シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

楽観主義と悲観主義

2021年09月10日 | 持続可能な社会
ジュリーなど、しばしば別のコトが思考のほとんどを占める時があるものの、
私が主に考えているのは「この先、人類は今までのように地球上で生きていけるのだろーか?」というコト。
持続可能な社会であるか、ですね。
今はコロナ禍であったり、今までだって過酷な環境で暮らしてきた人もいるので
現在が理想的な社会ではないのだけど。
とはいえ、人類が繁栄してきた長い歴史を振り返ったら
これまでは自分を含め、地球上の生き物の一つとして不自由のない暮らしが出来てきた。

しかし、近年の自然災害は年を経る毎にひどくなって、
心配なのは「次世代」ではなく「今」になってしまった。

8月9日にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が
「産業革命前と比べて、地球の平均気温が1.1度上昇している」のは
「人間の活動によって」と断定した。

今までは「その可能性が高い」とかだった気がする。
この気候変動により、猛暑、豪雨などの極端気象が現れるようになってきている。

1.1度というと、「あ、それくらいなの?」と感じるかもしれないが、
人間の体温が、病気になった時にいつもより1度高いとかなり具合が悪いのはわかるだろう。
それが、「平均1.1度」となると、たいがい具合が悪くて、たまに低くなる時もあれば
もっと高くなるときもしょっちゅう、だとするとこりゃたまらんな、と想像できる。

日本の夏も、私が子供のころは気温30度はたまにある程度だったが、
今は珍しくもなんともない。
35度以上の猛暑日も多い。
海外ではイタリアのシチリア島で48.8度だったそう。
暑さによる山火事は世界の各地で絶え間なく起きている。
各地で起こる豪雨や洪水なども、温暖化による海水温の上昇によって海水が蒸発し
雨雲が発達するのが大きな原因なのです。

起こるであろう危機に関して、この先もっとひどくなるだろうと私はかなり悲観していて
それでエコエコ言っているのだけど、
同時に何とかせねば、何とかできるハズだ!と希望を捨てない部分は楽観的なのかとも思う。

環境問題について、捉え方は様々だ。
危機だと感じていても「まぁなんとかなるだろう」とか「そうなったらなったでしょうがないよね」
と思っている人が大半かなぁと何となく感じる。

コロナでもそうだけど、実際、身近に感染した人がいないと
「自分は気をつけてるし、大丈夫でしょ」と思ってしまいがち。
人間ってそういう風に出来ているのかもなぁとも感じる。
危機に対して、みんながずっと心配したり警戒したりし続けてると
ストレスを感じて別の弊害が現れる・・とか。
もしかしたら、そういうワケで温暖化に関しては
「うーん、大変なのはわかってるけど、どうしようもないもんねぇ」と思考停止に陥るのかしら・・・。
どうにかなるだろうという楽観と、個人で頑張っても意味がないという悲観。

私はそこに、なんというか、しつこさがある。
環境問題は常に、なんとかせねばという気持ちがあって衰えるコトがない。
そして、自分のコトを過大評価してはいないが、過小評価もしていない。
ただのひとりの中年女性ではあるが、
何か人々に訴えかけて少しでも持続可能な社会に貢献できるコトはないかと思っているのだ。

今のところ、大して出来てはいないけど。
何かもっと、私にも出来るんじゃなかろーかと何の根拠もなく楽観的に思っている。