きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

天空の城~村の跡、夢の跡

2011-11-27 09:57:44 | 遠くへ~少しだけ非日常
先月のことになる。職場のイベントの関係で平日が2日間休みになった。
この平日休みは、バスか汽車か船かでどこか遠くへ行き走るか、近くでいいからそこそこ走って風呂(スーパー銭湯ってこの辺では言わんな)に浸かり、明るいうちからビール飲んで帰ってくるかのどちらかをしようと計画を練っていた。
ところが、というか案の定というか。休みのたびに計画しては頓挫するのは目に見えていたが。
一日は、どっぷりと何もせず、何もしないことに対して何も考えられないぐらいの過ごし方をした。パソコンの調子が悪いので、そろそろ買うかとずっとネットを見ていた(こちらは中古を無事に購入)。
尻が重いのはいつものことだが、この時はいつもより疲れてたんかもしれん。
でもう一日は、休日出勤するつもりで仕事をためたまま週末帰宅したにもかかわらず(これは家庭内イベントのため、家人を待たせておくのが申し訳なかったため)当日は休日出勤拒否になった。で結局走りに出かけた。

突然思い立ってというのなら響きはいいのだが、実のところは何となく目星はつけていた。目指すは「天空の城」ならぬ「天空の産業遺産」そして「東洋のマチュピチュ」ともいう。
マイントピアというところに車を置き、東平(とうなる)を目指すことにする。

市内から走るには時間が厳しい。ここからなら片道約10キロ余り。行きはひたすら登ることになる。1時間半ぐらいでゆっくり目指そうと思って走り始めた。
出発しようと施設内をうろうろするが、県道に出るゲートが分からない。探している途中で泉寿亭という旧邸を発見。移築されたようである。



最近こういう旧宅が妙に気に入っている。中にも入れるらしいが、時間にあまり余裕がないので後回しにする(結局入らず・・・)。ここには観光坑道や鉱山鉄道もあるが有料である(結構高い)。


風呂もあり、この日は割引で安かったが、時間の関係でこれも止めにする。あれもこれもやめにしているが、家族で来たなら話は別で、一人で来ているから、まあ、な、ということ。

結局、車が出入りするメインのゲートから出発。

これが今回のルート。
案の定、登る登る。


すぐにループ橋に差し掛かる。高度を一気に稼ぐ。



道沿いから登山道も伸びている。これは銅山峰への登山道。


その次はトンネル区間。

にしても、以前単車で来たときはこんな感じだったか。それさえ覚えていない。もっと道は悪く細かった気もする。それよりも以前は、この先にある「大永山トンネル」はなかった。トンネルが開通してからは2、3回単車で日帰りツーリングしたことはあった気がするが、こんなに道は良くなかったような気もする。
「遠登志」というところを過ぎる。ここからも東平に行くことはできるらしい。後で地図を見ていたら細い登山道が続いていた。しょいこを背負った「運び屋」は、男で45キロの山道を歩いて物資を運んだらしい。なんぼ儂が長距離走るといっても、勝負にならん凄さ。昔の人は普通にそういうことをする。それが生活。ひたすら畏敬の念。

トンネルには「初霜」橋には「霞」「蜩」「鶯」という名を冠している。元々の地名と言うより、急に人口が増えて、細かな名称をつけることが必要になったからか、それとも、ごく最近完成した折に便宜上つけたものか。いずれにしても元々あった地名ではない気がした。本当のところはどうだか分からないが。

山が蒼い。空が蒼い。

それらのトンネルや橋を越えると、左手に県道より細い山道に入る。約半分残っている。ここからがさらに険しい道になる。


「山の神」という看板がある。大三島の「大山祇(?)神社」は、海の神ではなかったか。ここの神様も同じ名前のようだが、山の神としてここにいるらしい。

そこそこに傾斜がある。しかし青空。ここを走っていていいんだろうかと思うぐらいの至福の時。


どこかで「帳尻を合わせるようなこと」が起こっても仕方がないかと思う。それぐらいすばらしい天気。しかも平日。人も少ない。車も少ない。

通常は、路線バスがないので車か団体ツアー客はマイントピアからの送迎バスでここまで来るらしい。では、儂のようなソロツーリストはというと、走ってくることになるんだろう。ツーリストじゃねえランナーだからか。いやまあ、それでも10キロぐらいならそうびっくりするほどの距離ではないか。
蜂が時々目の前を横切り、少しだけ怖い。
蜂は、東平を散策している時も大きいのを結構見た。警戒するに越したことはない。へっぴり腰になって逃げる格好になっても、刺されない方がいい。

