Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?

2006-10-31 | 中韓
 「中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?」

 「石田衣良の白黒つけます!!:MSN毎日インタラクティブ」で、上記の質問を行い読者に投票してもらった結果、(1)した方がいい・・・42.8%(2)しなくてもいい・・・57.2%という結果になったそうです。それに対して、石田衣良氏の反応↓

 ふー、びっくりした。でも、反対派の意見はほぼ一点に集中している。中国や韓国は反日だから、仲良くする必要はないというもの。それ、ほんとなのかなあ。

 別に驚くのは勝手なんですけど、次の発言↓は変ですなあ。(;¬_¬)

 今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。中国・韓国とは仲良くしたほうがいい。

 おいおい、ちょっと待てよ。応募しなかった多数のサイレントマジョリティが、何故、「中国・韓国とは仲良くしたほうがいい。」という意見だと決め付けるんだ。

 そんなあほな結論を出すぐらいだったら、最初から、投票なんかさせるのは止めなさいよ。

 さて、「中国、韓国と仲良くしなくてもいい」と答えた人の多くは、「日中友好」とか「日韓友好」という言葉を、中国や韓国がどう使っているかという事が分かっている人ではないのでしょうか。

 彼ら中韓の側からすれば、「日中友好」も「日韓友好」も、中国や韓国の歴史認識を受け入れる事がまず前提のようですから、注意が必要なのです。

 以前、NHKで、日韓の高校生が友好のために交流する様子を放送していました。日本の高校生を韓国の高校生が招いて、韓国を知ってもらおうとするのですが、その案内先というのが、たとえば、「日帝侵略館」だったりするわけです。「日帝が韓国の愛国志士を拷問する場面」を見せて、どうだ、お前ら日本人はこんな酷い事をしたんだとやるわけです。

 彼らのやってる事は、日本人の私の感覚では、信じられませんでした。これから、仲良くしようとする相手に喧嘩を売ってるようにしか見えませんでしたから。

 まず歴史認識で日本人を屈服させてから、初めて、友好が始まるというような考えがどうも彼らにあるようです。(そういう人が、全てかどうかは分かりませんが)

 このように「歴史認識を共有すること」を、友好の前提にするような事を、彼らが考えている限り、たやすくは友好関係を結べません。

 自分の歴史認識を捨て去りたくなければ、「中国、韓国と仲良くしなくてもいい」というより、「中国、韓国と仲良く出来ない」というのが正しいのではないでしょうか。



↓よろしければ、クリックをお願いします
人気blogランキングへ

(参考)
中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?-石田衣良の白黒つけます!!:MSN毎日インタラクティブ

投票結果発表

中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?
 ◇ふー、びっくりした

 この秋に2度、韓国に取材旅行にいった。日本と韓国を舞台にした恋愛小説を来年書くためだ。訪れたのは、ソウルとプサン。どちらの街も元気で勢いがある。それはたのしい取材旅行だった。ソウルは高層ビルの建築ラッシュで、プサンは国際映画祭の真っ最中。とても華やかだった。たべものはおいしいし、女の子はかわいい。男性は徴兵制のせいか、みなたくましくスーツがよく似あう。ついでにいえば、現地では誰に会っても、おかしな反日感情などなかった。

 うーん、今回は簡単だとぼくは思っていた。だって、中国と韓国はおとなりの国だものね。これからもずっとつきあっていかなければならないのだ。この質問のこたえなんて考えるまでもない。けれど、最近の東アジア情勢を、みんながどんなふうに感じているのか、それが探りたくてこのテーマにしたのだ。

 するとあらら、不思議。寄せられたのは厳しい反韓国・反中国のメールばかりだった。なぜなのかしらん? というわけで、今回は多数を占める「しなくていい」派からいってみよう。

 「近隣国と友好関係をつくるのは『望ましい』ことであって、『なすべき』ことではない」(住所不明・匿名さん)。「都合のよいときだけ、新時代にむけて新しい関係をといいながら、なにか起きると過去の清算だ、教科書問題だという国となぜつきあわなければならないのか?」(大阪市都島区・嫌人さん)。「隣国とは仲良くしたほうがいいに決まっているが、日本側から頭をさげてまで仲良くする必要はない」(海外在住・匿名さん)。「友情ごっこのような関係ならいらない。中国・韓国とは必要があれば協力し、なければ距離をおくくらいでちょうどいい」(北海道旭川市・優子さん)。

 ふー、びっくりした。でも、反対派の意見はほぼ一点に集中している。中国や韓国は反日だから、仲良くする必要はないというもの。それ、ほんとなのかなあ。賛成派のメールを読んでみよう。

 「3年ほど中国東北部で働いています。日本でおおきく報道されている『反日』は、こちらでは報道ほどひどくはありません。一般人のなかには、単なる反日よりも、冷静に日本との上手なつきあいかたを模索している人のほうが多いように感じます」(東京都世田谷区・モモトン)。「実家のまわりには在日韓国人が多く住んでいて、それがあたりまえでした。結婚して住んだ場所には中国人が多く、小学校の運動会では中国語のアナウンスがつくほど。どちらの国の人とも、近くにいることが自然。人間なんだから、仲良くしたほうがいいと考えるのが当然だと思います」(神戸市垂水区・匿名さん)。「当然、仲良くすべきです。隣国の中国や韓国と仲良くしないで、遠くの国とばかりの外交では、成功なんてありえないのでは?」(千葉市花見川区・匿名さん)。

 ぼくはつぎの10年間で、現在の日米関係と同じくらい日中関係・日韓関係は重要になると思う。すでに対中貿易は日本経済のおおきな柱のひとつなのだ。仲良くしなくていい、無視すればいいというのは一見強そうだし簡単だ。でもそうすれば、すぐとなりに住むたくさんの人たちがいなくなるのだろうか。

