きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

101日目、5時間だけ帰省

2017-12-31 13:23:23 | 脊髄内血管腫との邂逅
たまたまなのかもしれないが、リハの先生が「年末は?」と尋ねられたのが先週。一時的にでも家に帰るなどというのは難しいと思っていたが、確認がてら看護師さんにお聞きすると、主治医の先生がOKを出してくれた。特に制限もなく。
ただ、泊を伴うと、まだ身辺自立できていないから家人に迷惑がかかると思い、とりあえず外出扱いでお願いをした。
このときは家の段差の移動のこととか全然対応の方法を考えていなくて、家人がやきもきしていたが、ここからの数日のリハで車への乗り移りやスロープの設置や介助のポイント、段差がある場所の歩行器の使用方法など、みっちり行った。リハの先生も、主治医の先生も、車椅子の取り扱いや訓練の状況から、何とかなるだろう、みたいな見通しはあったようで、それをきいてちょっと嬉しかった。
で、昨日ともう1日、午後のみ帰省することに。

年末年始もリハがあるから、ストイックに病院で過ごすことも考えたが、ムスコやムスメも帰ってきているし、犬たちにも会いたいし。そして救急車で運ばれ救急病院からそのままK病院に移り、そしてM病院に転院していたから、いわば家は(仕事場も)9月のそのまんまの状態で、出しっぱなしのものとかいろいろ気掛かりなことがあったから、それを確認するためにも帰って良いなら帰るということで良いのではと思った。

で、スロープ2つと4点式(固定式ともいうらしい)歩行器を借り、カテーテルも使い捨てのを準備してムスメの運転で家へ。結果、ムスコもムスメも帰省していて、いわば「マンパワー」で何とか移動を乗り切った感じであった。車椅子は家の外も中も思いの外使えず、歩行器でほとんどのことをやった。段差は前日練習した要領で、いちにのさんで持ち上げ、トイレにもやったことのない横歩きを駆使して行った。立ち上がりに必要な手摺はなかったがこれも歩行器で代用した。それでも見守りは必要で、今回はムスコやムスメやヨメさんが代わる代わる近くにいたからできたというのはあるし、儂が用事で片付けしている間、3人はスロープや車椅子を操作して玄関までどういう形で車椅子を移動させるか「実験」していた。ヨメさんは勿論、ムスコやムスメも一緒になっていろいろと考えてくれているのが何より嬉しかった。

食事は儂のリクエストでジャンクフード。

そして夜もひたすら肉を食らう。完全に病院食で野菜が多い反動。ムスメの土産もつつきながら「これは酒よなあやっぱ」と会話もできた。

勿論、犬たちとも再開した。
夢のような5時間だった。迷ったのが嘘のような、良い時間だった。

次は外泊に向けて頑張らねば(※ここまでのイメージ図は「ハチ参る(遠藤淑子)」です)。

大晦日、昨日の余韻を想いつつ、今年最後のリハをしています。雨のため、久々のリハ庭ではなく病室待機。
いろいろあった、なあと。お通じは年を越しそうです。

記録番外編~入院時の諸記録(K病院編)

2017-12-30 21:22:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
入院中の諸々のことは、必ずしも定期的にあるわけではなく突発的にある。何してきたかとか、次に何があるかとか確認のため記録した。
検査関係
9月21日(木)レントゲン、CT、MRI:救急病院にて
9月21日(木)レントゲン①、CT①、MRI①、MRI②(造影剤):現在の病院(以下同じ)
9月28日(木)MRI③(造影剤)
10月6日(金)エコー
10月10日(火)MRI④
10月17日(火)CT②(造影剤)
10月23日(月)MRI⑤(造影剤)
11月1日(火)尿検査
11月7日(火)MRI⑥(造影剤)
排泄関係
9月25日(月)下剤(2回)と浣腸(2回)※寝たまま
10月3日(火)下剤(5回)と浣腸(4回)
10月7日(土)下剤(1回)
10月11日(水)下剤(1回)
10月15日(日)下剤(1回)
10月18日(水)下剤(1回)※ローテより1日早い
10月22日(日)下剤(1回)※終日腹痛
10月26日(木)下剤(1回)
10月31日(火)下剤(1回)と浣腸(1回)※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
11月4日(土)下剤(1回)※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
11月5日(日)なし ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。量少し。「失敗」的。
11月9日(木)下剤(1回)※トイレで、肛門周辺の感覚なし。
11月13日(月)下剤(2回)と浣腸(2回)※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
術後のトラブル関係
10月28日(土)午前3時ぐらい:39.9度(悪寒) → 電気毛布・アイスノン39.4度(悪寒) → 座薬38.5度 → 37.5度
10月29日(日)午後11時半ぐらい:38.5度 → 座薬36.5度
10月30日(月)午後11時半ぐらい:尿管カニューレの捻れによる腹痛 → 800cc一気に排出
10月31日(火)午前6時ぐらい:38.5度(悪寒) → 座薬36.5度
10月31日(火)午後4時半らい:38.8度 → 座薬36.7度
点滴のライン・採血関係
9月21日(木)点滴・左:救急病院にて(3日間)
9月21日(木)採血・右:救急病院にて→抜
9月21日(木)採血・右→抜
9月24日(日)点滴・左足(失敗)
9月24日(日)点滴・右→抜(失敗)
9月24日(日)点滴・右→抜(失敗)
9月24日(日)点滴・左(13日間)
9月25日(月)採血・右→抜
10月6日(金)採血・右→抜
10月7日(土)点滴・左抜く(トラブル)
10月7日(土)点滴・右(1日間)
10月8日(日)点滴・右抜く(トラブル)
10月9日(月)点滴・左(5日間)
10月9日(月)点滴午前と夜のみの2つになる
10月11日(水)点滴午前の1つのみになる
10月13日(金)点滴・左抜く
10月17日(火)点滴(造影剤)・右→抜
10月23日(月)点滴(造影剤)・右→抜
10月26日(木)採血・右→抜
10月27日(金)点滴(手術室)・左→抜(失敗)
10月27日(金)点滴(手術室)・左→抜(当日夜)
10月27日(金)点滴(手術室)・右(3日間)
10月28日(土)採血・左→抜(失敗)
10月28日(土)採血・左→抜(失敗)
10月28日(土)採血・左→抜
10月29日(日)点滴・右抜く
11月7日(火)点滴(造影剤)・右→抜(失敗)
11月7日(火)点滴(造影剤)・右→抜(失敗)
11月7日(火)点滴(造影剤)・左→抜
補聴器の電池交換
9月21日(木)左(PR536)
9月21日(木)右(PR41)
9月 ?日(?)左(PR536)
10月2日(月)右(PR41)
10月8日(日)左(PR536)
10月13日(金)左(PR536)
10月13日(金)右(PR41)
10月19日(木)左(PR536)
10月25日(木)左(PR536)
10月25日(木)右(PR41)※電池切れ前だが交換
10月31日(火)左(PR536)
11月6日(月)右(PR41)
11月6日(月)左(PR536)
11月13日(月)左(PR536)
リハ関係
9月26日(火)車椅子をこぐ
9月28日(木)平行棒で立つ練習開始
10月10日(火)足を踏み出す練習
10月11日(水)平行棒で歩く
10月16日(月)歩行器で歩く
10月30日(月)再開(1からやり直し)
シャワー関係(清拭除く)
9月26日(火)ストレッチャーにて
9月29日(金)ストレッチャーにて
10月2日(月)ストレッチャーにて
10月6日(金)車椅子にて
10月10日(火)ストレッチャーにて
10月13日(金)車椅子にて
10月17日(火)車椅子にて
10月20日(金)車椅子にて
10月23日(月)車椅子にて
10月26日(木)車椅子にて
10月30日(月)ストレッチャーにて
11月2日(木)ストレッチャーにて
11月6日(月)ストレッチャーにて
11月9日(木)ストレッチャーにて
11月13日(月)ストレッチャーにて
部屋関係
9月21日~HCU:5日間
9月25日~西66(壁側):32日間
10月27日~ICU:1日間
10月28日~西60(個室):2日間
10月30日~西52(南窓):8日間
11月7日~西66(西窓):3日間
11月10日~西72(北窓):4日間
本当に記録のみ。
それでも、所々に数字の背景がくっきり浮かび上がったりする。

で。

閑話休題。
神戸M君、わざわざありがとう。
ドイツの旅ランの話とか大阪マラソンの話とかもっと聞いとけば良かった。
また、機会を改めて。
儂もしっかりリハビリ頑張らなければ。

入院時の読書記録~M病院編その1

2017-12-29 17:52:37 | 脊髄内血管腫との邂逅
転院して1ヶ月半。結構読書ペースが上がった。転院を機に家から未読の紙の本約20冊余りを持ってきて貰い、一気に読んでいった。アホー鳥は外したが、機関車先生が良くて余韻に浸った。11月の異様なペースが12月に入って落ち着いたのは、移動制限が緩和され、外の「リハ庭」を車椅子で漕ぐ時間が増えたため。

