きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

パラとデフ

2018-04-30 17:56:22 | 徒然に2018-2020
これは、かなり理解しにくいと思う。

歴史的なものとか背景とか、そして所謂それぞれの特性とか理解しておかないと、ということだが特にデフを知らない人は説明されても何で?って感じだと思う。
障がい者というカテゴライズから入ると駄目なんだろうなと。
じゃ何かというと所謂それぞれが別個のマイノリティだという感覚が必要ではないかと。

腹が重い気が重い

2018-04-29 21:25:08 | 徒然に2018-2020
復帰して1週間、漸くの休日。何せ3週間遅れのスタートなので、片付けをしつつ業務に入りつつでかなり疲れる。加えて、勤務に体が合わせようとし過ぎたためか、お通じがなくて。5日振りに昨日やっと少しだけあった。が腹の調子は今ひとつのまま。

毎日1時間弱はロフストで歩いてはいるが(今日は転倒した)充分ではないのは明らかで、今日は昼から漕走に出る。
川沿いの自転車道。向かい風だが悪くはない。天気が良いときほどいらんことを考える。

何でこんな風になったんかと、ランナーやサイクリストを眺めながら思う。今までそんなことはあまり考えたことはなかったのだが。恨み言ではなく、単に疑問が渦を巻く。
自転車道は景色は良いがトイレがない。途中で何度か「モヨオス」も、直ぐにトイレにというわけにはいかず。

後の祭りの時間で漸くトイレを見つけて入る。後始末に苦戦しつつ、さらに川沿いをしつこく進み、何とか3時間半余りは漕いだ。約19キロ。

オムツの換えがなくなり、駅へ。排泄の失敗で気分はめげそうだが、お通じがあるだけマシなのは確かで。

調子が悪かろうが、やっぱり呑んだ。
この腹具合ともこれからつきあっていかなければならない。仕事もそうだが徐々にと周りは言う。でも儂にとってはもうこの日一日が徐々にでは済まないので、全く気楽に構えることはできていなくて。それでも徐々にこの重さが取れればいいのだが。

未だ見ぬ風景

2018-04-28 22:57:00 | 徒然に2018-2020
入院前、ほんの僅かのタイミングで行き逃したところがある。

高野山はほんの少しのタイミングで行き逃した、というのはぶっ倒れた1週間後に行く予定にしていたから。ピーチも予約していたし。この直前にNHKのタモリの番組で特集をしていて結構面白そうだった。熊野古道は、2年前からとある団体のトレッキングに参加しようかどうしようかとかなり真剣に迷っていて結局参加していない。帰りは日本一長い路線バスに乗るという豪華プランだったのだが。
走れなくなって思うのは、行ったことのあるところより行き逃したところへの想いであるというのは大袈裟に云い過ぎか。

結構前からチェックしていたにもかかわらず、近くを通ったことがあるにもかかわらず、行き逃していたところ。豊稔池に続く道はなかなか良いらしく、どろめ市場は昼から普通に酔えるらしい。長田は云うまでもなく神戸M君の影響か。

もっと近くでは、こういうのもある。伊予十三仏は、3年ぐらい前から1日は無理でも2日ぐらいで行けんかなとルートを調べていて結局そのままになってしまった。これぐらいなら問題なく行けそうだが、山の奥にある寺へ行くのが大変そうではある。特に寺が好きというわけではないのだが。


なかなか行くのは大変そうだが行きたいなあ、と思いつつ帰宅途中の電車内で撮った画面キャプチャの数々。ちょっと頑張ったら行けたというところもあり、なかなかというところもあり。

こういうのもいいなあと。未確定とは違うが、去年は東京千葉埼玉の1都2県が交差する辺り(千葉でいえば松戸の辺り)を確認した。



こちらはある意味夢の領域。

別に行って何をする訳でもない。ただただそれが見たいだけである。

病院あるある?もう一つ

2018-04-27 20:54:52 | 脊髄内血管腫との邂逅
長い入院生活でメインを張るのはやはりごはん。間食などしてなかった(できなかった)K病院時代は特に三度の食事は待ち遠しかった。

炭水化物プラス炭水化物の食事が時々出る。うどんとごはんとか。しかしこれが美味しいということに気付かされた(というより思い出させた)のも病院食がきっかけといえる。御飯に御飯は兎も角として、である。写真は節分の時のスペシャル献立。案外こういう特別な日のメニューも良く出ていて病院食のイメージでもなかった。ただまあ、野菜を多くして油をあまり使わないようにしてカロリーを稼ぐためにはどうしても炭水化物になる。芋類もよく出た。おかずはしっかり食べたが周りのじいちゃん方はようけこと野菜を残していた。

儂の場合糖尿病とか高血圧とかの制限食メニューではなかったので、病院食そのものの味は案外薄くなくて普通に食べられるものだったが、調味料はほとんど出なくてたまに醤油とポン酢とウスターソースぐらい。とんかつソースとかマヨネーズとかは絶対出なかった。たまの外出時にはその辺りを「補給」すべくお総菜を買ってソースを堪能したりした。反面、朝の食パンは焼いただけで食べられるように進化した。毎日ジャムとかマーガリンとか出ていたが、マーマレードとかリンゴジャムとかあまり好まないのもしっかり出ていたので、その時に付けないで食べていたら慣れた。

