シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

生理の貧困

2021年04月20日 | 持続可能な社会
最近、ニュースなどで「生理の貧困」という言葉を度々聞くようになりました。
一ヶ月に使う生理用品って金額にしたらいくらくらいだろう?
それほど高額ではないはずなのだが、これが多く取り上げられるという事は
その背景に様々な要因があるからなのだろうな。
単純に金額の大小の問題として片付けるのではなく、想像力を働かせる必要がありそうです。

まずは「貧困」という言葉から連想しやすいのは「絶対貧困」という状態。
住む家や、食べるものも全然なくて服も古くて・・みたいな。
それに対して最近よく取り上げられるのは「相対的貧困」。
「生理の貧困」より前から「子どもの貧困」や「女性の貧困」などもありましたが、
これらも後者に当てはまる場合が多いのではないかな?

普通に生活しているように見える「相対的貧困」は「本当にそんなに貧しい?」という印象がある。
が、調べてみると「相対的貧困」は
「世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態。
OECDの基準によると、相対的貧困の等価可処分所得は122万円以下、4人世帯で約250万円以下(2015年時点)」
なるほど。
これは確かに苦しい生活だろうな。
餓死してしまうほどの貧困ではないが、常に苦しい状態だと容易に想像できる。

「生理の貧困」が必ずしも相対的貧困に当てはまるワケではないのかもしれない。
スマホを持ったり、お化粧しているのを見て
「そんなに苦しいなら、スマホ解約して、化粧もやめれば?」という声も聞こえてきそうだが、
実際にスマホ無しに生活するのは不便すぎて支障がある。
化粧も、まれに全くしない人がいたり、してないように見える人もいるけれど
するのが当たり前の年齢の女性にとって、特に高価なもので無い限りは
「我慢すれば?」というのは「貧乏なんだから、容姿なんか気にかける必要ないよ」と言っているみたいで、そりゃひどい。

スマホや食べ物、化粧がほぼ毎日必要なのに対して
生理は基本的には月一回なので、お金が苦しい時は買うのを後回しにしてしまうのかも。
どうしても他のものを優先してしまい、いざ生理が来たときにはお金がなくて買えない・・という感じなのだろうか。

そして、生理の話というのは公にする事は少ないし、男性にはもちろん理解されにくいし
「生理用品が買えない」という事は「極めて個人的な問題」という感覚だったので、
私自身、この言葉を初めて知った時は「へぇ~~~」くらいの反応しか無かった。

しかし、よく考えてみれば、生理になるならないを個人の自由で決められるワケではなく
初潮から閉経まで、ほぼ全ての女性が嫌が応にも直面する現象だと思うと
社会の問題として考えても良いのかなぁ・・・と。

そもそも生理が「恥ずかしいもの」とされてきたのも、問題の一つなのかと思える。
「今、風邪ひいててさ」(コロナ禍であることは別として)というのは普通に言えるけど
「今、生理だから」は、親しい女性だけの間なら言えるけど男性が同席していたりすると
言いづらいというか、言いたくないというか、言っちゃいけない、という雰囲気になると思う。

日本は生理を「穢れ」(けがれ)としてきた歴史があるからなぁ・・と思って検索してみると
これは日本だけでなく、世界的な考え方らしい。

ふーん・・・。なんでだろ?
単純にシモの事だから、というのもあるのかしら。
排泄物、っていう。
そりゃ、きれいなモノではないけどねぇ。
「下痢してます!」とか「痔になりました!」が恥ずかしいのと同じ部分はあるかもしれない。
あと、出るのが「血」っていうのも不吉なイメージとして根付いた、とか?

で、あとそれに加えて「女性特有の現象」なので
女性だけの問題とされて、社会の問題として考えられる事がなかったし
生理用品が買えないだけでなく、生理にまつわる困ったことがあっても
相談しづらく、辛い思いを一人で抱えてる・・。
そんな状況を、「生理の貧困」問題が表面化されることによって、風穴を開ける事になれば良いですな。

子どもの性教育とか、少子化とか、けっこう色んな問題に繋がるんじゃないかと思うんだよね-。

生理用品でエコな話として、布ナプキンとかムーンカップとか、使い捨てでないモノもあるのでオススメしたい。
使用感や用途(出掛ける時なのか、自宅なのか、とか)によって使いたいモノは様々なので
誰にでも勧めたいわけでは無いのですが。

環境に配慮して節約にもなる生理用品を選択肢の一つとして認識してもらえれば幸いでございます。

出来ない理由を探さない~私のマスク会食事情~

2021年04月06日 | お店
3府県で「まん延防止等重点措置」が適用されて、マスク会食が今までよりも推奨されるようになりました。
マスク会食はずいぶん前から提案されていたけれど「そんなの無理だよ」という声も多く、
なかなか定着しないまま第4波が危惧される昨今。

