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シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

庭木の剪定

2020年11月02日 | 持続可能な社会
実家で庭木の剪定をした。

家族総出でハサミやバリカンを持ち、一日がかりで行うと
特別広い家でも無いのだが、生け垣もあるため枝や葉が大量に出る。

土に還るんだから庭木の根元に置いておけば、と思うのだが
風が吹くと道路などに散らばってしまうとの事。
しょうがないのでゴミとして出している。

前々から、こういうものをゴミにするのに抵抗がある。
何とか有効活用できないかなー。
あー、ウチが薪ストーブだったらなー。
憧れる。
薪ストーブ。
燃料にするのは良いよね。
カーボンニュートラルっつーんですかい。
植物が二酸化炭素を吸ってくれていたので、
燃やしてそれが排出されてもプラマイゼロだよねー、という考え方。
銭湯で燃料として引き取ってくれるというのを聞いたこともある。

しかし身近に燃料として使っているところや引き取ってくれるところは少ない。

実際に出来そうな事は、葉っぱなら堆肥化かなー。
結構マキが多くて、堆肥には向かないかも?とも思うのだけど。

実家の自治体ではやっていないが、三島市では剪定枝はチップとしてリサイクルしているらしい。
ほほー。初めて知った!!
ちなみに葉っぱがついてると燃えるゴミになるんですって。
チップにした後はどうしてるのかな?
以前、自然公園のようなところに行った時に、
舗装していない散策路に木のチップが敷いてあった。
雨でも道がぬかるむ事無く、良いそうである。
これはニーズがありそうですな。
雑草止めにも効果があれば、一般家庭にも良いかも。

家庭用の枝シュレッダーもあるんだよなー。
ちょっと心惹かれる。

さきほど書いた薪として使うのもそうだけど、エネルギーとしても期待できそうではないか。
「バイオマスエネルギー」で検索するとこんなページが出てくる。
そうなのよ!
ペレットや、バイオエタノールなど、再生可能エネルギーになるじゃないの!

先日、管首相が「2050年までに温室効果ガス排出量をゼロにする」と言っていたが
原子力よりも、是非再生可能エネルギーの普及に力を入れてもらいたい。
ところで「バイオマスエネルギー」のページって
経済産業省の中の資源エネルギー庁のものなのね。
環境省じゃないのか。

資源というものを、環境より経済から捉える方に重きを置いてるのかな?と勘ぐるワタシ。
うーむ。
枝葉が資源と捉えられるならば良いことだけど。

次回の剪定までに、枝葉がゴミではなく資源として活用できる方法を探りたいです。

世界平和こそがエコなのだ

2020年08月29日 | 持続可能な社会
「未来」というと、少なくとも10年や20年先だというのは、もはや過去の感覚。
コロナ禍で、ほんの数週間の経過でさえ「あの頃はこんな事になるとは思ってなかった」の連続。
毎日続く猛暑も、年々ひどくなって「地球温暖化」という危機が
「そのうち大変な事になる」という認識から、「既に危機が起きている」という恐怖に変わりつつある。

今年は猛暑でエアコンに頼らざるを得ない毎日。
そしてコロナにより、マスクやテイクアウトの容器など使い捨ての消耗品も増えている。
この様な状況は温室効果ガスとなる二酸化炭素をますます多く排出する。

しかし今「地球のためにエアコンの温度を1度上げましょう」というのは適切ではないし
多くの使い捨てのモノを環境にやさしいモノに変える事も、そう容易ではない。

もちろん、工夫して少しずつ変えていく事は出来ると信じているし
そういう個人の気持ちや行動も大切なのだけど、
もっと大きな効果が得られる事をしないと・・と無力感を感じているのも否めない。

とかなんとかの一方で、世界はコロナでロックダウンした時に、経済活動が止まったせいで
インドではガンジス川がキレイになっていたり、大気汚染が改善されてヒマラヤ山脈が良く見えるとか
ベネチアの運河も劇的に透明度が高くなったなど、環境が改善しているという面もある。

もちろん、経済が止まって困っている人達の事を考えなければならないし、
経済活動が再開されれば元に戻ってしまうのだろうけど。
それでも、環境は悪化するばかりではなく、改善させる事が可能なのだと知る良い機会ではあったと思う。