11月16日読了 アホー鳥が行く(伊集院静・斜読)
11月16日読了 機関車先生(伊集院静)
11月17日読了 バンコクに戸惑う(下川裕治)
11月17日読了 エバーグリーン(豊島ミホ)
11月18日読了 ルポ中年童貞(中村淳彦)【電子書籍】
11月18日読了 夜の朝顔(豊島ミホ)
11月19日読了 希望が丘の人びと・上(重松清)
11月20日読了 バンコク下町暮らし(下川裕治)
11月20日読了 希望が丘の人びと・下(重松清)
11月21日読了 裁判官が道徳を破壊する(井上薫)
11月21日読了 幼獣マメシバ・上
11月21日読了 幼獣マメシバ・下
11月22日読了 家族という病(下重暁子)【電子書籍】
11月22日読了 家族力(山本一力)
11月23日読了 ハナミズキ(吉田紀子)
11月24日読了 その日のまえに(重松清・再読)【電子書籍】
11月24日読了 ニサッタ、ニサッタ・上(乃南アサ)【電子書籍】
11月24日読了 夏が僕を抱く(豊島ミホ)
11月25日読了 記憶の果て・上(浦賀和宏)【電子書籍】
11月25日読了 ものがたりゆんぼくん1(西原理恵子)
11月25日読了 裁判長!これで執行猶予は甘くないすか(北尾トロ)
11月26日読了 タイ語の本音(下川裕治)
11月26日読了 世界から猫が消えたなら(川村元気)【電子書籍】
11月27日読了 かのこちゃんとマドレーヌ夫人(万城目学)【電子書籍】
11月27日読了 もう一度生まれる(朝井リョウ)【電子書籍】
11月27日読了 詩と死を結ぶもの(谷川俊太郎・徳永進)
11月28日読了 なみのひとなみのいとなみ(宮田珠己)
11月28日読了 むかしのはなし(三浦しをん)【電子書籍】
11月28日読了 恋するあずさ号(坂井希久子)【電子書籍】
11月29日読了 ステップ(重松清)【電子書籍】
11月29日読了 編集者T君の謎~将棋業界のゆかいな人びと(大崎善生)【電子書籍】
11月29日読了 アジアの誘惑(下川裕治)
11月30日読了 遺品整理屋は見た!【電子書籍】
11月30日読了 漫画・日本霊異記【電子書籍】
11月30日読了 ぽろぽろドール(豊島ミホ)
11月20日読了 手袋を買いに(短編・新美南吉)【電子書籍】
12月 1日読了 列車三昧~日本のはしっこに行ってみた(吉本由美)【電子書籍】
12月 2日読了 海街Diary【電子書籍】
12月 2日読了 デジタル世代の伝統文化入門【電子書籍】
12月 3日読了 起終点駅(桜木紫乃)【電子書籍】
12月 3日読了 最後の胡弓弾き(新美南吉)【電子書籍】
12月 4日読了 金平糖の降るところ(江國香織)
12月 5日読了 すべての雲は銀の・・・・下(村山由佳)
12月 6日読了 記憶の果て・下・・・(浦賀和宏)
12月 7日読了 ニサッタ、ニサッタ・下(乃南アサ)
12月 8日読了 送り火(重松清)
12月10日読了 東京・地震・たんぽぽ(豊島ミホ)
12月12日読了 葬送の仕事師たち【電子書籍】
12月13日読了 アジア赤貧旅行(下川裕治)
12月15日読了 君たちはどう生きるか【漫画】

ここまで約1ヶ月で50冊。元々小説はあまり読まないが、これだけ立て続けに乱読すると、内容は案外何でも構わないということが分かった。

ソニーの電子書籍のキャンペーンで上巻だけ100円で買って3年ぐらいそのままにしておいた小説を今回一気に読んだ。で下巻は、ネットで100円の紙本を探して買った(送料もタダ)。電子書籍だと定価なのでこれは良かった。
小説は、題材よりも書き手の文体とかどこを詳述するかみたいな部分においての個性とか癖とかで、すうっと入ってきて読めるか読めないかが分かれる気がする。
何でも良いというわけではなくて、読みにくい作家というのは実際にある。だから、作家に偏りが出てくる。
それとは別にノンフィクションは、もろ題材によって読めるかどうかが分かれる。これは当然のことで、こちらについても儂の場合、かなり偏りがある。

どれも面白かった。

自分にとっての小説の読みやすさは、情景描写がすっと入ってくるかこないかだと思うが、いろいろ読んでいくと人物設定の持っていき方も結構面白さに影響するようである。重松清に良く出てくる、実生活ならまずお断りの「悪い人じゃないんだが・・・」というパターン、小説では許容できるが儂はやはり抵抗があるな。

これは「世界から猫・・・」の一節。存在というものの「差」による証明。納得。

で、12月4日読了の金平糖の降るところ(江國香織)。

江國作品は学生時代から好きなのだが、理由がよく分からん。ただ云えるのは兎に角「するすると入ってくる」ということ。今までは短編を良く読んでいたが、今回は長編もクリアできた。

読書のベースは学生時代にあると思う。今でもあまり変わっていないが、あの頃は特に意味もそこそこに乱読しいた。そういう嗜好とかは今でも続いている。

で、先日(11月28日:小春日和)でも触れた谷川俊太郎。

今回は行間掴もうとせずに、そのまま読むとそれで心地よくなったりした。

サイバラワールドも久々に。

ゆんぼくん、のような漫画は、活字では味わえない重さがあるなといつもながら思う。

ニサッタニサッタの主人公のばあちゃん。

宮田珠己も、思ったより真面目で。

今だから余計に染みた。

まだまだ入院生活は長いので、今後も読書は結構なウエイトを占める。手持ちの紙の本がもうなくなったのでまたネットで買いながら読むことになるし、溜まっていた電子書籍もぼちぼち読み進めることになる。

自分の悪い癖だが、走る(「リハ庭」の車椅子の漕走)のと同様に義務にならんようにせねばと思う。まあ半分義務にしないと「持たない」のは確かなのだが。

12月のリハと漕走覚え書き

2017-12-28 18:54:20 | 脊髄内血管腫との邂逅
今日で前のK病院の入院日数も合わせると99日目。本当に長期戦である。
現在、直腸膀胱のコントロールに課題は多く、感覚機能も若干改善はしたが脚自体の痺れは良くなっている訳ではない。それに比べて運動機能面はそこそこ向上してきた。
うまく記すことはできないが、リハの内容自体が変化している、というよりレベルアップしているのを感じる。現在、脚の弛緩、ストレッチの他に脚の筋トレ、上半身の筋トレ、歩行、バランス等、立位などが中心だが、1日3時間(4コマ)終わるとどっと疲れるぐらいやっている。
疲れるのは、12月から庭(リハビリ用の庭ということで「リハ庭」とする)を車椅子で走る「漕走」(そうそう:こんなコトバないかも)を始めたのもあるのだろうが。
本当にぐるぐるぐるぐる回って既に200キロ越えている。

それはさておき、脚に関しては左もさることながら、右脚の力が強くなってきた。脚の踏ん張りは、足の裏で地面をとらえる感覚が出てきた。太股の力も上がってきた。特に右側が持ち上がるようになってきた。脚の筋肉が戻ってきたと感じる。
入院時は平常時より5キロマイナスだったが、今日測定したら2.5キロ戻った。筋肉だけではなく、たっぷんたっぷんのお腹もあるだろう(が、夕食後のお菓子が止められず)。

