鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.146 ~最終回~ 「幸せ社会の編成原理」の楽な読み方

2012年04月22日 | 「幸せ社会の編成原理」

          
              
      
『幸せ社会の編成原理』のブログ連載は前回で終わりました。
      
3月4日に開始しましたので、のべ一ヶ月半余の連載でした。
      
最終回として、これを楽に読む方法をお伝えします。

+++
      
ブログを開いた時には、いくつかの記事が巻物のように連なっています。
      
だが、個々の記事を単独で表示することが出来ます。
任意の記事のタイトルをクリックすると、その記事だけが単独で現れます。

単独表示の記事の下に、クリックによって「前の記事」にいったり、「次の記事」にいったり出来る記号が
出ています。
      
これを用いて、ページをめくるように読むことが出来ます。

+++
   
① 連載の最初の回は、3月4日です。
     
② これを出すには、まず、右側の欄をみてください。
     
③ そのなかの「月別表示」項目の内、2012年2月をクリックすると、
   (巻物の)最上部に2月の最後の記事が現れます。

   (そのタイトルをクリックすると、単独記事になります)
         
④ その下方にある、「次の記事への項目」をクリックしますと、3月4日の最初の回の記事が現れます。 
     
⑤ 以後、順に読んでいって下さい。
      
⑥ もちろん、途中の回を単独で出して、前後好きな方向に読むことも出来ます。

+++
      
~ご愛読を感謝します。
      
筆者はこれを読みやすい紙の書物にする努力を始めます。
電子書籍化も考えます。
      
平行して『聖句吟味会の手引き書』のような吟味会テキストの作成に入ります。
この連載が、扇動書で終わってしまわないために。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.145「18章 日本における自由思考空間」(7)~歴史の恵み~

2012年04月22日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
      
          
聖句の持つ精神土壌改変力に戻ります。
この力のいくつかを筆者は要素としてVol.141にひとつひとつ前記しました。

だがこういう考察はつまるところは理屈です。そして理屈の筋道は基本的に様々にたてられるものです。
そういうものは、確固とした歴史事実にはかなわない。
これがやってきたら、妥当しない理論は道を譲るべきものとなります。
      
本書はその事実を追ってきました。歴史は~
      
1. 人間の社会集団が一体となって活動するには管理階層方式をとる必要がある。

2. だがそうすれば、個々人の精神と知性ははまるで魔術にかかっていくがごとくに劣化し、みんなで悲劇に陥っていく。

3. そういう避けられない罠から、人間を回復し救い出すのは、そこに併存する自由思考空間である。
     
4. だが管理階層組織のうちには、自由思考空間を撲滅しようとする動物的本能が常時働いている。
      
5. その組織からの圧迫、迫害に耐えて「考える空間」を造るだけの精神的推進力を人間に与えるのは、聖句吟味活動である。
     
      ~という事実を秘めていました。本書はそれを明かしてきました。
      
今それを知って、聖句吟味に踏み出すか、あるいは、別の方法を探るかは、日本人個々人の選択です。
      
本書を「著者の聖句吟味会宣伝」と穿つのもいいでしょう。
     
「宗教の教典は怖い」としりごみするのも結構でしょう。
     
「日本には日本独自の道がある」と探し始める、これまた結構。
     
何でも結構、好きなようにしたらいい。それは読者の選択です。

だが批判だけしてなにもしないのは避けることを期待します。
逃げ道をふさぐつもりはありませんが、もう「責任を持った選択」をすべき時に思います。

+++
      
そしてこれだけは忘れないようにしたいと筆者は願っています。
       
人間集団は、自然なままでは管理階層システムとともに閉塞状態に陥り、自己崩壊していきます。
それを回避する道が見えない中で生きるのがいかに悲惨なことか。
それは闇の中でどちらに進んだらいいかわからないで歩いている状態です。
      
その道が歴史の中に示されたのです。
道の一端が宗教の領域に踏み込んでいようがいなかろうが~とにかく示されたのです。
      
この「歴史の恵み」への感謝は忘れないようにしたい。
それを祈って本書を閉じることにします。
     
        (完) 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.144「18章 日本における自由思考空間」(9)~虚無感も打開~

2012年04月22日 | 「幸せ社会の編成原理」

         
          
       
       
聖句吟味活動が懸案問題を直接解決してしまう力をもう一つ上げておきましょう。
この活動は1980年代以降、日本の若者に蔓延してきた無気力状態の根を絶つことも出来ます。
      
人間の無気力の心理的な源は、自価意識(自分という存在に感じる価値の意識)の希薄さにあります。
そして自価意識は、自分という存在の、存在意識のうえに乗っかっています。
なぜかというと、価値というものは存在に付加されるものだからです。存在がなくなれば、価値も消滅します。
      
その存在意識が人間には慢性的に希薄なのです。存在の根拠がわからないからです。
人は気がついた時には存在してしまっている。
そして「自分がなぜ存在するか」を疑問に思いますが、これへの納得できる答がなかなか得られないのです。

教科書にはなにかの無機物質から単純な有機物が出来、それが進化して人間は出来た、
というような話が書いてあります。
だがこの説明では、ではもとの無機物質はどうして存在したのかという疑問が残ります。
それも何か別のものからできたと言っても、ではその何かはどうして・・・と疑問は続きます。
     