日頃、身の周りの小さなエコ活動を楽しんでいるワタシとしては大きな声で言いたくはないが
小さな努力は地球にとってあまり変化にならないのかもしれない。
もちろん、だからと言ってそれを不要だとは思わないし、
啓蒙という視点では小さなエコ活動を続けたり広めたりする事は大事だし必要なのだけど。

大きな変化をもたらすもので思い出した。
かなり前に環境に関するTV番組で、戦車や戦闘機のCO2排出量を紹介していて
数値は忘れてしまったけど、ビックリするほど多かった!!
10年以上は前だろうか・・民放だったような・・・MCが今田耕司だったような・・うろ覚えなんだけど。
出演者が「ええ~~~っ!!」と驚きの声をあげていた。
一人一人がエコバッグを使うとか、自転車通勤にするとか小さな努力をしていても
そんなのが吹っ飛ぶような排出量。
それが本当に必要なものなのか。
じゃあ不必要かと聞かれたら悩むのだけど。

いきなり世界中の軍隊を解体すれば、とは思わないけど、少しずつでも軍縮がすすめば良いのに。
軍備がある事によって抑止力になるとか、何も備えずもし攻撃されたらどうするんだとか
色々反対意見はあるだろうけど。
でも、
「戦争は儲かるような仕組みが出来ているから、金儲けのために戦争をさせたがる人達がいるんだ」って
世界の紛争地で武装解除を依頼され、メディアで「戦争解決請負人」と紹介される伊勢崎賢治が言ってたよ。
これからは、軍需産業じゃなくて「平和産業」をすすめていこう、とも。

平和産業かー。みんなが幸せになれる社会をつくる産業かなぁ。
格差をなくすとか、後の世代に負担を押しつけないとか。
もし、本当に世界で軍縮が進んだら、
要らなくなった戦車を廃油で動くエコ戦車(戦争ではなく災害時とかに使う)にしたり、
耕耘機とかの農機具(テキトーに書いてます)にカスタムするのが流行ったら面白いなぁ。
丈夫だからシェルターにするというのはどうだろう?
考える方向をね、変えたら色んな良いアイディア出てくると思うんだけどなぁ。

リスク管理と安心なお出かけ

2020年07月26日 | 持続可能な社会
リスク管理とは、想定されるリスク(この場合は危険性)を想定して対策や準備をすること。
「今の状態なら大丈夫だろう」「みんなが頑張ってくれれば、なんとか持ちこたえるだろう」と
という希望的観測でコトを推し進めるのは真逆なんだよなー。
今の、というより緊急事態宣言を解除した以降の政府のコロナ対策に対してなんだけど。

第1波になる前から、過去の事例を見て第2波、第3波はあるだろうと誰もが知っていた。
そんな中でも決行する、見切り発車のGoToキャンペーン。
国民が安心できる、納得できる具体的な対策を示さないままに。

もちろん、政府に文句を言うだけではイカン。
人が媒介するコロナウィルスは一人一人が気を付ける事が必須だ。
「気を付ける」というのも、まぁ曖昧な都合の良い言葉で
実際にどんな行動をしていたかたというと、コロナ前と変わらない行動をとっていたりする。
「気をつける」というより「気にかけてはいるんだけど・・・」という感じではないだろうか。

だからと言って、感染した人を責めるのではなく、
どの様な行動で感染したか、詳しく教えてくれる情報提供者になってもらい
その情報と対策を国全体で共有する。
感染した人が今後の予防の役に立ち、感謝されるような仕組みというか考え方になれば良いのに、と思う。

感染経路が不明な場合もあるけれど、可能な限りの予防策を
みんなで実行するための具体的な取り決めをもっともっと作って、
それを一人一人が受け入れる事が大事なのではないかと。

TVのニュースで、飲食店のインタビューでお店の人が
「やっと少し客足が戻ってきたのに、感染者が増えつつあって心配です」と話している。
4人掛けの席に4人で座って、お客さんがおしゃべりしながら食事をしている映像が流れる。
間隔を広くとっているようには見えない。
向かい合わせの人の間も近いが、仕切りもない。
お店のごく普通の場面。

