シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

考えずにラクしたい

2021年06月19日 | 持続可能な社会
この春から畑のやり方を変えて、野菜が去年より少しは良く育ってきている気がする。
田んぼだったところを借りて今年で4年目なので、
ようやく土が良くなってきて野菜も上手く実るようになってきた時期でもあるかな。

化学肥料や農薬を使わないので「自然農」って言えるのかなぁと思いつつ
自然農とか有機農法とかは、その提唱者とかによって、ある程度「こーいうものだよ」みたいのがあるらしく
それに当てはまってるかわからんなぁ・・・と何となくモヤモヤしていました。
商売にしてるワケじゃないんで、公に言える言葉を探す必要は無いんですけど。

畑に限らず、他の趣味や活動や仕事をやるからには、
極めるなんて大それたコトは出来ないけど、多少は形になってるというか
「こーいう風にやってるんですよ!」と胸を張って言えたら良いなぁと。
その時に明確に「こういう形を目指してる」という目標というかビジョンがあると
自分自身の中で、より頑張れたり、達成感があったり、成長できたりするんじゃないかなー、と。

それがないと、自然とやっつけ仕事になってしまう気がする。
基本的にはズボラで面倒くさがりなので、こうするんだと決めておかないと、結局はいい加減なやり方になるのだ。
やっつけ仕事は、充実していると感じられないので、せっかくやっても面白くない。
面白くないことをしていると「私はなんのためにコレをやってるのかなぁ?」と思ってしまって
嫌になっちゃうんだよなー。

で、話は畑に戻ります。
「循環型農業」という言葉があるんですね。
化学肥料や農薬を使わないのは自然農法や有機農法と一緒かな?
例えば、家庭菜園だったら家で出た生ゴミを堆肥化して使うとか。
使う肥料も、できた作物も無駄にしないしゴミも出ない、とか
まぁものすごくザックリ言うとそんなカンジでしょうか。
合鴨農法なんかも、循環型と言えるそうな。
合鴨が田んぼの虫を食べてくれて、その糞が稲の肥料になる、という風に「循環」する。
あくまでも「私なりの」循環型農業ではあるけど、極力(完全ではない・・)プラスチックを使わない。
黒いビニールマルチとか。
決して使ってる人を批難したいワケじゃなく、せっかく自分でやるなら、のこだわりです。
以前に団体でやっている畑で使っていたのだけど、片付ける時に結構な量のゴミになるんだなぁと感じました。
あとは不織布なんかも、風で破れると小さい切れ端があちこちに散らばったりして後がやっかいなので、
んじゃもう始めっから使わない!
えーと、それと支柱ね。
手伝ってくれた人が持ってきた、人工の緑のやつも数本ありますが、基本的には竹。
あと、竹内孝功さんの本に載ってる「ぐるぐるリレープラン」で
作る野菜を決めてしまうと、春と秋の組み合わせで連作障害を防いでくれる。
これは次に何を植えようかと毎回悩まずに済んでとてもラク。
草や虫の力も活かすやり方なので、「循環」のひとつと言えるかも。
自然農や有機農にも共通する内容も多いだろうから細かい定義にこだわるのもナンセンスかもしれないけど
「循環」というコトバが刺さった。
ぐるぐる回るんだ。
決まったサイクルの中で成り立つ。
昔「ミクロコスモス」という言葉を知った時もときめいた。
密閉された空間の中で、空気と水があり、植物がずっと生き続けている。
小さな動物もいたかな?
バランスが保たれれば、人間が手を加えなくてもその生態系の中で生きて子孫を残せる。

ゴミが溜まることも無い。
過剰なエネルギーの消費で温暖化になることもない。
資源を使い切って無くなってしまったり、
食べ物や水などの必要なものが枯渇することもない。

何十年も前から、環境破壊に対して世界で様々な警鐘が鳴らされてきた。
が、実際には身近で地球環境が変わって困る事はなかった。

季節や場所の差はあれど、この先もずっと便利で快適な暮らしを続けられると、ほとんど誰もが思ってきた。
そして実際そうだった。
今までは。
それはミクロコスモスのようにバランスを保ってきたからではなく、
未来に残すべき資源や環境を、この先の世代から搾取してきたからなのだ。

ここ数年のような異常気象や環境の変化、海にたまり続けるゴミなどが
今まで生きてきた大人が犯した罪の結果だ。
もちろん罪人には私自身も含まれている。
しかし地球上全ての人類が同じではなく、日本のように経済的に裕福な国民はより罪が重い。
国土や人口で言ったら、大国では無いのに
エネルギーの消費量や外国からの食料の輸入量などを見れば
個人的にはつつましく暮らしているつもりでも、
世界の中で環境に負荷を与えている度合いが高いのは明らかだ。

ぐるぐる回ってラクしたい。
このやり方ならこの先もずっと持続できる、という風に。
でも残念ながら、そういう時代はとうの昔に過ぎてしまった。
今はもう負のスパイラルなので、今までのやり方では悪化の一途をたどる。

ならば、大きく方向転換をしなければならない。
国連が採択したSDGs。
持続可能な開発目標。
ゴールとして掲げられた17の目標は2030年までの達成を目指している。
世界で起きている様々な問題を解決する時間はあと9年しかないということか。
いや、2030年のゴールは解決できる時間ではなく、
方向転換をする舵を切るのに要する時間か。
78億の人間が、完全とは言えないまでも足並みを揃えるには時間がかかるだろう。
色々書いたが、私は悲観論者ではない。
17の目標が掲げられて、とりあえずは世界が共通する認識を持ったなら
今までにない成果と言える。
だから、2030年のゴールを期待したい。

この記事のゴールは、書いてるうちに私の脳みそがヒートアップして温暖化して
畑の話から大きく逸れてしまったけれど。