【慶視点】
おれは、無力だ。
その小さな命の火が消えた時、おれは自分の無力さを本当の意味で思い知った気がする。
「患者にも患者の家族にも寄り添える医者に」
「一緒に戦う戦友みたいな医者に」
そんな医者になる、と高校2年生の時に決意して以来、ずっとこの道にかけてきたつもりだった。
「おれはおれのやるべきことをここで頑張る。だから、お前も頑張ってこい」
最も愛しい人の手を離してまでも、おれはこの道を選んだ。
浩介がケニアに行くと言ったあの日の朝。
「あたし、渋谷先生が一緒にいてくれるから頑張れるんだ」
そう、病床のあの子が言ってくれた。
「渋谷先生みたいに一人一人の患者さんに寄り添うことなんて、他の人にはできません」
そう、看護師の早坂さんが言ってくれた。
「ちゃんと背中押して来なよ。後悔するよ」
そう、妹の南が言ってくれた。
だからおれは、見送りにいけた。ちゃんと笑顔で背中を押してこられた。
あれから一年四か月……
おれは何も成せていない。ただ、自分の無力さを思い知っただけだ。
***
役立たずになったおれは、強制的に10日間の休みを取らされた。
日がな一日ボーっと過ごしている中で、思い出されるのは、あの温かい腕で、あの優しい眼差しで……
「………浩介」
会いたい。
一度そう思ってしまったら、もうダメだった。
堰を切ったように流れ出したその思いは、おれの中を埋め尽くして、息もできなくなって……
それから後のことは自分でもよく覚えていない。浩介の所属しているNPO法人に問い合わせをして、ケニア支部の住所を教えてもらって、必要最低限の荷物だけもって空港に向かい、それで……気が付いたら、ケニアの地を踏んでいた。
現実味のないまま、浩介の勤め先である学校に向かって……
「あ………」
生徒達に囲まれた浩介の姿が目に入った瞬間………果てしない後悔の念にかられた。
おれは、ここに来てはいけなかったんだ。
**
その日の夜、浩介のベッドで久しぶりにその温もりを味わった。
「慶……大好きだよ」
何度も耳元で囁いてくれた。日本にいた時と同じように……
せめてこの瞬間だけでも、と、すべてを忘れて、その愛に包まれて眠りに落ちた。けれども……
一時間もたたないうちに目が覚めた。
(浩介……寝てる……)
浩介は日本にいたころは、不眠症気味だったので、寝顔を見せてくれることがほとんどなかった。それが今はどうだ。こんなに幸せそうな顔をしてグッスリと眠っている……
(ケニアに来て、よかったな?)
そっと、その柔らかい髪を撫でながら、どうしようもない愛しさと寂しさにとらわれる……
昼間……浩介は、学校の校庭で、俺の姿を見つけた途端、ものすごい勢いで走ってきて、
「会いたかった! 会いたかったよ! 慶!」
周りにいた生徒達の目も気にせず、泣きながらおれのことを抱きしめてくれた。
冷やかすように子供達に何か言われると、照れ笑いをしながら、現地の言葉で何か言い返していて……
(ああ……お前は居場所を見つけたんだな)
すーっと落ちていくような感覚……
お前の先生してる姿を見るの、あんなに好きだったのに……
今は、直視できない。
思い知らされる。
おれは、この場に必要のない人間だ……
浩介の下宿先のシーナさんは、ケニア支部の代表というから、どんなやり手の人かと思ったら、感じの良い、そこら辺にいる普通のオバサンで安心した。
反対に、その娘のアマラは、気の強そうなツンケンした女の子だった。なぜか知らないけれど、おれに対して当たりが強くて……
でも、その理由は、浩介が大人向けに行われている夜の授業に行っている間、アマラと二人で話しているうちに気がついた。
(この子、浩介のこと好きなんだ……)