当然これも病院食の反動である。

スナック菓子は普段からよく食べていたが、これに加えて甘い物の摂取が増えた。夜の晩酌代わりという感じになったためか。珈琲を定期的に買ってきて貰うついで買いのお菓子の中でフルタのチョコチップはかっぱえびせん同様止まらんかった。写真のワッフル(?)は病院で出たもの。本当は病室に持ち帰っては駄目なのだがどうしても珈琲と一緒に食べたかったのでこの時だけこっそりと。


そのお菓子は、買ってきて貰う以外では8階の売店で買う。弁当とか日常生活用品とか揃っていてコンビニっぽいが、じいちゃんばあちゃんが好きそうなラインナップが特徴的。キャラメルの所に並んでいる兵六餅が気になるが買ってない。

ネットでこういうのを見つけて久々に買った。酒のつまみにもなるか。

ネットといえば、先日お菓子を買うことを思いついてうまい棒を大量入荷。退院間際になって気付くものだからまだあまり減っていない。もう少し早くに気付けば良かったかと。

病院あるある?

2018-04-26 21:20:00 | 脊髄内血管腫との邂逅
当たり前のことだが、入院自体が日常でありながら非日常である。入院期間中だからあった起こったなったこどいろいろ。

補聴器をずっとしていたので、電池が無くなるのが早かった。左は約5日間、右は約10日間。普段は出勤時のランとかは勿論、退勤時は外すことも多いし、装用しても右だけのことが殆どだから、その右の電池の持ちももう少し長い。左は言わずもがなで2~3週間ぐらいは持つ。それでも不便ではないのはやはりコミュニケーションの環境。一番楽なのが職場だったりする。

12月の下旬からコンタクトもするようになった。2ウイークだが、勝手に1ヶ月用にするようになった。

ベッドや病棟から動けないとき、つまり活動範囲が狭かった頃は歯も時間かけて磨いたからか、1ヶ月程で歯茎からの出血が止まった。転院して徐々にすることが増えてくるとそれは無くなった。

リハ室は入院生活の中心である。少しずつ少しずつ機能を取り戻す過程を実感した。

入浴も途中から介助なしになった。長椅子だけで入れるのは有り難かった。

反面、排尿排便は完全コントロールは難しい。退院後も苦労しそうである。

お見舞いもたくさんいただいた。何故か不在にしているときの来訪が多くて、これもやっと2回目のNさんから。すみませんありがとうございました。

食べ物については別項で(娯楽がないからそれだけ食べ物のウエイトが大きいと云うことだと思う)。儂的にはこれに加えてやはり漕走ということになるか。リハ庭をぐるぐるぐるぐる。病棟での歩行器(歩行車)による歩行練習もだが、普段なら絶対しない何時間もの周回をこなすことができたのもある意味非日常だからだったのかもしれない。

4階からのこの景色は何度も何度も見た。懐かしく思うような日が来るのだろうか。

10日間の自宅待機の記憶(記録にあらず)

2018-04-25 20:02:41 | 徒然に2018-2020
医師の助言もあり、退院した次の週(つまり先週)は年次休暇を取り身の回りの環境整備とか身辺処理の練習をということに。土日があるので10日間になった。
忙しそうに思えて時間潰しのような感じがして。何故かというともう記憶がない。それぐらい無駄に過ごした気もする。
入院時は外へ出る時間が貴重だったが、退院するともうそういうのはなくて。反省しきり。

木曜日:退院日。帰ってからすぐにこれからの居室となる1階の和室の片付けをする。家具は運び込んで貰っていたので、PCとかの配線や入院中の持ち物の片付け等々。この日だけはあっという間に時間が過ぎた。

夜、念願のだらだら呑み。やっと日常を取り戻した(直後、ヨメさんから酒量規制についてお達しが・・・(泣))。
金曜日:早速紹介された泌尿器科へ。車椅子を漕いで行く。月末までの薬を出して貰うが、本格的な導尿とか排泄の管理は次回からということになる。そのまま寄り道しながら市内へ。

オムツの値段が気になる。帰宅後、朝に続いて歩行訓練。
土曜日:ぐずついた天気だったが、部屋の片付けが一区切りついたので車椅子を漕いで街へ。

雨脚が強くなり雨宿り。通りすがりの車に声を掛けて貰い大丈夫ですと応える。

雨宿り先で一息つく。

去年のこの日は桜は未だ咲いていたが今年はもう欠片もない。まあ、桜が散ったら退院という儂の気持ちに合わせてくれたのだろうが。
日曜日:金曜日に納車された車を撮影していて、高さ50センチほどのスロープから転倒。

