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鹿島春平太チャーチ
「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。
過去ログが楽しいブログ
2007年04月22日
|
ヨハネ伝解読
少し忙しくなって、新しい記事の追加が遅れがちです。
けれども、鹿嶋はこの「チャーチ」を、「過去ログに豊富な知識が蓄積されているブログ」「過去ログが楽しいブログ」になることを目標にやってきました。
自分自身も、読み返して楽しく知識を更新しています。
ご訪問の皆様、どうぞ過去ログをお楽しみになってください。
気づいたら、遅いコメントも書き入れてください。
時間がたった後のコメントの方が、深いものになる場合が多いです。
思考の熟成度合いが高くなりますから。
では、お楽しみ下さいますことを。
コメント (3)
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聖書サロンのこと
(
sabia
)
2007-05-13 00:35:42
本ブログの過去ログもそうですが、昔の「聖書サロン」のメッセージを読んでみますと教えられるところが多くあります。2001~2003年頃には、現在の私の気にかかっていることが、すでに取り上げられていたことがわかり、恐縮しています。鹿嶋先生のメッセージで、特に面白い言い回しを取り上げてみます。
1.倫理・道徳で縛られるのが比較的好きな人が教会に来る。
(2001.5.14より)
『敬虔な』という形容詞は、今日、まるでクリスチャンに付けられる枕詞のようになっています。日本では、クリスチャンのイメージは、変わりつつあるようですが、まだステレオタイプ化されているようです。それを端的に示すのが、「倫理・道徳で縛られるのが好きな人たち」です。あとは、自分を責めることが好きなタイプでしょうか。
もちろん、教会がそういう人たちをも受け入れる場所でなければならないことは当然です。しかし、そんな人ばかりが集まりがちであることや、そういう生き方がクリスチャンのあり方であるかのように考えてしまうのは、問題です。聖書に関心があったり、イエスを知りたいと思って教会に来ても、ほとんどの人は辛気臭くなって、飛び出してしまうでしょう。
2.今の聖書における「神」は、信仰者だけの隠語になっている。
(2003.9.21より)
非常に重要な指摘です。隠語で何が問題かというと、ごく普通に用いられる言葉であるにもかかわらず、キリスト信仰者の間でだけは、まるで違った意味を無理に持たせられているからです。これが、臨在とか聖霊とかでしたら、誰もがキリスト教用語だと初めから意識するから問題はないのです。
クリスチャンは信仰が強まるほど、彼らの言う神であるところの創り主への理解も深まることでしょう。そして、信仰者同士の、いわば仲間内だけで、ますます、神、神、と言い合うことになります。そして、「神さま仏さま」と言っている大多数の日本人とは、話が噛み合わなくなるでしょう。
もうひとつ、問題だと私が考えているのは、哲学などのアカデミックな世界です。哲学者が、ただ「神」と書くとき、だいたいは創造主の意味で用いられるのではないでしょうか。日本の神さまを指すときは、「カミ」とカタカナで書いたりしています。彼らの間では、それが当たり前になっているので、象牙の塔にこもりがちな学者、研究者は、ゴッドとしての神の用語は、今日の日本では定着したと考えてしまいます。
専門家相手に論文を発表したり、議論しあったりしているうちは、それで支障はないでしょうけれども、街に出たり、教会で伝道するとなると話は変わります。「神さま仏さま」と並べる感覚は、今日でも日本では普通ですが、アカデミックな教育を受けた牧師さんにしてみれば、おそらく最も嫌うところでしょう。
そのため、「まことの神」とか、「本当の神さま」とか、ことあるごとに言わねばならなくなります。では、それ以外の神さまはというと、ウソの神さまですし、すべて悪霊になってしまったりします。でも、元は皆、神なのですから、創り主を、神と呼んでしまった方がおかしいといえます。
返信する
健康が守られますように・・・
(
じゅんこ
)
2007-04-26 01:26:35
お忙しくて記事の更新が遅れていらっしゃるとのこと。お体のことを心配していましたので、一安心です。健康が守られますようにとお祈りいたします。
返信する
問題意識の持続
(
sabia
)
2007-04-22 23:46:30
「時間がたった後のコメントの方が、深いものになる場合が多いです。」 それには全く同感です。一般には、ブログは更新が命! のように言われますし、常に新しい刺激を求めようとしがちです。けれども、ぐるぐる回った挙句、出発点に帰着したり、最初に読んだ本の「誰もが聖書を読むために」に答えが書いてあったりするのに気づいて反省しています。問題意識を持ち続けること、同じことを考え続けることが、結局は近道につながりますね。
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かしましゅんぺいた。
宗教社会学者。
<著書>『聖書の論理が世界を動かす』(
新潮選書)『キリスト教のことが面白いほど分かる本』(中経出版)など
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