恋愛感情としてかどうかは分からない。でも、浩介にここにいてほしいと思っていることは痛いほど伝わってきた。
『あなたが浩介の本当の恋人よね?』
ズバリと言われ、詰まってしまうと、『やっぱりね』とアマラはうなずいた。
前に来た〈恋人のあかね〉の時と、浩介の態度が全然違う、らしい。
『浩介を連れて帰ろうとしてるんでしょ?!』
生徒達も村の人もみんな、彼のことを頼っている。みんなから彼を取り上げるなんて許さない。
アマラから立ち上る怒りのオーラに圧倒される。
ああ、浩介。お前はすごいな。こんなに求められて……
『そんなことはしないよ』
アマラにゆっくりと首をふってみせる。
おれにはそんな資格はない……
空が白く染まり始めた頃、おれは静かにベッドから抜け出した。無邪気な笑みを浮かべたまま眠っている愛おしいその人の顔を見下ろす……
「……浩介」
小さく一度だけ呼んでみる。そのすっかり肌も黒くなり、以前よりも少しやせた顔を、じっと見つめる……
大好きな、大好きな、大好きな浩介。ずっと、ずっと、大好きだった。これからも変わらない。
でも……
(一緒には、いられない……)
お前の邪魔になりたくない。
その愛しい額に口づけをし、音を立てないようにそっと部屋を出た。
朝焼けのケニア。浩介が毎日通っているであろう道の風景。全部覚えておこう、と思った。広い空を見上げながら思った。
お前はここで翼を広げたのか……
**
日本に帰国してきてからの残りの休日は、ほとんど寝て過ごした。
『慶って大人ね』
あの朝、アマラに言われた言葉が、頭から離れない。
あの朝………母屋のシーナとアマラに別れの挨拶に行った際、アマラに言われたのだ。
浩介には何も言わず帰国する、と言うと、
『後悔しない?』
眉を寄せて尋ねられた。夜話した時は『一人でさっさと帰れ』みたいなことを言っていたのに……本当は優しい子なんだろう。
後悔なら、ここに着いた時からずっとしてるよ。
そんな本音も言えず黙っていると、アマラはますます眉を寄せた。
『浩介がさみしがるわ』
『………そんなことないよ』
ゆっくりと首を振る。
『浩介には、君もシーナも、生徒達も、村の人もいる』
『…………』
しばらくの沈黙のあと、アマラがふっと笑った。
『慶って大人ね』
「え?」
大人? そりゃもう30だし………
『我慢することが大人になるってことなら、私は大人になんかなりたくないわ』
「…………」
アマラの黒曜石のような瞳に見つめられ、いたたまれなくて視線をそらしてしまった。
我慢することが大人……
確かに、昔のおれだったら、ただただ「一緒にいたい」という思いだけを叶えようとしただろう。
離れる前までは、どんな形でもいいから一緒にいたいと思っていた。一緒にいることが当然だと思っていた。
でも……それはおれの押し付けでしかない、ということに気がついた。
一年四ヶ月前……
「だから言いたくなかったんだよ! そうやって慶に言われたらおれ、何もできなくなる!」
ケニア行きを反対したおれに言い返した時の、悲鳴のような浩介の声が今でも胸に刺さっている。
「おれ、自分の可能性を試したいんだよ」
そう、真摯な瞳で言った浩介………
だから、おれは、お前の背中を押して……
だから、だから、だから………
「お前、もっと大人になれ」
ふいに、先輩医師である峰先生の説教が頭の中に響き渡った。
「客観的に物事を見ろ」
大人? 客観的……?
(おれは、どうすればいい……?)
布団の中にもぐりこみながら、浩介の、アマラの、峰先生の、そして……いなくなってしまった小さな女の子の言葉を、何度も何度も思い返した。
----------------------------
お読みくださりありがとうございました!