因みに車椅子ではなく杖。退院してから3回転倒したがこの日のは頭も打ったしマジで救急車かと思った。検査と入院が嫌なので我慢した。手をつかずに身体から落ちたが、その直後に傍のコンクリートの角に頭をぶつけた。頭から直で角に落ちたら危なかったと思う。どうしても杖は安定しないのでリスクは高くなるが、油断していたのも確か。車は知り合いの業者さんにかなり頑張って貰って程度の良い中古を入手することができた。午後は車椅子用の夏用手袋を探しに近くのホームセンターへ。棚の高いところにある手袋はやはり手に取りにくいのが難点。

で、作業用の手袋から迷って買った割にはすぐにやられる。これはいかん。

後、100均でマジックハンドを購入。こちらはなかなかの優れもの。持ち歩くには長すぎるのが難点だが。

その後、自転車道へ。
月曜日:車に車椅子の積み込み練習をする。

助手席から入り、後部座席のところに折りたたんで入れる。その後、プッシュアップで運転席へ。ほぼ自分が想定していたようになった。その後、車椅子で市役所へ。

市役所のトイレは快適である。用が終わって、川沿いを東に行こうとするも強い東風に阻まれ逆方向へ。漕がなくて良いぐらいのフォローの風。帰宅後、ネットで靴を買う。
火曜日:寒い。結局雨は降らなかったが、歩行訓練を除いては一日家で過ごす。売りに出す不要品の整理を始める。以前の職場の方から「全快祝」をいただく。

「おかえりなさい」が身にしみる。
水曜日:この日は天気が良かったが、とりあえず部屋の片付けも何もかも区切りがついていた(当面の課題として車だけが片付いていない)。結果的に午前中はだらだらとネットサーフィン、そして、思いついて車椅子の積み込み練習を。

もしかしてと思い、前に積んでみる。いけるかも。
午後からは少しだけ車椅子を漕ぐ。


トイレとかのことを考えると、どうしても通ったことのある道しか通れないのと思いっきり山には行けないのとで、思うようにバリバリ漕げていない(朝の歩行訓練は続いている、というか意地で続けている)。思い切れない割にこの日もトイレに失敗する。

知った道だからというわけではないが、病院の辺りのコースをとる。それでも少しだけ筋を外して満喫する。

夜は、ネットで野球観戦。月曜に注文した靴がもう届く。

オムツも。
木曜日:この日も天気が良かったが、予定していた不要品の整理を続ける。ただ、なかなかうまく行かず(ネットが繋がらん・・・)に予定していたところまで全くできなかった。

午後遅めに車椅子で出掛けるが、それほどたくさんは漕がず。ただ、車の手動運転装置の補助決定が出たのですぐに取り付けて貰う。これは有り難い。
金曜日:そして今日。手動運転装置の操作練習として車で外出。市役所へ行き(車椅子の方は大幅に遅れそうだと)、その後は実家へ。おかんは不在。おとんと話す。機械好きのおとん興味津々。その後は海に行こうとして山に入ったり、遠出をしようとして疲れてUターンしたりして計100キロほど迷走。給油もする。セルフではないところは緊張する。
土曜日:今日は海までと車を走らせる。

378号を長浜というところで折り返す。昼から家人と焼き肉。「あぶらあぶら」したものを中心にやや食べ過ぎる。車椅子で行きたかったが。
日曜日:散髪へ。初めての1000円カットの店。手際よく十分な仕上がり。その後手袋をホームセンターで買い、そのまま海まで漕ぐ。いつもの通勤ルートから讃岐街道に入る。交通量の多い道だが歩道はある。

歩道はあるが車道より異常に高くて落ちそうである。しかも唐突に終わる。段差があって降りるのに苦労する。こんなの普通にあることが分かってきた。

手袋は買って2時間しないうちに傷んでくる。いくつか試さんといかんらしい。

その後、道後からまっすぐ西へ行く。

三津浜へ。

三津に着き、フェリー乗り場で休憩。

その後、駅までは約1キロ。この辺り古くからの街なので今度は探索しに来てもいいかと思う。

別に取り戻さなくても良いのに7ヶ月のだらだらを取り戻すかのようにだらだら過ごした日が多く、反省しきり。それでもこうして記憶を辿っていくと、そう無駄な時間ばかりでもないことに気付かされほっとする(写真を撮る癖がこの辺りで役立つことを知る)。記憶は充分できないまでも記録することの大切さを改めて知る。

出勤退勤ラン2016春から夏

2018-04-23 06:18:25 | 近場の異邦人
この前の年に、通勤手段を変更してJRを使うようになって、で退勤ランはノルマではなく、たまに、という感じになった。今年に入ってからはほとんど走っていないが、まだ前の年のこの時期は走っていたようで、いろいろと写真が見つかった。写真は出勤ランのもあるが、まあ、とりあえずそれも含めて。

これは正式には2015年の暮れ。

2016年の3月桜前。

2016年の3月から4月にかけての桜の頃。


2016年の4月と5月。ここのかめやは行ったことはないが、とうの昔になくなったまつちかのかめやは、高校生の時に何気に良く入った。うまいとかいうより安心だったからか。馬はときどき朝会う。