誰も悪い事はしていない。
楽しい食事は本来ならば幸せな光景だ。

しかし、会食が感染の場の一つであると認識されている昨今
お店側はもちろん、お客さんも
対策をした上での営業、飲食をしなければならない。

先日行ったラーメン屋では、普段4人掛けと思われるテーブルを2人掛けにし、
その二人も向かい合わせではなく隣に座る配置にして、飛沫感染対策をしていた。
店内では飲食してる以外の時間はマスクをつけるように、とか
長時間の滞在はご遠慮下さい、と注意書きがあり
入口もドアを閉めるのではなく、網(網戸ではなかったので、コロナ対策に取り付けたと思う)にして
換気を良くするなどの工夫をしていて感心してしまった。
もちろんお店の人はマスクをしている。

ラーメン屋というのが元々、飲食店にしては滞在時間も短いし
色々な対策をしやすい、という面が多いとは思うけれど。

それでも、それぞれの店にあった感染対策はあると思う。
対面での席はアクリル板で仕切りをするとか。
大声で話さないようにBGMを小さめにするとか。
大皿での提供はせず、必ず一人分ずつで出すとか。

飲食店に限らず、室内の換気の徹底は難しそうだが、
入口が一つで窓もない場合は扇風機を外に向かって置くと室内の空気が早く入れ替わる。
HNKの「可視化でまるわかり!新型コロナの新常識」という番組で換気や消毒などの効果的なやり方を紹介していた。
動画もあるのでわかりやすい!
こーいうのを、もっと広めればいいのになー。

お店は席数を減らしたりして売り上げに影響があるだろう。
その上にアルコールなどの物品が余計に必要だったりテーブルなどの消毒の手間もかかる。
お客さんも面倒だったりリラックスできない部分があるだろう。

それでもやはり、「うちは徹底して対策してますよ!」とわかるお店に行きたいと思う。
私は介護職なので、なおさらだ。
感染しても自己責任だ、しょうがない。では済まされない。
お店側が徹底していれば、お客さんも気を付けなきゃ、と思うし
逆にお店側があまり対策をしていないと、お客さんも「まぁ良いか~~」と
気が緩んでしまうので、そういうお店に行くのは怖いなぁと思う。

今のような状態がダラダラと続き、終わりの見えないのが
いつまで経っても景気が回復せず、苦しい業界には痛手が拡がるばかりだし、
個人個人の予防に対するモチベーションも下がるし、
精神的に病んでしまう人も増えるだろう。

感染者が多いとか少ないとか関係なく、
今この瞬間から、感染を広げない努力をしなければならない。
このコロナ禍もいつかは終わる。
しかし終わるのを早めるのか、先延ばしにするのかは私たち次第ではないのだろうか。

「ワクチン早くできないかな~」と待つのか、
それより先に感染者を極力減らして、収束といえる状況を私たちで作り出すのか。

今は重症者がとても少なく、ほとんどの人が無症状や軽症なのだから
感染しても、それほど恐れる事はない、と主張する人もいる。
しかし元々疾患のある人や、高齢者など重症化しやすい人もいる。
そして、外国では日本より重症者が多い。
その理由としてマスクなどの習慣や、体質(遺伝子?)の違いなどが推測されているが
以前のように外国との行き来を自由にするならば
「日本人は重症にならないから」とコロナを軽視する訳にはいかないだろう。
空港での検査はもちろんだが、感染対策を怠ってはいけない。

医学や技術の発達で、昔の感染症よりも対策がしやすいはずだ。
どうしたら一日も早い収束を迎えられるか、それを考えて行動したい。

これからの時代。必要なモノ、求められるコト

2020年07月02日 | 持続可能な社会
日々行動したり考える事の大半が、まだまだ大なり小なりコロナに関連してしまう今日この頃。

画像は「乙女印刷」のカード。
「乙女印刷」は活版印刷でカードや便せんなどを作っている個人のメーカーです。
イベントなどを通じて販売していたのですが、コロナでイベントが無くなり、
クラウドファンディングで今後の活動の資金を集めていたのです。

