どうして慶はおれなんかを選んでくれたんだろう?
おれなんて、何のとりえもないつまらない男で。
それに比べて慶は天使のように美しくて、芸能事務所の人にスカウトされたり、知らない女の子から告白されたり、とにかく人目を引く容姿をしている。
そして、頭も良くて、どのスポーツも満遍なくできて、友達も多くて、あの容姿なのに男らしくて、言いたいことは人前でもズバッと言えて……。おれにないものばかり持っている。
どうしてこんな完璧な人がおれなんかを好きになってくれたんだろう?
慶がおれを好きでいてくれてることは、よーく分かっている。滅多に口に出していってくれることはないけれど、愛されているということは、その強い光の瞳からこれでもかというくらい伝わってくる。これだけ愛を実感させてくれる人なんて、そうそういないんじゃないだろうか。
だから「愛されているのだろうか」と不安に思ったことはないのだけれども、「どうしておれなんか」という不安は常に付きまとっていた。
付き合いはじめのころ、慶に聞いてみたことがある。すると、慶は、うーんと悩んだあげく、
「お前がバカだからじゃねーかな」
と、答えた。冗談でなく本気っぽかったから、余計に意味が分からなくて、それ以来聞いていない。
それから20年以上の時が経ち、この長年の疑問に慶のお母さんが回答をくれた。
「それは直感よ」
お母さんは至極真面目な顔をして言った。
「慶は子供の頃から直感勝負の子だったからね」
「直感…勝負?」
「そう。だから理由なんて本人にも分からないわよ」
「でも……」
「まあ、もしかしたら椿に似てるっていうのもあったのかもしれないわね」
「……………」
椿さん。慶の大好きなお姉さん。お母さんはおれが椿さんと似ていると言ってくれている。似てるということで直感が働いたのなら納得ができる気がする。
「慶、言ってたわよ。浩介君と一緒にいることは、誰がなんと言おうと譲れないって。浩介君と一緒にいることが慶の幸せなんですって」
「…………」
慶、そんな話、お母さんにしてたんだ……。
「あの子、一度こうと決めると絶対に揺らがないからね。子供の頃からずっとそう。本当に頑固でね~」
「………わかる気がします」
「でしょ?」
お母さんと顔を見合わせ笑ってしまう。
直感……。
直感で選ばれたのだから自信を持っていい、ということだろうか。
確かに慶はいつでも迷わない。いつでもまっすぐだ。おれは慶のそんなところに惹かれた。
慶がおれだったら、おれの両親ともうまくやっていたのかもしれない。
……いや、その仮定はおかしいな。あの両親の息子だから、おれはこんなだし、この素敵なご両親の息子だから、慶は光輝いているんだ。
「慶の直感はいつでも正しいから大丈夫よ」
慶のお母さんがニッコリと言う。
「だから『おれなんか』なんてもう言わないこと」
「………はい」
心が温かくなる。おれも慶のご両親の子供として生まれていたら、もう少しマシな人間に育っていたのかな……。
***
その翌日の夜のこと。
一生の不覚だ。慶に対して、
「やめてくれ」
なんて乱暴な言葉を言ってしまった……。
慶には絶対に絶対に見せたくなかった顔。
慶に写るおれは、明るくて子供っぽくて甘えん坊で……。おれは慶に写る自分だけは気に入っていた。それなのに……
(せめて「やめて」で止められればよかったんだよな。普段だったら「やめてよ」ってところか……)
こんな醜態をさらす原因になった自分の母親の存在が、余計に憎くてしょうがない。
(あの女さえ来なければこんなことには……)
「浩介センセー。お待たせしましたー。………殺気もれてるわよ」
あかねがにこやかにおれに呼びかけてから、後半はおれだけに聞こえるようにボソッといった。
慌てて先生の仮面をかぶる。
「圭子先生、どうでした?」
「お店の中、きれいで雰囲気も良くて、あそこなら安心して預けられるわ」
圭子先生がうんうん肯いているのでホッとした。
目黒樹理亜……おれの勤め先の学校の卒業生の19歳の女の子……から、母親から家を追い出されてしまったと電話があったのは、ちょうどおれが慶に「やめてくれ」と言ってしまった直後のことだった。
樹理亜とあの母親は離れるべきだと思っていたので願ったり叶ったりだ。
すぐに担当教師だった圭子先生に連絡をとったのだが、圭子先生も息子さん夫婦と同居しているため樹理亜を預かることはできないというし、ホテルに泊めるのも費用の面でも、精神的な面でも不安だし、家出少女を受け入れているNPO法人にも当たってみたが、あいにくどこも一杯だし……。
困ったときのあかね頼り、ということで、あかねに連絡をしてみた。今、あかねはシェアハウスに住んでいて、一部屋空いていると言っていたからだ。
しかし、その空き部屋には今、あかねの恋人綾さんの元夫のお母さんが泊まりにきているため空いておらず……。空いてたとしたって、部屋代どうするの?払えるの?と言われ詰まってしまった。
樹理亜は現在、母親の経営するキャバクラで働いている。当然そこも辞めることになるから、新しい働き口も見つけなくてはならない……。
その話をしたところ、あかねが「住み込みの働き口紹介しようか?」と言ってきたわけだ。本当に頼りになる……。
あかねは現在、名門女子中学の英語教師をしている。その学校名は印籠みたいなもので、圭子先生もあっさりとあかねを信用してしまった。
あかねが紹介してくれたのは、新宿にある女性限定のバー。あかねが昔アルバイトをしていたところだ。