2016年の6月。JRの駅へのショートカット路にいる。飼い猫。趣がある。で、時々市内に用事走りで退勤するとこういうのに逢う。

2016年7月と8月。朝のM大前28度を記録したのは7月2日。割合気温が上がったから撮影したんだろう。で麦酒列車は帰宅時に発見。乗ったことがない。いいなあと。

さて、今日から復帰。これからは車で通勤です。

大西とすぐると虎

2018-04-22 16:28:44 | 脊髄内血管腫との邂逅
3月の話。帰省したムスメからもらう。

親が云うのも何だが実にいいところを押さえている(もろつまみ系というところよく分かっている)。

大西のブロイラーはテレビで出たことがあるか。普通に肉である(退院してからは肉ばかりである)。

こちらはすぐる食品。工場は呉。麦酒が呑みたい(今はもう呑んでいます)。

因みに昨年の契約更改で大竹を抜いたらしい一岡。胸のすくような話である。今年も頑張れ(チームは今ひとつだが一岡だけでなくアドゥワの防御率がいい感じである)。

こちらは海外からの土産。鯉ではなく虎だがあまり気にせんとこ(右の肩胛骨から腕、脇の辺りの違和感が酷くなっているのでぼちぼち試してみるかと)。
ありがとう。さて、いよいよ明日から。


手段ではなく目的として

2018-04-21 16:28:12 | 徒然に2018-2020
入院中のリハの課題は、次々とレベルアップした。
つかまり立ちは(介助浴ではあったものの)入浴時の着替えのときのズボンやオムツの着脱をしてもらうため。車椅子からの移動はトイレの便座やベッドへの移動のため。立った状態での動きは、風呂やトイレでズボンやオムツの着脱を自分がするため。このことは看護師さんを呼ばなくてもいい状態にすることも目標にあったから必死だった(排泄そのものはなかなか訓練効果がなかったが)。四点歩行器での移動や手放しでの立位は、立つ状態のさらなる安定のため。ものにつかまったり壁を伝っての歩行は、ちょっとした場面での動きの促しのため(例えば、ちょっとティッシュを取りたいときに、車椅子で取りにくい棚の上にあるときとかに諦めないようにするため)。何もつかまらないで床から立ち上がることもできるようになった(転倒は多い)。

で、その中で、3月下旬から「杖」の訓練が増えた。何よりリハビリでこういうことができるようになったというのは嬉しい誤算ではある。

移動手段としてというより「歩く」こと自体を生活の中に取り入れられないかと自分では思っている。手段として歩くには正直厳しい。移動距離は全く稼げないし、移動中緊張を強いられるし、ものを持ったり立ち止まったりがなかなかできないし転倒もするし(帰宅後既に5回転倒している)。だから、歩くときはそれだけを考えてでないと無理なのだがそれでも、ということである。走ることは目的になっている面もあったが基本的には移動手段だった。今、自分にとって歩くことは旅ランのようなことすら難しいのが現状なのだが、それでも移動手段とは別にそれそのものを目的として歩くということを続けていければと(これが実のところ家人にはなかなか理解されにくい。歩けるのなら歩けと言われるしそういう感覚が身内だからなのは確かで)。
入院中は100メートルを10分弱のペース。退院して今現在、当面の目標は1時間で1キロを歩くことである。実用的ではないがとりあえず続けてみるつもり。

こんなところに

2018-04-20 18:25:37 | 徒然に2018-2020
高校のときに教えて貰った先生の記事が。

古文の先生は同じ名字の人がいたので本当かどうか怪しいものの世界史の先生は、そうそう・・・って感じだった。儂はカタカナが苦手なので世界史選択していなかったが。

入院時の読書次の70~M病院編その2

2018-04-19 20:01:43 | 脊髄内血管腫との邂逅
前回が約1ヶ月で50冊のハイペースだったが、リハ庭を漕ぐようになってペースはやや落ちたものの何とか100冊は到達。

