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風のゆくえには~ あいじょうのかたち6(慶視点)

2015年06月05日 13時05分37秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

 目黒樹理亜の母親が弁護士をつれて病院に押しかけてきたのは、バレンタインの翌々日のことだった、らしい。

 らしい、というのは、おれは診療中でその場に呼ばれなかったため見ていないからだ。
 その場に呼ばれた看護師の西田さんによると、「院長、かっこよかったですよ~!」とのことだ。

 樹理亜の母は、娘に精神的苦痛を与えたことによる慰謝料の請求、をしてきたらしい。
 おれが彼女をこっぴどく振ったことになっていて、「未成年の娘に対して医師がそのような態度をとるのはいかがなものか。娘はあれ以来食事も喉を通らない」と、たいそうご立腹だったそうで……。

 黙って聞いていた院長は、おもむろにノートパソコンの画面を弁護士に向け、
「樹理亜さんのこの行動は脅迫罪に当たるのではと思うのですが、先生はどう思われますか?」
と、防犯カメラの映像に西田さんが録音していてくれた音源を合わせたものを見せたそうだ。
 
 弁護士は「聞いていた話とずいぶん違う」と飽きれたように言い、ぐずる母親を無理に立たせてすぐに退散してくれたらしい。


「ご迷惑をおかけして………」
 院長室に呼び出されたので、てっきりその件かと思って即座に頭を下げると、院長である峰先生は肩をすくめて、

「目黒樹理亜の件か? 別にそんなのは迷惑のうちに入らねえよ。気にするな」
と、言ってくれ、「そんなことより」と口調を変えた。

「今度の日曜日、午前だけって言ったけど、午後も出られるか?」
「? はい。大丈夫ですけど……」

 今度の日曜日、この地域で『福祉祭り』というイベントが行われるらしい。会場は地元小学校の校庭と体育館だ。毎年、この病院では『健康チェックブース』というのを出店しているそうで、その手伝いをするように前々から言われていたのだ。

「イケメン渋谷先生は何時にいるのかって、問い合わせが何件もきてる。午前だけだって答えても、自分は午後からしかいけないから何とかしろって無茶苦茶言う奴までいてなー。めんどくせーから、午後もいてくれや」
「………はい」
「片付けには参加しなくていいからよ。3時までな」
「わかりました」

 こっくり肯くと、峰先生はヒヒヒと笑っておれの肩をたたいた。

「お前も大変だなー。でもこっちはおかげで患者数右肩上がりで助かってるけどなー」
「………………」
「ホント、口コミってすげえよな。ママ友ネットワーク恐るべしだよ」
「あの……そのことなんですけど……」

 この機会なので、ずっと不安に思っていたことを口にする。

「おれがゲイだってこと知られたら、それこそ口コミであっという間に広がって、大打撃うけることになりませんか?」
「んあ?」

 峰先生がコーヒーを飲みながら、首をかしげる。

「まー…大丈夫じゃね?」
「そんな軽く……」
「ほら今、おねえとか流行ってるし」
「………おねえではないんですけど」

 なんか混同されてるけど、おれは単なるゲイであって、女装癖もない。性同一性障害でもない。
 ………なんてことは面倒くさいので言わない。

 峰先生は、まあまあ、と再びおれの肩をたたくと、

「お前ホント真面目だよなー。なるようになるからいいんだよ。そんなことイチイチ悩んでたら禿げるぞ?」
「……………」
「とりあえず、福祉祭りの件よろしくな。これが集客アップにもつながるんだからな? あと健康診断の宣伝もな」
「………はい」

 峰先生はすっかり経営者の顔をしている。でもこれほど理解のある雇い主はそうそういない。


***


 福祉祭り当日。
 朝まで降っていた雨も何とか上がり、客足も上々。病院のブースは大繁盛となった。
 おれも朝から何人分の血圧を測ったのか、数え切れない……。

 さすがに作り笑顔に限界がきた、もうすぐ終了、という時間に……
 
「お願いします」
「!!!」

 聞き覚えのありすぎる声にぎょっとして顔をあげた。

「こ………っ」
 叫びそうになり、慌てて言葉を飲み込む。

 変装のつもりなのか、眼鏡をかけている浩介……。
 来るなって言ったのにっ。

「………左腕出してください」
「はい」

 しれっと左腕を出してくる様子に、既視感をおぼえた。

(ああ……昔バイトしてたときもこんな感じだったな)

 大学時代、おれがバイトしている喫茶店に、浩介は他人のフリをしてしょっちゅう来ていたのだ。その時もこんな風に素知らぬ顔をしていた。

「はい……ああ、いいですね。正常値も正常値。正常値のど真ん中です」
「………血圧まで平均値か」

 苦笑した浩介に、思わず笑ってしまう。
 浩介は友人のあかねさんに『平均値男』と揶揄されているのだ。おれに言わせれば、浩介は30~40代男性の平均身長より5cmも高いし、国内トップクラスの大学に現役合格してきちんと4年で卒業しているし、平均より上なことが多いと思うんだけど……。
 しかも、血圧は……

「いや、『平均値』じゃなくて『正常値』だから」
「ああ、そっか」

顔を見合わせ吹き出してしまう。……いかんいかん。

「じゃ、次は肺活量の計測へどうぞ」
「はい。ありがとうございました」

来たとき同様、しれっとその場を去る浩介。

(………おれも単純だよなあ)
 このほんのわずかな時間で、少し元気が復活した。終了時間まであと数分。何とか頑張れそうだ。

「渋谷先生、あと5名です」
「はい。ありがとうございます」

 受付を担当している看護師の谷口さんが報告に来てくれた。彼女は働き始めてまだ2年目らしいけれど、気が利くし、落ちついているので頼りにしている。

 そろそろ祭りの終了時間だ。見渡すと、片付けをはじめているブースもある。
 ああ、あそこのクッキーおいしそうだったのに買えなかったなあ……浩介買ったかな……。

 そんなことを頭の隅で思いながら、4名終わり、最後の一人。

「………あれ?」
 すとん、とテーブルを挟んだ目の前に座ったのは、丸い黒縁眼鏡にニット帽をかぶった小柄な女の子。
 見たことある……と思った瞬間、頭の中で一致した。

「……目黒さん?」
「……はい」

 目黒樹理亜はぎこちなく肯くと、左腕を差し出した。手首にいくつも傷がある。

 視線が定まっていない。嫌な予感がする……。

 けれども、今は何ともしようがない。

「……血圧、測るね?」
 普通を装い、血圧計を手にした、その時だった。

「……目黒さん?!」

 樹理亜がおもむろに右手を振り上げた。その手には……カッター?!

「ちょ……っ」

 血圧計を持っていたせいで反応が遅れた。
 樹理亜のカッターが、彼女自身の左手に振り下ろされる……!