で、以下メモ。写真は今朝のリハ棟。

●寝た状態で、脚で○や8の字を書く練習
左脚で実施。12月初めはコントロールが全くできない。左は力は入るようになっているが、その制御ができない。現在はスムーズになったが、8の字の方は軌跡がまだ汚い。力を単に出すのではなく、力を調整することや調整しつつ力を入れ続けることが必要。これは複合的な筋肉の動きとか力の入れ方とかに関係するらしい。
●脚を伸ばして座る。
そのまま脚を組まないで保持するのがなかなかきつい。身体は病気になる前より柔らかくなってきているが。
●脚を下ろして座り、チューブや重り入りボール(バスケットボール大)で筋トレやバランスの練習
ボールを持ち、体重移動をしたり、上下左右からの力を受けながら真ん中で保持する練習。左下からの力が加わると左脚が浮いてしまう。地道に継続中。
●腕の力に依らず、脚を踏ん張って立つ練習
脚を下ろして座った状態で、4点歩行器で支えながら立ち上がる。左右バランスよく立つことができる回数が増える。ただ、力の入り始めが遅い。立ち上がってからはお尻に力を入れることで右の膝折れを防止する。太股や膝にだけ意識を集中するのではなく、お腹やお尻が重要。腹筋の筋力強化が必要。現在は、立つこと自体は十分できるようになり、廊下の手すりとか、やりにくい(力が入れにくい)ものでも立ち上がることができるようになった。腕だけでなく脚の力がついてきた証拠。
●脚に力を入れて踏ん張る練習(1)
柔らかいハンドボール大のボールを踏む練習や転がす練習、脚を使ってぞうきんで拭く動作をする。ボールは力の入り加減を間違えるとすぐに脚を離れて転がる。微妙に調整しながら力を加えることの難しさ。
右は、膝から下が動くようになったが、まだ5回過ぎると動きがなくなってしまう。また、右に力を入れているときは左の脚が動く。動かさないように右だけでコントロールすることも必要。
●脚に力を入れて踏ん張る練習(2)
いわゆる「空気椅子」やスクワット等々、4点歩行器でやる。このリハの負荷が結構増してきた。左足の裏は踏ん張っている感じが分かるようになり、右足の裏も地面を感じるようになってきた。
●腹筋いろいろと背筋
最近、それぞれを単体で鍛えるだけでなく、脚と連動させた形での強化が多い。少しだけ自主トレでベッドでやることもある。
●立つ練習
12月初めは、右は膝を覆う補装具、左は膝までの補装具を装用。膝を伸ばすのではなく、お尻に力を入れる。またへそを前にです。左右バランスもさることながら前後のバランスに気を付ける。踏ん張りが聞くようになったら次は、お尻の横の辺りの筋肉に力が入るように気を付ける。これができるようになると楽に立てるらしい。別の先生のときは、できるだけ平行棒なしで立てるように練習するも、なかなか前後の感覚が分からなくて苦労した。12月中旬ぐらいから、補装具なしで右の膝折れに注意しながら立つことができるようになり、今は、立つだけの練習はほとんどない。
●杖で立つ練習
バランスが取りづらく、変な力が入る。現在は休止中。
●車椅子をこぐ練習
11月終わりに初めて外に出る。車椅子で屋外の傾斜(登り道)を漕ぐ練習。気持ちよかった。12月に入ってからは、1人で外に出ていいことになり(常置していた導尿カテーテルを抜いたため)、自主トレを開始。
●いわゆるプッシュアップ
1日5回から10回ぐらい自主トレ。リハでも繰り返しやる。
●歩行器で歩く
15日目から実施。70メートルとか50メートルぐらいを20~30分ぐらいかけて歩くこともするようになった。12月中旬からは右の膝折れ防止の補装具もなしでやっている。先日の病棟内リハの期間はひたすら歩いた。
●片手で何かに捕まって立ち、もう片手で作業をする
トイレでズボンを下ろしたり上げたりすることを念頭に置いて練習。服に着けられた洗濯ばさみを取る等。現在は、その甲斐あって、紙パンツとズボンは片手で自分で上げることができる(片手は手摺につかまっている)。紙パンツの中に敷くパッドも当てがって上げるので結構な技術がいるが。
●トイレの便座移動の練習
実際のトイレでやる。立つことができる時間が長くなったのと、手すりをうまく使うことができるようになった。
●手放しで立つ
どうしても体重が後ろにかかりすぎる。まだ全然感じが掴めない。安定するポジションを捜すのが難しいのに、修正するのは尚更という気がする。まだまだである。
●機械を使って歩く
転倒防止のベルトとルームランナーで。
「吊り下げ式免荷歩行機器」という機械(これでググると画像が出てくるのでイメージができる筈)で、15~20分間、ひたすら歩く。速度を速め、漸く通常スピードの半分ぐらいでできるようになった。集中が途切れると右は脚を持って行かれそうになる。左は捻る。結構ハードである。大汗をかくこともある。右は太股を上げて踵から下ろすことを再三指導される。
●床から車椅子への移動
これは1度ででき誉めて貰った。うまくできた。
●マット運動
援助したてもらいながら四つんばいや膝立ち。静止はできるものもあるが、移動になると難しい。動きがあるものは何をやってもそれなりの難しさがある。

その他、生活訓練としての排泄「訓練」などもリハといえるかもしれないので追記。12月から尿道に常置しているカテーテルを抜き、自己導尿が始まった。で、定時での導尿の他に自力での排尿を試みているがなかなかうまくはいかない。また、お通じについては、トイレの便座に座ることも難しかった状態から、立ったり移動したりズボンを着脱したりなどで1回するのに20分ぐらいかかっている状態を経て動作自体はかなり良くなったが、肛門が開かないことが最大の難点。こちらは、訓練でどうにかなるという感じでもないので、ひたすら繰り返して試みているが見通しは立たず。
自己導尿については、6時間が目安だが、実際は6時間では間に合わず、合間に自力での排泄ができれば理想的なのだが、これがまだ全然成功していないので、自己導尿の間隔を4.5時間とか5時間とか短くするとか、これも試行錯誤が必要。自力で出せるパターンとしては、4時間半ぐらいで一旦トイレに行くのが良いのだろうが、なかなかうまく出なくて100ccぐらいが多い。それでもこの前は300近く出たこともあったか。自力では全く出ないのなら導尿間隔を短くすればいいのだろうが、少しは出る。少しは出るだけに漏らすこともある。特にリハビリで力が入ったとき。少しだけ漏れたのならまだいいのだが、ひどいときは結構な量が出る。夜なんかが特に酷い。出したいときには全く出ないのに。これについてはトイレの見守りとかが完全になくなって、自由に何度も行けるようになったらまた回数を重ねる必要があると思っている。

また、運動感覚より体性感覚に違和感があるのは相変わらずで、脚はしびれているが、慣れもあるのか、気にならない時間は増えている。
それよりも、右の肩胛骨から腕、腋、脇腹に掛けて「いたがゆい」のが少々気になる。寝ているときに余計に痒くなる。転院して一週間ぐらいして症状が顕著になってきた。最近は範囲も広く症状も酷い。対処方法が今のところ見つかっていないので、どうしたものかと思う。睡眠不足になってしまい、眠いこともしばしば。これも最近の悩み。

自主トレは12月に入ってから車椅子の漕走(そうそう:こんなコトバないかも)を始め、結構な距離を稼ぐようになった。今日現在で既に200キロ越え。1日2時間前後で8~10キロ前後。リハや導尿等の合間に20分とか30分とかの時間だけ庭に降りて、ひたすら漕ぐ。最後の方はかなり疲れる。休日は連続で2時間ぐらい漕げるときがあるが、そういうときの最後は特にしんどいから、やはり続けて漕ぐことの難しさはある。

リハの先生から貸していただいていた手袋は既に破れ、職場の方々のご厚意でいただいた作業用手袋(革!)も一週間しないうちに穴が空いた。

タイヤは減っている(リハの先生曰く「貸し出したときはこの状態ではないですね」)。
そんな中で突然先週は隔離軟禁騒動があり漕走ができなくなったことや、逆に手摺で立ち上がっての自主(筋)トレがOKになったのとで、大袈裟だがリハビリについてただ指示されたことをするのではなく、目的とか強化する部位とかトータルで考える必要を感じた。筋トレも続けられる範囲の内容を考えながらやっていかんと(これがランと違って続いたためしがない)。
といろいろ課題はあるが、とりあえず、目の前のリハをしっかりやるのみ、ではある。

乃南アサ「ニサッタ、ニサッタ」より、ちょっと違うか。

災い転じてとなるか

2017-12-27 18:01:48 | 脊髄内血管腫との邂逅
一昨日から病棟自体は閉鎖したままだが、リハ棟でのリハは一昨日再開された。リハ棟でリハができないこの間はできることも限られるので病棟内をぐるぐると本当によく歩いた。廊下の手摺が使えるようになったことも幸いし、筋トレも地道にした。
昨日、リハの先生から病棟に働きかけて貰い、看護師さんや介護士さんのトイレの「見守り」がなくなり、また自分で責任を持って任されることが増えた。便座と車椅子の乗り移りとかそういうのがOKになったということと、導尿の時間に多少自分裁量が得られることになったということで、もし年明けに尿量管理がなくなったら、自由にトイレに行けるようにもなる。病棟内を歩く姿を実際に看護師さんや介護士さんに見ていただいてこれだけ立てるというのを証明できたことも一因だと思う。
一方で、下剤が使えない(下痢状の排泄が確認された時点で理由の如何に関わらず隔離のため)こともあっていつもより酷い便秘になり、かなりきつかった。その後4日目は駄目だったが、3日連続でお通じがあった(相変わらず摘便しないと出てこないが)。
リハ庭の漕走はそれより早く先週末に許可が出た。3日間だけ休んだことになるが、ここで休んだ割には、リハ棟再開日は調子が悪く、体調不良とまではいかないが、身体のあちこちが痛く状態がやや下がった。この日は全員が担当の先生でなかったこもあり、違った視点でPTの先生に身体のあちこちをチェックしてもらった。こちらもいろいろな情報が得られて有意義だった。