12月16日読了 辞めない理由【電子書籍】
12月16日読了 秋田街道(短編・宮沢賢治)【電子書籍】
12月16日読了 藪の中(短編・芥川龍之介)【電子書籍】
12月19日読了 日本語でどづぞ【電子書籍】
12月20日読了 オールカラーでわかりやすい!太平洋戦争【電子書籍】
12月20日読了 ドキュメント太平洋戦争全史(上)【電子書籍】
12月20日読了 友がみな我よりえらく見える日は(再読・上原隆)【電子書籍】
12月20日読了 本当は怖い日本の地名【電子書籍】
12月21日読了 愛と涙と勇気の神様ものがたりまんが古事記【電子書籍】
12月21日読了 イラストでわかる日本の仏さま【電子書籍】
12月22日読了 教科書には乗っていない!戦前の日本【電子書籍】
12月23日読了 ハチ参る(漫画・遠藤淑子)【電子書籍】
12月29日読了 七十歳死亡法案、可決【電子書籍】
 1月 2日読了 しない生活煩悩を沈める108のお稽古【電子書籍】
 1月 3日読了 謎だらけ日本の神さま仏さま【電子書籍】
 1月 5日読了 清洲会議(三谷幸喜)【電子書籍】
 1月 6日読了 セクシイ仏教【電子書籍】
 1月 6日読了 僕の家sellection1・日本家屋の1年(大江千里)【電子書籍】
 1月 6日読了 雨にぬれても(上原隆)
 1月 7日読了 ヤマケイ文庫定本・日本の秘境(岡田喜秋)【電子書籍】
 1月 8日読了 スナックサイバラおんなけものみち七転び八転び編(西原理恵子)【電子書籍】
 1月 9日読了 フリン(椰月美智子)【電子書籍】
 1月10日読了 これは経費で落ちません!(青木祐子)
 1月13日読了 本当は怖い日本の風習としきたり【電子書籍】
 1月17日読了 ひとごと(森浩美)【電子書籍】
 1月31日読了 ゲゲケの女房【電子書籍】
 2月 2日読了 火群(ほむら)のごとく(あさのあつこ)
 2月 6日読了 トリツカレ男(いしいしんじ)
 2月20日読了 イタリア世界遺産と歴史の旅【電子書籍】
 2月26日読了 雪だるまの雪子ちゃん(江國香織)
 2月28日読了 韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由【電子書籍】
 3月 5日読了 富嶽百景(太宰治)【電子書籍】
 3月 7日読了 食肉の帝王【電子書籍】
 3月 9日読了 タイ謎解き散歩【電子書籍】
 3月10日読了 にっぽんローカル鉄道の旅【電子書籍】
 3月15日読了 禅の名言100【電子書籍】
 3月15日読了 チェリーブラッサム(山本文緒)【電子書籍】
 3月16日読了 不死身の特攻兵軍神はなぜ上官に反抗したか(鴻上尚史)【電子書籍】
 3月17日読了 野の道往診(徳永進)
 3月18日読了 逆説の日本史別巻1・ニッポン風土記「西日本編」(井沢元彦)【電子書籍】
 3月22日読了 イスラム飲酒紀行(高野秀行)【電子書籍】
 3月22日読了 ここは、おしまいの地(こだま)【電子書籍】
 3月22日読了 夏美のホタル(森沢明夫)【電子書籍】
 3月23日読了 おつきあいとマナーのコツ【電子書籍】
 3月23日読了 つい他人に自慢したくなる無敵の雑学【電子書籍】
 3月23日読了 天然日和(石田ゆり子)【電子書籍】
 3月26日読了 生きる(谷川俊太郎)
 3月26日読了 神木町あやかし通り天狗工務店【電子書籍】
 3月27日読了 金色の風(近藤史恵)【電子書籍】
 3月29日読了 ペンギン鉄道なくしもの係(名取佐和子)【電子書籍】
 3月30日読了 地下鉄に乗って(浅田次郎)【電子書籍】
 3月31日読了 ニッポンの犯罪12選(爆笑問題)【電子書籍】
 3月31日読了 地図と写真から見える日本の街道【電子書籍】
 4月 2日読了 誰も教えてくれなかった日本史有名人の子孫【電子書籍】
 4月 2日読了 雑学皇帝246【電子書籍】
 4月 3日読了 心がスッと楽になる般若心経【電子書籍】
 4月 3日読了 カラー版一度は乗りたい絶景路線【電子書籍】
 4月 4日読了 教科書では教えてくれない日本文学のススメ(漫画)【電子書籍】
 4月 4日読了 ヤバい会社の餌食にならないための労働法【電子書籍】
 4月 5日読了 草枕(夏目漱石)【電子書籍】
 4月 5日読了 へんないいわけ事件簿122【電子書籍】
 4月 6日読了 ぷらっぷらある記【電子書籍】
 4月 6日読了 だから山谷はやめられねえ【電子書籍】
 4月 8日読了 最後の晩ごはん小説家と冷やし中華【電子書籍】
 4月 9日読了 特攻基地知覧【電子書籍】
 4月10日読了 世界からボクが消えたなら~映画「世界から猫が消えたなら」キャベツの物語【電子書籍】
 4月10日読了 山月記(中島敦)【電子書籍】
 4月11日読了 藪の中(芥川龍之介・再読)【電子書籍】
 4月11日読了 走れメロス(太宰治)【電子書籍】
 4月11日読了 桜の森の満開の下(坂口安吾)【電子書籍】
 4月11日読了 百物語(森鴎外)【電子書籍】
 4月11日読了 新訳走れメロス他四編(森見登美彦)【電子書籍】
 4月11日読了 五条路地裏ジャスミン荘の伝言板【電子書籍】

差し入れ本。有り難く頂きます。感謝。

電子書籍は増えた。病室からの購入もできた(考えてみればこれはかなり便利だった)。

小説は少し減ったがそれでもいろいろと乱読した。

まだ読んでいない本も多い。課題は残る。

入院時の諸記録~M病院編

2018-04-18 22:18:25 | 脊髄内血管腫との邂逅
K病院のときと同じように、何してきたかとか、次に何があるかとか確認が中心だがずっと記録していた。生々しい部分もあるがそのまま。