「目黒さ……っ」
「!!」

 ザッと切りつけられ、血が……

「………………?!」

 切りつけられた先にあった手は、樹理亜のものではなく……

「………いってえ」
「浩介?!」

 ざっくりと、浩介の大きな手の甲に真一文字の赤い線が……。
 浩介の右手が樹理亜の左手をかばったのだ。

「な……っ」

 樹理亜が蒼白になって持っていたカッターを地面に落とした。
 浩介の手から、ポタポタと血が流れおちる。

「浩介……っ」
 とっさに手を心臓より高い位置にあげさせる。

「樹理ちゃん?!」
 隣で肺活量計測を担当していた心療内科医の戸田先生が異変に気が付いて悲鳴まがいの声をあげた。その横にちょうど看護師の谷口さんがいる。

「谷口さん、救急セット!」
「はい!」
 機敏に動く谷口さんを横目に、浩介をテントの内側に引っ張り込み、椅子に座らせる。

「ちょっと我慢しろ?」
 ハンカチを傷口に当てて止血を試みるが、あっという間に血で染まる。止まらない……。

「な、なんで……なんで」
 口に手を当て、震えている樹理亜の姿にイラッとする。
 お前のせいで……お前のせいでっ。

「戸田先生! 目黒さん、どっかに連れていってください!」
「は、はい」
 戸田先生がそこらへんのものを落としながら樹理亜に近づき、腕をとった。樹理亜のことは視界に入れたくない。

「浩介………」
 止血しているハンカチからも血が滴り落ちている……。

「目黒さん、大丈夫かなあ」
「この馬鹿っ」

 呑気なことを言ってる浩介を怒鳴りつける。

「自分の心配しろっ。無茶しやがって」
「いやあ、とっさに手が出ちゃって」
「出ちゃって、じゃねーよっ」
「渋谷先生!」

 谷口さんが救急セットを持ってきてくれた。助かった。

「ガーゼください」

 いったんハンカチを外す。ぶわっと血があふれだす。
 ……深い。縫合が必要なレベルだ。

「浩介……」

 血が地面に流れ落ちる。浩介の血が、流れ落ちていく。

 だめだ。冷静でいられない。
 止血……止血をしなくては……

「ガーゼです。……先生?」

 谷口さんが渡してくれたガーゼを取り落してしまった。
 手が震えて……

「……くそっ」
 手が震えて、うまく動かない。

 浩介の血……浩介が………浩介が……浩介が……っ。

「慶?!」

 ぎょっとしたように浩介が叫んだ。
 おれが自分の手首を思いきり噛んだからだ。震えが……止まった。

「すみません、ガーゼください」
「は、はい」

 ガーゼで上から強く抑える。
 止まれ止まれ止まれ止まれ……っ。

 ものすごく長い時間が過ぎたように感じたけれど、実際は数分といったところだろう。
 染み出てくる血の量が減って、一息ついていたところ、

「え、渋谷先生、怪我人? 大丈夫?」
 今日一緒に参加していた内科の荒木先生と清水先生が気がついて声をかけてきた。

「ええ、ちょっと……」
「すみません。僕が不注意で怪我をしてしまって」
 浩介がニッコリという。
 少しも痛くないような顔をしているので、先生方もたいした怪我ではないと思ったようだ。

「片付けはじめちゃっていい?」
「あ、はい。お願いします」

 お祭り自体終わりの時間なのだ。どこもみんな片付け始めている。
 浩介を促し、近くの植え込みの縁に移動し、引き続き止血をする。

「慶、片付け行かなくていいの?」
「おれは朝から出てるから片付け免除って言われてんの。余計な心配すんな。……あ。谷口さんありがとう」

 谷口さんが様子を見ながら、ガーゼの替えを渡してくれる。本当に気が利く子だ。

「渋谷先生」
 ふいに、後ろから声をかけられた。戸田先生の声。

「病院に戻りますか? 車出しますよ」
「あ、はい。お願……」

 振り返り言葉を止めた。ニット帽が目に入ったのだ。戸田先生に肩を抱かれた目黒樹理亜……。下を向いていて表情は見えない。

(………このっ)
 腸が煮えくり返る、とはこのことだ。
 故意でないにせよ、浩介にこんな………っ

「あ、目黒さん。怪我はない?」
「!」

 飄々と言う浩介。まったく、こいつときたら……っ。

 腹立だしいままに、止血の手に力が入る。視界に樹理亜を入れないようにして戸田先生に言う。

「車、お願いします」
「はい。正門の前まで持ってきますので」
 戸田先生に抱えられるようにして樹理亜も歩いていく。

 ガーゼを取り様子をみてみる。なんとか血は止まりつつあるようだ。
「ああ、良かった」
 谷口さんがホッとしたように息をついた。ここにいたのが彼女で本当によかった。他の看護師……西田さんあたりだったら、大騒ぎされていたところだ。

「谷口さん、病院に連絡して縫合の準備を……」
「え、縫合って縫うってこと?」

 浩介が驚いたように叫んだ。

「うそっ。そんな大袈裟な……」
「うるせえ黙れ」

 座っている浩介の足を軽く蹴ると、再び谷口さんに向き直る。

「で、病院に……」
「は、はい。しておきます!」

 谷口さんがコクコクうなずき、心配げにおれを見返した。

「あの……大丈夫ですか?」
「ああ、ほとんど止まって……」
「そのことじゃなくて」

 谷口さんがすっとおれの右手首を指した。

「歯型……ついてます」
「あ………」

 まずい。変なとこ見られたな……。

「あ、いや大丈夫。ありがとう」
「そうですか……」
「じゃ、悪いんだけど、後のことお願いします」

 色々つっこまれる前に退散しよう。
 さっと包帯でまくと、浩介を促し、正門に向かう。

「左手で押さえて、心臓より高い位置にしとけ」
「はーい」

 浩介、妙に機嫌が良い……。痛くないのか? それはそれで問題だ。

「お前、まさか痛くねえのか?」
「痛いよ~すっごく痛い」

 でもニコニコしてる……。

「じゃ、なんでそんな嬉しそうなんだよ?」
「だってさ~」

 へへへへへ……と笑う浩介。

「おれ、愛されてるなあ~~と思って」
「は?」

 意味分かんねえ。

「何をどうしたらそういう結論になるんだよ?」
「だってさー、慶ってお医者さんモードだといつもすごい冷静じゃん? 前に目の前で交通事故があったときだって、テキパキ対応してて、めちゃめちゃかっこよかったし、あっちにいたとき、血まみれの子供が運びこまれたときも冷たいくらい冷静だったし」

「……そんなことあったな」
「だからさ」

 浩介が立ち止まり、こちらを見おろした。

「さっきみたいに動揺した慶、初めてみた」
「…………」
「不謹慎なんだけどね、すっごく嬉しくなっちゃって」

 にっこりとする浩介。

「愛のしるしだな~と思ったりして。その歯型」
「!」

 とっさに右手首を隠す。
 いや、自分でも驚くほど動揺して……。くっそー。

「あほかっ」
「痛ってーーーーっ」

 後ろ太腿に蹴りをいれると、浩介が大げさに悲鳴をあげた。

「先生、おれ、怪我人。もっと大事に扱ってくださいっ」
「うるせえ。もーお前、麻酔なしで縫合な。ちょっとはそのお花畑な頭がすっきりするだろ」
「お花畑って」
「花畑だよ。ホントによ……」