漸くリハが通常モードになったと思ったら、土日からは年末年始モードでリハ時間短縮(年明けて3日まで)。
でも、元旦休業が拡大されている昨今(関係ないが)お正月もやるぞという心意気にはひたすら頭が下がる。

業務連絡。職場のOさん、お見舞いありがとうございました。不在ですみません(御礼がまだ言えていないので写真掲載は後日)。
そして昨日も別の方にお見舞いに来ていただき、感謝感謝。

年末年始も病院だと聞いたのでとお正月仕様でいただいた。
が。
急遽、外出扱いで数時間だけ帰ってもいいことになる(まだ予定です正式決定したら改めて)。これも先のトイレの件同様、少しはプラスに働いたかもしれない。
今、それに向けてリハの内容もばたばたと準備をしていたりする。

聖夜から不調

2017-12-25 18:26:25 | 脊髄内血管腫との邂逅
夜中、右の腋の痒みで寝られず、完全に睡眠不足で疲れ気味。昨日2回お通じがあったお腹も解決したわけではなく、午前中に再度摘便して貰う。そこそこ出たとのこと。なのにまだ腸の具合は今ひとつ。加えてリハ中に大量に失禁する。
かなりテンション低かったし、リハ庭の周回走も後5周は行けたのにそれを止めるぐらい、チベーションが上がらず。

今日から突然、症状のない人に限ってリハ棟でのリハビリが許可されたというのに。
そのリハは、今日は担当の方が全員いなくて、代わりの先生にいろいろとお世話になる。下半身の力が入りにくいところや上半身のコリを指摘して貰う。今日の先生はマラソンとトライアスロンされている方で、結構詳しい。鍼灸師の如くポイントを押さえて貰う。有り難し。かなり「張っている」と指摘される。

頑張ってはいるんだが。
兎に角具合が悪い。

一次的欲求の憂鬱

2017-12-24 18:57:23 | 脊髄内血管腫との邂逅
で、引き続き先週の騒動の投稿の補足。
隔離の原因に関して。

日曜(先週)は前日(土曜)の下剤が効き、午前中にお通じが(摘便で)あった。ここまでは良かったが、午後からの車椅子漕走とリハとで合わせて4回、その最中に残便と思われるものが出てしまう。直腸膀胱関係はコントロールが効かないのは分かっているが、こうも何回も起こるとかなりへこむ。しかも下半身酷いことに。

出なかったら出なかったで体調が思わしくないのは確かだが、一度で終わらず何回もというのも・・・である。また、トイレに座ったときは出ないのに、トイレから離れたら出てしまうというのも気分の落ち込みに拍車をかける。特に直腸関係は、失敗した後の処置がまだ自分でできない。尻を拭くことも上手くできていないし、ウォシュレットが尻に「当たっている」かどうかも自分で知覚できないぐらいだから余計にである。
お通じそのものは自力ではまだ出ない。もし出てもうまく1回で終わるかどうかは運だし、残便が出そうだと感じた時はもう遅い。その辺り、どうすればいいのかと。やはり人工肛門とか考えないかんのだうか。

処置をしてもらっているベッドの上から空を眺め改めて思う。
入院生活まだまだ長いが、恐らく最後までこの問題は解決しそうにない。
しかし解決しないと家には帰れんしなあと。
そういうことを改めて思う。
それより、また次々と排便予定はやって来る。これでまた複数回排便なら今回のように別の問題が発生する。下痢症状が出ないように下剤を控えると便秘状態になる。これで1日2日出ない場合でも、それはそれでありかもしれない。ただ5日6日なるとどうだろう。可能な範囲でいろいろやってみるしかないのだろうが。
また目の前のことが気になる。

家の方を見る。山が白い。白くなくなった頃には解決するのだろうかと思う。
やはり気になる。

で、補足。
その日曜日から一週間全くお通じがなかったが、今日漸くあった。軟便は理由の如何に関わらず即隔離になるらしいので、この一週間下剤もそんなに飲まなかった。今日は1回目がもう「ころころ」2回目が「まあまあ」(摘便していただいた看護師さん談)であった。漸く一区切りだが直ぐ次の心配をしなければならない。
人の手を借りないと処理ができない状態は改善していなくて、ぼちぼち手間でも少しでもお願いをしていかねばならんのかなと。ただ、今、儂なんかこの問題以外はほとんど放任状態。
前のベッドの方がかなり重症の「感染症」でなかなか復帰できていないから余計に。看護師さんや介護士さんも仕事量が増えて一寸大変そうな感じの師走終盤である。
因みに、この閉鎖は年を越すらしい。もうどうなることやらである。

隔離から軟禁へ

2017-12-22 07:33:34 | 脊髄内血管腫との邂逅
儂に対する「隔離」は翌日の16時半に解除になって、病室から自由に出られるようになった。ただこの階自体の感染症はまだ広がっていて、閉鎖状態は続いている。庭(外)とか売店とかは行けないので、それほど気分はすっきりしていない(むしろ広い意味での隔離は続いていると云える)。
それに病室に隔離されていた期間は完全に「放置状態」で、食べた御飯の片付けとかゴミの始末とかもなかなかしてもらえんかった。そういうちょっとしたストレスを久々に味わった。全部別に袋に入れたりして処理しなければならないみたいですぐにはできなかったみたいではある。また、病棟の閉鎖状態の情報自体もリハの先生経由でしか情報が得られていないので何だかなあというのは正直あった。
病棟全体が元に戻るにはまだまだかかるのだろうが、元に戻らないとリハ棟には行けんから、リハ自体でできることが限られる。そうなるとしんどいのを我慢して何のためにここに入院しているのかということも考えてしまう。何だか、思わぬところで足止めを食らった感じ。

そんな「軟禁」状態で、とりあえず車椅子の漕走に関しては割り切って暫くは休息としなければならない。で、この時間はひたすら読書とし、太平洋戦争の本を3冊平行して読んだ。この歳でようやく分かってきたこともあった。今は神社とか仏像とか神話関係の本を読んでいる。

もう一つは、漸く廊下の手すりを持っての立ち上がりができるようになったので、即リハの先生に確認して貰った(こういうのは自分だけで勝手にやってはいけないので「自主トレ」するには許可が要る)。手すりを使ってのスクワットとか少しはできそうなので、それをやらねばと思う。まあ、筋トレ、苦手なので気持ちを仕向けないといけないが。
トイレで便座に移動したりするときに、手すりを掴んでではあるが、立つ時間が長くなったり方向転換できるようになったり紙パンツやズボンがはけるようになったりして、生活動作を中心として気を付けていることが筋力向上に繋がっているとは思う。
また、昨日などは1時間ひたすら歩行器で歩くなど、トータルの運動量をリハの先生もいろいろと考えてくださっているのが有り難い。

ベッドをフラットにしても手を使わないで起きあがれるようになった(いわゆる勢いつけての「腹筋」)のでこの辺りも。まだできたりできなかったりなので、強化が必要か。さて、どこまでできるか。
一方で、今回の隔離軟禁の原因になった「下」のことはまだまだ解決にはほど遠いどころか、見通しすらどうかという感じである。

昨日一昨日と良い天気だった。

冬至の今朝は曇天である。
秋分から冬至まで時間が経過した。
いわばこの軟禁状態は春分過ぎまで続くということを改めて思った。

すぐそこにある「外」2016

2017-12-20 10:45:49 | 近場の異邦人
すぐそこにある「外」がとても遠い。

今日はかなり冷えたが天気が良さそうである。

で昨年、2016年の松山近郊ラン。

これは2015年の暮れの堀江うみてらす。

2016年夏の重信川。

同じく夏の市内。

これは「目の見えない犬ダン」の銅像がある某小学校。

建て替えられた駅舎。前のは随分古くて、それはそれで希少価値があったようだが、耐震の問題もあって、なのだろう。

某エミフル。冬のバーゲン。

松山空港。着陸の瞬間。12月30日。1号が旅立ってまだ間がない時期だった。

病室から空を見る。

すぐそこにある「外」がとても遠い今日。

隔離される

2017-12-19 06:38:04 | 脊髄内血管腫との邂逅
今入院しているフロアでとある感染症が発生したのが先週末。で結構瞬く間に広がって食事の時にぽつぽつと空席が目立つようになった。ふぅーんという感じで見ていたが、感染拡大防止のためか、このフロア全員がリハ棟への出入りが駄目になり病棟のオープンスペースや廊下を使ってリハ(歩行訓練)をしたり、トイレを分けたり等して少なからず影響を受けていた。で、今日。

昼に「リハ庭」から帰って来たら、看護師さんより、リハ棟だけでなく全ての階への出入りが禁止になったと言われる。明日から暫く外に行けなくなるということで、かなりのショックを受ける。

で、ショックを受けて呆然となっていると病室に昼食が。
何でかなと思っていたら、別の看護師さんから、症状が治まって2日間までベッドサイトのみで生活するよう指示が。つまり病室から出られずフロア内も行き来できない。

ん?何で?