今回、高校時代に書いた文章をコピペしつつ付け足していったので、いつもより更にシツコイ……
あ、ちなみに、アマラと慶の会話は全部英語です。慶君、日常会話程度の英会話はできます。
これから10年ほど後の話、「あいじょうのかたち」の6で「医者の慶は冷たいくらい冷静」と浩介が言っていましたが、慶がそうなっていくのは、上記がきっかけなのでした。
次回、金曜日は2年目の続き……引き続き真面目な話……
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真面目な話が続きますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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2004年夏
【早坂さん視点】
ある入院患者が亡くなった。
彼女は健気に戦い、そして穏やかな最期を迎えた。誰のせいでもない。そういう運命だった、と、皆が言った。彼女の両親でさえ、深い悲しみの中でその運命を受け入れようとしていた。
でも、渋谷先生は………
渋谷先生は、ひたすら自分を責め続けていた。一週間経っても、日常業務に支障をきたすほど、様子がおかしかった。
「あれだけ忠告したのに……」
自動販売機のコーナーの前を通りかかった時に、峰先生が苦々しく言っているのが聞こえてきて、思わず立ち止まってしまった。
「お前、患者に近づきすぎなんだよ」
「……………すみません」
小さな声。相手は渋谷先生だ……
「お前はやるべきことはすべてやった。充分、役目は果たした」
「…………でも」
渋谷先生の消え入るような声……
「おれじゃなくて、峰先生が担当医だったら……」
「同じだ、バカ」
バシッと叩かれたような音。
「医者が何でもできると思うなよ。だいたいなあ……」
峰先生の愛のお説教はまだまだ続きそう……
一緒に立ち聞きしていた同僚の1人が、その場を離れてから「あのー」と声をかけてきた。
「渋谷先生って、患者さん亡くなった経験、初めてなんですか?」
聞いてきたのは、先月小児科に配属されたばかりの橋本さん。即座にベテランの大貫さんが首を振った。
「そんなことはないんだけど……、先生が自分一人で受け持った担当患者からは、初めて……なんだよね。付き合いも深かったし……」
「ああ………」
みんなで胸に手を当てて、渋谷先生の気持ちを慮る。
渋谷先生は、はたから見ていても、やりすぎじゃないか、というくらい、患者さんに寄り添おうとしていた。先輩医師の峰先生にそれを何度か注意されていたのもみんな知っている。
「渋谷先生はまだ若いから張り切ってるんだよね。いいじゃないのよねえ」
なんて、看護師の間では峰先生の注意が笑い話になっていたけれど……、こうなってしまっては、峰先生の忠告こそが正しかった、と思えた。どこかで線を引かなければ、精神的にやられてしまう。それで仕事ができなくなるのでは本末転倒だ。
でも……気持ちはわかる。
「あとで発表になるけど……、渋谷先生にはしばらく休みを取ってもらうって」
大貫さんが「まだ内緒よ」と口に指をあてながらいった。
「ちょうど夏休み期間だしね……。頭切り換えてきてくれるといいんだけど……」
「でも………」
思わず言葉が出てしまう。
「そのまま辞めちゃったり………」
「…………」
「…………」
みんなで顔を見合わせ……首を振った。
渋谷先生……カッコ良くて優しくて、みんなのアイドルだったのに……
どうか乗り越えて帰ってきてくれますように…………
そんなみんなの願いが通じたのか、渋谷先生は10日間の休みのあと、ちゃんと復帰してきた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた渋谷先生。
「今後ともよろしくお願いします」
「…………っ」
その眼差しに、女性陣から「きゃあっ」みたいな声が上がった。きゅんとさせられるような瞳……
「なんかますますかっこよくなったね~」
「一皮むけていい感じ~」
挨拶の後、みんなはそんな話をしていたけれど………
(…………違う)
私は、違和感を感じていた。
(渋谷先生……人形みたい……)
今までのオーラが情熱の赤、だったとしたら、今は……透明に近い青……
もう大人なんだから、こう言うのは変なのかもしれないけど、「大人っぽくなった」という言葉が一番当てはまるかもしれない。
少年のようにキラキラしていた瞳は、落ち着いた透明感のある光に変わっていて………完璧に整った容姿はそのままなのに、まるで雰囲気が違う……
(先生、大丈夫………?)
儚げ……ともいえる雰囲気に心配が募る。
先生はこの休みの間に、遠距離恋愛中の彼女に会いにいった、という噂だ。そこでも何か大きな変化があったのだろう。そうでなかったら、こんなに変わるわけがない。
別れた……のかな……
(先生………)
遠くにいる彼女より、近くにいる私の方が、先生を支えてあげられる……
(私が、支えます)
勝手な決意を胸に、ぎゅっと両手を握りしめた。
【浩介視点】
ケニアに来てから、夢を見る回数が減った。不眠症だったのが嘘のように、気がついたら寝ている、という毎日を過ごしていた。それだけ疲れているのだろう。
それでも、数少ない夢の中に出てくるのは、当然慶の姿で………。日中も、ふとしたときに、すぐ近くに慶がいるような感覚に陥って、しめつけられるような愛しさと寂しさにとらわれていた。
そんな中……、本当に、本物の慶が会いに来てくれた。
1年4ヶ月ぶりに触れる慶の頬………
あらためて思い知る。こんなにもいとおしい。こんなにも愛してる……
「急に夏休みが取れたから遊びに来た」
慶はそう言ったけれど、何かあったことは明白だった。慶、やつれてる………
シーナとアマラのいる母屋では、気丈に明るくふるまっていた慶。離れのおれの部屋に入った途端、ふうっと大きくため息をついた。
「お前はすごいな……」
狭いおれの部屋の中に、慶の良く通る声が小さく響く。
「生徒だけじゃなくて、村の人にまで頼られて……」
慶は自分の手のひらをジッと見つめてから、ポツリ、とつぶやいた。
「それに比べて…………おれは、無力だ」
「そんなこと……」
何があったのかは分からない。でも、痛いほど、辛い、ということだけは伝わってくる……
何を言えばいいんだろう……
「………おれがこの国に来る勇気を持てたのは慶のおかげだよ?」
迷った末にそれだけ言うと、慶は目を伏せて……
「………浩介」
ぎゅっと抱きついてきた。愛しい感触……
「慶……」
そのまま、狭いベッドになだれ込み、1年4ヶ月分のキスをした。
**
さすがになんの用意もなく最後まですることは躊躇われたので、初めての時のように、お互いを高めあ……………ったのは、いいんだけど……二人して、あっという間に達してしまって……
「ご、ごめん、久しぶりすぎて……」
「おれも……」
あまりにも早すぎだし、半端ない量が出るしで、思わず、顔を見合わせ、笑いだしてしまった。
「あー……おかしい」
「だねー……久しぶりだとこんな風になるんだね」
慶もおれと離れてからは、自分で抜くこともほとんどしていなかったそうだ。おれも同じだ。なんかそんな気分にならなくて……
笑いながらまた唇を合わせる。
「慶、大好き」
「うん」
「大好きだよ」
「ん」
ぎゅうっと抱きしめながら、何度も何度も囁いていたら、慶がすーっと眠りに落ちた気配がした。愛しい慶……
(慶……)
何があったのかは分からないけれど…
『しばらくこちらにいます』
シーナに『いつまでいるの?』と聞かれ、慶はそう答えていたので、まだ時間はあるということだ。そのうち教えてくれるかな……
と、いうか、
(しばらく、じゃなくて、ずっとここにいればいい)
そんな辛い顔をさせる日本なんかさっさと棄てて、ここにいればいい。おれと一緒にいればいい。
もしかして、慶もそのつもりで来たのではないだろうか……
「慶……」
そっとその額にキスをすると、おれも安心したからか急激な睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまった。
そして、朝が来て………
慶がいなくなっていることに気がついた。
慶はおれには何も言わず、日本に帰ってしまったのだ。
----------------------------
お読みくださりありがとうございました!
峰先生の「患者に近づきすぎるな」。これから10年以上後のお話になる『たずさえて』でも、そう言って戸田先生に説教しておりました。あのセリフの下地には、上記の慶の一件もあったのでした……
次回は9月19日(火)更新予定です。よろしくお願いいたします。
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2003年9月10日
【浩介視点】
今日は、20代最後の誕生日だ。
子供の頃は、誕生日には必ず、外食に連れていかれたり、豪華な食事を用意されたりした。
でも、毎年、父は明らかな迷惑顔でその席にいて、母は「お父さんみたいな弁護士になるために、もっともっと頑張りなさい」と飽きもせず言ってきて……
おれは誕生日が来ることが、毎年嫌で嫌でしょうがなかった。
でも、16歳の誕生日から変わった。
『誕生日おめでとう!』
キラキラした笑顔。
『何が欲しい? 何が一番嬉しい?』
毎年、そう言ってくれた慶。苦痛でしかなかった誕生日は、温かい気持ちになれる日に変わった。
慶。答えはいつも同じだよ。
慶が欲しい。
慶が一緒にいてくれるだけでいい。
でも………
5ヶ月前、おれはその温かいぬくもりを自分から手離した。
『おれのことなんか、忘れていいよ』
そう言ったけれど……、でも、きっと慶は忘れないでくれるだろう。慶がどれだけおれのことを好きでいてくれたか、おれは知っている。
『おれはおれのやるべきことをここで頑張る。だから、お前も頑張ってこい』
揺るぎない強い光。昔から変わらない力強いオーラで、慶は言ってくれた。
だから………
『それでいつか……いつか、また会える時がきたら、その時は……』
その時は………
「浩介?」
「!」
いきなりトンっと肩を叩かれ、ビクッとしてしまった。振りあおぐと、シーナがいつもの穏やかな瞳で微笑んでいる。
「どうしたの?ボーッとして」
「あ………いや」
「ママ、そんなの決まってるじゃない」
シーナの娘のアマラが、呆れたように言いながらコーヒーを差し出してくれた。アマラは8歳年上のおれに対してもまったく容赦がない。
「浩介はどうせ、日本に残してきた恋人のことを思い出してたんでしょ?」
「……そんなことないよ」
言いながらも、コーヒーの匂いで、また慶との思い出がよみがえる。
『コーヒー飲む』
おれの腕をぎゅっと掴んだ慶……かわいかったな……。
慶は、おれが就職したばかりの頃、『置いていかれた気がして寂しい』と言って、『だからコーヒーも飲めるようになる』と、ずっと避けていたコーヒーを飲むようになった。
『でも、慶、コーヒー飲めるようになっても、おれのことたくさん頼ってね?』
おれはあの時、言ったのだ。
『おれ、強くなるから。ずっと慶と一緒にいられるために強くなるから』
あれから6年……
おれは、その約束を叶えることができなかった。強くなれなかった。
(でも、でも、慶……)
おれ、頑張るから。頑張るから。慶、だから、いつか…………
「ほら、またボーッとしてる」
「あ……」
アマラに言われ、我に返る。彼女のいう通り、おれは何かにつけて慶のことを思い出してばかりだ。今日は特にひどい。
アマラが口を尖らせて言う。
「そんなに恋しいなら連れてくればよかったのに」
「…………」
静かに首をふってみせる。
「彼女には彼女の進む道があるから……」
「じゃー忘れなさいよ」
「…………」
アマラ、手厳しい。苦笑してしまう。
「……忘れないよ。だって、ここにくる勇気をくれたのは彼女だし……」
背中をおしてくれた手の温かさ。穏やかな笑みを浮かべ、見送ってくれた、愛しい人。
慶がいるから、飛び立てる。慶がいるから、翼が広がる……
「そんなの……」
「じゃあ、いつか迎えに行けるように、頑張らないとね」
何か言いかけたアマラの言葉にかぶさるように、シーナがにっこりと言ってくれた。
「…………はい」
すっと心に入り込むシーナの声。
シーナが元々運営していたボランティア団体は、おれの所属する団体の傘下となり、今ではシーナはケニア支部の責任者をしている。
その関係で、日本支部の事務局長から、おれが勤め先の高校と方針が合わなかったことや、親と折り合いが悪いことも聞いたらしい。逃げるようにケニアにやってきたおれを、優しく見守ってくれている。何も詮索しないでくれる心遣いが有り難い……
(いつか迎えに……)
コーヒーを飲みながら、慶の温もりを思い出す。
おれは「待ってて」なんて、そんな図々しいことは言えなかった。だから、勝手に思ってるだけだけど……
いつの日か、あなたにふさわしい男になるから、だから、そうしたら…………
今度こそ、ずっと、ずっと、一緒にいたい。
【吉村さん視点】
(あ!)
ラッキー!って、思わずぐっと拳を握ってしまう。
うちの病院のアイドル・渋谷慶先生が、食堂の一番奥の席に一人で座っているのを発見したのだ。
(珍しい)
いつもはもっと手前の席にいるのに。そして大抵誰かしらと一緒なのに。あんなところで一人、隠れるように座ってるなんて……
(これはチャンス!)
数ヵ月前、渋谷先生は長年付き合っていた彼女と別れたらしい。本人は「別れてない。遠距離恋愛中」というけれど、ずっと連絡も取っていないし、再会の約束もしていないというんだから、それは、世間一般的に「別れた」ということだ。いい加減、その事実を認めろっての。
ウキウキしながら、お盆を片手に近づいていき(今日は可愛らしくオムライスにしていて正解!)、後ろから声をかけようとして、
(え?)
おもわず立ち止まってしまった。渋谷先生の前……チーズケーキが置いてある。そして渋谷先生はなぜかそれを腕組みしながらジッと見ていて……。
声をかけにくい雰囲気にどうしたものかと突っ立っていたら、
「うわっ、吉村!」
視線に気が付いたのか、渋谷先生が振り返りながら叫んだ。
「なんだよ、びっくりさせるなよっ」
「そんなびっくりしなくても……、ていうか、渋谷君がケーキ食べようとしてることの方がビックリなんだけど? 珍しいよね?」
いいながら、勝手に前の席に座る。
渋谷先生は、仕事中は私のことを「吉村先生」と呼ぶけれど、仕事外では「吉村」と呼びつけにする。だから私も「渋谷君」と呼ぶことにしている。同期、というだけでなく、私達は特別仲が良い。看護師連中にもすごく羨ましがられている。患者の親に「お似合いですね」なんて言われることもある。
なんて思い出して、うふふ、となったのに。
「いや……今日さ、あいつの誕生日なんだよ」
「………え」
ちょっと恥ずかしそうに言った渋谷君のセリフに、ゴンッとハンマーで打たれた。
(あいつ……あいつって……)
別れた彼女かよっ。
「………。別れた彼女の誕生日に一人でケーキって、すっごくキモイんだけど」
思わず、シラーッと言うと、渋谷君がムッとしたように口を尖らせた。
「だから、別れてないって」
「誕生日も一緒に過ごせないような人は恋人とは言いませーん」
「それは………っ」
もにょもにょ、と渋谷君は口の中で何か言ってから、
「あーおいしー」
と、やけくそのように、チーズケーキを食べはじめた。
「……………」
なんなんだろうなあ……と思う。
こんなにかっこよくて、性格もよくて、医者で、患者にもその親にも人気があって、先輩方にも可愛がられていて……って、非の打ち所のない人なんだから、相手なんていくらでもいるのに。例えば私とか。
それなのに、こんな風に別れた女のこと思い続けてるなんて……
「……さみしい男だねえ」
「ほっとけ」
ちょっと笑った渋谷君。強がっちゃって……。私だったらそんな思いさせないのになあ……
「ねえ……渋谷君さあ、最近アホみたいに仕事しまくってるのって、さみしさ紛らすためでしょ?」
「は?」
渋谷君が、眉を寄せた。
「なんだそりゃ」
「みんな言ってるよ?」
「…………なんだそりゃ」
渋谷君、引き続き眉を寄せたまま、最後の一口を大切そうに頬張ると、真っ直ぐに視線を向けてきた。
(…………。ほんとカッコイイよな……)
こんな美形、そうそうお目にかかれない。見慣れているはずなのに、こうして正面から見られると、なんだか恥ずかしくなってくる。……なんて、こちらの心の葛藤なんて全然知らない渋谷君は淡々と言った。
「おれはただ、一日でも早く、一人前になりたいだけだ。そのためだったら、アホみたいでもなんでもいいから、とにかく経験を積みたい」
「…………真面目だねえ」
言うと、渋谷君は「いや」と言って軽く首を振った。
「約束、したからさ」
カチャ、とカップを置いた音が効果音のように響く。
「約束?」
「うん……、おれ、約束したんだよ。あいつと」
「………」
渋谷君の瞳に輝きが灯っている。
「おれはここで頑張るって」
「…………」
「ここで、一人前の医者になるって」
息を飲むほどの、まぶしい光……
「それで、いつか、おれもあいつも、一人で立っていられるようになったら……」
ふわりと幸せそうな笑み……
「そしたら」
「…………」
「今度こそ、ずっと一緒にいる」
「…………」
…………。
…………。
…………。
…………なにそれ。
そんな………そんなの……
「そんな……」
何か、言おうとしたんだけど……
「わわわっ!」
かああああっと赤くなって叫んだ渋谷君の声にかき消されてしまった。
「わー、何言ってんだおれっ」
渋谷君、頭抱えてる。