 促して再び歩きはじめる。

「もう絶対にやめてくれよ?」
「? なにが?」
「何が、じゃねえだろ」

 蹴るか殴るか頭突きするか抱きしめるかキスするか、いずれかしたいところを全部ぐっと我慢する。

「誰かをかばって怪我、とかそういうの」
「………ごめん」

 はっとしたように謝った浩介の背中に、そっと手を添える。

「おれ、お前に何かあったら……」
「慶………」

 あらためて思う。何よりも浩介が大切だ。傷つけたくない。守りたい。その気持ちは高校時代からずっと変わらない。きっと何年何十年たっても変わらない。

 正門の前についた。まだ車はきていない。
 帰るお客さんや、荷物を運ぶ関係者がおれ達の目の前を通り過ぎていく。

「……慶」
 ぽつん、と浩介がつぶやいた。

「ん?」
「今、抱きしめたら怒る?」
「…………殴る」
「じゃ」

 手を伸ばしてくる浩介。おいおい。

「だから殴るって言ってんだろっ」
「いいよ」
「いいよじゃねーっていうか、それ以前にお前、手! あげとけっ」
「えー」

 浩介はムッとしたまま、右手をブラブラと上にあげたが、

「あ、いいこと考えた。慶、そこの花壇の縁の上に立ってよ」
「なんだと!」

 浩介が指さしたのは高さ20cmくらいの煉瓦の縁。
 浩介とおれの身長差は13cm……。くそーっ。

「ちょっと背が高いからってばかにしやがって!」
「わわわっそんなつもりじゃっ」

 ぐりぐりと脇腹に拳をねじ込んでやると、浩介がケタケタ笑いだした。おれもつられて笑ってしまう。
 浩介といると笑ってばかりだ。

「あ、あの車。あれじゃない?」
「そうだな……」

 向こうからやってくる白いワゴン車……。助手席に目黒樹理亜の姿がある。
 目を尖らせたおれに気がついて、浩介が顔をのぞきこんできた。

「慶、目黒さんのこと怒らないでよ?」
「…………」
「慶?」
「……分かってるよ」

 頭をぽんぽんとされ、嫌々うなずく。

 この世で一番大切なものを傷つけられて平気な顔をしていられるほど、おれは人間ができていない。
 目黒樹理亜とは今後一切関わりを持たない、と強く心に誓った。



--------------------



長くなっちゃった。
今回書きたかったシーンは<震えを止めるため自分の手を噛む慶>でした。

慶さん、わりと冷静だし、直接的な言葉(好きとかそういうの)言わない人なんですが、
こういう行動の端々に、浩介のことがすっごく好きってことが出てしまうわけです。はい。

次は浩介視点。


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風のゆくえには~ あいじょうのかたち5(樹理亜視点)

2015年06月03日 10時37分47秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

 若さは最強。

 ママちゃんも、杉さんも、吉田さんも、お店のお客さんみんな言ってる。
 だから今、この若さを武器にしないでどうするの、ってみんな言ってる。


「樹理ちゃん、ホントすべすべだね~お水弾くね~」
「だって若いもーん」

 いつものように杉さんが私の手をなでなでしてくる。
 嫌だったら断りなさい、なんておかしなことを言ってくる人もいるけど、意味が分からない。
 全然嫌じゃない。なでなでされたら気持ちいい。
 もうおじいちゃんな杉さんの手はごつごつしてて水分がない。ベタベタしてないからいい。

「ねえねえ、やっぱり若い方がいいよねー?」
「そりゃそうだよ~」

 吉田さんがお酒を作りながらうなずいた。本当はあたしがやらなくちゃいけないらしいけど、吉田さんはいっつも自分でしてくれて、一緒にきてる杉さんの分も作ってくれる。とってもいい人。

「じゃあさあー……女優さんみたいに綺麗な30過ぎの人と、あたしだったらどっちがいいー?」
「それはー……」

 二人、顔を見合わせた。

「………もちろん樹理ちゃんだよ」
「今の間、なに?!」

 即答しなかった!

「ひどい! ひどいひどいひどいーーー!」
「樹理ちゃん、落ちついて」
「樹理……」
「樹ー理ー亜!」

 その場にあったコップを投げようと振り上げたところで、いきなり後ろから抱きつかれた。大好きな柔らかい感触。途端に心が落ちつく。

「ママちゃんっ」
 振り返ると、大好きなママちゃんがいた。
 ママちゃんは、あたしの本当のママで、このお店のママでもある。

「杉さんも吉田さんもひどいんだよー」
「うんうん。聞いてた聞いてた。ひどいね~」

 ママちゃんがイイコイイコしてくれる。

「ママ。助かったー。また樹理ちゃんが暴れるかと思ったよ」
「二人が怒らせるようなことするからでしょー?」

 ママちゃんがストンとあたしと吉田さんの間に座った。

「で、樹理亜? 30過ぎの女優みたいな人って、誰なの?」
「先生の奥さんー。すごい美人だったのー。あたしやっぱり負けちゃうかなー」
「そんなことないよ!」

 杉さんが再び手をすりすりしてくる。

「この水水しさには叶わないよ」
「そうだね。やっぱり若さアピールの色仕掛けが有効だね」
「そうだよねー! あたし頑張るー!」

 ガッツポーズを作ってみせると、杉さんと吉田さんが「よっ樹理ちゃん!」「頑張れっ」と掛け声をかけてくれて、ママちゃんはニコニコしてくれた。近くの席のお客さんも「何か分からないけど頑張れー」って拍手してくれた。このお店に来る人はみんな温かい。


**


「不倫なんて、何もいいことないわよ?」

と、戸田ちゃんが真面目な顔をしていった。

 戸田ちゃんは心療内科の先生で、歳は30代前半、らしい。すごい厚化粧でパンダみたいな目をしてる。
 心療内科には不安な気持ちを落ち着かせるお薬をもらうために、時々通うようにしてる。

「えーどうしてー?」
「お医者さんとしてじゃなくて、人生の先輩として言うけどね?」

 戸田ちゃん、器用にくるくるペンを回してる。

「まず、渋谷先生は真面目そうだから、浮気するとは思えないけど……、まあ、例えば、ここで、樹理ちゃんが渋谷先生を略奪したとしましょう」
「うんうん。略奪愛ってやつね!」

 略奪愛……素敵な響き。

「そうしたら、きっと、樹理ちゃんは一生、不安なままよ?」
「………不安?」
「第二の自分がいつ現れるかって、ずっと不安なまま過ごすことになる」
「第二の……自分?」

 なんだそれ?

「自分も略奪できたってことは、今度は自分がされる番になるってことでしょ」
「それは……」
「樹理ちゃん、若さを武器にしたいみたいだけど、10年たったらアラサーだからね? 10年後、自分みたいな10代の女の子が現れて……」
「あーーーもーーーーいいよっ」

 耳をふさぐ。

「そんな先のこと考えたくないっ」
「……それに何よりね」

 戸田ちゃんのペンがぴたりと止まった。

「人を不幸にして手に入れる幸せなんて、続かないわよ?」
「……………。それは、戸田ちゃんの経験談?」

 戸田ちゃんは、三秒ほど黙ってから、「さあね」と言って、パソコンに向かってパチパチ打ち始めた。

「いつものお薬出しておくから、また来週来てね?」
「……先生のこと、あきらめたほうがいいと思うー?」

 言うと、戸田ちゃんは大きくうなずいた。

「おすすめできないわ。樹理ちゃんにはもっとふさわしい相手がいると思う」
「…………ふーん」

 でも、そんなことはあたしが決めることだ。
 今週末の土曜日はバレンタイン。勝負の日だ。


***


 土曜日の小児科の診察は、午前中だけ。12時までになっている。
 でもあいかわらずの大盛況で、全員終わったのは、2時近くだった。
 そして終わったはずなのに、小児科の待合室には10組くらい親子がいる……どういうこと?

「あのー…今日は午後も小児科あるんですか?」
 感じのよさそうな親子連れの母親に聞いてみると、まわりのママ達もドッと笑った。

「いえいえ、違うのよ~。この子たち、渋谷先生のファンでね~。みんなバレンタインのチョコ渡したいって言って……」
「ねー?」

 あ、ホントだ。上の子は全員女の子だ。幼稚園くらいかな……。
 でも「この子たち」がファンだという割りには、ママ達も化粧に気合い入ってる気が……。
 
「あ! 渋谷先生だ!」
「せんせーい!」

 わっと子供たちが一斉に、処置室の出口から出てきた渋谷先生を取り囲んだ。
 渋谷先生はみんなが待っていることは聞いていたようで、驚いた様子もなく、待合室の端のベンチにみんなを誘導すると、座って一人一人と話しはじめた。

(………天使だ)

 本当に天使だ、と思う。優しい微笑みを浮かべて子供に囲まれている天使。お昼ご飯もまだだろうに、嫌な顔一つしてない……。
 わあわあきゃあきゃあと写真撮影までして、10組の親子連れは帰っていった。

「あのっ渋谷先生………っ」
 親子連れがいなくなったタイミングを見計らって、先生に声をかける。

「あの……っこれっ」
 えいっとチョコを差しだす。ママちゃんおすすめのめっちゃ高いチョコレート屋のチョコ。

「これは……?」
「バレンタインのチョコレートです! 受け取ってください!」
「…………」

 渋谷先生は、「うーん……」と言いながら頬をポリポリとかくと、

「ごめんね。受け取れない」
「え! どうして?!」

 さっき、あの子たちからのチョコはもらってたのに!

