【チヒロ視点】
真木さんが前に言っていた。
『俺もお菓子の家の住人でね。ずっとそこに居続ける。グレーテルはいらない』
……………。
どういう意味なんだろう?と、その時に思ったことを、本屋で『ヘンゼルとグレーテル』の絵本の表紙を見て思い出した。
本屋には、アロマテラピーの本を買いに行ったんだけど、レジのすぐ近くに、たぶん、今日がバレンタインだからか、お菓子の家の作り方の本が紹介されていて、その横に絵本が置いてあったのだ。
ヘンゼルとグレーテル……
家を追い出された兄妹がたどり着いたのがお菓子の家。美味しいお菓子を食べられて喜んでいたけれど、実はそこは魔女の家で……
最後は、妹のグレーテルが魔女をかまどに突き飛ばして、閉じ込められていた兄を助け出すっていうハッピーエンド。
(グレーテルはいらないっていうことは……)
真木さんは今、閉じ込められていて、そのうち魔女に食べられてもいいってこと?
(……あ、魔女といえば)
真木さんは、魔女だから、僕を太らせてから食べようと企んでるって言ってた……。
……………。
意味が分からない。
(真木さんに聞いてみよう)
そう思って、電話をかけようとしたけれど、まだお昼の12時だったので我慢した。
クリスマスイブ前日、真木さんが「いつでも電話をかけていい」って言ってくれた。話したくなったり、会いたくなったりしたら、いつでもかけていいとのことだった。
でも、何日かたってから、真木さんに「ルールを決めよう」と言われた。
1.突然電話をかけていいのは、夜の11時以降
2.その時間より前にかけたくなったら、メールをする
3.でも、大至急の時は電話をしてもいい
今は大至急ではないので、メールにした。
『グレーテルはいらないってどういう意味ですか?』
***
「グレーテルは魔女をやっつけた女の子ってことは知ってる?」
真木さんが、寝そべっている頭を少し起こして僕の方を見た。その茶色い目がとても綺麗で、思わずジーッと見てしまうと、真木さんはちょっと笑って、起き上がって、いい子いい子って頭を撫でてくれた。
今日、グレーテルのことをメールしたら、真木さんが東京に来てくれた。
週に一度か二度、真木さんは東京にくる。僕は今までみたいに、真木さんのマッサージをして、それから朝までギューってされながら眠る。今日みたいに夜ご飯を一緒に食べられることもある。
「俺、思うんだけどね」
真木さんがその綺麗な瞳を曇らせて言った。
「魔女を殺すのはおかしいよね」
「え」
おかしい?
「魔女は、飢え死にしそうだったヘンゼルとグレーテルに、食べ物と寝る場所を提供してくれたんだよ」
「…………」
真木さん、声が真剣……
でも、これはそういう話ではないような……
「でもグレーテルが助けてくれなかったらヘンゼルは魔女に食べられちゃうから……」
「どのみち飢え死にしてた二人だよ」
「…………」
真木さんはまたうつ伏せになると、小さく言葉を続けた。
「お菓子の家は、居心地の良い素敵な家。食べるものにも困らない。寒くもない。暑くもない。それを提供してくれた魔女を殺すなんて、俺にはできない」
「…………」
「たとえ自分が殺されるとしたって」
それは……どういう意味……?
「………………。真木さんは今、お菓子の家に住んでるんですか?」
「………………」
「………………」
「………………」
真木さん……寝ちゃった?
返事がないので、マッサージを終わらせることにした。道具を片付けて、そっとお布団の中に滑り込む。と、
「………っ」
ぎゅーっと抱きしめられた。胸の奥が温かくなってくる。
しばらくしてから、真木さんが小さく小さく言った。
「でも、殺されるまでは、自由に楽しく過ごしてもいいよね」
「………え」
それは……どういう意味?
聞きたかったけれど、真木さんの声があまりにも辛そうだったから、聞けなくて………。
だから、その代わり、腕を伸ばして、真木さんの頭を抱き寄せた。
【真木視点】
なんでだろう………、と思う。
チヒロに抱きしめられながら、不思議な気持ちになってくる。
10も年下の子に抱きしめられるなんて経験、初めてだけれども、とても………心地よい。沈んでいた心が軽くなっていく。それは相手がチヒロだからだろうか。
この子にはつい、素の自分を晒してしまう。
今日はバレンタイン。
せっかく東京に行くことにしたので、チヒロとの待ち合わせの前に、愛しの慶に会いに夜の病院に顔を出した。何か悩んでいるような慶に、
「なんか悩みありますって顔してるよ? 大丈夫?」
そう声をかけると、ふにゃっとした顔になった。そんな顔もかわいい。
やっぱり慶は完璧で、どう考えても彼ほど俺に似合う子はいない、と思う。
でも、慶の頭の中はあいかわらず、恋人の浩介のことでいっぱいだ。その悩みもどうやら浩介のことで……
(なんだかなあ………)
チヒロと顔は似ているのに、チヒロと違って慶の中にはいつでも情熱が渦巻いている。その熱い瞳も俺の理想通りだ。その瞳をねじ伏せて、喘がせてやりたいと思ってしまうのは、もうどうしようもない。でも、そう思うと同時に、慶の都合の良い先輩として頼られることを望んでいるのも事実だ。
「ああ、やっぱり今日、慶君に会いにくるんじゃなかったなあ」
思わず本音が漏れてしまう。
「やっぱり君はレベルが高すぎる。君に会っていなければ、チヒロでも満足できたかもしれないのに……」
「チヒロ?」
きょとん、とした慶に苦笑して見せる。
「君と顔はまあまあ似てるけど、中身は真逆の子」
そう。真逆の子。
慶に対するような征服欲はまったくおきず、ただひたすらに、俺に癒しをくれる子。
もしチヒロが慶のように情熱的で、慶のような肢体をしていたら、抱く気になって、性欲の面でも満足できるのになあ……
そんなことを思いながら、待ち合わせ時間よりもずいぶん遅れてチヒロと合流した。
でも、チヒロは文句も言わず、ひっそりと俺を待ち続けていて………
ふっと、母と父の会話を思い出した。
『やっぱり、川崎君のところの娘さんが良いんじゃないかな』
『そうね。それか、三上さんのお嬢さんか……』
『ああ、そうだな……』
具体的になってきたお見合いの話。
『やっぱりね、英明には、従順で尽くしてくれるような子が似合うと思うの』
従順で尽くしてくれる子、か。それならチヒロでいいじゃないか。
……なんてな。そんなこと言えるわけがない。
チヒロの腕の中で思う。
魔女に殺される日がくるまで、こうしてチヒロに癒されていたい。
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