検査関係
11月14日(火)心電図
11月14日(火)レントゲン
11月24日(金)エコー検査
入院時と一度右足の筋を痛めたとき以外は検査らしい検査はしなかった。

点滴のライン・採血関係
11月15日(水)採血・右→抜
11月24日(金)採血・右→抜
針が少ないのは有り難かった。

リハ関係
11月14日(火)150日×3時間スタート
12月18日(月)~ 24日(日)病棟閉鎖のため病棟内特別メニュー
リハは休日は2時間だが3時間になることもよくあった。退院の最終日はリハなし。兎に角良く頑張ったと、それに尽きる。

シャワー関係(清拭除く)
11月16日(木)車椅子にて
以下、火木土に入浴(週3回)
 1月16日(火)介助無し開始
車椅子からの立ち上がりとか移動とかができるようになったのに合わせて、介助浴がなくなった。これも気分的に変わった。

部屋関係
11月14日~420(東窓):57日間
 1月10日~402(南窓):93日間
強く希望したわけではないが、窓側が貰えてラッキーだった。それに尽きる。

外出関係
12月30日(土)年末・家へ
 1月 2日(火)年始・実家と家へ
 1月21日(日)職場へ・バリア状況確認
 1月28日(日)家へ・バリア状況確認
 2月10日(土)家へ・判子
 2月17日(木)リハ先生、ソーシャルワーカーさんと家へ
 2月25日(金)免許センターへ
 2月27日(火)職場へ
 3月 4日(日)自主練習
 3月11日(日)自主練習
 3月18日(日)自主練習
 3月19日(月)K病院へ・診断書依頼、職場へ・診断書提出
 3月24日(土)自主練習
 3月25日(日)家へ・書類整理
 4月 1日(日)自主練習
 4月 7日(土)自主練習
 4月 8日(日)家へ・書類整理
1、2月は外せない用事があった場合のみだったが、3、4月は外出先を自宅にして実際には15から20キロぐらいの漕走もした。自宅はまだ環境が整っていないので、案外帰る気にはなりにくかった。犬には会いたかったけど。

排泄関係
11月18日(土)/5:下剤(2回)と浣腸と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
11月22日(水)/4:下剤(1回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
11月26日(日)/4:下剤(1回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月 1日(金)/5:下剤(2回)と浣腸と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月 1日(金)※リハ中に失敗。
12月 4日(月)/3:下剤(1回)と浣腸と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月 7日(木)/3:下剤(1回)と浣腸と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月 7日(木)※リハ中に失敗。
12月11日(月)/4:下剤(2回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月14日(木)/3:下剤(1回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月17日(日)/3:下剤(1回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月17日(日)※漕走及びリハ中に失敗(計4回)。
12月24日(日)/7:下剤(少量3滴2回、5滴1回)と摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月25日(月)/1:摘便 ※寝たまま、肛門周辺の感覚なし。
12月26日(火)/1:摘便 ※肛門周辺の感覚(?)。
 1月 1日(月)/7:下剤(2回)と摘便 ※肛門周辺の感覚(?)。
 1月 1日(月)※漕走及びリハ中に失敗(計4回)。自力で成功(2回)。
 1月 5日(金)/4:下剤(2回)と自力(2回) ※ウォシュレット少しOK。座薬は空振り。この日より下剤変更
 1月 9日(火)/4:下剤(3回)と浣腸 ※座薬は空振り。
 1月12日(金)/3:下剤(1回)と浣腸 ※少量
 1月14日(日)/2:下剤と浣腸と摘便
 1月17日(水)/3:下剤と浣腸と摘便 ※少量
 1月18日(木)/1:下剤と浣腸と摘便 ※少量
 1月19日(金)/1:下剤と浣腸と摘便 ※少量、マグミット1日1錠で開始
 1月21日(日)/2:下剤と浣腸と摘便 ※ マグミット1日3錠に増量
 1月23日(火)/2:下剤と浣腸と摘便
 1月25日(木)/2:下剤と浣腸と摘便 ※少量
 1月27日(土)/2:下剤と浣腸と摘便
 1月29日(月)/2:下剤と浣腸と摘便
 1月31日(水)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 1月31日(水)※リハ中に失敗
 2月 2日(金)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月 4日(日)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月 6日(火)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月 7日(水)/1:浣腸 ※自力排泄も少量・1日おきの方が確実?
 2月 8日(木)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月10日(土)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月12日(月)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄少量
 2月14日(水)/2:下剤と浣腸と摘便
 2月16日(金)/2:下剤と浣腸と摘便
 2月18日(日)/2:下剤と浣腸と摘便
 2月20日(火)/2:下剤と浣腸と摘便
 2月22日(木)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月24日(土)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 2月26日(月)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄少量
 2月28日(水)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 3月 2日(金)/2:下剤と浣腸×2 ※自力排泄少量 ※ 無花果浣腸(30ml)に変更
 3月 3日(土)/1:自然排泄
 3月 5日(月)/2:下剤と浣腸 ※自力排泄
 3月 7日(水)/2:下剤と浣腸×2 ※自力排泄少量
 3月 8日(木)/1:下剤と浣腸 ※浣腸も全くなし
 3月 9日(金)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月11日(日)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月13日(火)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄
 3月15日(木)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄
 3月17日(土)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月18日(日)/1:下剤と浣腸×1 
 3月20日(火)/2:下剤と浣腸×2 ※自力排泄少量
 3月22日(木)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄
 3月23日(金)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄
 3月24日(土)/1:自然排泄
 3月25日(日)/1:自然排泄 
 3月26日(月)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄
 3月27日(火)/1:下剤と浣腸 ※浣腸も全くなし
 3月28日(水)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月29日(木)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月30日(金)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 3月31日(土)/1:下剤と浣腸と摘便
 4月 1日(日)/1:自然排泄
 4月 3日(火)/2:下剤と浣腸×1
 4月 4日(水)/1:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 4月 6日(金)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
 4月 7日(土)/1:自然排泄
 4月 8日(日)/1:自然排泄
 4月10日(火)/2:下剤と浣腸×1 ※自力排泄少量
最初は肛門周辺の感覚すらなく、摘便しなければ出せないこともあり、かなり落ち込んだ(本当に)。年末の感染症騒動をきっかけにそれまでの液体の下剤を止めてやや弱いものにして、なるべく浣腸のみで出すのを目標にした。初めから自己管理というわけにはいかず、浣腸もベッドの上で処置して貰うのが続き、漸く3月になって自分でやることになった。だんだん改善し、一時期から摘便なしで浣腸のみでうまく出せるようになったが、最近は少ししか出なくてややストレスを感じる。自然排泄できた理由を含め、排泄の管理は退院後の大きな課題なので後日要検証である。