「あの子たちは、全員患者さんだからね。お返しも経費で落ちるんだよ」
「け……」

 けいひ? 意味が分からない。
 渋谷先生は淡々と続ける。

「目黒さんはおれとは何も関係ないから、もらうことはできないよ」
「関係ないって……っ」

 ひ、ひどい……。

「じゃあ、これから関係もってください! あたしと付き合ってください!」
「ごめん。無理」

 バ、バッサリ……。
 渋谷先生の顔から笑顔が消えてる。ちょっと……怖い。

 でも頑張って食い下がる。

「そ、それは……奥さんがいるからですか?」
「…………」
「奥さんのどこが好きなんですか? 美人だからですか? 背が高いからですか?」
「…………」

 渋谷先生は、大きく大きくため息をついた。

「顔とか背の高さとか、そんな外側のことはどうでもいいよ」
「じゃあ、どうして……」
「ずっと一緒にいたいと思う大切な人だからだよ。だから悲しませるようなことは絶対にしない」
「…………」
「ここのお店、すごく高いよね? せっかく買ってくれたのにごめんね」
「…………」

 なんだそれ。なんだよそれ……。

「奥さん、いくつ?」
「え?」
「もう30越してるよね? ほら、見て。あたしの足」

 しゅっとスカートをたくし上げる。

「きれいでしょ? 水水しいでしょ? はりもあるでしょ? いいなって思わない? 試してみたいって思わない?」
「………目黒さん」

 渋谷先生、また大きく大きくため息をついた。

「あのね、本当に愛している相手だと、その人の張りのなくなった肌であろうと、白髪であろうと、全部が全部愛おしいって思えるものなんだよ?」
「……………」

 そのセリフ……先週聞いた……。

「それ、ドラマとか映画とかのセリフ?」
「? どうして?」
「こないだ同じこと言ってた男の人がいるの。前通ってた学校の先生なんだけど」
「…………」
「渋谷先生よりちょっと年上くらいかなー。フツーのオジサンだったけど」
「…………」

 渋谷先生はなぜか結婚指輪をぎゅっと握ってから、顔をあげた。

「目黒さん、おれのこといくつだと思ってる?」
「え? さんじゅう……に? さん?」
「40だよ」
「え?!」

 40?!

「もうすぐ41」
「うそっ」

 ママちゃんより年上?!

「もしかして、目黒さんのご両親より年上なんじゃない?」
「う………うん」
「目黒さんにはおれなんかじゃなくて、もっとお似合いの相手がいると思うけど?」
「そんな……っ」

 あたしは子供すぎて相手にならないってこと?!

「あたし、もっと年上の人とだって付き合ったことあるよ! 年上全然オッケーだよ!」
「目黒さんがよくても、おれがよくないから」

 ぴっと手で制された。結婚指輪が光ってる左手……。

「じゃあ…」
「先生、待って」

 行きかけた先生を呼び止めて、思いっきり自分のブラウスを引きちぎる。

「この状態で、あたしがここで悲鳴をあげたら、どうなると……」
「残念だけど」
「!」

 すっと無表情に見返された。ドキッとするほど冷たい目……。

「そこの防犯カメラに全部写ってるから。それに……」
「………目黒さん」

 柱の陰から看護師が出てきた。よりによってあのガサツな西田サンだ。

「全部聞いてたよ?」
「……………っ」
「ボタン、取れちゃったやつ、付け直してあげる」

 西田サンと入れ替わりに、渋谷先生が行ってしまった。振り返りもしない。
 冷たい……冷たい人だったんだ……。

 裏切られた。天使なんて大嘘だ。悪魔みたいに怖い人だ。



------------------------------------------------


モテる人って大変だよねー。って話でした。
慶さん、心の中で「めんどくせーなー」って思いながら帰っていったね……。
次回はそんな慶さん視点のお話。


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風のゆくえには~ あいじょうのかたち4(浩介視点)

2015年06月01日 10時08分14秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

「それがねー…天使、結婚してたのー……」

 しょぼんとした声。ピンクの頭の目黒樹理亜が、職員室の応接コーナーで圭子先生とお菓子を食べながらしゃべっている。
 偶然、慶の診察を受けたという樹理亜。天使みたいなお医者様に運命感じた、と前にきたときは話していたが……。

「結婚って、聞いてみたの?」
「ううん……指輪しててー……」

 よしよし。指輪効果出てるな。先日、おれとお揃いの指輪を作ったのだ。女よけに最適だ。
 内心ほくそえみながら、自分のデスクでテストの丸付けに精を出していた、が、

「それでねー見ちゃったのー。奥さん、すっごい美人だったのー」
「え……っ、ゴホッゴホッ」

 思わず、え、と言ってしまって、慌てて咳をして誤魔化す。樹理亜と圭子先生は一瞬こちらに目をやったが特に気にした様子もなく再び会話に戻っている。

 奥さん、すっごい美人……って?

「美人って……会ったの?」
「ううん。あのねーこないだ後つけてみたのねー」
「樹理ちゃん、またそんな……」
「バレてないから大丈夫だよー」
「そういう問題じゃないでしょ」

 圭子先生が、珍しく真剣な声で咎めている。後をつけたって……それに「また」って……。

「でねでねー駅についたらねー女の人が『けいくーん』とか言って走ってきてねー」
「………それで?」
「その人が、すっごい美人だったのー。天使よりちょっと背高くて、スラっとしてて……」
「…………」
「で、天使が、その人の持ってた買い物袋をさっと持ってあげてさー。中身、牛乳だよ牛乳。なんか生活感あふれてるっていうかさー」

(………あかねだな)

 ホッと胸をなでおろす。話を総合するに、その美人はあかねで間違いない。
 あかねというのは、おれの友達で、今住んでいるマンションを貸してくれている。
 つい先日、うちに遊びに来るあかねに牛乳を買ってくるよう頼んだことがあった。その時、偶然慶に会ったとかで、一緒に帰ってきたんだった……。

「じゃあ、もう、その天使先生はあきらめないとね?」
「えー? あきらめないよー?」

 圭子先生の言葉に、きょとんと樹理亜が言う。

「だって、そんなの奪っちゃえばいいだけじゃーん」
「奪うって、樹理ちゃん……」

 奪う? 何言ってんだ? この子。

「確かに奥さんすごい美人だったけど、歳だもーん。おばさんだもーん。30過ぎてたもーん」
「……………」

 あかねさん、言われてますよ……。

「その点、私はまだ19歳! 若い方がいいに決まってるでしょー?」
「樹理ちゃん」

 60歳近い圭子先生があきれたように、

「そういう問題じゃなくて、結婚してる人に……」
「ねー! そこの先生!」

 圭子先生の言葉を遮って、樹理亜が叫んだ。

 そこの先生………。おれか。

「ねえねえ、先生?」
「え? おれ? 何?」
 丸付けに夢中で、君たちの話なんて全然聞いてませんでした風を装って返事をする。

「先生もやっぱり若い子のほうがいいでしょー? 奥さん若くならないかなーって思ってるでしょー?」
「……………」

 おれも指輪をしているので、妻帯者だと思ったらしい。
 答えていいもんかな? と思って圭子先生を見ると、圭子先生が肩をすくめて「どうぞ」という仕草をしたので、軽くうなずく。