で、漸く自分の置かれている立場を理解する。
昨日のお通じ問題の余波をくらって、儂自身が「対象者」になっている。
確かにお通じの回数は結構あった。でもそれは前日の下剤のせいでは、と。
ただ、下剤のせいではと思うが、確かに確証はない。確証がない以上、そういう症状が出ている場合はそれと見なして対応する、ということだろう。だから文句も言えず従うのみ(しかしまあ、また今日下剤飲んで明日複数回出たらどうするんだエンドレスではないか)。

ベッドサイトから動けない状態は、前の病院以来である。自由が制約されるのは辛いがそれよりももっとショックなことが。
しかも午後からのリハはリハの先生方が「防護服」着てベッドサイトでかなり緩めのメニューのみ。トイレも看護師さんが「防護服」を着て、しかも指定された(対象者専用の)トイレへ。いわば儂に接する人全て完全防備。
外が走れないのも結構なショックだが、周りの医療関係者がみんなこういう感じになってしまうのもかなりのショックで。儂何か相当な悪いことしたみたいで。

今日の漕走は滅茶苦茶調子よかったんだが。
窓の外を見る。失った自由を思う(大袈裟な)。
スペース的に仕切っている訳ではないので厳密には隔離されている訳ではないが、気持ち的には充分隔離状態である。不便さや不自由さもさることながら、それを通り越してただただショックだったりする。

ということで関係の皆様、御面会は暫く御遠慮ください。

らしさ

2017-12-18 07:07:57 | 脊髄内血管腫との邂逅
先週は寒かったが陽の当たる(儂にとっての)良い天気だった。

寸暇を惜しむかの如く漕いだ。30分は当然、15分とかの時間の空きも漕ぎに行った。
寒さは気にならなかった。
この週末も土曜は曇天だったが頑張った。日曜は再び晴れ間も出てそれほど苦にならずに漕いだ。
で。
その日曜の午後、下の処理というかコントロールが上手く行かずかなりの事態になって漕ぐどころではなくなってしまった。
今の自分がお腹が出てしまっても紙パンツでもそれでも、最近、漕ぐことで何か「保てている」気がしていたので、設定した回数とか距離とかが漕げなくなって下がるというか折れるというか、まあそんな感じになって。

とある日にリハ庭にやって来た鳩は、よく公園で見るような色とか体型ではなくて。群れてもなくて。
鳩らしくないなと思った。否、これが本来の姿なのか。

考え方を変えないかんのか、それとも少し休んでまた漕げばいいのか、まだよく分からん。
あの鳩はどこに行ったのだろうか。

関川まで(再想)

2017-12-17 08:00:00 | 別に除けておきたいこと
朝起きて、とりあえず行っておきたいと思って走り始める。午前6時過ぎだったか。時は12月の23日。1号が亡くなってから1週間経っていない。

川を越える。本当に行くのかというか行けるのか。まあ、恐らく60キロぐらいで時間制限があるわけではないから大丈夫だろうとぼんやりとそんなことを考える。
ただ淡々と前を見て脚を交互に動かす。

雨というか雹みたいなのが降ってくる。あまり気にはならない。ずっと続くという予報ではなかったのと、そんなに気にするような気分ではなかったから。ただ、走りきらないと気分が悪い。何のためか。自分のためか1号のためか。それすら曖昧。でも走りきらないと気分が悪いのは確か。

お墓参りを済ませる。まだこの時は骨は入っていなかったか。その直後空が晴れてくる。虹が出る。1号ありがとうという気分。
国道を更に東に向かう。

30キロ手前のセブンで補給。12月だが極寒ではない。それが救い。

さらに10キロ余り進んで加茂川を通過する。写真、少ないな。多分撮ることとか考えずにひたすら走っていたのだろう。君のことを想いながら。

1号は、もうずっとウチにいたから、特別な存在というより普通に家族みたいなもんで。
15年と11ヶ月。自分の中で一つの時代が終わった気さえする。
君を見たのは大洲から宇和に向かうトンネルの手前のペットショップ。3回ぐらい通ったんかな。雪が降って、凄い道路状態になった日にも行った。で、3月の末か、ヨメさんが見た瞬間に決定、という感じ。儂が車止めてペットショップに入ったら、もうヨメさんがだっこしてお金払っていたから。
犬小屋を実家のオヤジが作っていてくれたが、結局使わないことになった。
「まだ小さいから家の中で」が「ずっと家の中で」に。我が家の犬たちが、家の中で暮らせるようになったのは、君の器量の良さと愛らしさのおかげ。すべてにおいて完璧。
ムスコもムスメも幼稚園児で、それはそれは毎日が楽しかった筈。君と2号が一番いろいろなところに行っているが、君の場合、しまなみとかも1回多く行っているし、そういやあ泊まりがけで鞄の中に入って宇和島とかにも行っているし。2号と2匹一緒でなら、四万十のキャンプ場とか鳥取砂丘とか、そういうところまでお供したな。兎に角いろんなところに行った。
そして、1回「結婚」しました。赤ちゃんには恵まれませんでしたが。3日ほど四国中央のブリーダーさんの家に預けなければならなかったが、その時、儂は寂しくて寂しくて、もう。
で、今日は君に縁があるところまでということで、その街まで走ってみようかと。

西条から新居浜へ。もう半分は過ぎた。

国道をひたすら行く。見慣れた道で退屈なはずだが、それでもそんなに苦ではない。何かを見ながら走るという気分でもなかったから。

それでもまあ、と新居浜に入ってから少し旧道に行く。気分転換。

コンビニで入手しておいたチョコを補給。

川を渡る。

新居浜を過ぎる。ややバテてきたか。

池田池公園は、過去にはマラソン大会が行われていたこともあるそうで。
儂が3年前、朝ラン中に原付に追突されて眼窩骨折したときに、執刀してくれた先生は、ここから呼び戻されたと言っていた。

そういえば、1号とは一緒に走ったな。若かりし頃。最高で15キロ。今5号も同じぐらい走れそうだが、危なっかしくてまだ3キロぐらい。そのうち走ってみようかとは思っているが、興奮しすぎになるのが一寸酷すぎて無理かもしれん。兎に角興奮しやすくて危なくて。それを考えれば一緒に走れるというのは凄いこと凄いこと。

新居浜から土居までの長い長い(長く長く感じる)国道を抜けて漸く四国中央市。

やっと来た。来れた。

明石山系、に遠くまで来た、来れたなという実感が沸く。君の「結婚先」ははっきりとは分からないが、この街の手前の方で間違いないので、近くの駅を目指す。

天気は快晴ではなく、もの想うによい案配だった。

10月に2号が逝ってから、寂しくなったんかな、とそれは思った。ただ、それもあるのだろうが、紆余曲折のあった(本当に!)ムスコやムスメが、無事に大学生になって家を出て、やれやれって思って力が抜けてしまったんかなと。
どちらかといえば、君はそうやっていつも家族のことを考えていたような、そんな立ち振る舞いをいつもしていたと思う。
その日も。
最近少ししんどそうだなと思ってはいたけど、それほど気にする感じではなくて、その日も、30分前まで普通に庭に降りて、とことこ歩いて。で、一瞬に倒れたけど、何事もなかったかのようにリビングに帰って、でその後力を使い果たしたかのように倒れて。本当にあっという間だった。慌てて近所の病院に駆け込んだが、もう心臓は動いてなかった。
因みに、その日は僕しか家にいなかった。ヨメさんも翌日の夜まで帰る予定ではなかったし。まさかそういうのも計算に入れていたのではないかというぐらい。
その夜は、君の身体が傷まないように暖房とか付けずにリビングで寝て。4号が寄ってきたのが何ともまあ、わかっとんかなみたいな感じで。
ムスコもムスメも次の日に帰ってきて、ヨメさんも予定早めて帰ってきて。

お葬式をしてみんなで送った。儂はその日の夜はそのまま泊まり勤務。辛かった。

その翌朝、泊まり勤務のところからお葬式をした方を見る。綺麗な青。そして夕刻の空。
あんなギリギリのタイミング選んでよく決心したね。
君は、最後までみんなに迷惑をかけないで旅立とうとしていた。凄いです。ここしかない、というタイミングだった。
でも。
最期を看取る、という程何もしていないが、最期までずっと儂は君を見ていたし、君は儂を見ていたし。そんな風にして送ることができた、ということも凄いことなのかもしれないし。
でも。
儂はそれよりももう少し一緒に居たかった。

3日後、一人で君を想いながら呑んだ。
君は縁あってウチに来て、16年近く過ごして、さあどうだろう、いい人生だったのかなどうなんかなと今でも思う。儂は君なしでは考えられない16年だった。感謝の気持ちしかない。
昔家人に「1号は生まれ変わったらおとーさんと結婚すると思う」と言われたことがある。来世とかあまり信じんけど、せめてまた夢ででも逢いたいね、とそう思う。