オリジナルのデザインを、一枚一枚丁寧に刷る活版印刷。
こんなに素敵なモノを個人で作っているなんて、とても貴重。
私が仲間とやっているイベントにも何回か出店してくれてお付き合いもあったし
これは応援せねばならん!!!と、即支援。
見事プロジェクトを達成し、送られてきたリターンの素敵なカードとメッセージを見て
あ~~~支援して良かったな~~~と改めて思いました。
ざらっとした素朴な質感の紙に、大正ロマンを思わせつつも昭和な懐かしさを感じる柄。
ちょっぴりくすんだ色使いと、活版印刷のデコボコ。
かわいいシールや便せんを集めた子どもの頃を思い出す。
多くの女性がトリコになる、紙雑貨。

カードは、日々の生活に絶対に必要なモノでは無いし、
ただカワイイだけのカードなら大量生産の安いモノが沢山あふれている。

だけど大勢の人が出資して応援したいと思った乙女印刷の紙雑貨は
活版印刷という昔ながらの方法で作られているけれど
これからの時代に生き残る価値がある、とワタシは思う。
ただ、カワイイ!とときめくだけでももちろん十分な価値なのだけど。

長らく続いた大量生産、大量消費の時代から
商品を生み出す地域や歴史や人などの背景も含めて
それを手にした人が大事にしようと思えたら、
それは持続可能な社会に繋がるのではと思う。

持続可能な社会はこれからの人類が幸せに生きる条件になる。

クラウドファンディングでプロジェクトを達成するというのは、
人々がわざわざ自分のお金を出資するのだから、
本当に求められているモノやコトであるはず。

求められている、と言えば全国の商工会議所が行った
飲食店を支援する「みらい飯」というプロジェクト。
先週の静岡新聞によると、全国で実施された56カ所のうち
第2位の大阪市(1,760万円)をダントツで引離して
トップの三島市は3,027万円が集まったとのコト。

ここここここれは快挙では!?
三島市の飲食店がどれだけ愛されているか!!
支援した人は、これまでお店で美味しいものを食べたり、楽しい時間を過ごしたり
お店が賑わうコトによって街が元気であることに感謝していて
これからもそうであり続けて欲しいと願っている。
三島には素敵な店がたくさんあって、そんなお店のファンが大勢いるコトの表れである。

翻って、多くの人が不要だとばかりに寄付されているマスク・・。
配達するなど多くの人が関わっているのだから、
文句ばかり言わずにありがたく使いますという優しい人もいるけれど・・。
これから税金であれ、個人であれ、
本当に人々が求めているか、役に立つか、心が豊かになるか、
次の世代に負担にならないか、など考えて
お金を使いたいものである。

オリンピック、リニアモーターカー、ダムや基地、様々な事業。
必要かどうか、どんなやり方ならば良いのか。
上の人達だけでなく、みんなで真剣に考えてそれをちゃんと反映して
後々「あぁ、こうして良かったね」と言えるようになりたいものです。

ちまちま生きていく

2020年06月13日 | 持続可能な社会
短期間で私たちに多大な影響を及ぼしたコロナウィルス。
まだまだ安心出来ないよねと言いながらも、コロナ以前の日常になりつつある。
公共の場でのマスク着用など、定着している事もあるが、
あぁうっかり気を付けずにいたなぁと思うことも、もちろんある。
思えば東日本大震災の後も、エネルギー問題も含めて
これからの日本は大きく変わるだろうと言われたが
ガラリと変わったというよりは、少しずつ変化していってるのかなぁ・・・というカンジ。

まぁ、やっぱり日々の生活は慣れている、便利、楽・・な方に行くのが当たり前と言えば当たり前。

どんなに大きな出来事があっても、変化のほとんどは自然に起こるものではなくて
人々が試行錯誤しながら変えていくものなのだなー。

とか何とか、色々なコトを浅い知識で浅く考えている日々。

例えばお金というものの便利さというか不思議さというか。
お店や会社がストップしてお金の流れが止まって、多くの人達が困ったんだけど
人間はお金を食べて生きているワケではない。