「いや……そんなことないよ」
 樹理亜を正面から見返す。ピンクの頭が揺れている。

「本当に愛してる相手なら、シワも白髪も愛おしいと思えるもんだよ?」
「……………なにそれ」

 ムッとした樹理亜。若い。確かに若い、と感じる。でも若けりゃいいってもんじゃない。本当に。
 樹理亜が納得いかない、というように叫んだ。

「若い方がいいに決まってるじゃん!」
「樹理ちゃん」

 圭子先生が樹理亜の腕に触れると、樹理亜は勢いよくそれを振り払り、わめき散らした。

「ばかじゃないの?ばかじゃないの?ばかじゃないの?」
「樹理………」
「バーカ! シネ!」

 樹理亜はひどい顔をして叫ぶと、あちこち蹴りながら職員室から出ていってしまった。

 おれの対応がまずかったのか……。

「すみません……僕が……」
「ああ、いいのいいの。あの子いつもああなのよ」
「でも……」
「最善の答えだったわよ? そう思ってもらえる奥様は幸せね」
「…………」

 圭子先生がカップの片付けをしながら、独り言のように言葉を継いだ。

「これで天使先生をあきらめてくれるといいんだけど。前みたいにストーカーで逮捕されたりしたら大変だわ」
「逮捕?」

 あんな小動物みたいな子が逮捕されるなんて、想像がつかない。

「あの子ね、前も担当の美容師さんをしつこく追い回してね……。まあ、ちょっと不安定な子なのよ。今も心療内科に通っていて……」
「心療内科?」
「そう。リスカ癖……癖っていうのも変だけど、まあ癖……よね」
「リスカ……」

 リストカット。自傷行為……。

「こないだも、病院で手首を切ったらしくて……それを治療してくれたのが天使先生なんですって。天使先生がすごくいい事言ってくれて、初めて、もうリスカなんてしないって思えたって言ってたわ」
「……………」

 慶、そんなこと一言も言ってなかったな……。
 まあ、当然か。医師には守秘義務がある。

「やっぱり病院側に連絡しておこうかしらね。浩介先生、連絡先調べてくれる?」
「え、あ、はい」
「病院名はねえ……樹理ちゃんの家の近くなのよね……ちょっと待ってね。今名簿探すから」
「…………はい」

 知ってます、とも言えず、圭子先生が探してくれるのをひたすら待つ。

「あったあった。この住所の近くの病院のはずなの」
「はい……」

 当然、慶の勤めている病院のことだ。
 わりと大きな病院だ。一般内科・呼吸器内科・循環器内科・消化器内科・心療内科・小児科・外科・脳神経外科・形成外科・整形外科……

「心療内科は火曜と木曜だけです。先生の名前は……戸田菜美子先生。女性ですね」
「そう……。天使先生の名前も分かってたほうがいいわよね。なんていうのかしら……こないだ樹理ちゃん面白いこといってたのよね。名字が駅名で、自分と2駅しか離れてないって」

 はい。そうです。渋谷、です。
 と言いたいところだけど、我慢我慢……。

「目黒の次の次……、大崎かしら? 目黒、五反田、大崎」
「…………」

 圭子先生、内回り行っちゃった……。

「大崎という方はいらっしゃいませんね……。渋谷、じゃないでしょうか? 渋谷先生ならいらっしゃいます」
「ああ、外回り。目黒、恵比寿、渋谷ってことね」

 知っているくせに知らないフリをするのはなかなか難しい。

「どんな方なのかしら。写真とかある?」
「ああ、どうでしょう……、………!!!」

 思わず、うわっ!と言ってしまいそうになり、思いきり息を吸い込んで誤魔化した。
 先生一覧の名前をクリックしたら、一人一人の紹介の画面に飛んだのだけれど……

「あら~~本当にすっごいイケメンなのね。芸能人みたい」
「……………」

 こ、これは……。
 プロにでも撮ってもらったのだろうか? 普通のスナップ写真ではない。
 カメラ目線ではなく、診察している最中という雰囲気の写真。
 白衣に聴診器。真剣な眼差し……。か、かっこよすぎる……。

 この写真、ほしい……。

「確かに樹理ちゃんが入れ込むのも分かるわね……」
「そうですね……」

 すごい……すごいな。こんな人がおれのものなんて。
 顔がにやけてしまうのを必死に抑える。

「今日、木曜日よね。ちょうどいいわ。電話してみるわね」
「はい。電話番号は………」

 圭子先生が電話しているのを聞きながら、慶の写真を眺める。左手の薬指の指輪をなでてみる。胸が温かくなってくる。

(ホントにこの写真ほしいんだけど……)

 慶、データ持ってないかな? 今日帰ったら聞いてみよう。


***


「持ってねーよ」
 渋谷先生、バッサリです……。

「えー!!ほしいのに!」
「何に使うんだよ?」
「それは………とても言えません」
「あほかっ」

 げしっと蹴られた。写真と顔は同じなのに、同一人物とは思えない。まあ、こっちが本来の慶であって、写真が作りものなんだけど。

「目黒樹理亜さんの話……聞いた?」
「ああ……まあ……」

 今日はカレー。慶が丁寧に灰汁をとっている横で、おれはサラダ作りをしている。

「気をつけてね?」
「そう言われてもなあ………」

 うーん、とうなりながら、カレーのルーを投入する慶。

「おれ、別に関わりないのになあ……」
「…………慶」

 本当にこの人、無自覚すぎる。

「慶、ちょっとは自覚したほうがいいよ? 慶ってすっごくすっごくかっこいいんだよ?」
「………別にかっこよかねえよ。チビだし」

 出た。小さいコンプレックス。小さいっていったって、164cmあるんだから、女性の平均身長よりは大きい。

「慶はスタイルいいから小さく見えないよ?」
「でも実際小さいからな」

 慶はムッとした顔をしたまま、ルーをとかし終わり、再び火をつけた。

「ま、誰にどう思われようと、関係ねえからいいんだけどな」
「関係ないって……」
「関係ねえよ」

 慶がカレーをぐるぐるかきまぜながら言う。

「おれにはお前がいるからな。他の奴なんか関係ねえだろ」
「!」

 うわ……

「慶………」

 なんかものすごい言葉をさらっと……。
 こらえきれず、後ろから抱きしめる。柔らかい髪。優しいぬくもり。

「あぶねーぞ?」
「火、とめる。今から40分ほどお時間ください」
「40分って……妙に具体的だな」
「少ない?」
「…………。食べてからに……」
「無理」

 手を伸ばして火を止める。

「今。今すぐ」
「……………」

 振り返った慶の唇にそっと重ねる。慶の左手の薬指を握りしめる。

「おれのもの。おれのもの……」
「……何言ってんだ?」
「慶はおれのもの。おれは慶のもの」
「……変な奴」

 笑った慶を抱きしめる。
 慶はおれのもの。おれは慶のもの。
 ずっとずっと変わらない。


-------------------------------------


R-18じゃないので自粛。
40分じゃたりなくて、ご飯食べるのは一時間以上後になると思われます。

覚書
1/15(木):樹理亜病院でのリスカ
1/16(金):樹理亜退院、浩介の学校へ・指輪の話
1/17(土):指輪を作りに
1/23(金):樹理亜抜糸
2/2(月):樹理亜、慶の後をつける
2/5(木):上記話


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風のゆくえには~ あいじょうのかたち3(慶視点)

2015年05月30日 07時26分25秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

 母に癌の疑いがある

と、妹の南から連絡があったのは、11月下旬にさしかかるころだった。

「お母さんにはお兄ちゃんには知らせるなって言われたんだけど、お姉ちゃんとも相談して、やっぱりお兄ちゃんに聞くのが一番かな、と思って」

 今、母が通っている病院の評判をききたい、という。
 近所やネット上での評判はいいけれど本当に大丈夫か心配。同業者だったら本当のことを知ってるんじゃないかと思って、と。

