鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.7 <訳者解説>6 ~クリスチャンによるクリスチャンの殺戮~

2016年09月14日 | バプテスト自由吟味者の道





  話を、カトリック教理統一教会が、ローマ帝国の唯一国教になったところに、もどします。

 教団はとにかく自分の方式に自由吟味教会を吸収しようとしました。


  だが、自由吟味者は従いません。

 すると教団は、国家の軍隊を用いて、自由吟味者の居所を襲い、逮捕し、処刑しました。

 この状況が延々と続いた時期が、欧州史におけるいわゆる中世時代です。

 本書の著者、ミードは、こうした時代背景のもとでの、バプテストと称された自由吟味者たちの姿を紹介し始めます。

 そして彼らが、人間の自由意志を妨げない社会を造り国家を建設していく様を描いていきます。





【ワルド派、アナバプテスト派、メノナイト派】

 本書は、バプテスト派以外の自由吟味者の群れについても触れています。

ワルド派に少々、そしてアナバプテスト派、メノナイト派にはそれ以上のスペースを割いて論及しています。

 バプテスト派は現在、自由吟味者の最大の会派になっています。

それはいま、米国南部で圧倒的に多数を占める教会を形成しています。

 次いで大きいのが、メノナイト派で、この会派は、現在米国の北西部を本拠として活動しています。





【一般教会員は自己の方式の理念が薄い】

 ところが、彼らには奇妙な実体があります。

 自由吟味方式を、、理念として明確に認識している教会員が驚くほどに少ない。

正統教理統一方式に対立する方式としての理論的自覚がないのです。

 バプテスト地域、メノナイト地域ともにそうです。


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 自覚が明確にあるのは神学教授、牧師、それに執事と呼ばれる信徒の代表者たちくらいでしょうか。

 一般教会員は生まれて以来この方式の教会の中でのみ、育ってきていて、この方式が空気のようになっているようです。

 他の方式に触れる経験を持たないと、どんな方式も、自然にあるべきものとなるのでしょう。

 彼らはそういう状態で、教会生活を続けてきています。


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 著者ミードはどうでしょうか?

もちろん彼は自覚しているでしょう。

 けれども彼は、自由吟味主義、教理統一主義といった神学知識を明示することなくして、本書を書いています。

彼は、それはいま述べた知識状況の人々をメイン読者に想定して書いているからでしょう。

 自由吟味活動を、バプテストと呼ばれるクリスチャンたちの歴史物語として書いている。

こうした人々に、バプテスト自由吟味者の、隠れてきた驚くべき働きの歴史を伝えるのを主眼にして書いている、と訳者はみています。

 だから彼は、主人公たちをあえて聖句自由吟味者と呼ぶこともしないのだと、推定します。


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 それでも、この人々の活動史は、読む者の心を躍らせるものを大量に含んでいます。

 読者も、本書の中に信教自由の源、言論自由や自由社会の原点を見出して、目から鱗を落とされることでしょう。

 感動されるでしょう。

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 ではありますが、訳者がここに述べてきたような神学的背景を知れば、理解は一層深まる。

 面白さも感動も倍加する。

   ~こう訳者は考えました。

 そこで、バプテストを敢えてバプテスト自由吟味者と訳出しました。





<片肺飛行の情報知識>

 権力をもつ側が、対抗する優れた思想を封じ込める有力な方法は、その思想の普及を徹底的に妨害し、同時に、自己の思想を大々的に広告し続けることです。

 聖句自由吟味活動は、まさにその封じ込め政策に完璧に押さえ込まれてきました。

 カトリック教団によって執拗になされた、人類史上に比類無きその政策によって、実に千二百年の長きにわたって情報封殺をされ続けてきました。

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 その結果、人類はいまだに、歴史教科書や一般専門書にもその活動記録を見ることができません。

 それらに書かれているキリスト教の諸教派は、みな、教理統一教会であるカトリック教会から派生したものばかりです。

 ルター派教会は、宗教改革でおなじみのマルティン・ルターが、「教皇という存在のない教会」を構想して実現した教理統一教会です。

 長老派教会は、信徒の代表者(長老)が教会を運営する方式の教理統一教会です。

 これは、ルターと並んで名を残している宗教改革者、カルバンの構想したものです。

 その他、教科書に出てくる教派は、みな、教理統一方式の教会だけです。

 こういう風に二つの大潮流の一方に目をふさいだ、片肺飛行の情報だけが、いまだに大手を振って人類社会をのし歩いているのは、正直言って驚くべきことです。

 読者がこれを驚かないというのならば、そのこと自体が訳者には驚異的な光景です。

 本書はその黙殺された潮流の方の、キリスト教活動を描くものです。

 それ故訳者は異例の事前知識を書きました。

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 原著書は薄い小冊子です。

 そこには深淵な内容が、短くコンパクトに描かれています。

 読者には、読み辛いところも多々あるでしょう。

 反復してお読み下さることを希望いたします。





<米国南部での呼称>


 最後に、若干の情報提供を致しておきましょう。

 米国サザンバプテスト地域では、個人の聖書自由解釈を許す思想を、バイブリシズム(Biblicism)と称しています。

 一般の辞書にはない言葉ですが、バイブリック(Biblic)は「聖書の中の具体的な語句(聖句)に則って」問い言う意味をもっています。

 米国南部英語では、これをスクリプチュラル(Scriptural)ということも多いです。

そしてバイブリシズムの、その理論的な意味は、「聖書の解釈(教理)よりも聖句そのものを上位に置く」となります。

 日本語にしたら、聖句主義となるでしょう。

 けれども、その日本語が、聖句自由吟味主義と日本人に解されるには、まだまだ、時間がかかります。

 そこで訳者はあえて、聖句自由吟味主義としているわけです。

 重層的で複雑な話ですが、読者がその意図をくみ取って下されば、幸いです。

 ちなみに、教理主義(正統教理統一主義)の米国南部英語は、クリーダリズム(creedalism)ないしはドクトリニズム(doctrinism)です。


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 では、本文に入りましょう。


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( Vol.7 <訳者解説>6 ~クリスチャンによるクリスチャンの殺戮~   完)








コメント (2)
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