私たちは、ほぼ全てのモノやコトを、お金を介さなければ手に入れられない、という社会にいる。

お金って便利なもののハズなのに、それに振り回されるということは
今の社会システムは本当に正しいのかなぁ?と思ってしまった。
私は経済とか勉強したコトもないので、そういうのをちゃんとわかっている人からしたら
何言ってんの?と思われるかもしれないが。
資本主義の「資本」がお金じゃない世界は無いのかなぁとか
妄想にも至らないもやっとした考えが浮かんだりして。

今回、コロナで大変だった事のひとつが「家賃」。
建物も長い目で見たら「モノ」だけど、
コロナで家賃が払えない、という数ヶ月で消耗するものでは無い。
ということを考えると、その期間は払わなくても良いんじゃない?と思ったりして。
まぁオーナーが建てた時のローンだとか税金だとか、実際かかるお金があるとしても、
その分だけ払えば良い、とか。
ん?税金は結局みんなのために使うお金となって戻ってくるんだから
こんな時は払わなくても良いことにした方が早くない?とか思ったりして。
土地って誰かが作った製品ではないのに誰かのものになってるって
考えようによっては不自然ではないのかなぁ・・・とか。

もちろん、そんな単純な話ではない事は重々承知なのだけど
持続化給付金だって色んな会社が再委託だのなんだのと
ややこしく、審査基準もよくわからないとか、給付も遅れているなんてのを聞くと
税金をみんなの為に正しく使うなんていうのは夢のまた夢みたいな難しい事だと感じる。

ミニシアターなど、事業の存続を援助しようというクラウドファンディングが多数あったが、
この方がお金が早く直接届くとか援助したい人がしたい金額で出来るとか
様々なメリットがありますね。

前の記事にも書いた「利他主義」にも通じるよね。
他者のために生きるのが、自分のためにもなる、と。
コロナだけでなく、台風や地震など、いつどんな危機が起こるかわからない中、
どういう生き方をするのが良いのかそれぞれが考える事が大事だな、と思う。

例えば、趣味でやっている畑があり、多少は食べ物を収穫できた。
畑は三密ではないのでいつも通りに畑に行き、作業をした。
ちょうど先日、TVで自給自足生活をしている家族を紹介していて
彼らは「普通の人がお金でかけている保険を、自分たちは自給自足生活でかけている」と。
お金が無くても食べ物を得るとか、ガスが無くても火を起こせるとか
生きていく術を身につけている。

マスクは自分では作らなかったが、手作りした人から分けてもらった。

海外の安い原材料費や人件費で出来た製品は便利でありがたいモノだが
それが全てになっては不便なのだという事が今回わかったし、
地産地消を見直すキッカケのひとつにもなった。

大きな事業があって、私たちは暮らしていけたり楽しめたりすることも多くあるから
それらが全く無くなってしまっては困るのだけど、
何かあった時に自分や自分の家族が困らないとか
困っている時は助け合うとか、
そういうのは、あまり規模が大きすぎない方がやりやすいのだろうなぁと。
っていうか大規模な事や難しい仕組みは私には理解出来ない、というのが正しいのかも。

私は今までもこれからも、自分の頭で理解できる範囲でちまちま生きていくのだろー。

使い捨てない世の中へ

2020年05月29日 | 持続可能な社会
マスクが再びお店に並ぶようになりました。
コロナ以前からインフルエンザが流行る時期など、
いつからか日本人は予防のためにマスクを着けるようになっていましたが、
そのほとんどが使い捨ての不織布のものだったと思います。
布マスクは、使い捨てマスクより予防効果や衛生面で劣ると言われて
TVなんかでも使い捨てマスクを推奨されていました。

・・が、今回のマスク不足で、多くの人が布マスクを作ったり使ったりするように。
そしてこのマスクの習慣が、アメリカやヨーロッパよりも格段に感染拡大を抑えることが出来た、と。
(もちろん色々な要素があるでしょうし、マスクの効果は確定してはいないのかもしれませんが)

家にあった布で作ったマスクでも一定の効果になったらしい、というのは
日頃から使い捨てはよろしくないなーと思っている私には嬉しい。

医療現場とかで使うにはしっかりとした仕様のモノが良いのかもしれませんが。

そうそう、使い捨てマスクの場合は捨て方にも気を付けないと
ウィルスが付いている場合はビニール袋に入れて、密閉しないと危ない、なんて言われてましたけど。
手洗いでコロナウィルスが死ぬとのコトなので、
予防で着けている布マスクなら中性洗剤で洗えば大丈夫だし。