マスク会食、そんなに無理かな~?
私はコロナ禍になってから4人以上で外で食事をしたのは思い出せる限り3回。
3回ともマスク会食だったなー。
お店に入ってから、注文して料理が出てくるまではずっとマスクをしたまま。
水を飲んだりする時だけ、はずすけど。
料理が来たらほぼ無言。
まぁたまに「美味しいね~」とか言葉が出るときはあるけど。
この時は、会食が目的で出掛けたのではなく、
「ごはん、食べてこうか?」という流れだったので
食事をしながら色々話したいというワケでは無かった、というのもある。

う~ん、思い出すと2人の場合はもうちょっとマスク外したままで話してたかな。
いやいや、外しっぱなしでは無いですよ。
大人数はアレだけど、2人ならという事で。
でも必ず、斜め向かいに座ります。

1人ではちょいちょい食べに行きます。
1人だと、お店の人がマスクしてるので「ま、いっかな~」と思って
つい外したまましゃべっちゃうな~~。
いかんいかん。
と、ココに書くコトでより自制をするのだ。

そんなワケで、100%完璧じゃなくても
マスク会食を「心がける」コトは出来ると思う。

始めから「無理だよ」と言ってしまったら、行動もそうなる。
「やりたいけど無理」から「出来なくて当然」となり、「やらなくて良い」になってしまう。

まぁ楽な方を求めますから、人は。
しょーがない、普段は。
でも今は、
しょーがなくない。
コロナ感染者が増えて、病床がひっ迫したり、いつまでも旅行などが制限され、
生活が苦しい人が増えることを「しょーがない」では済まされない。

なので、面倒でも出来るコトをやらねば。
何か提案があると、「こういう理由でそれは出来ない」とか言われがちだけど
有効なコトならば、やる方向で考えなければ。
今すぐじゃなくても。
1ミリでも進むように考えて、行動してみなくては。

「出来ない理由を探さない!」という言葉を聞いた時の事は今でも思い出す。
十数年前になるが、森づくりに関わる団体が参加したイベントで、私はパートナーと一緒に搬出作業をしていた。
知り合いが大きなトラックで来ているのを見て、パートナーがトラックがあって良いねぇと声をかけたところ
「おたくも買えば良いじゃない」と言われ「いや~~、お金が無いから」と返したら
「出来ない理由を探さない!」と笑いながら言われたのだった。

当時は団体で持っている車両は無かったけれど、今では軽トラではあるが所有している。
その言葉で動いたワケでは無いけれど、本当に必要で、その気になれば実行出来るんだなぁ。

思えば私たちは、いつでも何かを望んでいるけれど、
それが実現するように実際に行動に移すことは少ないのかもしれない。

何かを成し遂げる人は、運が良かったのではなく(多少は運もあるかもしれないが)
実現するためにどうしたら良いか考えて、努力をして、失敗してもまた挑戦して・・を繰り返している。

とか書いていると、ここ数日のニュースで見る大谷翔平と池江璃花子が思い浮かんで
次元が違いすぎて心の中でひれ伏してしまう。

あぁでも、そこまでいかなくてもこのコロナ禍で1年以上頑張っている飲食店やその他の業界の人達にも頭が下がる。
いつも美味しいものや楽しい時間を提供してくれて、街の賑わいを作ってくれるお店の人達を応援したい。

そのためには、マスク会食に協力すべきだし、他にも色々なルールは必要だと思う。
例えばテーブルに一人一人を区切るパーティションとか、向かい合わせに座らないようにするとか。
ニュースを見ていると、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出ている地域のお店が
必ずしもコロナ対策に積極的でないのは、時短営業などを勝手に決められているからなのかな、と思ったりする。

例えば、お店の人同士で対策のアイディアを共有するとかして、
自分たちでやり方を決められればもっと協力して事が進みやすいのでは、と。
パーティションなんかも、経営が厳しくて買えないとか品切れで手に入らないとかいう場合に
「こんな代用品あるよ」なんていう情報を共有しあって、そういうのを活かした営業をして
「この地域はしっかり対策してるから、お客さんも協力してマスク会食お願いしますね」みたいな相乗効果になれば
少しでも気持ちよく外食が出来るかなと思うんだけど。

ワクチン接種が始まっているとはいえ、まだまだ安心できない。
ちょっと前までは「大切な人を守るため」なんて言われていたけど、
何より「自分を守るため」にどうすべきか、考えて行動したいものです。