 日本の医師仲間とは時々は連絡を取り合っていた。そんな中でも一番密に連絡を取っていて一番信用できるのが、峰先生だ。おれより一回り年上で、娘さんが二人いる。数年前に親戚の病院にうつり、昨年からは院長職についているらしい。地域密着型の病院で居心地は抜群、だそうだ。

 峰先生に聞いたところ、評判通りのきちんとした病院であり、母の主治医も信頼できる医師なので、安心して任せたらいい、といわれて、胸をなでおろした。

 お礼をいって、スカイプを切ろうとしたところ、ちょっと待て、と止められた。

「お前、こっちに帰ってくる気はまったくないのか?」

 何を唐突に……。言葉を詰まらせたおれに、峰先生がたたみかけた。

「帰ってこられるんだったら、うちで働かないか?」

 峰先生の病院の小児科の医師が退職を希望しているらしい。ご主人が北海道へ転勤になり、それに着いていきたい、と言っているそうだ。
 次の医師が決まるまではいてくれると言っているけれど、次がなかなか決まらなくて困っている。
 日本語が不自由な患者さんも多いため、日常会話程度の英語が話せるというのが条件の一つらしく、お前だったら大丈夫だろ、と……。

「あとな。お前を口説くためにいうわけじゃないけど」

と、峰先生は前置きをして口調をあらためた。

 自分の子供にめったに会えないっていうのは寂しいもんだと思うぞ?
 お前の母親ってことは70くらいだろ? 癌であってもなくても、このまま外国暮らしを続けるんじゃ、あと何回会えるかどうかってことになるぞ?
 そろそろ帰ってきてやったらどうなんだ?

「…………」
 ずっと目を背けてきた話を、真正面から切りこまれてしまった。

 スカイプを切ったあと、椅子に座ったまま動けなくなったおれの横に、そっと浩介が座った。
 そして………

「慶」

 切ないほど、泣きたくなるような愛おしさをこめた声でおれを呼んだ。

「日本に、帰ろう」
「……………」

 浩介をふり仰ぐ。ここが事務所の中でなければ、その手をぎゅっと握りしめているところだ。

「でも……」
「8年もおれのわがままに付き合わせてごめんね」
「わがままって、そんな……おれは」

 浩介が静かに首をふる。

「ちょうどいい機会だよ。ここの地域からの撤退の話も出てることだし、タイミング的には今を置いてないよ」
「浩介………」

 浩介の優しい瞳。本心かどうか分からない。分からないけれど、この浩介の優しさを無視して帰国をやめたら、おれ達はずっとギクシャクしてしまう。長い付き合いなのでそのくらいのことは分かる。

「……ありがとう」
「うん」

 にっこりと笑う浩介。
 それからの浩介の行動は早かった。撤退のタイミングの調整、日本での住居の確保、チケットの手配、おれが自分の引継ぎでいっぱいいっぱいになっている中、帰国に関することはすべて処理してくれた。


 帰国後の就職先、峰先生の病院を考えたいところだけれども、その前に、先生に言っておかなくてはならないことがあった。浩介のことだ。

 峰先生は、浩介の存在を女だと信じて疑っていない。おれもあえて否定せずにきていた。日本にいたころは浩介とは別々に住んでいたので、それでもよかったけれど、帰国後はもちろん一緒に住むつもりだ。このまま峰先生にも隠し通すのはマズイだろう。
 病院も客商売だ。患者さんにどこでどう伝わるかもわからない。そんなおれを雇ってくれるのかどうか……。


「………マジか」
 電話先での峰先生の第一声はそれだった。絶句、という感じの無言が続く。
 この無言はキツイ……。今回はスカイプではないのでどんな表情で黙っているのかも分からない。
 耐えかねて、

「病院側に迷惑がかかるようなことになったら申し訳ないので、今回のお話は……、先生?」

 自ら辞退の言葉を口にしようとした、が、先生がいきなりゲラゲラと笑いだしたので言葉をとめた。

「先生? どうし……」
「なーるーほーどーなー! 納得納得」
 峰先生はなぜか笑い続けている。

「何が納得……」
「いやーさー、お前の彼女、完璧だっただろ? お前が忙しくても文句も言わずメシ作って待っててくれて、約束すっぽかしても怒らなくて、仕事に理解があって……、ってそんな女いるのかよ!って思ってたけど、男だったんだなー! だったら納得! あーすっきりした」
「すっきりって……」

 今度はこっちが絶句する番だ。

「ずっと不思議だったんだよ。なんか裏があるんじゃねえかって思ったりな」

 峰先生、楽しそうだ。

「そうか~男か~なるほどな~。そういうオチだったか」
「あのー…」
「まあ、気にすんな。とは言っても、やっぱり初めからカミングアウトするのは冒険すぎるから、とりあえずは黙っておいてくれや」
「え」

 じゃあ…雇ってくれると…?

「できれば年内に引き継ぎをしたい。帰ってこられるか?」
「あの……いいんですか?」
「何が?」

 何がって……。

「オレはお前が患者さん一人一人とちゃんと向き合える医者だってことは良く知ってるからな。それに、そっちに行ってからも取り残されないようにすっげー勉強してることも知ってる」
「先生……」
「それになにより」

 峰先生がニヤリと笑った顔が思い浮かぶ。

「お前、顔がいいからな。ゲイかどうかなんて大した問題じゃない。イケメンかそうでないかが問題だ」
「はあ……」
「駅近くに新しくクリニックができてなあ。人が流れていっている感が否めないんだよ今。イケメン先生投入でそこらへん呼び戻したい」
「…………」
「そういうわけで、よろしくな」
「…………。よろしくお願いします」

 いいのだろうか……という不安はあるけれど、お言葉に甘えさせてもらうことにした。
 浩介は、不登校の子供を支援しているフリースクールに就職先が決まった。大学時代のバイト先の関連施設で、以前から誘われていたらしい。

 
 母は精密検査の結果、乳癌ということが判明した。手術は年明けになる。幸い、早期の発見であり、進行も遅いタイプのため、完治がのぞめるという。
 本人はいたって元気で、おれが帰ってくることを手放しで喜んでくれた。


 日本には、クリスマス前に帰国した。
 浩介の友人のあかねさんのマンションを貸してもらえることになったのだが、あかねさん達の引っ越しが正月明けになるため、それまではおれは実家に、浩介はホテル暮らしをすることにした。

 浩介とご両親との確執は根深い。帰国したことも隠すつもりらしい。このことに関しては浩介も話したがらないので、おれは口出ししないことにしている。おれにできることは、つらそうな浩介に寄り添うことだけだ。


 大晦日前日の朝、浩介がホテルに泊まっていることを母に話したところ、
「なんでもっと早く言わないの! そういうことなら浩介君もうちに泊まればいいでしょ!」
と、怒られた。そう言われるとは1ミクロンも思っていなかったから驚いた。そして……嬉しかった。


 その日のうちに、浩介にはホテルを引き払わせた。
 浩介がホテルの乾燥のせいで喉をおかしくしていたので、とても助かる。そして正直いって、ホテル代の出費は痛かったので有り難い。


 良い天気で暖かかったので客用布団もふかふかに干すことができた。
 元・椿姉の部屋は、父の油絵のアトリエになっていて、元・南の部屋は、多趣味な母の物置部屋と化していたため(我が両親ながら、楽しそうな老後で結構なことだ)、狭いけれどおれの部屋に布団を引いた。

 おれの部屋だけ、ベッドも机もそのままになっている。やはり長男のおれには帰ってきてもらいたかった、ということなのだろうか、と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 が、母には「単に面倒だからそのままになってるだけで意味はない」といわれ、ホッとしたような、それは本心なのか?と問いただしたくなるような……。