そして、道ばたにポイ捨てされるコトも少ないし。

不織布よりもお肌に優しいし。

あら!?布マスク、良いコトずくめじゃないですか!?
非日常って新しい発見があるんだなぁ。
これからコロナの第2波がくると戦々恐々で、この先に落ち着いてからも
元の世界には戻らないと言われている。

前に進むには、少しでも前向きな部分を探したり
今までと違う、変化が必要なのだろうと思う。

あぁなんだか上手いことまとまらないけど
きっと明るい未来が待っている。
っていうか、未来を明るくするのだ。

「パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」

2020年04月29日 | 持続可能な社会
2週間程前、NHKスペシャル
「パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」という番組を見ました。
とても為になる内容だったので再放送やオンデマンドなどで多くの人に見て欲しいなー。

3人の知識人が、コロナによって世界がどう変わるかという事を話すのだが、
その中でもフランスの経済学者・思想家であり、歴代政権の顧問も務めたという
ジャック・アタリ氏の話が特に印象深かったです。

パンデミックという深刻な危機に直面した今こそ
「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返らねばならない

協力は競争よりも価値があり
人類は一つであることを理解すべきだ

利他主義という理想への変換こそが人類のサバイバルの鍵である


利他主義というのは、他人のために自分を犠牲にしなさいというのではなく
「合理的利己主義にほかならない」そうである。
自分が感染しないためには他人の感染を確実に防ぐ必要があり
利他的であることは、ひいては自分の利益になる。
国単位で考えても、世界の国々が栄えていれば
市場が拡大し、長期的に見れば自国の国益になる。

これは全ての事に言えると思うが
今のコロナウィルスに置き換えると全くその通りだという事がよくわかる。
自分や、自分の家族さえ感染しなければイイや、などという利己主義では自分を守れないのだ。

ホームセンターやドラッグストアで働く友人が、
マスクなど品切れや品薄の商品についてクレームを言う客に疲れ果てている。
利他主義は他人を思いやる気持ちも含まれていると思う。
クレーマーには「これからの世の中、それじゃーいけないよ」と教えてあげたい。
みんなが大変な時こそ、奪い合うより、協力したり助けたり優しくしたりしなくては。

そして、3人の知識人のうちの一人は
世界的なベストセラー「サピエンス全史」の著者である歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏。
ハンガリーやイスラエルでパンデミックを利用する事によって民主主義が脅かされる事例を挙げ
私たちは政治を監視しなければならないと言っていました。

民主主義に大切なのは政府が間違いを犯した時に
自らそれを正すこと
そして政府が間違いを正そうとしない時に
政府を抑制する力を持つ別の権力が存在するということです、と。

日本はもちろん民主主義国家だけど、政府の政策に国民がいつも満足している訳ではない。
今回、給付金が条件付き30万円から一律10万円になった件は良かったけれど、
公明党があれほど強く言わなかったら、そのままだったのだろうか?

466億円かけて配布する布マスクに多数の不良品が混じっており、
受注した会社は4社なのに3社しか社名を公表しないのは何故か?
466億円から、90億円で収まることになったのはどういう経緯なのか、
その内訳や詳細はわからないままだ。

コロナ対策の最初の頃言っていた、お肉券だの旅行券だのは今も実行する予定なのか?
一体どうして、そんな限定した業種のみにお金を使う政策を考えたのか?

民主主義のはずだけど、国民には明かされないままの事が多いのも事実だ。

ハラリ氏は「結末を選ぶのは私たちです」と言っていた。
「結末を選ぶ」ために私たちがすべきこと、出来ることは何だろう?