駅を漸く見つける。

汽車の時間には何とか間に合う。

電車に乗り、靴を脱ぐ、そこそこ靴は濡れていた。

新居浜からバスで家に戻る。何でセブンのにしたんか覚えてないんだが。

国道ひたすら走るなんて、多分1号のことを考えなかったらやろうとは思わない。

ただ想いつつ。走れて良かった。

有り難う。

ついに一気に100周

2017-12-16 20:15:41 | 真面目な練習
12月から「リハ庭」に出られるようになって1周100メートルのコースをぐるぐると漕走するようになって。

今日は曇天だったが、リハが休日日程でまとまった時間が取れそうだったので決行。

お昼御飯を早めに食べて12時半前に開始し、2時間半後に終了。
今日は40周過ぎてかなりしんどくなってしまったが、60周過ぎて持ち直した。距離だけでなくこれも一つの収穫。
今のところ、1日の間にリハやトイレの合間を縫って距離を重ねているので、トータルなら14キロが最高だが、一気に走るとなるとまとまった時間が取れないこともあり、これまでは2時間が限界だった。一度10キロ一気に漕いで見たかったので、そういう点では満足した。

リハの先生に貸していただいた手袋は、もうこんな感じになってしまった。すみません引き取ります。

車椅子を漕ぐのは消費カロリー的にはごくごく僅からしい。150分でも150カロリーぐらいのようで。本当か。でもこれでスナック菓子の小袋ぐらいは食える。今日ヨメさんが大量に買ってきてくれたし。

ただ、今日に限っては豪華な菓子を。職場関係のOさんWさんH(旧姓)さんに立ち寄っていただいた。差し入れ有り難うございました。入院してからぼてぼての腹になっているが、こういうときは有り難く満喫しようかと。

昨日は職場の忘年会だったらしい。晩秋から初冬、初冬から年の瀬へと確かに少しずつ寒くなっている。

年末年始は病院で過ごすことになりそうだが、うーん、忘年会は無理でも麦欲しいなと思ったりする。流石にいかんだろうが。

記録9~先へ進むために抗う

2017-12-15 17:00:53 | 脊髄内血管腫との邂逅
47日目:11月6日(月)手術11日目
6時、起床。睡眠時間約7時間。左の腰から脚が重い。今日は痛いというより重い。脚(下腹部)は特に変化はない。痺れと痛みはずっと。

でも、体調良くなったので。
7時、朝食。

ロールパン75とブルーベリージャム、赤魚煮魚、キャベツ、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で577キロカロリー・糖質81グラム。30分で。
8時20分、一旦横になる。腰を伸ばす。
8時50分、I先生回診。
9時50分、シャワー。
10時10分、終了。ベッドで休憩。明日部屋替え、MRI夕方からの連絡有り。
11時10分、起きあがる。君の名は。を見る。
11時40分、車椅子へ。
11時50分、昼食。

御飯100、豆腐ハンバーグと人参グラッセ(ウスターソース付)、野菜巻き、焼きビーフン、柿。以上で513キロカロリー・糖質75グラム。15分で。車椅子に乗ったままで。いつもと逆向き。

食べた後は車椅子の上でそのまま休憩。手術前のように、よく汗をかくようになった。体調はもう大丈夫かなという感じ。
13時10分、リハへ。行きのエレベーターでI先生と一緒になる。次の病院を考えておいてくださいと言われる。近いところでMリハ病院ですかねということを伝える(ヨメさんが何故か勧める厳しいらしいので)。先生からはT病院もあるよと言われる。確かに距離だけを考えれば近い。
14時10分、病室に戻る。そのまま車椅子でPC。
14時30分、I先生が来られ急に抜糸。痒い変な感じ。その後廊下で立つ練習。廊下の手すりはやはり力が入らない。「4点歩行器(というらしい)」で30秒立つ。リハ直後なので力が入らない(看護師さんが「できる?」と何回か来られたこともあり今日は仕方がない)。
15時20分、背中の違和感が半端ない。
16時、デイルームへ。

陽の傾きが早くなってきた。
16時30分、病室へ。
16時50分、ベッドへ。疲れていたので無理はせず。直に回復。
17時10分、珈琲を開ける。

明日の病室移動に備えて整理を始める。
17時50分、夕食。

御飯100、焼鮭の中華風ソース(といいながらクリームソースではないか)、大豆五目煮、もやし辛子胡麻酢和え。以上で458キロカロリー・糖質66グラム。15分で。久々に海苔を加える。この後ぼんやり。体調が悪いわけではないが疲れている。
19時、PC入力を始める。整理整頓もしながら。体温36.8度。

家から持ってきて貰った30センチの物差しが案外いい仕事をする。孫の手代わり。
19時30分、横になる。体温36.8度。30分後、寝返りのローテを始める。
21時30分、寝る。
23時、腹痛で起き上がり、尿を「手動」で出す。約20分余りで400cc以上出る。とりあえず、治まったので寝る。

48日目:11月7日(火)手術12日目
6時、起床。睡眠時間約7時間。左脚が痛い。特に踝の上辺り。寝返り時に腰とかいろいろなところが無理な姿勢になっているのかもしれない。

ただ今日は結構痛い。
7時10分、朝食。

南瓜パン75、スクランブルエッグ(ケチャップ付)とほうれん草ソテー、コンソメスープ、リンゴ、牛乳。以上で557キロカロリー・糖質64グラム。25分で。
8時、横になる。

左脚と左腰が痛い。
8時20分、身体を起こす。腹が痛い。尿を「手動」で出す。またも400cc排出。
9時、再び横になる。いつもよりしんどいというより身体が重い。
9時10分、I先生回診。回復期リハ病院の希望の確認。紹介状を書くとのこと。
10時、部屋移動のため車椅子へ。デイルームへ。
10時30分、部屋へ。

元の部屋の窓側。有り難い。そのままクローゼットの配置など微調整(車椅子に乗っているのでいくらかはできる)。実習生さんが挨拶に。
11時、夕方の予定だったMRIに急に呼ばれる。1階へ。
12時20分、部屋に戻る。今日「は」か「も」かよく分からないが、2回失敗し3回目で漸く造影剤を入れるラインが確保される。

だから失敗しすぎやって。思いっきり閉口。MRIも40分どころじゃなかったようで。
12時30分、昼食。

御飯100、ホキフライ(ウスターソース)、ぶっかけ素麺、蒸し野菜サラダ、ヨーグルト。以上で568キロカロリー・糖質77グラム。15分で。車椅子に乗ったままで。窓際で。車椅子に乗っているのでそのまま洗面所で歯磨きや箸洗いもする。
13時10分、T先生リハ。まだ腹がいっぱいで気分が今ひとつだが、それより脚の感覚とか痛みとか痺れとか昨日より途中外来対応で30分程休憩。平行棒に捕まって立つのだけはバランス良くできた。
14時10分、終了し病室へ。
14時20分、実習生さんと雑談。
14時50分、地域医療連携室より転院の話。
15時10分、実家の両親が来る。待って貰った割にいろいろ押しているので少しで帰って貰う。いつもは面倒に感じるがこういうときは申し訳なく思う。
15時20分、立つ練習と言われるが待たされる。
15時50分、先に下腹部の清拭。そのままベッドへ。
17時、立つ練習。歩行器に肘を乗せる形で。そのままデイルームへ。
17時40分、部屋に戻る。

部活しとるなあ。
17時50分、夕食。

御飯100、鶏肉のトマト煮、小松菜のお浸し、胡瓜の酢物、オレンジ。以上で376キロカロリー・糖質64グラム。20分で。車椅子に乗ったままで。車椅子に乗っているのでそのまま洗面所で歯磨きや箸洗いもする。
18時20分、ヨメさんが来る。ちょっとしたコトバの掛け違いで口論になること数回。転院後の展望にもずれがある。
19時30分、ベッドに戻る。相変わらず上手くいかない。腹が痛いので尿を排出。600cc。ヨメさんが帰る。
19時50分、今日の記録の入力。
20時10分、看護師さんと相談の上で、下剤は明日にすることに。
21時、ベッドに横になる。そのまま就寝。
23時、多少の下腹部の違和感があり、起きたついでに尿を手動で出す。500ccぐらい出る。

49日目:11月8日(水)手術13日目
6時、起床。睡眠時間約7時間。痺れはあるものの、痛みは少なく昨日より脚とか身体の調子は良いように感じる。動きはあまり変わらない。外は久々の雨。新聞を読む。尿をためる袋のストッパーがうまくかかっておらず、看護師さんを呼んで
7時10分、朝食。

ロールパン75プラスマーガリン、厚焼き卵と鰹白菜、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で611キロカロリー・糖質70グラム。25分で。
8時、職場にメール。その後は横になったり起きたりの繰り返し。