 今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。中国・韓国とは仲良くしたほうがいい。

 あたりまえの話だよね。メールをくれた「多数派」はあまり反日報道やネットの情報に踊らされないほうがいいのではないかな。では、最後にシンプルなメールをひとつ。

 「夢みたいなことだとはわかっているけど、中国・韓国というよりは、すべての国と仲良くなってくれたらいいなと思ってます」(東京都練馬区・匿名さん)。別に夢なんかじゃないよ。ぼくだって、ジョン・レノンだって、それにその他大勢の地球人がそう願っているのだから。

==============

 ◇次回は「結婚後の恋愛はあり? なし?」

 次回の問いは「結婚後の恋愛はあり? なし?」です。パートナーがいるにもかかわらず、他の人を好きになってしまった。そんな時、もう一歩踏み出しますか、それとも--。自分だったらどうするか、投票とご意見をお寄せ下さい。

 11月5日まで受け付け、結果は14日の本欄で紹介します。投票はMSN毎日インタラクティブの「暮らし」のページ(http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi)。また携帯電話の「毎日新聞・スポニチ」サイト(右のQRコードを読めば直結、一部機種除く)からも投票できます。

==============

 ◇投票結果

 <有効投票数>9010

 (男6284,女2726)

 ((1)はした方がいい、(2)はしなくてもいい

 <全体>

 (1)42.8%(2)57.2%

 <男女別>

男(1)33.6(2)66.4%

女(1)64.2%(2)35.8%

 <年齢、男女別>

10代以下男(1)12.4%(2)87.6%

10代以下女(1)60.4%(2)39.6%

20代男  (1)31.4%(2)68.6%

20代女  (1)64.4%(2)35.6%

30代男  (1)31.5%(2)68.5%

30代女  (1)66.1%(2)33.9%

40代男  (1)42.3%(2)57.7%

40代女  (1)64.8%(2)35.2%

50代男  (1)45.0%(2)55.0%

50代女  (1)60.5%(2)39.5%

60代男  (1)41.7%(2)58.3%

60代女  (1)54.1%(2)45.9%

70代以上男(1)45.9%(2)54.1%

70代以上女(1)29.0%(2)71.0%

毎日新聞 2006年10月31日 東京朝刊




「自由な競争」ではなく「公正な競争」が大切

2006-10-31 | 構造改革
 Dr.マッコイさんが、『「頑張った人が報われる社会」とは?』の中で、

どうもネオリベ路線支持者、新自由主義の信奉者といいますか、市場原理主義者たちは「頑張った人が報われる」ためには「自由な競争」が大切だと言いたいのだと思います。しかし私はそれは間違っていると思います。

「自由な競争」ではなく「公正な競争」が大切なのだろうと思うわけです。

完全に自由な競争では、強い者も弱い者も同じ土俵で闘わなければならず、また勝てば勝つほど、金も情報もどんどん集中してゆき、勝ったものは勝ち続け、負けたものはずーっと負け続けます。

という意見を述べておられますが、私も同感です。

 「自由な競争」というのは、たとえば、村上ファンドなどによる株の買占め行為などに見られるように、資金を持っている方が圧倒的に有利です。資金のないものは最初から参加すらさせてもらえないような場合も多くあります。

 自然界について言えば、ライオンと羊を対等に戦わせるのが「自由な競争」であり、ボクシングの世界で言えば、「ヘビー級」「ライト級」といった一切の階級を無くして、ハンディキャップ無しで戦わせるのが「自由な競争」です。

 このような例を並べていくと、「自由な競争」というのが、一種の「理不尽さ」を伴っている事が分かります。羊はライオンにかないっこないし、「ライト級」の選手が「ヘビー級」の選手に勝つ可能性は、ほとんどゼロです。

 という事で、「ライト級」の選手と「ヘビー級」の選手とが戦う場合は、「ヘビー級」の選手にそれ相当のハンディキャップを与えるか、あるいは、「ライト級」の選手たちが競う場所と「ヘビー級」の選手たちが競う場所とを分けて、棲み分けをするというような配慮を行う事が、むしろ「公正な競争」という事になるのだと思います。

(ハンディキャップ:競技や勝負事などで、優劣を平均するために、強い者に加える負担。)

 「規制」というとネガティブなイメージを持ちますが、このような「公正な競争」、「適切な競争」を行う際に必要なものでもあります。たとえば、雇用者と労働者の間には、大変な力の差があります。この力の差に対するハンディキャップとして、たとえば、「労働基準法」といった法律による「規制」があり、このような規制によって、労働者の権利が守られるのです。

 (ごくまれに、労働者の権利が過剰に守られているような職場もあるようですが、そういう職場はまれであり、レアケースを以って、全体を論じてはいけません。)

 振り返ってみれば、原始資本主義こそ、規制の無い「自由な競争」の場でした。そのような「自由な競争」の場では何が起こっていたかといえば、労働者の雇用者に対する隷属であり、また雇用者による労働者の搾取であったわけです。資本論もそのような状況下で書かれたものです。このような、資本主義の矛盾が一部の人たちを社会主義へ駆り立てたのです。(残念ながら、社会主義は、資本主義以上に理不尽なものだったのですが・・・。)

 原始資本主義が、社会主義に対する脅威により、社会主義の唱える「福祉」とか、「弱者救済」という理念を取り入れてから、ようやく資本主義が、人間的なものになったという歴史的過程を忘れてはいけません。(「弱者救済」というものも行き過ぎてはいけませんが)

 「自由な競争」を目指すネオリベとか新自由主義などといったものは、結局、原始資本主義に回帰しようとする反動主義なのです。、




↓よろしければ、クリックをお願いします
人気blogランキングへ