75歳というのが私の頭にひとつの区切りとして残っているのですが、75を5で割ると15になります。 これは相撲の15番勝負につながります。私は相撲が好きなので、大相撲が始まると、人生もまた15番勝負だなと思います。人生75年として、5年で一勝負と考える。 そして、果たして今の自分は、何勝何敗なのか。相撲の星取表のように、年齢別に、勝ち負けをつけて} みました。初日の1才から5歳。これは勝ち。生まれてきたのだから、とりあえず勝ちとします。二日目の6才から10歳まで負け、大病して死に損なったので。三日目は11歳から15歳までと言うふうに書き出してみては如何でしょうか?果たして何勝何敗になるでしょうか。オオカミ老人になろう老人と言うのは下り坂です。大抵の事はやり尽くしてしまった。先は見えている。これから、新展開をしようにも、百八十度の転職は、無理である。けれども、私の心の中に狼を飼う『オオカミ老人』であるように自分で言い聞かせています。年寄りの活性化を妨げているのは、年寄りが社会的にいい人でいたいと望むからです。後輩のお手本になりたいと考えるから辛くなる。私の先生だった作家の深沢七郎さんが『人間は歳をとると、どんどん悪くなる。お金持ちの爺さんほど因業なものはないよ』と言っていた。年齢を重ねると、その分性格が向上するわけではありません。逆にその人本来の悪い性質がダイレクトに出てくることが多い。悪い奴はますます悪くなるというわけです。非常で利己的で、恥も外聞もなくなる傾向も多々見られます。これは私が言うオオカミ老人とは違います。お洒落で、愉快に生き、自分本位に暮らし、一定の教養と作法も必要です。そして、自分の身体の中に眠っていた野性を取り戻す。取り戻すとは、自然児に戻ることです。私が提言する心の中に狼を飼うための十四か条を紹介いたします。1. 慣れないことはするな2. いばらない 2.3.4.はついついやってしまうのが、老人の症状です。3. 自慢しない しかし、威張らなければ相手が立ててくれます。4.分析しない 自慢しなければほめてくれます。分析しなければ深みの5. 怒らない ある人だと恐れられます。6. 短髪にする 歳をとったのに、すだれ型の髪形にするのは未練がましい7.上等な服を着よう 安い服が似合うのは若いうちだけです8. 靴も上等9. 時計は安くていい10. 金離れをよくする 小銭を貯めておくことです11.温泉 山の湯の通人になる。高級温泉ではありません12. 口説きは準則に 気になる女性がいたら,迅速にことを為すべきっです。13. 自分の力を、信ずる.14. 孤立を恐れるな。唯我独尊で行け老人は放っておけば、みな孤立します。それは仕方がないことで、老人の運命です。孤立した地点から、自分という存在が見えてきます。そして、そこから自分の中に巣食う”オオカミの野生”が出てきます。その時がチャンスです。自分の中の狼を退治しようとせず、大切に育てるときから光明が差してきます。皆さんの健闘を祈ります。 以上小井沼記
親和会メンバー各位 令和2年9月5日
新型コロナのため親和会を長らく休止致して居りますが、今後の対応をどうするか 昨日 畑が丘自治会館において幹事会を行いました。
出席者は約10名と小人数でしたが、会長より市から9月末まで活動を自粛して欲しいと要請が来ているが親和会としてどのような対応をすべきか、意見の交換を致しました。取り敢えず例会・サロンは今しばらく活動を中止と致すことと意見が一致いたしました。
10月以降については各クラブが状態を確認しながら再開をする。例えば言葉を発することなく静に行う写経などについては再考する。もちろんマスク着用・消毒等に注意して、間隔をとって行なうなど、多くの意見が出されましたが今後の活動に関しては様子を見て対応することとなりましたので、会員の皆様 体調に気を付け再開の際、ご参加くださるようお願いいたします。
新型コロナのため親和会を長らく休止致して居りますが、今後の対応をどうするか 昨日 畑が丘自治会館において幹事会を行いました。
出席者は約10名と小人数でしたが、会長より市から9月末まで活動を自粛して欲しいと要請が来ているが親和会としてどのような対応をすべきか、意見の交換を致しました。取り敢えず例会・サロンは今しばらく活動を中止と致すことと意見が一致いたしました。
10月以降については各クラブが状態を確認しながら再開をする。例えば言葉を発することなく静に行う写経などについては再考する。もちろんマスク着用・消毒等に注意して、間隔をとって行なうなど、多くの意見が出されましたが今後の活動に関しては様子を見て対応することとなりましたので、会員の皆様 体調に気を付け再開の際、ご参加くださるようお願いいたします。