鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

「主の祈り」の再吟味

2017年12月23日 | 政治見識のための政治学




クリスマスですね。

霊感について考えているのですが、またまた、脇道にそれます。

いわゆる「主の祈り」についてです。



最近、カトリックからこれについて異論が出た、という情報を耳にしました。
中身はわからないのですが、これを「主の祈り」と呼んでいるのは間違いだ、ということかもしれません。

確かにそれはその通りです。

これは聖書ではイエスが「祈り方」として人々に教えたものです。
なのに「主の祈り」というと、それは「イエスが祈った祈り」という印象を大いに与えるのです。

これはまずい、ということなら、そのとおりなのです。




<別の吟味も必要>

だが、鹿嶋はこれについて、別の意味で吟味も必要だと思ってきました。

まずは、日本で邦訳されている、イエスの教えた祈り方を転記しましょう。



・・・・・・・・・・・・・・・
「天にまします我らの父よ。
 御名があがめられますように。
御国が来ますように。

御心が天で行われますように、地でもなしてください。
われらの日ごとの糧を、きょうもお与えください。

我らに罪をなす人を我らが許すように、我らの罪をもお許しください。

我らを試み(悪への誘惑)に合わせず、悪より救い出してください。

(天の王国と力と栄光は、とこしえにあなた様のものだからです。アーメン)
(マタイ伝 6:9-13)
・・・・・・・・・・・・・・・・・







<祈りの項目は独立箇条か>

ここで祈っている項目は、各々独立した願いとして祈られているように受け取っている人が大多数だと思います。

どうしてこういう風に並ぶのかわからないけれど、とにかく主イエスの教えた祈りだからそう祈る、とうけとっている。

教会の礼拝でみんなでこの「主の祈り」を唱和する場合には、まさに、そういう風景です。

















<天国がすべての属性を含んでいる?>

だが、この「祈りの聖句」にはもう一つの解釈も可能です。

それは「天の創造神王国が来たら」それに続く項目はオートマチックに実現される、~とする解読です。

そうすると、これらの項目はすべて、天国という空間の持つ属性という理解になります。

このことを明確に示すには、祈りは次のように書き換えた方がいいように思います。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天にまします我らの父よ、天の御国(天国)に置かれた御名を天使があがめますように。

(ここまでは従来の邦訳文と同じです。次からが違います)

御国が来たらせられたら~
我らに日々の糧は与えられます。
我らぬ罪を犯す者を我らが許すように、我らの罪も許されます。
我らは試みに会うことがなく、この世の悪より救い出されもします。

なぜなら、御国と力と栄光は
 とこしえにあなた様のものだから、それは実現するのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・




こちらでは、天国という空間は上記の各項目を属性として含んでいる、という天国認識があります。

すなわち、天の創造神王国では、食べ物は豊富で乏しいことは全くなく、人間に他者の罪を許す意識力が与えられ、かつ自らの罪は許される。

また、そこでは悪魔に試みにあわせられることもなく、すでに、悪魔の企みにはまっているならば、救い出される。

そういう属性を持った天国という空間の所有者は、父なる創造神よあなた様だから、これらはすべて実現する。

~そういう天国認識があります。





<「すべてを満たすパワー空間」を示唆する聖句>

はたして、どちらが妥当な解読か。

後者であると示唆する聖句は、たくさんあります。

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そもそも、イエスの宣教の第一声も「天の御国が近づいた」です。
彼は「だから、悔い改めなさい」と宣言しています。
(マタイ伝 4:17)

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また、イエスが福音(良き知らせ)として伝えている具体的な中身は、天の御国のことらしい、と解される聖句もあります。

マタイによる福音書(マタイ伝)では、著者マタイはこう記述しています。



・・・・・・・・・・・・
「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを治された」
   (マタイ伝、9:35)
・・・・・・・・・・・・



ここでは「御国の福音」(天国についてのよきしらせ)とずばりいっています。

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天の御国の属性としての「力」を示唆する聖句もあります。



・・・・・・・・・・
「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊ども追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところにきています」
 (マタイ伝 12:28)
・・・・・・・・・・・




創造神の御国では、悪霊は留まることが出来ず、追い出されるというのです。

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この他、イエスが「天の御国」について説いた、というくだりは、繰り返し繰り返し語られます。
「天国、神の国、天の御国」という言葉はマタイ伝だけでも、2~30回出てくるのではないでしょうか。ルカ伝でも多いです。

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他方、旧約聖書には天国という言葉は一度も出てきません。

新約聖書でイエスが出現してはじめて、天国、神の国という言葉を述べるのです。
それを「良き知らせ」として伝えているのです。





これらのことから、天国は、食べ物は豊富で、人間の罪は許され、悪魔が試みにあわせて罪を犯させることもない~そういう属性を持った空間であると推定されます。

食べ物については、イエスが、わずかのパンと魚によって、5千人を食べさせたという記録もあります。

のみならず天国は良きものすべてを持った、素晴らしい空間なのです。

「御国を来たらせたまえ」はそういう素晴らしい属性をもった天の創造神王国の空間を、私達の周囲に来させてください、という祈りである可能性が大きいのです。










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