補聴器の電池交換
11月18日(土)右(PR41)
11月19日(日)左(PR536)
11月24日(金)左(PR536)
11月27日(月)右(PR41)
12月 1日(金)左(PR536)
12月 7日(木)左(PR536)
12月 8日(金)右(PR41)
12月13日(水)左(PR536)
12月18日(月)右(PR41)
12月19日(火)左(PR536)
12月24日(日)左(PR536)
12月27日(水)右(PR41)
12月30日(土)左(PR536)
 1月 5日(金)左(PR536)
 1月 5日(金)右(PR41)
 1月10日(水)左(PR536)
 1月15日(月)右(PR41)
 1月16日(火)左(PR536)
 1月21日(日)左(PR536)
 1月25日(木)右(PR41)
 1月27日(土)左(PR536)
 2月 1日(木)左(PR536)
 2月 3日(土)右(PR41)
 2月 7日(水)左(PR536)
 2月12日(月)左(PR536)
 2月13日(火)右(PR41)
 2月17日(土)左(PR536)
 2月22日(木)左(PR536)
 2月22日(木)右(PR41)
 2月28日(水)左(PR536)
 3月 5日(月)右(PR41)
 3月 6日(火)左(PR536)
 3月12日(月)左(PR536)
 3月16日(金)右(PR41)
 3月18日(日)左(PR536)
 3月24日(土)左(PR536)
 3月27日(火)右(PR41)
 3月30日(金)左(PR536)
 4月 4日(木)左(PR536)
 4月 7日(日)右(PR41)
 4月11日(水)左(PR536)
冬は短い、というよりずっと着けっぱなしだったのでしっかり減った。入院前までは、左はほとんど使わず、右も走っているときは着けていないこともあってもう少し長かった。職場復帰してからは電池の減りもここまでではないと思うのだが。

バリアどころではない話

2018-04-17 20:54:23 | 脊髄内血管腫との邂逅
入院中、外出で街に出ていたときのこと。
踏切で左の前輪を落とす。焦って修正しようとして後輪も落とす。
で、遮断機が下りる。

あかん、と思った。冷静ではあったが身体が動かん。車椅子捨てるかと思った刹那、後ろの若い女の人に助けを求めた。
ひょいっと持ち上げて遮断機の外に逃がしてくれた。
命拾いした。

リハの先生に話すとこういう危険があるのかとびっくりしていた。結局、ここの踏切は道路に対して斜めに通っているのが原因らしいので、直角に修正しながらカクカクと進むか、後はウイリーかということになる。
当たり前だがウイリーって、車椅子ではちゃんとしたスキルの一つ。

試乗車には、車軸の位置を調整する箇所があって、後ろなら静止時や直進時に安定はするが前輪は持ち上げにくくなる。前なら持ち上げやすいがうっかり後ろに体重をかけると転倒するが小回りは利く。
見せるためではなく、真面目に練習せねばと思った(内緒にしていたが、実は後方にひっくり返ったことも・・・)。


あちこちバリア(思ったよりバリアは・追記)

2018-04-16 12:09:57 | 脊髄内血管腫との邂逅
これから先、まだまだ出てくるだろうが、とりあえず入院時の外出で見たこと感じたことを。「思ったよりバリアはフリーである」「思ったよりバリアはフリーではない」の続編。

