シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

ちまちま生きていく

2020年06月13日 | 持続可能な社会
短期間で私たちに多大な影響を及ぼしたコロナウィルス。
まだまだ安心出来ないよねと言いながらも、コロナ以前の日常になりつつある。
公共の場でのマスク着用など、定着している事もあるが、
あぁうっかり気を付けずにいたなぁと思うことも、もちろんある。
思えば東日本大震災の後も、エネルギー問題も含めて
これからの日本は大きく変わるだろうと言われたが
ガラリと変わったというよりは、少しずつ変化していってるのかなぁ・・・というカンジ。

まぁ、やっぱり日々の生活は慣れている、便利、楽・・な方に行くのが当たり前と言えば当たり前。

どんなに大きな出来事があっても、変化のほとんどは自然に起こるものではなくて
人々が試行錯誤しながら変えていくものなのだなー。

とか何とか、色々なコトを浅い知識で浅く考えている日々。

例えばお金というものの便利さというか不思議さというか。
お店や会社がストップしてお金の流れが止まって、多くの人達が困ったんだけど
人間はお金を食べて生きているワケではない。

私たちは、ほぼ全てのモノやコトを、お金を介さなければ手に入れられない、という社会にいる。

お金って便利なもののハズなのに、それに振り回されるということは
今の社会システムは本当に正しいのかなぁ?と思ってしまった。
私は経済とか勉強したコトもないので、そういうのをちゃんとわかっている人からしたら
何言ってんの?と思われるかもしれないが。
資本主義の「資本」がお金じゃない世界は無いのかなぁとか
妄想にも至らないもやっとした考えが浮かんだりして。

今回、コロナで大変だった事のひとつが「家賃」。
建物も長い目で見たら「モノ」だけど、
コロナで家賃が払えない、という数ヶ月で消耗するものでは無い。
ということを考えると、その期間は払わなくても良いんじゃない?と思ったりして。
まぁオーナーが建てた時のローンだとか税金だとか、実際かかるお金があるとしても、
その分だけ払えば良い、とか。
ん?税金は結局みんなのために使うお金となって戻ってくるんだから
こんな時は払わなくても良いことにした方が早くない?とか思ったりして。
土地って誰かが作った製品ではないのに誰かのものになってるって
考えようによっては不自然ではないのかなぁ・・・とか。

もちろん、そんな単純な話ではない事は重々承知なのだけど
持続化給付金だって色んな会社が再委託だのなんだのと
ややこしく、審査基準もよくわからないとか、給付も遅れているなんてのを聞くと
税金をみんなの為に正しく使うなんていうのは夢のまた夢みたいな難しい事だと感じる。

ミニシアターなど、事業の存続を援助しようというクラウドファンディングが多数あったが、
この方がお金が早く直接届くとか援助したい人がしたい金額で出来るとか
様々なメリットがありますね。

前の記事にも書いた「利他主義」にも通じるよね。
他者のために生きるのが、自分のためにもなる、と。
コロナだけでなく、台風や地震など、いつどんな危機が起こるかわからない中、
どういう生き方をするのが良いのかそれぞれが考える事が大事だな、と思う。

例えば、趣味でやっている畑があり、多少は食べ物を収穫できた。
畑は三密ではないのでいつも通りに畑に行き、作業をした。
ちょうど先日、TVで自給自足生活をしている家族を紹介していて
彼らは「普通の人がお金でかけている保険を、自分たちは自給自足生活でかけている」と。
お金が無くても食べ物を得るとか、ガスが無くても火を起こせるとか
生きていく術を身につけている。

マスクは自分では作らなかったが、手作りした人から分けてもらった。

海外の安い原材料費や人件費で出来た製品は便利でありがたいモノだが
それが全てになっては不便なのだという事が今回わかったし、
地産地消を見直すキッカケのひとつにもなった。

大きな事業があって、私たちは暮らしていけたり楽しめたりすることも多くあるから
それらが全く無くなってしまっては困るのだけど、
何かあった時に自分や自分の家族が困らないとか
困っている時は助け合うとか、
そういうのは、あまり規模が大きすぎない方がやりやすいのだろうなぁと。
っていうか大規模な事や難しい仕組みは私には理解出来ない、というのが正しいのかも。

私は今までもこれからも、自分の頭で理解できる範囲でちまちま生きていくのだろー。