市街と海が見えた。昔ここに住んでいた人たちも見たんだろうかと思う。わずか40数年前まで、ここには村というより街といった方がいいぐらいの人が住んでいた。大正時代の最盛期で約4000人弱らしい。その街まであとわずか。残り2キロの看板が見える。
街の入り口に着く。昔小学校があったところらしい。ここからいったん下る。結構な傾斜を下っていく。



少し降りたところに「迎賓館」跡がある。案内に写真が残っている。白黒のしかしはっきりと当時の様子を伝える写真に生々しさを感じる。
儂が生まれてすぐまでここには街があった。儂も田舎の方で育ったから、似たような建物や道や人々の佇まい(?)は親近感がわく。全くの想像ではない半分は現実。



赤石山系だろうか?遠くを見ると山が色づいている。
広い駐車場に出る。パンフで見た風景と同じものがある。

インクライン跡。


施設が新しくてどれが旧施設だかよく分からない。とりあえず、奥へ行く。

目指すは第三変電所跡と第三通洞。そこへ行く道が、トレイルっぽくて軽く走ってみる。狭い道から広場へ出る。

今はもうひっそりとしているが、確かに人がいたという跡を感じる。しかも結構な数の。
自然の山にはない、独特の感じが心地よいと思う。

ここから「ヤマ」に行ける。そして今では、登山道につながっている。険しい山々には道が通っている。人の暮らしが隣接しているということだと思う。

目指す第三変電所跡と第三通洞をこの目で見た。
来た道を戻り、記念館に入る。写真に写る人々の表情は明るく生気がある。
リアルな模型に当時の様子を思い浮かべる。

何せこの山の中に4000人である。賑やかな街、そしてある意味日本を背負っていたとさえいえる街に想いを馳せる。今はないたくさんの家々が写る写真に、住んでもいないのに郷愁を感じてしまう。単車に乗っている時も、二本の脚に変わった時も、たぶん、「家」というものに興味がある。人が住んでいる家、人が住んでいた家、生活の跡がどこかに感じられる風景が好きなのだと思う。歴史遺産であり産業遺産である東平は、大きな煉瓦の遺跡が売りではあるが、それを取り巻く家々の跡、息づかいが感じられるところもいい感じなのだと思う。

記念館を出て、索道停車場跡から貯蔵庫跡をゆっくりと眺める。

視野に人があまり入ってこないので、当時の時間に入り込んだような錯覚。

青空と少し肌寒い風、そして、崩れた煉瓦。これからも時を超えて立ち尽くすであろう遺跡に敬意を表す。



説明はいらんかなと。

住居跡を見て山道を通り、病院跡、娯楽場跡に立ち寄る。


蜂が気になるほどの木が生い茂った山道。ここにほんの少し前病院があり、娯楽場があったということが想像できない。


今は宿泊施設になっている小学校跡を見て、東平を後にする。約1時間の異空間。帰りは、約1時間で元来た道を戻る。あっけないでもあったかい気持ちになった。

「東洋のマチュピチュ」というキャッチに惹かれて行ってみた。車で行くなんてもったいないので走っていった(市内から走るには制約が多くて最短距離のみになったが・・・)。「東洋の」はちょっと大袈裟か。でも日本の産業遺産であることに間違いはない。それほど遠くない昔ここに街があった。そしてその街は、今の日本の繁栄を支えてきた。その街で秋空の雲一つない空の下でしばし過ごした。ひっそりと山に眠る「天空の城」だった。それは間違いない。ただ儂は煉瓦で築き上げられた城に加え、今はあまり残っていない村の跡が印象に残った。穏やかな秋の日差しとともに、東平の村に感謝、という感じだった。

「帳尻を合わせるようなこと」は程なくしてあった。翌日から数日は、本当に「帳尻あわせ」のような忙しさで、とにかく仕事を期限に間に合わせるのに必死の日々だった。休日出勤一回サボっただけでこんなに忙しいのは考えもんだと思う(実はまだ続いている)。

天空の産業遺産は墓標なんかではない。じゃあ何なのだろう。そんなことを考えている。