私鉄の駅はスロープがあり、駅員さんや車掌さん、運転手さんまでがさっと設置してくれる。この点JRは到着ホームの関係で外に出られなかったり、予め連絡して乗り降りの介助をお願いしなければならなかったりでハードルはかなり高い。ぶらぶら出掛けるのに本当は一番使いたい交通機関なのに残念である。

乗りやすいのは確かだが、通勤ラッシュ時は少々気兼ねするのも確か。

バスもスロープを設置してくれる。先日乗車したこのタイプのは内臓式。何が良いかというとわざわざ出さなくてもいいということで、利用者にすればお願いもしやすくなるし気分的に楽。

ベルトでの固定はだいたい後ろだけにする場合が多いが、ブレーキには効果があるものの発進時にはひっくり返りそうになったこともある。傍の手摺りを掴んで自衛することと、後は車止め(タイヤ止め)と併用する必要があると思う(実際車止めだけの乗車機会も多い)。

筆談もOKらしい。有り難い。

優秀なバスだが、ただ座席付近のこのマークは「?」である。「障害者のための国際シンボルマーク」だが、これって鏡像にして使って良いモノなのか。

で、今度は急勾配。その1は病院近くの札所。これは結局後ろ向きでも上れず。壁を感じた瞬間だったが、道路状況も正に壁の如し。

で、急勾配その2。スーパーから駅までの道の近道を行こうとしたら、未舗装道はクリアしたものの最後に急斜面で上れず。おまけに側溝に落ちそうになる。このときは近くを通りかかったおぱちゃんが2人駆けつけて助けてくれた。ありがとうございました。

で、急勾配その3。菜の花畑から近くのショッピングモールへワープを試みる。人通りは多くよく使われているルートだが、まあまあある駐車場の段差は結局ギリギリクリア。鉄板で滑りやすいのに加え、結構急だった。

多少の勾配なら何とか漕ぎまくって、ということになるのだが割合漕ぎまくって何とかなる傾斜というのはなだらかな上りに限られる。しかも所謂だらだら坂。漕ぐ力もさることながら手袋も大切だと思う。これまでリハ庭のように短い距離で上り下りがあって一定速度を維持するような場合は、豚皮の作業用のが良かったがこれはブレーキを掛けることも含めての使い勝手の良さ。外に出るとブレーキよりも傾斜の克服のためにゴムが張ってある作業用のがいい。ゴムもへたれるが。因みにこれは広島を走っているときに作業服屋さんで見つけた5双100円の。これまで草刈りのときに使っていた。リハ庭漕走時はブレーキが掛けにくくて使わなかったが外に出たときはグリップ力があって豚皮のよりも楽に漕げた。

因みに、急勾配の解消は先日のウォークイベントへの参加問題もあって喫緊の課題である。自走式車椅子に取り付けられるこの電動式ユニットは60万円。もう少し安くならんのか。
急勾配だけではなくて、ちょっとした段差に引っかかることもしばしば。踏切が結構やばいが(これは後述します)、歩道にある側溝のフタとか車道に降りるときのちょっと深くなっている部分とかで危ないこともある。先日は結局転倒してしまったが、このとき、自転車が3台傍を通ったのに誰も声を掛けてくれなかった。すべて大学生「風」の男。仕方がないので、さてどうするかと考えていたら、近くのスケート場のスタッフらしき人が助けてくれた。有り難かったが、目が合っているにもかかわらず通り過ぎた自転車も現実かと。まあ、儂から声を掛けなかったのは確かだし、それも含めて街に出るのは自己責任だと言われればそれまでではあるか。

車もバイクも結構怖いので、必ず前を向いて確認する(といっても向こうが脇見していたらやはり危ないのは変わりない)。右側通行が基本だが、一方通行の道を逆走するときは左側通行。こういう道が一番漕ぎやすい。

こちらは先日外出で受診したK病院のトイレ。ここまで手摺りが完備されているところは珍しい。公共機関や店のトイレにも障害者用のはたくさん見るようになったが、水を流すボタンが届きにくかったり手摺りが一つしかなくてバランスが取りにくかったりというのが多い。

さっきのゴム張りの手袋ではなく、この手袋がどこで役だったかというと狭いコンビニやスーパーの通路。通路は広くても、どいてくれないおばちゃんの横を通るとき、陳列棚に手の甲が当たること数回。役立つこと自体あまりいいとは思わん(残念ながら掌側の布の劣化で処分済み)。

案外高いところにあるものはいっぱいあって取りにくい。店員さんに取って貰うことはできる(そういうお願いはスムーズにできるようになってきている)が、一旦取ってもらったら戻すことはできないので別のプレッシャーがかかる。

それでもとあるコンビニで羨ましげにこういうのを見ていたら、結構若いギャル(もう死語か)風の店員さんに「取れないところのあったら言ってくださいね」とさりげなく声を掛けて貰って本当に有り難かったりして。さっきの大学生とは大違いやと。

いろいろなことが車椅子に乗って初めて気付くようになった。バリアというのは、費用のこととかもあるのだろうが、結局は他者目線になることの難しさに起因するのではないかと思った。

余談。バリアとは別に何か取り残された感を感じてしまった瞬間。入院していたから来る暇なかったしなあ。