姿勢の問題か疲れなのかは不明。
9時30分、実習生さんベッド周り清掃。
10時、脳外科回診、担当ではない先生に「リハ頑張って」と声を掛けられる。これが案外嬉しかったりする。マラソン大会で沿道から声援受けている感覚に近い。いい意味で。
10時30分、下腹部を洗って貰う。実習生さんも一緒。びりびりした感覚はある。
10時50分、終了。この後もごろごろ。朝は何もしなかった感がある。前の空きベットに新しい患者さんが入る気配。
11時50分、昼食。
御飯100、八宝菜、ほうれん草和え、南瓜煮。以上で410キロカロリー・糖質57グラム。20分で。今日は車椅子に乗らず。実習生さんが「見て良いですか」と食事の様子を参観。これってどうなんと思いながら食べるが仕方がない。写真は撮影できず。そんなに雑談が得意な方でもないのでかなり苦痛。
12時20分、I先生来られる。MRIの結果を簡単に伺う。脊髄内腫瘍は脊髄海綿状血管腫と呼ばれるもので、術前の特定部位のは取りきっているとのこと。また今日から週末まで学会で土曜日以降に詳しい説明を伺うことに。逆に言うと今週は大きな動きはないか。
13時10分、リハ。ベッドの上にいたのでT先生に体幹の感覚を見て貰う。爪楊枝のピンポイントの感覚(痛覚)は手術前より割合はっきりしているところが多いらしい。綿棒で撫でる感覚は、似たような部位でも感じ方が違ったり、感じる時が会ったり無かったりと一貫性に欠けるようである。その後いつものようにリハ室へ。朝調子が良かった割に、立つのはあまりうまくいかなかった。
14時10分、部屋に戻る。
14時20分、実習生さんが来る。雑談ネタが見つからずお互いに苦しいが何とかコミュニケーション。因みに今回は専攻科の1年生の方。
14時50分、終了。
15時10分、水汲みがてらデイルームへ。
15時20分、「4点歩行器」で30秒を3回、立つ練習。ベッド横で記録入力開始。
15時40分、ソーシャルワーカーさんが来られる。家(建物)の状況(段差等)やリハで最低限求めていることを確認して貰う。リハで求めていること(車椅子等へ介助なし移る、トイレの方法の確立、家の中の移動方法の確立)は常々考えていたこともあり、この段階で聞いて貰えて気分が楽になった。
16時20分、水汲みがてらデイルームへ。保険会社に電話。
17時、病室へ。
17時10分、水汲みがてらデイルームへ。
病室に戻る。そのまま車椅子。デイルームへ。
17時40分、夕食。

御飯100、ポークバーベキューと人参、胡瓜中華風酢物、卵豆腐、人参。以上で416キロカロリー・糖質56グラム。20分で。
18時20分、ベッドで休む。乗り移り上手くいく。今日は車椅子5時間。
20時30分、下剤。腹は現時点で痛い。明日はどうなることか、とやっぱり思う。
21時30分、寝る。

50日目:11月9日(木)手術14日目
6時、起床。睡眠時間約6時間半。腹は痛くない。寝返りはOK。ただ腰が痛い。で脚を見てみるとぐちゃぐちゃの位置。脚を見ながら修正する。布団を足下の近くに寄せ、両膝を立てて足下奥に寄せる。上手くいった。脚の痺れと痛みの変化はそう感じない。痺れは昨日からじっとしていれば楽になっていると感じる。物差しでカーテンをたぐり電気を付け新聞を読む。外が随分暗い。
7時、朝食。

黒糖パン75プラス蜂蜜、鮭の塩焼きとほうれん草のお浸し(醤油付)、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質70グラム。30分で。何度かベッドを倒したり起こしたりすると、腹が痛くなってくるのが分かる。
8時、家人にメール(返事を貰う良かった)。
8時40分、腹が痛くなった直後に「出した」感覚がないのに少し臭い始め、やはり無理だったかとナースコール。おむつの中を確認して貰うと、少し出ているだけとのことなので、トイレに連れて行って貰う。立てないので、立たせる人とおむつを脱がせる人2人がかりでサポートして貰う。便器に座るが安定しないし左の腰の下(尻)が当たって痛い。何分か経つと出ていたようで、恐らく2回ぐらいに分けて排出できた様子。当然感覚はない。ウォシュレットも当たっている感じが無く、尻を拭くのもまだ充分上手くできない。30分後、ナースコールで看護師さんを呼び、処置をしてもらう(座っていたのは実質30分と少し)。の指示でストッキングを脱ぐ。体温36.3度。
9時40分、ベッドに帰り、もう一度おむつを当て直して貰って終了。横になってしばし休憩。実習生さんが来るが出直して貰う。それぐらいハードだった。
10時、実習生さんの脈測定等の実習。
10時20分、終了。
10時30分、シャワーへ。
10時50分、終了しベッドへ。実習生さんと雑談。
11時10分、ベッド周りの掃除をしてもらう。
11時20分、終了。
11時40分、車椅子に移動。
11時50分、昼食。

七色ごはん100、カジキ照り焼き、大根おろし(ノンオイルゆずドレッシング付)、てまり麩汁、キャベツ酢物、バナナ。以上で402キロカロリー・糖質60グラム。20分で。終了後PC。電子書籍リーダー代わりにする中古スマホを注文する(いろいろ試した結果、結局今のサイズのに落ち着く)。
13時20分、「4点歩行器」で30秒を2回、立つ練習。
13時30分、リハへ。途中T先生、外来対応のため休憩。ハードだったようでぐっすり寝る(15分)。立つ練習プラス少し膝曲げの立ち上がりの練習も。また、右足首の動きがあることを確認して貰う。ほっとする。
15時、終了し病室へ。車椅子に乗ったまま記録の入力を始める。PC見たり尿を手動で出したりして休憩。尿は300cc以上出る。看護師さんが来て、散髪1100円出張OKとのこと。明日予約を入れて貰うようにする。
16時10分、義母が来る。「いかんな」「仕方がないな」と声を掛けて貰う。ある意味励まされるより染みこむ。有り難いと思う。
16時20分、義母が帰る。
17時、デイルームへ。

途中水を汲む。
17時10分、病室に戻る。そのまま車椅子。
17時20分、ヨメさんが来る。
17時40分、夕食。メニュー確認してヨメさんが帰る。
御飯100、オイスターソース炒め、南瓜サラダミモザ風、牛蒡胡麻和え。以上で526キロカロリー・糖質62グラム。20分で。18時20分、ナースコールでベッドへ。この日は車椅子約6時間(リハで約30~40分横になっていたのを差し引く)。

10分ほど横になる。
19時10分、ベッドを起こす。
21時30分、寝る。

51日目:11月10日(金)手術15日目
1時30分:膀胱に違和感有り。尿を手動で排出。500cc。
2時、横になる。
6時、起床。睡眠時間約6時間。一昨日ぐらいからの若干の痺れの弱まりは継続。但し痛みは相応にある。また左腰から脚の痛みは相変わらず。着圧ストッキングを履かせて貰うのを忘れていたことに気付く。
7時10分、朝食。

南瓜パン75、スクランブルエッグ(ケチャップ付)とキャベツソテー、コンソメスープ、リンゴ、牛乳。以上で556キロカロリー・糖質64グラム。25分で。
9時20分、ベッドに横になる。結構放任される。
9時30分、実習生さん清掃。
9時40分、清掃終了。起きあがる。
10時、ナースコールでお願いし、1階の散髪屋さんへ。病院と散髪屋の各建物の合間5メートルぐらいの間で、救急で搬送されて以来の「外の風」に当たる。涼しいなと思う。実に50日振りの「娑婆の空気」である。涙が出てくるな。

丸刈りにしようと思ったが、前に切ったのは3ヶ月前ということと、基本的に切りすぎて良いから、ということを伝え後はお任せする。
10時40分、終了し9階に戻る。実際に切った時間はバリカン中心で10分ぐらいだと思う。1100円だから有り難い。有り難いが紙を洗って貰わないコースなので、帰ってからも髪の毛が結構布団に付いてくる。
10時50分、実習生さんの実技練習のためベッドへ。
11時10分、終了。

そのまま横になって休憩。
11時20分、ソーシャルワーカーさんが来られる。主治医のI先生が出張から帰ってOKしたらということで、正式ではないものの、転院が来週の火曜日に(仮に)決まる。

