FLYING KIDS - 幸せであるように
誰にも夏は等しくやって来て....
でも、それは、誰にとっても同じ夏ではなくて。
それぞれの夏を待つそれぞれの人の元へと、短い夏は波飛沫に乗って運ばれてくる。
きっと(カット)ね。
そうしてまた、今年も自分だけの夏が終わりを告げようとしている。
季節と同じ歩速で、たくさんの何かが移り過ぎていく。
このひと夏を、それなりに頑張って生きた証に、秋になったら、心の田んぼに新しい稲穂が実らんことを願う。
自分の人生、まだまだ残暑に見舞われたいっス。
でも、それは、誰にとっても同じ夏ではなくて。
それぞれの夏を待つそれぞれの人の元へと、短い夏は波飛沫に乗って運ばれてくる。
きっと(カット)ね。
そうしてまた、今年も自分だけの夏が終わりを告げようとしている。
季節と同じ歩速で、たくさんの何かが移り過ぎていく。
このひと夏を、それなりに頑張って生きた証に、秋になったら、心の田んぼに新しい稲穂が実らんことを願う。
自分の人生、まだまだ残暑に見舞われたいっス。
親の務め?
たまには。
たまにしかないから。
こいつと出会えたのが、他人より遅かったから。
人並みにオレが死んでくとすると、
こうやって接する時間は、他人より少ないから。
なおさら濃密な時間が必要なのに。
オレときたら...
この夏は、どこにも遠出せずとも、たくさん一緒にいるだけで
思い出はできるさ。 たぶん。
それが宿題をみてやる時間であっても
地区センターのボロい卓球台で、卓球をすることであっても
自転車で出かけることであっても
ゴルフ練習場の打ち放しにつき合わせることであっても?
同じ夏は二度と来ないから。
夏休みの終わりに、なんか買ってやるか。
Life-size ガンダム以外なら。
たまには。
たまにしかないから。
こいつと出会えたのが、他人より遅かったから。
人並みにオレが死んでくとすると、
こうやって接する時間は、他人より少ないから。
なおさら濃密な時間が必要なのに。
オレときたら...
この夏は、どこにも遠出せずとも、たくさん一緒にいるだけで
思い出はできるさ。 たぶん。
それが宿題をみてやる時間であっても
地区センターのボロい卓球台で、卓球をすることであっても
自転車で出かけることであっても
ゴルフ練習場の打ち放しにつき合わせることであっても?
同じ夏は二度と来ないから。
夏休みの終わりに、なんか買ってやるか。
Life-size ガンダム以外なら。
いけないよ。
観客の期待と予想を裏切る映画は数あれど、映画「Mist」の絶望的なLastは、いけないよ。
映画は文化じゃない。映画は娯楽です。
勿論、娯楽の中に文化的な香りのする作品があってもいいけれど....
あんな絶望のみのエンディングは......わざわざ、映画にしてくれなくても世界中に嫌という程ある。
観客の期待と予想を裏切る映画は数あれど、映画「Mist」の絶望的なLastは、いけないよ。
映画は文化じゃない。映画は娯楽です。
勿論、娯楽の中に文化的な香りのする作品があってもいいけれど....
あんな絶望のみのエンディングは......わざわざ、映画にしてくれなくても世界中に嫌という程ある。
まるでアキレスと亀のように、言葉(アキレス)は気持ち(亀)を追い抜けない。
アキレス(言葉)が亀(気持ち)に近付くと、言葉は急に「都合のいい訳」に変わり、「言い訳」は、勝手にどんどん膨んで、終には無力にもシャボン玉のように消えてしまうから。
人は、心と心で感応し合えれば最強だぜ。
もう言葉は気持に近付くことすらできなくなるんだ........ぜ。
アキレス(言葉)が亀(気持ち)に近付くと、言葉は急に「都合のいい訳」に変わり、「言い訳」は、勝手にどんどん膨んで、終には無力にもシャボン玉のように消えてしまうから。
人は、心と心で感応し合えれば最強だぜ。
もう言葉は気持に近付くことすらできなくなるんだ........ぜ。
川村カオリさんに特別な思いがあった訳ではないのですが、訃報を知って思わず彼女のブログを拝見しました。
この詩は、彼女自身が綴った最後の日記の2通前に掲載されていたもので、この詩自体は他のサイトでも読むことができますが、最後まで病魔と闘い抜いた彼女が紹介したからこそ価値があり、伝わってくるんだと思います。
病魔以外でも、生きていく以上人は闘わなければならないものがたくさんあって、そんな自分を支えてくれるために「詩」というものが生れてきたのだと思っています。
危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)
P.S.
人間には絶望ということはあり得ない。人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。
(太宰治 パンドラの匣の一節より)
この詩は、彼女自身が綴った最後の日記の2通前に掲載されていたもので、この詩自体は他のサイトでも読むことができますが、最後まで病魔と闘い抜いた彼女が紹介したからこそ価値があり、伝わってくるんだと思います。
病魔以外でも、生きていく以上人は闘わなければならないものがたくさんあって、そんな自分を支えてくれるために「詩」というものが生れてきたのだと思っています。
危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)
P.S.
人間には絶望ということはあり得ない。人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。
(太宰治 パンドラの匣の一節より)