      +++
      
人間が存在する理由への疑問に論理的で明快な答を与えられるのは、それを存在せしめた(創造した)存在を
前提に据える時だけです。
すると「万物をつくった創造神に創られたから」という明確な答えを得ることが出来るのです。
       
そしてこの創造神の思想を論理的に完全な形でもっているのは聖書の世界観だけです。
それを部分的に取り入れたパロディは沢山ありますが。
      
聖句吟味をすると、その体系的な思想を詳細に知ることが出来る。
知るだけでいいのです。知れば人は時とともにそれに馴染んでいきます。
馴染めば知らず知らずにそれを用いて考えもしますので、自己存在の根拠意識は濃くなっていきます。
それに従って自価意識も知らず知らずのうちに強化されていきます。
       
        +++
       
創造神の概念がないと人はただ「自分が存在する」というところから思考を進めるしかなくなります。
すると自分の存在根拠の意識が希薄になり、自価意識もまた薄くなります。
この心理の別名が虚無感です。
      
そうした虚無感は、もともと日本にはありました。
だけどそれはそれは貧しい時代には正面から人の心を襲わなかった。
日々食べられるようにするのに一生懸命で、自分がなぜ存在しているか、などを長時間思っている余裕が
なかったからです。

飢えは拷問のような苦しみなのです。

ところが飽食の時代に入ると、その疑問をまともに反芻できてしまいます。
すると虚無感は何倍にもなって人を襲うようになるのです。
     
      +++
      
日本の、とりわけナイーブな若者の多くが深い虚無感に襲われるようになって、もう三十年余が経っています。
多くの若者たちが生きる意欲を持てなくさせられ、精神の活力を失い、傷つきやすくなって
引きこもるようになっています。そうなった青少年が日本で百万人を超えたといわれてすでに久しいです。
       
幸いにも引きこもりまでにはいかずに社会組織で働いている人にも、弱い自価意識で生きている人は多いです。
こういう心理にある人間は上司が一寸圧力をかけたら容易に隷従します。
するとそれが前述した組織劣化にもつながっていきます。
      
これらの動向が、聖句吟味活動によって打開されていくのです。
自己存在の根拠意識が濃くなり、自価意識が根底から強化されることによって打開されていくのです。




     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.143「18章 日本における自由思考空間」(8)~維新以来の懸案も打開~

2012年04月22日 | 「幸せ社会の編成原理」

    
            
      
       
聖句吟味活動は、精神土壌を自由思考土壌に改変するだけではありません。
現代日本の重大問題を直接打開してしまう力も持っています。
最後にこれについて若干述べて本書を終えましょう。
      
明治維新以来、日本は西欧の科学知識を輸入し続けてきています。
維新を契機に、日本は東洋(中国)の学問から西洋の学問科学に知識の輸入元を切り替えた。

その方向自体は間違っていませんでした。
おかげで国家の近代化を他のアジア諸国に先んじて進めることが出来ました。

だがその知識の根底は今も未消化のままなのです。
     
      +++
      
 それにはやむを得ない事情がありました。
明治維新を契機に入ってきたキリスト教活動は教理主義によるものだけだったのです。
聖書は邦訳されましたが、翻訳したヘボンとその協力者たちもみな教理主義教会
(長老派とオランダ改革派でともにカルバンの教理主義思想にたつ教会)からの宣教師でした。

そこで彼らは日本で始めた教会で、聖書を抱えながらも自己の教団教理に沿った宣教をしました
(彼らは聖句主義を知らなかった)。
北海道の札幌農学校では、クラークが聖句主義スモールグループを指導して高い成果を上げていましたが、
地方の小さな点のままで広がりませんでした。

西洋の学問・知識は聖句の精神土壌から花開いています。
だからこの土壌の理解なくして知識の根の把握は出来ません。
それには聖句そのものを吟味解読することがやはり必要なのです。

それは礼拝に出て教理主義の説教を聞き、賛美歌など教会音楽ムードに浸っているだけではつかめない。
だが日本人はキリスト教活動とはそういう礼拝のようなものだと思ってきました。

そんなわけで日本人は西欧科学の根底がわからずじまいできているのです。
この状況は、社会科学をも含めて、すべての科学分野に残存しています。
     
                                                                              
      <「和魂洋才!」は悲鳴>
      
知識の根がわからないままで続けている内に、日本人は悲鳴をあげました。「和魂洋才!」の声がそれです。
それは「西洋の学問科学は学ぶが、日本固有の精神を土台にしていただく」という主旨の思想ですが、
思想と言うより幼稚なスローガンであり、よくいえば」開き直り、悪くいえばストレスによる悲鳴でした。

科学知識や技術を、その精神土壌の理解なくして十全に応用していくことなど出来るはずがありません。
多少は出来ても、底の浅い援用になる。
第二次大戦で日本がゼロ式戦闘機、ゼロ戦を発明し大きな戦果を上げたら、米国はこれに対応する戦闘機を
開発しました。日本はそれに対抗する機種を作れなかった。オリジナリティが続かなかったのです。

その類のことが作戦面でも重なって太平洋戦争は敗戦に終わりました。
それは日本近代史の様々な面で生じた科学知識の消化不全の結果でした。

こうした積年の消化不全も聖句吟味活動は、いとも容易に打開してしまうのです。

また、不思議に見えますが、知識の根まで理解すると、もうそれは輸入知識でなく「自分の知識」になります。
するとそれは独自なアイデアを産み出し続けます。

これは真の知識習得をするための鍵でもあります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする