葉月

2009-08-25 07:45:11 | Weblog
誰にも夏は等しくやって来て....

でも、それは、誰にとっても同じ夏ではなくて。

それぞれの夏を待つそれぞれの人の元へと、短い夏は波飛沫に乗って運ばれてくる。

きっと(カット)ね。


そうしてまた、今年も自分だけの夏が終わりを告げようとしている。

季節と同じ歩速で、たくさんの何かが移り過ぎていく。

このひと夏を、それなりに頑張って生きた証に、秋になったら、心の田んぼに新しい稲穂が実らんことを願う。

自分の人生、まだまだ残暑に見舞われたいっス。

宿題を手伝う

2009-08-14 12:33:52 | Weblog
親の務め?

たまには。

たまにしかないから。

こいつと出会えたのが、他人より遅かったから。

人並みにオレが死んでくとすると、

こうやって接する時間は、他人より少ないから。

なおさら濃密な時間が必要なのに。

オレときたら...

この夏は、どこにも遠出せずとも、たくさん一緒にいるだけで

思い出はできるさ。  たぶん。

それが宿題をみてやる時間であっても

地区センターのボロい卓球台で、卓球をすることであっても

自転車で出かけることであっても

ゴルフ練習場の打ち放しにつき合わせることであっても?

同じ夏は二度と来ないから。

夏休みの終わりに、なんか買ってやるか。

Life-size ガンダム以外なら。


ミストのラスト

2009-08-10 00:43:47 | Weblog
いけないよ。

観客の期待と予想を裏切る映画は数あれど、映画「Mist」の絶望的なLastは、いけないよ。

映画は文化じゃない。映画は娯楽です。

勿論、娯楽の中に文化的な香りのする作品があってもいいけれど....


あんな絶望のみのエンディングは......わざわざ、映画にしてくれなくても世界中に嫌という程ある。


アキレスと亀 

2009-08-06 21:07:39 | Weblog
まるでアキレスと亀のように、言葉(アキレス)は気持ち(亀)を追い抜けない。


アキレス(言葉)が亀(気持ち)に近付くと、言葉は急に「都合のいい訳」に変わり、「言い訳」は、勝手にどんどん膨んで、終には無力にもシャボン玉のように消えてしまうから。



人は、心と心で感応し合えれば最強だぜ。

もう言葉は気持に近付くことすらできなくなるんだ........ぜ。

川村カオリさんのブログから拝借しました。

2009-08-01 12:22:49 | Weblog
川村カオリさんに特別な思いがあった訳ではないのですが、訃報を知って思わず彼女のブログを拝見しました。

この詩は、彼女自身が綴った最後の日記の2通前に掲載されていたもので、この詩自体は他のサイトでも読むことができますが、最後まで病魔と闘い抜いた彼女が紹介したからこそ価値があり、伝わってくるんだと思います。

病魔以外でも、生きていく以上人は闘わなければならないものがたくさんあって、そんな自分を支えてくれるために「詩」というものが生れてきたのだと思っています。



危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。

(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)

P.S.

人間には絶望ということはあり得ない。人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。
(太宰治 パンドラの匣の一節より)