「慶のご両親は本当に良い人たちだよね」

 浩介が暗闇の中でぽつんとつぶやいた。父の晩酌に付き合わされて飲んだ酒がまだ抜けていない感じの浩介。
 予想以上に好意的に迎えてくれたうちの両親に、かなり戸惑っていたようだが……。

「ごめんなーうちの親、人懐っこいというかなんというか……」
「ううん。すごく嬉しかった」

 寂しげに微笑んだ顔。見えなくても見える。お前が今、どんな顔してるかなんて。

「……浩介」
 不安にかられて、ベッドを抜け出し、浩介の布団の中にもぐりこんだ。一週間ぶりの浩介のぬくもり。

「お前………本当に日本に帰ってきて良かったのか?」
「………大丈夫だよ」

 浩介の手が優しく頬をなでてくれる。
 本当は、大丈夫じゃないだろう。でも………何も言えない。

「今日、すごーく嬉しかったなあ。認めてもらえた感じがしてさあ」
「………そうだな」

 酔いがまわって余計に眠くなっているのだろう。呂律がまわっていない。

「こんな風に慶の家に泊まる日がくるなんて、想像もできなかったなあ……」
「ホントにな」

 コツンとおでこを合わせる。ぎゅっと手を絡ませる。

「もう寝ろ。……おやすみ」
「うん。おやすみ……」

 懐かしい実家の匂いと、愛おしい浩介の存在を感じながら、おれもすぐに心地よい眠りに包まれた。



 翌朝起きたら、隣に寝ていたはずの浩介がいない。

「………浩介?」
 指先が冷える。一瞬不安になったが、浩介の荷物が目に入ってホッとする。

「……もう起きたのか?」
 ずいぶん早いな……と思いながら階下に降りていくと……

「えっトースターで焼くんですか?」
「だって朝からフライパンで焼くなんて洗い物も増えて面倒でしょ?」
「確かに。なるほど~」

 なんだか盛り上がっている声。台所をのぞくと……

「………お前、何やってんの?」
 母と浩介が台所に一緒に立っている。長ネギを切っている浩介……。

「何やってるって、朝食作る手伝いしてくれてるんじゃないの。浩介君、お料理できるのね。今日のおせち作りも手伝ってもらうことにしたから」
「…………そうなのか?」

 浩介がコックリと肯く。その横で母が真面目な顔で続けた。

「昨日、お父さんと一緒にお酒飲んでるのを見て、あーうちに3人目の婿がきたんだわーって思ってたけど」
「婿って」
「でも、違うわね」

 違う?

 浩介も手を止めて母を見る。顔がこわばっている。

 違うって……それは否定の言葉? せっかく受け入れてもらえたと思ったのに……。

「お母……」
「婿じゃなくて、嫁だわね」
「え」

 味噌汁の味見をして、うんうん肯いている母。

 ………嫁?

 浩介と顔を見合わせる。

「こうして一緒にお料理できるなんて、お嫁さんがきたみたいで嬉しいわあと思ってね。おせちも去年も一昨年も面倒だから作らなかったのよ。椿も南も自分の家のことで手一杯で、こっちに手伝いにくるわけでもないしね」
「………」
「でも今年は慶がいるから作ろうと思ってたの。浩介君が手伝ってくれるなら助かるわ」
「………」

 目をパチパチさせているおれ達を見て、母が「あらっ」と口に手を当てた。

「あらごめんなさい。男の人に向かって嫁はないわよね」
「あ、いえいえ、いいんです。いいんです」

 浩介が包丁片手にぶんぶん首を振る。

「嫁って言われたほうがしっくりくるので」
「なにを……っ」
「え、そうなの?」

 母はなんだか嬉しそうに笑った。

「あら~そう~。ほら、慶って女顔じゃない? 背も低いし。だから慶が女の子って扱いなのかと……」
「ちょっとお母さん?!」

 何を言い出すかと思えば!
 おれが会話をやめさせる前に、浩介があっさりと言う。

「いえ、慶さんの方が男らしいので。どっちかというと亭主関白的な……」
「え~そうなの~」
「誰が亭主関白だっ」

 言うと、「ほら、そういうところが」と浩介が笑った。……楽しそうだ。

「長ネギ切れました」
「そしたらね、ホイルひいて……ホイルそこの引き出し」
「はい」

 母と浩介が朝食作りをしている姿をぼんやりと眺める。

 結婚もできないし、孫も見せてやれないけど。
 せめて、嫁(というと語弊があるが)と一緒に料理をする、という経験をさせてあげられて良かった……のかもしれない。

「孝行のしたい時分に親はなし」

 なんて、ことわざを思い出す。せっかく日本に帰ってきたのだから、ちょくちょく顔をだすようにしよう、と思う。

 そして……

(浩介は……ご両親とこのままで本当にいいんだろうか……?)

 その言葉はまだ口に出すことができない。



-----------------------------------------------


慶パート終了~。

自分が高校生の時にはおそらく思いつけなかったであろうネタ。
老いた両親と向き合うということ。

「風のゆくえには~翼をひろげて」という話を高校生の時に書きました。
実年齢より上の、慶たち20後半から30前半。
浩介がアフリカに3年間行ってしまうけど、その後、二人揃って東南アジアにいく、という一見ハッピーエンドな話。

昨年からわけあって、このブログに延々と昔のネタを書き綴ってみて……

全然ハッピーエンドじゃないじゃん。逃げてるだけじゃん浩介。
本当にいいの? 今向かい合わなかったら、手遅れになるよ?

と、思ったのは、自分が歳を取ったからだと思います。
高校生の時は、良かった良かった。これで2人一緒に幸せに暮らせる……なんて思っていました。

とはいえ、私もまだ40歳(そう「まだ」40歳!)
もしかしたら、これから10年20年たったら、また書ける話ができるのかもしれないですね。

次回、浩介パート。


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風のゆくえには~ あいじょうのかたち2(樹理亜視点)

2015年05月28日 11時22分19秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

 まるで映画でもみている感じ。
 まわりで起きていることは全部スクリーンの向こうのこと。
 自分が生きてるのかも、もうこの世にいないのかも、全然わからない。

 そんなとき、あたしはちょっと自分を傷つけてみる。
 切った先から鮮やかな赤い血が流れてくるのを見ると、安心する。
 あたしは生きてる。あたしの血は赤くてキレイ。あたしは生きてる……。


「目黒さん?! ……誰か先生呼んで!」
 ぼんやりとしたスクリーンの向こうで、看護師さんが叫んでる。
 ああ、ここって病院の待合室だったっけ………

「外村先生は?!」
「今、手術中で……」

 音量大きすぎ。うるさい。女の人のギャアギャアした声ってホントうるさい。

「院長? 西田です。今……」
 ガサツで口が悪い看護師がどこかに電話してる。

「戸田先生じゃ無理です。使い物になんない……え? 渋谷先生? 小児の? はあ……分かりました」

 西田サンは電話を乱暴に切ると、

「ヨーコちゃん、小児の渋谷先生、大至急呼び出して」
「え? 渋谷先生って、あの渋谷先生ですか?」
「院長が、渋谷先生なら処置できるって言ってる。急いで」

 バタバタバタ、バタバタバタ、みんな忙しそう……

 意識を失う寸前、口の悪い西田サンがあたしの手をおさえながら言ったのを覚えてる。

「目黒さん、すっごいイケメンがあなたを助けてくれるよ。だから頑張って」


***


 目覚めると、真っ白い部屋の中にいた。
 大きな窓から差し込んできてるのは、夕日なのか朝日なのか……

「目黒さん?」
 枕元から、なんだか心地の良い声……。

 そちらを向いて……思わず息をのんだ。

(天使……)