とかなんとか、難しいことはわからないクセにわかってるフリして色々書きましたが。
最後に、ちょっと笑える話。
3人の知識人のもう一人、国際政治学者のイアン・ブレマー氏は
コロナ後の世界の秩序が変わるだろうと、まくし立てる様に話していたのだが
対談の最後の「人々への提言を」との問いに
「犬を飼うべきだと思います」と答え、インタビュアーを
「どういう意味ですか?」と困惑させていた。
ひるまず続ける。「犬は良いですよ。一緒にいると心が落ち着きます」

あぁ、癒やされるという事ね。
「バカバカしいと思うかもしれせんが、実効性があります」
たしかに、アニマルセラピーというものがあるくらいだから
素人が思う以上に精神的に良いのだろうなー。

色々ためになる番組でした。

人間を守るのは環境を守るとゆーこと

2020年04月26日 | 持続可能な社会
何十年も前、高校の現代社会の授業だったと思う。
教科書に「今の社会は情報に溢れている」という文章と共に、人が必死で泳いでいる挿絵が描かれていた。
その頃は全くピンと来なかったし、ずっと忘れていたけれど
大人になって、いつ頃からかちょくちょく思い出す様になった。
インターネットが普及し始めてからだ。

近年はまさに情報の中で泳いでいる、というか溺れかけているのではないか。
このコロナ騒動でも始めの頃は、SNSで
「50度以上で菌が死ぬから、お湯を飲むと良いらしい」という書き込みと共に
それが拡散されているのを見かけたり
トイレットペーパーが無くなるという情報が一気に広まり
人々が多めに買って、一時的にお店に在庫が無くなった。

単なる噂だとわかっていても踊らされるのだから、
過去に同じ様な事があってもしかり。
人々は、自分が持っている情報を人に教えたいものらしい。
情報を共有すること自体は悪いことではないのだが。
きっとその昔、原始的な生活で危険と隣り合わせだった時の名残なのだろー。

しかし今、世に溢れる情報が真実なのかウソなのかわからない場合もあるし、
そもそも未来の事については推測でしかない。

いずれにしろ、その情報がどれくらい信頼できるものなのか意識する必要がある。
どこの誰が言っているのか。
それは専門的な知識を持っている人なのか。
データや研究に基づいた、科学的なものなのか。
それが曖昧だったりわからない場合は鵜呑みにせず、他人に拡散するのは控えた方が良い。

そして信頼できる情報でも、100%全ての人には当てはまらないかもしれないし
状況が変わったら、その時は適用できない内容になるかもしれない。
何か情報を得たら、それによって自分はどう行動すべきか
それぞれが考えなくてはいけない。

そういう事を気を付けつつTVを見ていると。
多分「情熱大陸」に出ていたウィルス学者の片岡義裕氏だったと思うが、次の様に言っていた。
感染症は昔からあるものだが、SARSやMARS、そして今回の新型コロナウィルスというように
近年、昔と比べて頻繁にその流行が起こるようになった原因の一つに環境破壊があるというのだ。

元々、野生動物が持っていたウィルスが、人間がその生息場所に開発などで踏み込む、
あるいは生息場所を奪われた野生動物が人間の住む場所に移ってきた事によって、
人間にうつり、それはグローバル化によって瞬く間に世界中に広まる。

地球温暖化(による生物の生息地域の変化、と意味だと思う)も原因の一つと考えられる、と。

別の番組で黒い服とサングラスで覚えやすい、生物学者の五箇公一氏も同じような事を言っていた。

だからと言って、みんなで今から地球にやさしい生活にすれば
コロナが収束するという話ではないのだが、
人間の生活が地球の環境を変えてしまうことの影響の大きさに驚いた。

今、出来ること。
そしてこれからすべき事。
この機会にじっくり考えてみたい。

グレタさんを見てモチベーションを上げた

2019年12月29日 | 持続可能な社会
今年最後のブログは私が一番関心のあるコトを。
環境問題について。
人々がこの先も”普通に”暮らせる「持続可能な社会」に変えたい。
今の人類の暮らし方は「持続可能な社会」に繋がるものではないから。
普段、不自由なく暮らしていても度重なる異常気象を目の当たりにして
もはや安心して生活できる環境ではない事は誰もがわかっている。

それなのに石油よりも多くのCO2を排出する石炭火力発電所を増やそうとしている日本政府。
小泉進次郎が環境大臣になり何かが変るかもと期待していたが
今のところガッカリするばかり。

人々の関心を集めたり、共感を得るために
温暖化防止の取り組みは必ずと言って良いほど「無理をしないで改善していこう」
みたいな事が謳われてきたが、その結果が今の状態である。

