Stay hungry, stay foolish

2011-10-23 17:20:27 | Weblog
ジョブズ氏を生で、一度だけ見たことがある。

何年も前にサンフランシスコのMac Worldで彼が恒例のKey-note Speech (基調講演)を行なった時で、僕といえば、周りのMac freaksというかComputer geek達が、あまりにも凄まじく熱狂するものだから、逆に冷めた目でその光景を眺めていた記憶がある。
しかし、今にして思えば貴重な経験だった。

スティーブジョブズ 享年56歳

きっとその意志とは裏腹に「太く短く」走り去っていくこととなった現代のダ・ヴィンチであり稀代の革命家。
まだまだその人生を生き足りなかったことだろう。
ここまでの道程も決して順風満帆なものではなかったはずだ。多難な局面を幾度となく乗り越えてきた彼も最期は病の前に力尽きた。

癌の宣告を受けた2003年以降、まるで生き急ぐように矢継ぎ早に打ち出された新機軸は、ipodの進化版に始まり、iPhone、iPadシリーズ、そして、遺作となったiPhone 4Sで一応の終止符を打つこととなる。
彼のDNAが次世代にも脈々と引き継がれていくことになるかは今後のAppleの動向を見守る他ないが、ジョブズ氏は生前、まるでこの日を予見していたかのように彼ならではの「死生観」を次のスビーチの中で展開している。

~(以下、彼のスタンフォード大卒業式でのスビーチより抜粋)
17歳の時に、こんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」。

その言葉に感銘を受けて以来33年間、私は毎朝、鏡の中の自分に問いかけています。「今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?」と。その答えが何日も「NO」のままなら、何かを変える必要があると気付きます。

「すぐに死ぬ」と覚悟することは、人生で大きな決断をする時に大きな自信となります。なぜなら、ほとんど全てのものは、周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖などで、そういったものは死に直面すると消え去るからです。そこに残るのは、本当に必要なものだけです。死を覚悟して生きていれば、「何かを失うこと」という心配をせずに済みます。あなたは初めから裸なのです。素直に自分の心に従えば良いのです。
(途中略)


死がただの概念だった頃より(ガンの宣告を受け、奇跡的に手術に成功した後)、確信をもって言えることがあります。「誰も死にたくはない」ということです。天国に行きたい人でもそのために死のうとはしない。

しかし、死はすべての人の終着点であり、誰ものがれたことはないし、今後もそうあるべきである。

なぜなら、死は生命の最大の発明なのだから。死は古き者を消し去り、新しき者への道をつくる。ここでの「新しき者」は君たちのことです。
しかしそう遠くないうちに君たちも「古き者」となり消えてゆきます。
大袈裟ですみません、しかし紛れもない事実です。

あなたの時間は限られています。無駄に他人の人生を生きないこと。
ドグマに囚われないでください。それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。他人の雑音で心の声がかき消されないようにしてください。そして最も大事ななのは自分の直感に従う勇気を持つことです。直感とはあなたの本当に求めることを分かっているものです。それ以外は二の次です。~

たとえば、自分の寿命が、ジョブズと同じ程しか残されていなかったらどうすべきかなどといった不確実なものに翻弄されることこそ、彼の言う無駄に人生を生きることに他ならない。

彼は「無駄に」他人の人生を生きてはいけないと言っているのであって、他人のために生きてはいけないとは言っていない。
死を生のために捉えて、覚悟をもって、無駄なく大切に余生を過ごすことができれば誰のために生きても構わない。勿論、自分のためだって。

Stay hungry, stay foolish

このスビーチの締めくくりに彼が残した言葉を体現するためには、prideとsatisfuctionの重い鎧を脱ぎ捨てなければならない。



マジですか?アレですか?その3の前に

2011-10-18 19:24:37 | Weblog
人称代名詞は、基本的に動詞の前に来るのがスペイン語だったが、例外が命令形。
有名なフレーズで歌にもあるのが

Besa me mucho.

Besar キスするの命令形▷Besa
には、後ろにmeが来る。
muchoは、mucho gusto = 「はじめまして」で使ったように意味はmuchだが、形容詞として使われた前回に対して、ここでは後ろから動詞を修飾する副詞になる。