 天使だ、と思った。窓からの光を背にうけて光輝いている。
 完璧に整った中性的な顔立ち。包み込むような優しい瞳。白衣を身にまとった天使。

「あたし………死んだの?」

 天使のお迎えだ、と思った。
 でも天使は、優しく微笑んで首を横に振った。

「生きてるよ? ほら、温かい……」
「…………」

 包帯でまかれてる左手を、そっと包んでくれる天使。

「ホントだ……生きてる……」

 天使の手……ちゃんと感じられる。スクリーンの中じゃない。ここにある。

「目黒さん、もう死のうとなんてしちゃだめだよ?」
「え」

 せっかくの天使との空間に、ガサツな声が割り込んできた。西田サンだ。
 あたし、首をかしげる。

「あたし、死のうとなんてしてないけどー?」
「はあ? 何言ってんの? あんなに深く切ったら死んじゃうでしょ。だいたいあんな大きなカッター、いつも持ち歩いてるわけ?」
「カッター……ああ、うん。護身用」

 そうだ……待合室で呼ばれるの待ってたら、どうしても切りたくなって、それで……

「死のうとしてないって、じゃ何で……」
「生きているのかどうか、確かめたくなった?」
「!」

 とげとげした西田サンの声をかき消す、涼やかな声。
 天使、あたしの心の中を読んだの?

「確かめたくって……って」
 西田サンの呆気にとられた顔の横で、天使が寂しげに瞳を伏せた。

「こんな方法で確かめなくても大丈夫だよ。大丈夫。君はちゃんと生きてる」
「え………」
「今度確かめたくなったら、胸に手を当ててみて。鼓動が伝ってくるよ」
「…………」

 言われるまま、胸に手を当てる。わずかに伝わってくる鼓動。

「君が生きている証。大丈夫。君は生きてる……生きてる」
「…………」

 天使の優しい声。
 温かい。温かい気持ちが流れ込んでくる。
 知らない間に涙がボロボロと流れ落ちていた。天使はそれを優しく拭ってくれた。

**


 天使の名前は「渋谷先生」らしい。

 でも次の日、病室にきてくれたのは渋谷先生じゃなかった。
 外村とかいうコワイおじさん先生が傷口を見て、「きれいに縫えてる」って感心してた。
 渋谷先生のこと聞きたかったけど、こわくてツッコめなかった……。
 そのまま退院してしまったから、渋谷先生のことは分からないままで……

 一週間後、抜糸をしにいったんだけど、それも残念ながらコワイ外村先生だった。
 看護師さんに聞いてみたら、渋谷先生は小児科の先生だと言われた。そういえばあの時そんな会話をしていたような……。
 小児科では診察を口実に会いに行くことはできない。今度来た時には見張ってみようと思う。


 と、いうことで、その10日後。

 小児科近くの喫茶スペースで、昼休み前から見張ってみた。
 午前の診察は12時までのはずで、午後の診察は14時からだというのに、小児科は大盛況で13時半を過ぎても診察は終わらなかった。もう、午後からの診察を待っている親子連れもいるし、このまま昼休みとらないで午後の診察になっちゃうのかな……と諦めかけた、13時50分。

「あ~いいな~渋谷先生、愛妻弁当~」
「10分じゃ、味わうこともできないですね~せっかく作ってくれた奥さんかわいそ~」
「じゃ、ごめん。すぐ戻る」

 看護師たちの冷やかす声に苦笑しながら左手をあげた渋谷先生。その薬指には……指輪。

 うそ……。この前はしてなかったのに……。結婚したってこと?

 渋谷先生は急ぎ足で喫茶スペースを横切ろうとして……

「あれ? 目黒さん?」
「!!!」

 声かけてくれた!! 名前! 覚えててくれた!!!

「診察?」
「あ……はい! はい。経過観察、みたいなー?」
「そっか」
「外村先生が、きれいに縫えてるって褒めてましたー」
「それは良かった」

 ニッコリとした渋谷先生。鼻血もののまぶしい笑顔。

「先生は……これからご飯?」
「あ、そうそう。ごめん、2時までに戻らないとだから急いでて」
「愛妻弁当、見てみたいなー」
「え?」
「ここで食べればいいじゃないですかー」
「うーん……ここで弁当広げるのはちょっと……ごめんね。じゃ、お大事にね」

 爽やかな笑顔で去っていく。天使だ……。

 でも……天使が愛妻弁当? 愛妻って何? 愛する妻? 天使に妻? ありえなくない?

「愛妻……見てみたい」

 よし。見に行こう。
 そうと決まったら話は早い。速攻で家に帰って、変身セットを用意する。
 黒縁の眼鏡。ピンクの頭がすっぽり隠れる帽子。めったに履かないパンツ。絶対に私だって分からない。
 駅にいって、ICカードにお金をたくさんいれてきた。先生がどんなに遠くから通っていてもこれで大丈夫。

 寒さに耐えながら、職員玄関の見える路地で待ち続け……ようやく渋谷先生が出てきたのは8時を過ぎていた。お腹空いた……。

 渋谷先生は、黒のコートに鮮やかなオレンジのマフラーをしていた。白衣とは全然雰囲気が違って、これまたかっこよすぎる。目立つので、尾行しても見失うことはなかった。
 先生が降りた駅は、急行は止まらないけど、小さくもなく、すごく大きいわけでもない駅。改札を出た目の前にスーパーがある。

 先生が歩いていくのを、つかず離れず追いかける。追いかけていたところで……

「けーいくーん」
 後ろから、よく通るきれいな女の人の声がして、びっくりして振り返った。その先にいたのは、

「え」
 ぎょっとしてしまうくらいの美人。その美人が颯爽と先生のところに駆け寄っていく。手にしているのは、駅前のスーパーの袋。牛乳が入っているのが見える。

「あれが……愛妻?」
 美人は先生にスーパーの袋の中身を見せて何か話している。先生、楽しそうに笑ってる……。
 そして、自然な感じにその袋を先生が受け取って持ち、二人は並んで歩いていく。

「背……高い」
 美人は先生より少し背が高くて、スラッとしている。
 「美男美女カップル」という言葉がぴったりと当てはまる2人。すれ違う人も二人をジロジロとみている。気持ちは分かる。一人ずつでも充分美しいのに、二人そろうと、オーラがハンパない。

「ずるい……」
 尾行する気が失せて、二人の後姿を見送る。
 すごい美人で、声もきれいで、背も高くて、高そうなコート着てて、その上、超イケメンの優しいお医者さんが旦那って、どんだけ恵まれてるの? 世の中不公平すぎない? おかしいでしょ?

「…………」

 あたしが勝っているところといったら……若さ、くらいかな。
 あの女はたぶん、30代。先生と同じくらいの年齢とみた。

 でも、若さはすごい武器だ、とママちゃんも言っていた。
 あたし、頑張る。頑張って振り向かせる。あの女から先生を奪ってやる。



--------------------


樹理亜パート終了。

上記の美人妻は、浩介の友人のあかねさんです。
若く見えるけど、実際は慶と浩介と同じ歳。今年41です。

あかね:「今から遊びに行くー」
浩介:「じゃ、牛乳買ってきて」
あかね:「えー」
浩介:「プリン買っていいから」

と、いうことでした。で、

あかね:「牛乳買ってきてって頼まれたの。お駄賃はプリンってことで」
慶:「お駄賃って(笑)」
あかね:「子供のおつかいみたいよね~」
慶:「すみません(笑)ありがとうございます。あ、おれ持ちます」

と、いうことでした。

慶はあかねに対しては、ほぼ敬語です。
同じ大学の一年先輩(慶は一浪してるので)だったのと、バイト先の常連だったのを引きずっているのだと思います。

医者の慶くん、大人でよそいきな感じでなんかくすぐったいなー。
ホントは口悪いくせにね。

次は慶パート。
こんな感じに、一回ずつで順々に視点変えていきたい。


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