「無理をしない」と「努力をしない」を履き違えている。
内容にもよるが、時には無理も必要だし。
クレイジーキャッツは大好きだけど
「♪そ~のうち何とか、な~るだ~ろう~~」とはならないだろう。
そんな風に思っている限り、自体は悪化するだけだ。

グレタさんが怒りながらスピーチをしているのを見て、大人として恥ずかしいし
環境問題に関心があると良いながら何も出来ていない事も恥ずかしい。

恥ずかしいといえば、友達の車に乗っているときに流れていた「セシウムと少女」という曲。
「セシウム」という言葉が示す通り、原発がテーマなのだけど
「十万年経ったら僕ら も少し賢くなってるのかな
 十万年経ってもまだ 恥ずかしいままなのかな」
という歌詞があり、様々な問題を解決できるほど、
人間は賢くないのかもしれないと初めて思ってしまった。

ほんの狭い身の周り、自分や近しい人が、今日や明日を楽しく、ラクに過ごすための工夫はするけれど
もっと広くて長い視野で同様のことを考えられるかというと、必ずしもそうではない。
もしかしたら人間というか動物の本能としてそれは当然の事なのかとも思ったりする。

技術は発展してるのに、何故か地球環境は良くならないし
誰もが平和が良いよねと知っているのに戦争は無くならない。

そんな単純じゃないよと言われそうだけど
複雑にしてるのは誰がなんのためにしてるのかを考えなくては。

それに自分が荷担してるかもしれないと疑う事も必要だと思う。
安いからいう理由で選んでいる商品は、すぐにゴミにはならないだろうか?
「今年はコレが流行です」と次々に新しい服やバッグを買うのは
実は”買わされている”のではないだろうか?

誰がなっても同じだからと投票して選ばれた人は
広い視野で物事を考えられる人だろうか?

もやもやと考えていることを順序立てて説明するのは難しく
そもそも深くわかっていない部分もありまくりで
そんなところも恥ずかしく思いながらも、
来年も持続可能な社会に向けて行動や発信を続けていきたいと思います。

どうぞよろしく。

地球温暖化を加速させたいか否か

2019年10月16日 | 持続可能な社会
各地に大きな被害をもたらした台風19号。
ここ数年、台風に限らずこれまでになかったような雨量を記録することが少なくない。
それらの原因の一つとして、地球温暖化による海水温の上昇があげられている。

先日行われた、静岡地方気象台次長の田中明夫さんの講演の資料が手元にあるので引用すると。

「日本の年降水量は年々変動が大きく、明瞭な増減傾向は見られない」のだが
「非常に激しい雨、猛烈な雨の頻度は増加している」
これは
「地球温暖化による対流圏大気の気温上昇に伴って
大気中に含みうる最大の水蒸気量が増加していることが寄与している可能性がある」

降水日数では雨の降らない日が増えており、
その分、降るときは極端な雨量になるということも示されている。

台風に関しても
「日本にくる回数は減少するが、強い台風が接近する頻度は
現在よりも大きくなる可能性がある」

実際、大きな被害は増えている。
何度も書くが、これが地球温暖化による可能性が高いということは
私たち人間が便利で快適な生活がもたらした故の被害であるとも言えるのだ。
これまでも地球温暖化による恐ろしい影響を聞かされているはずなのだけど
まだ大丈夫だろう、とか
技術開発で改善されるだろう、とか
日本はあまり被害はないだろう。
そんな風に思っていた人が大多数だっただろう。

しかし、もういい加減本気で取り組まないと。

環境に関しては、私は本当に小心者で
なんとかなるだろう
とは全然まったく思えない。

温暖化は、二酸化炭素などの温室効果ガスを減らしたからといって
すぐに止まるわけではなく、
その進み方が緩やかになる程度だろう。
だとしても、今のままの進み方では
私たちの予想をはるかに超える恐ろしい未来を
予定よりも早く見ることになる。

それを少しでもマシになるよう、食い止める努力をするのは当然のことだと思う。

「恐ろしい未来」は何年も先の事ではない。
今ある生活を守りたいなら、私たちはどうするべきか。

私たちは被害者であり、加害者なのだ。