ビアンの方々の社交場的なバーなわけだけれども、圭子先生は「男の人がこないなら安心ね」などと言っている。おれは中に入れないので雨の中外で待っていたのだが、見に行った圭子先生曰く「女子校みたいで楽しそう」だそうだ。
明日、樹理亜が退院したら面接をお願いすることになる。ここで落とされたらふりだしに戻ってしまうわけだが、あかねが落とされることはないから大丈夫、と言うので信じることにする。
本当はあかねに慶や母親のことを相談したかったのだけれども、あいにく圭子先生がいたため話せないまま、終電の時間になってしまった。
『様子おかしかったけど大丈夫?』
別れてからすぐにあかねがメールをくれた。
『大丈夫じゃない。今度相談のって』
即レスすると、あかねから、空いている日にちと時間と、
『くれぐれも早まらないように。何かするときも言うときも一呼吸置いてから』
と、説教じみた返信がきた。
一呼吸置いてから。
心に留めて、帰路へとついた。
親に対するこのどす黒い殺意……慶には絶対に見せたくない。こんなものに触れたら慶が穢れてしまう。
***
帰宅したのは深夜1時過ぎ。また母親のことを言われたら、と思うと憂鬱で、ついつい歩みも遅くなってしまった。慶が良かれと思っていってくれてるのは分かっているけれど、慶が考えているほど単純な話ではない。幸せな家庭に育った慶にはおれの気持ちは理解できないと思う。
おれはいつまで親の影に怯えながら暮らさないといけないのだろうか……。
「………ただいま」
電気がついていたので、小さく言って中に入ったのだが、
「………慶」
ほうっと思わずため息がもれてしまう。
ソファの上で丸くなってうたた寝をしている慶。白いひざ掛けに包まっている姿は、本当に地上に下りてきた天使そのものだ。
手を洗ったり、水を飲んだり、と音を出したが起きる気配もなく……
仕事をしていたようで、ローテーブルの上にはノートパソコンと書類の束と本が開きっぱなしになっている。でも眠ってしまってからはしばらく経つようで、パソコンはスリープモードだ。
ゆっくり近づいてみる。きれいな横顔。柔らかい髪。このすべてがおれのもの。
見惚れてしまう。すっと通った鼻梁。形のよい唇。奇跡のように完璧な顔。人形のようだ。
そう。眠っている慶はまるで人形のよう。でもその瞳が開くと途端に生き生きと光輝いてくるのだ。
「慶………」
その愛しい額に口づける。唇を離し………
「!!!」
息を飲んだ。なんだ……これ……
今、おれが口づけた場所に、黒く染みのようなものができている………。
「なに、これ………、!!」
拭おうと額に手を滑らせて固まってしまう。
今、おれが触れたところに、染みが広がっている。慶の白皙に醜悪な黒い染みが……
「………浩介?」
「!」
慶がゆっくりと目をあけ、体を起こした。んーっと伸びをする慶。
「あー、全然途中なのに寝ちまった。で、どうだった?」
「あ………」
「どうした?」
「!」
触れられそうになり、思いきり振りはらう。でも、振り払ったときに当たった手が……慶の細くて綺麗な手にまで黒い染みが……
「………どうした?」
慎重な様子で慶が言う。とっさに慶から離れる。慶、額から左目の方にかけて黒い染みができてる。
「浩介?」
「………こないで」
慶と距離をとりながら後ずさる。
「黒い……染みが」
「え?」
「おれに触ると、黒い、染みが………」
「…………」
慶の静かな瞳。ただ、静かにおれを見返している。
でもやっぱり、おれが触れたところは黒いままで……。
ああ、おれのせいで慶が汚れてしまう。やっぱりおれは慶と一緒にいてはいけないんだ。
「おれがいたら慶が汚れちゃう……」
「浩介」
「ごめん、慶、おれ……」
愛おしい慶。大好きな慶。汚したくない。
「もう一緒にいられ……、!」
一瞬のことで避けようもなかった。気がついたら、慶がおれの目の前に立っていて、
「け……っ」
「浩介」
首に手を回され、力ずくで下を向かされた。
「ダメだってっ」
重なった唇を無理やりはがす。
ああ、ほら、慶の綺麗な赤い唇にまで黒い染みができている。頬にも顎にも……。
「だから、慶、黒い染みが……っ」
「いい」
慶が何でもないことのように言う。
「黒くなるってんだろ? だったら全部黒くしろよ? 黒ブチじゃ格好がつかねー」
「け……っ」
慶がおれの手をとる。途端に慶の両手も染みで染まっていく。
「慶、やめて……っ」
「いいから」
強く掴まれた手で、慶の頬を囲まさせられる。白かった右の頬にも黒が浸食していく。
「慶………」
「あとはどこだ?」
手を滑らされ、触れさせられた首も黒くなっていく。
「あとは……」
ポツポツとパジャマのボタンを外していく慶。
「おれの全部に触れろよ。そうすりゃ全部同じになるだろ」
「……………」
どうしてこの人はこんなに揺るぎがないんだろう。
どうしてこの人の目はこんなに真っ直ぐなんだろう。
愛おしすぎて胸が苦しい。涙が止まらない。
「そんな理由でおれから離れるなんて許さないからな」
ぱさりとパジャマをソファーの上に放り投げて慶が言う。
「まあ、どんな理由でも許さねえけどな」
「慶」
泣き笑いのまま、慶を抱きしめる。
慶の白い胸も背中もおれが触れた通りに黒くなっていく。
それでも、慶はおれと一緒にいてくれるという。
おれも、慶と一緒にいたい。


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