「ちょ、忘れて……忘れてくれ……」
「忘れてって……」
そんなこと言われても、聞いちゃったし……
言うと、渋谷君は、だよなーだよなーと言いながら引き続き真っ赤になって顔を覆った。かわいい……。
渋谷君はしばらくそうして顔を隠していたのだけれども、今度はこちらをチラッとみて、はああっと大きくため息をついてきた。
「あー……やっぱ、吉村似てんだよなあ……」
「え……」
その言葉に期待が高まる。
似てるって誰に?! も、もしや、その彼女に……
でも、渋谷君はアッサリとその期待を裏切った。
「妹。だからついつい気が緩んで、本当のこと言ったりしちゃうんだよなあ……」
「…………」
妹かよ……
「なんつーか、雰囲気とか、しゃべり方とか……」
「………。妹さんと仲良いんだね」
「いや、別に、普通だけど……」
引き続き照れたように頬をかいた渋谷君。
「むしろ、妹とはあいつの方が仲良かったんだよなあ……」
「………………」
あいつ、あいつ、あいつ……って。
渋谷君の頭の中は、彼女のことばっかりだ。
「………うらやましい」
「え?」
「あ、いや……」
思わず出てしまった言葉を速攻で誤魔化す。
ああ、うらやましい。うらやましい……
こんなにまで渋谷君に思ってもらえる彼女がうらやましくてたまらない。
同期、同僚、友達、妹。渋谷君にとっての私はそれ以上でもそれ以下でもなくて……
もういい加減、私も変わらないといけないのかもしれない……
「じゃ、経験つみたい渋谷先生、今晩の当直代わってくださいよ」
「別にいいけど……どうかしたのか?」
きょとん、とした渋谷君を前に、ガツガツとオムライスを食べ始める。
「週末合コンあるから、美容院行きたかったのに、昨日も行けなかったからさ」
「ああ、お前、昨日も結局、夜までいたもんな」
「そうそう」
お前、と呼ばれる女性も職場では私だけだ。それだけ仲良しの私達。でも、渋谷君の心は彼女でいっぱいで、私の入る隙なんかなくて……
「バッサリ切っちゃおうかなあ。イメチェンイメチェン。どう思う?」
「あー……いいんじゃね?」
「適当に答えるなっ!ちゃんと興味持ちなさいよっ!」
テーブルの下で足を蹴ってやると、渋谷君はケタケタと笑いながら、
「別に髪の毛なんか、切って気に入らなくても、すぐ伸びるからいいだろ」
「そういう問題じゃなーいっ」
ムーっとして言ってから、ふと、思いついて聞いてみる。
「彼女は? 髪、長い? 短い?」
「え」
渋谷君、なぜか少したじろいでから、「あー……」と答えた。
「短い。……けど、今頃、伸びてるかもしんねえな」
「……………」
また、ふっと上に目をやった渋谷君……彼女のことを思い出しているのだろう……
くそー……
「……やっぱ切るのやめた。揃えるだけにする」
「? なんで?」
「それは……っ」
渋谷君の彼女と同じ髪型になるのが嫌だからだよ!っていう本音は押し込めて。
「長い髪の方が男ウケするからだよ!」
「ふーん?」
そんなもんか? なんて首をかしげている超美形の男に、イーッと鼻に皺をよせてやる。
こんな、一人の女を馬鹿みたいに思い続けてるアホな男、こっちから願い下げだ!
その後……
私は、偶然再会した高校時代の元彼となんだかんだでヨリを戻すことになり、そして、春には結婚して、今の病院を辞めて、地元の病院にうつった。
だから、全然知らなかった。
この約一年後、渋谷君が壊れてしまったことを……
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お読みくださりありがとうございました!
浩介が思い出している慶の「コーヒー飲む」発言は、読切「~一歩後をゆく」からでした。猫慶かわいい^^
そして、今までちょこちょこ名前だけ出ていた吉村さん。ようやくまともに出せて満足満足。でも、結婚して地元静岡に戻ったので、たぶんもう出てきません。
次回は二年目。慶君が壊れた後の話、になると思われます。
15日(金)更新予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
こんな真面目な話、お読みくださり本当にありがとうございました!
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