転院時の具体的な段取りについて説明を聞く。いよいよ、という気分。お世話になったドクターやスタッフさんへの想いが複雑に混じるのを感じる。
11時40分、昼食。

御飯100、鶏挽肉の豆乳仕立て、じゃこ天煮物、胡瓜酢物、蜜柑。以上で508キロカロリー・糖質77グラム。20分で。メインのおかずではないサブの煮物は、前に出た夕飯のメインのおでんよりクオリティ高いと思う。煮物和え物酢物は結構多い。
12時20分、横になって休憩。寝てた。
13時10分、T先生リハ。今日は、ふんばっているまではいかないが、左脚で「立っている感」を感じることができた。これまでは脚が浮いているような感覚で脚で立っているという感じはなかった。恐らく術後初めて。相変わらずはあはあぜえぜえだが、調子は良かった。途中、細くなった脚に何とも云えない気分になる。
14時20分、部屋に戻る。後1回でT先生のリハも終わりかと思うとこれも何とも云えない気分になる。
14時30分、「4点歩行器」で30秒を1回と1分を2回、立つ練習。今日は左膝の「かくん」がなくてこちらも調子が良かった。明日から二日間(休日はリハがないから病棟で立つのみ)の目標ができたか。終了後、デイには行かず窓際で陽に当たりながら読書。実習生さんも儂の退院騒動で来週からの実習予定が変わるだろうから、もうこちらには来なかった。
15時10分、病棟の看護師長さんが来られ、部屋替えを急遽依頼される。はいはいと応じると、今からとのことで移動開始。

西向きから北向きに。これで全方向の景色を見ることに(神経内科と脳外科は9階の西側になるので東向きの部屋はない)。窓際だったので有り難くそのまま景色を見た。2年前に入院していた景色を思い出した。
15時40分、PC入力から読書へ。気分的に。

まだ車椅子に乗ったまま。
17時、ベッドへ。移動が昨日ぐらいから要領を得てきつつあるか。今日の車椅子は5時間。やはり疲れる。
17時40分、夕食。

御飯100、鶏のミートソースかけとインゲン、レタスとトマトの香味サラダ、オニオンスープ、スタミン。以上で386キロカロリー・糖質58グラム。20分で。
18時20分、ベッドへ。横になる。今日は5時間。
18時50分、ベッドを起こす。
19時、ヨメさんが来る。
19時20分、ヨメさんが帰る。その後PC。腹痛。何でか。
20時20分、トイレに座る。何もなし。
21時20分、戻る。
22時30分、腹が痛いがとりあえず寝る。

52日目:11月11日(土)手術16日目
4時30分、腹が痛いのでぼおーっとする。そのまま起床。睡眠時間約5時間。
7時10分、朝食。

ロールパン75といちごジャム、ハム野菜炒め、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で600キロカロリー・糖質84グラム。25分で。腹は痛くても、食べられないと言うことはない。その後はお腹の違和感を抱えつつPC。
8時30分、I先生回診。

昼に手術後の経過等々と転院前の話を伺うことに。
10時20分、看護師さんと相談の結果、浣腸をする。
11時10分、全く結果出ず。下腹部の清拭と、導尿カテーテルの交換。結構汚れているらしい。
11時40分、ヨメさんが来る。
11時50分、昼食。微妙なタイミングだったが、先生の説明前に先に御飯を食べることに。

御飯100、鮭シチュー、春雨の酢物、小松菜の辛子和え、バナナ。以上で494キロカロリー・糖質84グラム。15分で。
12時20分、面接室へ。説明を聞く。手術そのものは想定通り。知覚系の神経の回復には時間がかかる。半年とか年単位。説明を直接聞くことで納得する。
12時40分、説明終了。ヨメさんが帰る。車椅子に乗ったままPC。しかし、腹が痛い。PC入力。
14時20分、腹が痛いので、ベッドへ。昼寝。
15時20分、目が覚める。
15時50分、「4点歩行器」で1分を3回、立つ練習。ベッド車椅子間の移動もほぼ自力でできた(看護師さんには看て貰っているが)。車椅子に乗っていると腹が痛いのでベッドで休む。
17時40分、夕食。

御飯100、豆腐カレー風味、マカロニサラダ、大根煮。以上で513キロカロリー・糖質69グラム。20分で。

プラス海苔。横になって休憩しつつごぞごぞ。
20時30分、下剤。
21時30分、寝る。今晩はどうなるだろう。


53日目:11月12日(日)手術17日目
6時、起床。睡眠時間約7時間。何故か腹痛なし。
7時10分、朝食。

黒糖パン75とマーガリン、ハムサラダ(ノンオイル胡麻ドレ付)、トマトスープ、リンゴ、牛乳。以上で574キロカロリー・糖質61グラム。25分で。何をするでもなく過ごす。
11時、看護師さんによる状態確認。今日の浣腸を回避して明日にする。今日しても問題はないだろうが、下剤飲んだ割にお腹が痛くないということもある。お腹の張りも昨日一昨日に比べてやや治まっているとのこと。

午前中は半完全オフのような時間の流れ。
11時50分、昼食。

御飯100、豚の生姜焼き、モヤシの酢物、お好み焼き(マヨネーズ付)、柿。以上で495キロカロリー・糖質60グラム。20分で。食べた後昼寝。
13時20分、目が覚める。
14時50分、下腹部清拭。
15時10分、「4点歩行器」で30秒を3回、立つ練習。今日はあまり力が入らず。
15時20分、ヨメさんが来る。転院時の荷物の確認。

カーテンを開けて貰う。
15時50分、ヨメさんが帰る。そのまま車椅子で読書。

午前中から15時ぐらいまでは、本当にどうなるんだというぐらい放置されていた感があった(腹も痛くなく天気もまあまあだったので良かったが、カーテンが閉まっていて一寸残念だった)。

読書とかして気分的に少し持ち直した。
17時40分、夕食。

御飯100、厚揚げ味噌炒め、白菜のお浸し、柔らか牛蒡サラダ。以上で510キロカロリー・糖質53グラム。20分で。

最後の海苔。感謝。
18時20分、ベッドへ。クーポンが発行されていたので電子書籍を購入。
20時30分、下剤。
21時30分、寝る。

54日目:11月13日(月)手術18日目
6時、起床。睡眠時間約5時間。水分500cc。あまり眠れた感はない。腹は痛くない。やや疲れを感じる。力が入りにくい。
7時20分、朝食。

ロールパン75とブルーベリージャム、赤魚煮魚、キャベツ、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で577キロカロリー・糖質81グラム。25分で。

まだ腹は痛くならない。寝たり起きたり。
9時20分、浣腸。10分ぐらいしてそのままシャワーへ。
9時50分、終了。
10時10分、実習生さん清掃。
10時40分、脳外科回診。
11時、「4点歩行器」で30秒を3回、立つ練習。終了後実習生さんと雑談。
11時40分、車椅子に乗る。
11時50分、昼食。

御飯100、鰯カツとブロッコリー(ウスターソース付)、炒り豆腐、胡瓜ゆかり和え。以上で402キロカロリー・糖質59グラム。15分で。
13時30分、リハへ。それでも力は入るようになったとのこと。
14時20分、腹の調子が悪くなり、途中で終了。そのままオムツの処理。
14時30分、トイレへ。腹は痛いが出ない。
15時10分、ベッドへ。

そのまま居眠り。
15時50分、寝ている間に失敗したらしく、処理して貰う。情けない。
16時20分、再び失敗。今回は腹が痛くなってからあっという間。今日4回目。恥ずかしいやら申し訳ないやら。
17時10分、腹が痛くなったので、もしかしてと思い確認して貰うが何もなし。安堵。
17時40分、夕食。

御飯100、鰤塩焼きと白葱(醤油付)、ポテトサラダ、ほうれん草ナムル、バナナ。以上で512キロカロリー・糖質65グラム。20分で。
18時20分、ヨメさんが来る。珈琲を買って貰う。明日の打ち合わせ。
18時50分、ヨメさんが帰る。同部屋の人が退院する。1人。前の部屋の人も今日南予の病院に転院する予定だった筈。
21時30分、寝る。

55日目:11月14日(火)手術19日目(転院の日)
6時、起床。睡眠時間約7時間。
7時10分、朝食。
9時10分、着替え。
9時40分、9階を出る。
10時、介護タクシーで病院を出る。

これ以降は、別に項を改めて。
入力完了日:11月14日。

ようけ漕いだ

2017-12-14 06:04:46 | 真面目な練習
ひたすら車椅子を漕いだ。何も考えずに。

昨日は2時間続きでリハの待ち時間ができた。朝は晴れ間が出ていて良い天気のように思ったがやはり寒い。リハ棟へ行く途中で遠くの皿が峰に雪がうっすらと見えた。それでも、こんなに条件が揃うのは珍しいと感じたし。
リハの担当の先生方が奇しくもみんな休みの日で、代わりの先生ばかりだったので、思い切って自主トレ重視という感じでやった。何でそう考えたのかというと、例えば学校だって担任の先生より代教の先生の方がやや甘めなのは世の常だから。普段、こんなにやるとリハの筋トレに差し支えるが、昨日はそこまでではないだろう、みたいな。

で「リハ庭」に出て計14キロ(140周)を約3時間半弱。但し、導尿や自己排尿でトイレに行ったりしなければならないので4回に分けてやった。それでも今日みたいにお通じの処理や風呂がなかった分、時間は割合取れた方。
で結果ばてばて。最後の2時間走は久しぶりにだめかもしれんというぐらいにきつかった。腕が。腹筋でカバーできるぐらいにならんと、なあ。

ひたすら車椅子を漕いだ。何も考えずに。